■小学修身教科書より
「第十五 礼儀」
人は礼儀を守らなければなりません。
礼儀を守らなければ、世に立ち、人に交わることができません。
人に対しては、ことばづかいをていねいにしなければなりません。
人の前であくびをしたり、人と耳こすりしたり、目くばせしたりするような、不行儀をしてはなりません。
人に送る手紙には、ていねいなことばを使い、人から手紙を受けて返事のいる時は、すぐに返事をしなければなりません。
又、人にあてた手紙を、ゆるしを受けずに開いて見たり、人が、手紙を書いているのを、のぞいてはなりません。
その外、人の話を立ち聞きするのも、人の家をのぞき見するのも、よくないことです。
人と親しくなると、何事もぞんざいになりやすいが、親しい中にも礼儀を守らなければ、長く仲よく付き合うことはできません。
「親しき仲にも礼儀あり」です。
【心と体の健康情報 - 652】
~歴史から学ぶ~
尋常小学校「修身教科書」から
戦前の学校教育に「修身」という科目があり、古今東西の偉人・賢人達の具体的エピソードを通じて、「正直・謙虚・礼儀・勤勉・
公益・勇気」といった科目を子ども達に教えていました。
修身教育の根本方針は、明治23年10月30日の「教育勅語」(メルマガ583号・585号・587号に掲載)
によって定められた、全文315文字の短文からなります。
勅語は、「自己・家族・友人・社会・国家」に対する、国民が守るべき十四の徳目を説いています。
例えば「博愛の精神」…「博愛」と言われても、抽象的で、その意味がよく分かりません。修身の教科書では、エピソードを通して、
小学生にも十分理解できるよう、血の通った道徳教育がなされているのです。
■小学校修身教育 「博愛」の教え
紀伊の国の水夫寅吉は、蜜柑を積んだ船で江戸へ行った。 それからこの捕鯨船は、北の方へ鯨を捕りに行き、半年ばかりたって、帰りに船長は便船に頼んで、
寅吉たちを香港まで送り届けました。 そこで寅吉たちは、支那の役人の保護を受け、便船に乗り継いで、やっと日本に帰ることが出来ました。故郷では、
三年も便りがなかったことから、死んだと思い、葬式を出して墓までしつらえていました。 知っていても知らなくても、「博く愛する」のが"人の道"です。 明治37年、日露海戦において、上村艦隊が敵艦を打ち沈めた時、敵のおぼれ死のうとする者を、 六百余人も救い上げたのは、名高い美談です。 |
戦後の教育の現場からは、「修身」や「教育勅語」が排除されてしまった。
私たちは修身の内容を知らず、軍国主義の思想教育であるかのような、固定観念で見ている…。
徳目に書かれている内容をよく読むと…政治・マスコミ・日教組などで、"修身"が話題になっただけで、トラウマになって反対する…
その理由が分からない。
(論語の友)
問題の箇所があれば、そうした箇所を削除し、今の学校教育にふさわしい内容に改め、修身を復活すべきと思うのですが…。
なぜ、薪を背負った二宮尊徳像が、小学校の校庭から撤去されなければならないのか?なぜ、二宮尊徳が教育の現場から排除されたのか?