2246 認知症と向き合う(2)

高齢者の4人に1人が認知症になるという
状況にありながら、偏見を改め、認知症と
一緒に歩む社会には至っていない。
認知症は、ケアする側もされる側も”対等”
であるべきなのです。

認知症はコミュニケーション障害、
生活障害
の病気です。
自分が何をしてほしいのか分か
っていても、適切に伝えることができず、
不安や恐怖がついて回るようになる。

体の感覚や、時間の感覚もあいまいになる。
イライラして常に緊張が続き、心身にダメー
ジを受ける。
その根底にあるのは、自分自身の存在そのも
のが揺らいでいることにある。

認知症に対して社会は、「心がからっぽで、
明確な意思を持たない」「ボケが始まった人
の声に、耳を傾ける必要はない」などの偏見
がついて回る。

認知症に対する医療は、長年その症状にしか
目を向けてこなかった。徘徊や暴言などを
「問題行動」と見なし、それを抑える治療に
腐心してきたのです。

認知症患者の問題行動は、不安や苦悩に加え
周囲の偏見から生み出されることが多いので
す。
本人の不安や心理にまで踏み込んで、
心や破綻した生活をどう救うか・・といった
課題は後回しにされてきた。
認知症だからと、本人の意思はないがしろに
されているのです。

認知症患者の意思が軽視されたまま、専門医
の目線で、精神病棟に隔離される患者のごと
く、治療が”強制”されることを患者は嫌う
のです。
逆に、本人を人として丸ごと促えれば、
明確な意思を引き出すことができるのです。
ケアする側が患者にケアされることもありま
す。
双方対等の関係を作り上げていく・・
難しく考えずに”意思の変革”が今後の課題
になるのです。

2245 認知症と向き合う

認知症という病は、人間らしさの一部とみな
されるものが、一つひとつ失われていくのを
目にしたとき、初めて知ることになる。

日頃それを当たり前に思っている間は気づく
ことはない。
例えば会話・・相手の言葉を受けて答えたり
質問したりするには、直前に語られた内容を
ごく短い間、覚えている必要がある。

この”短期記憶”をなくすと、言葉のやりとり
ができず、同じ会話を繰り返すようになる。
また”時間と空間の認知”は、あらゆる行動の
基本です。この能力が壊れると、居場所を探
してさまようことになる。

認知症の前段階「軽度認知障害」を発症した
ころ、「まるで暗い洞窟の中へ入って行くよ
うな気持ちになった」という。

ついこの間まで当たり前にやっていたことが
出来なくなる・・今がいつで、ここがどこか?
わからなくなる不安と孤独は、患った本人に
しか分からない・・
幼い少女のようにおびえている。

6年後の2030年には、65歳以上の7人
に1人が認知症になるという。
老いとともに誰もがなりうる病・・私たちは
その病に苦しむ人たちのことを、どれほど
理解しているだろうか・・

日経新聞「春秋」

2238 ほめ方を間違えると かえって害になる

パリ五輪が幕を閉じて1ヶ月・・
数々の感動シーンがまだ記憶に新しい。
メダルにつながった選手もいれば、
悔し涙を流した選手もいる。

選手のスキルを上げたり、意欲を高めるため
に、多くの指導者コーチが試行錯誤し
ながら選手を励ましたことだろう。

アスリートの快進撃は、選手の努力だけでは
なく、良き指導者の存在があることを忘れて
はならない。
選手を不快にさせたり、肉体や精神に苦痛を
与えるパワハラやセクハラが、何かと問題に
なる昨今・・
指導者は指摘されることを恐れ、褒めること
に終始するようになるが・・
そのほめ方にも良し悪しがあるようです。

米コロンビア大学の心理学部で、
以下のような「ほめ方」の実験をした。
公立小学校5年生の児童400人を対象に、
難易度の”低い”テストを受けさせた。

本人の成績に関わらず各児童に「80点以上
だった」と結果を伝え、児童たちを無作為に
3つのグループに分けた。

Aのグループの児童には「頭が良い」とほめ
Bのグループの児童には「良く頑張った」と
努力をほめた。Cのグループには何も言わず
ほめもしなかった。
その後・・
能力をほめたAのグループは、難しい勉強を
避け、成績は下がった。
努力をほめたBのグループは、更に難しい
勉強に励み成績を伸ばした。
興味深いのは、何もほめなかったグループの
方が、能力をほめたグループより難しい問題
に励んでいたのです。
ほめ方によっては、その後の意欲や結果を
左右し、ほめ方を間違えるとかえって害にな
ることを示唆している。
       
    日経新聞「元気の処方箋」

Aのグループはイソップ物語「ウサギと亀」
能力を過信したウサギになっていたのかも。