「覆水盆に戻らず」
離婚した夫婦はもとに戻れないという「覆水盆に戻らず」
語源は、太公望で知られる周の呂尚(りょしょう)
呂尚は若い頃、本ばかり読んで赤貧洗う貧しさだった。
このため妻は家を出ていった。その後周の文王に見出され
出世して斉の始祖になった。別れた妻は復縁を申し出た。
呂尚は、盆に入れた水をこぼして見せ・・
『1度こぼれた水は2度と盆には戻らない』と断った。
「下手くそな役者をなぜ大根というか?」
大根とはなにか・・すぐに思いつくのは、どんな食べ方をしても、
どんなにたくさん食べてもお腹をこわさないことだろう。
絶対に”当たらない”のだ!
では、大根役者とは何か? どんなに脇役で熱演しても、
客には受けない・・つまり、絶対に”当たらない”のだ。
「別れるときの挨拶が”さようなら”なのは」
「さようなら」を漢字で書くと「左様なら」である。
武士の言葉で、訪問先を辞する時『左様なら、おいとま申す』と言った。
それがいつの頃からか後半が省略され、「左様なら」だけが残った。
「なぜ、”馬鹿”の漢字は馬と鹿なのか?」
秦の始皇帝没後、官官・趙高の策謀により二代目皇帝になった
胡亥(こがい)に、趙高は「これは馬」ですと言って鹿を献上した。
皇帝は「これは鹿ではないのか」と問い返したが、趙高の権威を
恐れる臣下たちは皆「馬です」と口を揃えた。
真実に目をつぶり、こびへつらって嘘をつく輩を「馬鹿」と言うように
なった。
「インチキ勝負を”八百長”というのはなぜ」
明治の初め、両国に八百屋の長兵衛という男がいた。
この男、大相撲の伊勢海親方とは囲碁仲間だったが、いつも
負けてばかりいた。
ある時、来賓で招かれていた本因坊秀元と対局したおり、
つい本気を出して互角の勝負をしてしまい、相当の腕であることが
バレてしまった。
伊勢海部屋に野菜を買ってもらいたくてご機嫌をとり、
わざわざ負けていたのである。このことから、わざわざ負けることを
”八百長”と言うようになった。