2250 日経新聞/時事川柳・松茸

日本経済新聞が毎月投稿を受付ている時事
川柳で、この秋「松茸談義」のようなものが

次々投稿された。

松茸が  座る八百屋の  貴賓席
キノコの王様のように神々しく見えた

松茸山  消えて今は  ゴルフ場
昔は誰でも採りに行ける山があった

色白の松茸   外国産薫る
八百屋の貴賓席は国際化して、中国、カナダ
トルコ、モロッコなどの輸入品が並ぶ

松茸が  買うのですかと  僕を見る
見ているだけです・・と心のうちで返事した

松茸を  食べすぎたと  やせ我慢
松茸ごはん、お代わりの夢を見た

トドメは
三十年  松茸買った  ことがない
松茸もズワイガニも、旬を通り過ぎていく

2237 ことば遊び/第一回和漢川柳

ロート製薬が、年齢に伴って変化する体の
変化をテーマにした「和漢川柳コンテスト」
第一回目の募集では、全国から2万を超える
作品の応募があった。
「くすくす」と笑ってしまう作品、
「あるある」と思わずうなずいてしまう作品
など、ユニークな作品がいっぱい・・

● 最優秀賞
「 旅先で  観光せずに  まずトイレ 」

● 優秀賞
「 飲み会で  数値の高さ  競いあう 」
「自分へのエールはヨイショどっこいしょ」
「目じゃないの 膝てもないの 今日は腰 」
「 一万歩  歩いて膝が  ストライキ 」
「よい夢も  トイレ休憩  はさみつつ 」

● お腹周り部門
「 残された ベルトの穴が あとひとつ 」

● 眠り部門
「 寝返りを 何度打ったら 寝付くのか」

● こむら返り部門
「オハヨウの 伸びで足つり マッサージ」

● おトイレ部門
「さあ寝るぞ トイレ済ませてまたトイレ」

● もの忘れ部門
「言ったわよ 聞いてないぞに 自信なし」

2203 知って納得、ことばの語源

「覆水盆に戻らず」

離婚した夫婦はもとに戻れないという「覆水盆に戻らず」
語源は、太公望で知られる周の呂尚(りょしょう)
呂尚は若い頃、本ばかり読んで赤貧洗う貧しさだった。

このため妻は家を出ていった。その後周の文王に見出され
出世して斉の始祖になった。別れた妻は復縁を申し出た。
呂尚は、盆に入れた水をこぼして見せ・・
『1度こぼれた水は2度と盆には戻らない』と断った。

「下手くそな役者をなぜ大根というか?」

大根とはなにか・・すぐに思いつくのは、どんな食べ方をしても、
どんなにたくさん食べてもお腹をこわさないことだろう。
絶対に”当たらない”のだ!
では、大根役者とは何か? どんなに脇役で熱演しても、
客には受けない・・つまり、絶対に”当たらない”のだ。

「別れるときの挨拶が”さようなら”なのは」

「さようなら」を漢字で書くと「左様なら」である。
武士の言葉で、訪問先を辞する時『左様なら、おいとま申す』と言った。
それがいつの頃からか後半が省略され、「左様なら」だけが残った。

「なぜ、”馬鹿”の漢字は馬と鹿なのか?」

秦の始皇帝没後、官官・趙高の策謀により二代目皇帝になった
胡亥(こがい)に、趙高は「これは馬」ですと言って鹿を献上した。
皇帝は「これは鹿ではないのか」と問い返したが、趙高の権威を
恐れる臣下たちは皆「馬です」と口を揃えた。
真実に目をつぶり、こびへつらって嘘をつく輩を「馬鹿」と言うように
なった。

「インチキ勝負を”八百長”というのはなぜ」

明治の初め、両国に八百屋の長兵衛という男がいた。
この男、大相撲の伊勢海親方とは囲碁仲間だったが、いつも
負けてばかりいた。
ある時、来賓で招かれていた本因坊秀元と対局したおり、
つい本気を出して互角の勝負をしてしまい、相当の腕であることが
バレてしまった。

伊勢海部屋に野菜を買ってもらいたくてご機嫌をとり、
わざわざ負けていたのである。このことから、わざわざ負けることを
”八百長”と言うようになった。