落語・だくだく
■"柳屋小三治"師匠が考える"笑い"とは
「人を笑わせるのではない 笑ってしまうのが芸」
小三治の落語は"奇"をてらわない。無駄を削ぎ落とし、ただタンタンと語る…。
落語界を背負う、当代屈指の古典落語の最高峰と評される柳屋小三治師匠。
人を笑わせたくて噺家になる人が多い。修行を積んでいくうちに、人を笑わせることが、たいしたことではないことに気づく…
分かってくる。
今人気の若手漫才師のように、「ガハハ…」と笑わせようとしている間は、まだ一人前ではない。
笑わせようとして、笑わせるのは、同じことをやっていると、いずれ客がついて来なくなる…限りがある…飽きがくる。自分も飽きるし、
聞いている客も飽きる。
次々と新しい笑いを、客に提供しなければならない。
柳屋小三治師匠が考える"笑い"とは、面白い日常の話をそのまんま話して、笑わせる。
落語は、笑わせるためにやっているのではない。
聞き手が語りに引き込まれて、そこから自然に湧きあがってくる"笑い"…それが素晴らしい芸になる。
笑わせるのではなく、お客が"つい笑ってしまう芸"は、新しいネタを考えなくていい…プッシュがいらない…
ひたすら落語の世界を演じていればいい。
面白く出来ている落語は、笑いが多い少ないではなく、「ヘェ~ヘェ~」と、お客が笑いに引きこまれ、お客の目付きが変わってくる…
輝いてくる。
【吉村外喜雄のなんだかんだ - 645】
~ことば遊び~ 「落語・だくだく」
落語家は「想像力を生み出す芸人」…観客のイマジネーションのために、扇子や手ぬぐいを駆使して、どれだけ演じられるか… 想像力を喚起する落語という芸能…無限の可能性を秘めている。
想像力を喚起させてくれる落語といえば、「だくだく」がある…
狂言「棒しばり」などにも相通ずる、落語ならではのネタ噺です。
八五郎と泥棒が、常識では考えられない状況の中で、とぼけた洒落っ気を演じるのを、寄席のお客様に想像力を働かせていただき、
楽しんでもらおうというもの。
「だくだく」は、客席から笑いが取れないと、悲惨な結果になってしまう…
そんなこ難しい落語ですが、故・柳亭痴楽が得意ネタにしていた。
痴楽といえば、「痴楽つづり方狂室」や「恋の山手線」が有名。
顔をくしゃくしゃにして、独特の節回しで噺す、個性溢れる落語家だった…。
♪貧乏人の八五郎、長屋へ引っ越したはいいが、かついでいくのが面倒くさいと、家財一切、古道具屋に売っぱらってしまった。
家財道具が何もないから、新居はからっぽ。そこで、絵描きの先生に頼んで、壁一面に張った紙の上に、家具の絵を描いてもらって、
気分だけでも"ある"つもりになろう…と考えた。
床の間、箪笥、金庫、長火鉢など、長年欲しかったものを、次々と注文。
金庫はちょっと開いていて、銭がちらっと見えるように…だとか、
鉄瓶がチンチン煮立って、湯気を出しているところとか、猫があくびをしているところとか、なげしに先祖伝来の槍を架けるとか…
やたら変な注文が飛び出す。
出来上がって、八五郎、すっかり新世帯にいるような気分になって…床につく。
その晩泥棒が忍び込んだ。その泥棒そそっかしくて、その上…近眼。
盛り沢山の家財道具に歓喜したのもつかの間…盗もうとして手に触れると、すべて絵に描いたものばかり。びっくりするやら、感心するやら…
。
このまま帰ったのでは面白くないと、家の主(あるじ)がそういうつもりなら、こっちも"つもり"でいこうと…仕事を始めた。
まず、「金庫を開けたつもり…拾両ばかり盗んだつもり」
「箪笥の引き出しを開けたつもり」と、声を出しながら、絵に描いてある箪笥の引き出しを開ける仕草をする。
「大きな風呂敷を取り出して、十分に広げたつもり」
「箪笥の中から、結城紬の小袖を一枚盗ったつもり」などと、
次々と品物を風呂敷に入れる仕草を繰り返す。
「目ぼしい物は盗んだつもり」
「大きくふくらんだ風呂敷包みを、背負ったつもり」と…逃げ出そうとする。
さっきから目を覚まして、泥棒の様子を見ていた八五郎…
そのまま見逃すわけにはいかないと、跳ね起きる。
「なげしに架けた槍をおっ取って、リュウリュウとしごいたつもり」と、
今しがた泥棒がやっていたように、声を出して捕まえる仕草を始めた。
とどめとして、「泥棒目がけて脇腹をブスッと突いたつもり」…と、
泥棒、脇腹を押さえて…「う~ン、いタタタタ…だくだくッと、血が出たつもり」
※新宿末広亭で、柳亭痴楽がこの噺を演じて、高座から下がりかけた時、
1人の客が、「ア~ア、面白かった…つもり」と言った。
痴楽、そちらを振り向き、「いやな客…のつもり。ポカッと横っ面を殴り倒した…つもり」と言い返した。場内、笑いの渦に包まれた。