2205 富山県の人口100万人割れ目前

■ 北陸三県の人口      ▲減少率
石川県  33位  111.8万人 ▲0.67
富山県  37位  100.7万人 ▲0.87
福井県  43位     75.3万人 ▲1.00

「富山県の人口100万人割れ目前」

富山県の人口は今年100万人の大台を割り
そうだ。
昨年9月1日時点で100万7100人と、
この一年間に約10080人減少した。
来年2024年には100万人を切ることに
なる。
1年もたたないうちに1%近く減少する。
富山県の人口が100万人に満たないかっ
たのは、70年前、戦後まもない1949年
にさかのぼる。
富山県は水力を中心とする安い電力で工場を
誘致し、医薬品を含む化学や電子部品、
機械といった製造業で経済を成長させてき
た。
製造業への依存度が高いことが、将来
の人口影響する若い女性の流出につながっ
ていく・・20~22年の若者が県外に転出
していく状況を見ると、男性1693人に対
して女性は3698人と、2.2倍に達する。

原因は、女子大生が製造業への就職をちゅう
ちょする傾向があることです。生産現場があ
る企業は、産休や育休を取りづらいという
イメージを持っている。

更に、自分は違う業種で働いても、結婚相手
が製造業の勤務者であれば、その彼も育休を
取りづらい・・
それなら県外に出て仕事や結婚相手を見つけ
よう、との姿勢になる。石川県能登地方も、
急速な人口減少に悩んでいる。その大きな
原因は嫁不足にある。
若者が故郷に残り、就職して生計を立てよう
にも、嫁不足の慢性化で嫁の来てがなく、
若い男性の流出を止められずにいるのです。

日経新聞

2204 北陸三県の人口/2050年に24%減

■北陸三県、30年後の推定人口
富山県  76万2千人(26.4%減)  65歳以上(41.4%)
石川県       89万7千人(20.8%減)  65歳以上(38.3%)
福井県       57万3千人(25.3%減)  65歳以上(40.3%)

厚労省が昨年12月に発表した「将来推計人口」によると
30年後、2050年の北陸三県の人口は223万2千人になり、
2020年の293万5千人に比べ24%減少する。
今後30年間で、
なんと福井県の人口に匹敵する70万人減る
ことになる。
人口は、全国平均(17%減)より北陸は減り巾が大きい。
人口に占める65歳以上の割合も、30%から10%増え
「5人に2人が老人で40%を占める」ようになる。

大地震の頻発で、能登地区の家屋の90%が被害を受けた。
高齢化率が高い事もあって、復旧を諦め、故郷を離れ
る住民が
増えてくるだろう。
現在でも、全戸数の半数が空き家の村があるというのに
更に住民が減っていくと、自治体の税収は減少・・
一方で、高齢化による社会保障費が増えていく。
地方財政は破産状態に陥り、更に人口減少に拍車がかかるだろう。

2203 知って納得、ことばの語源

「覆水盆に戻らず」

離婚した夫婦はもとに戻れないという「覆水盆に戻らず」
語源は、太公望で知られる周の呂尚(りょしょう)
呂尚は若い頃、本ばかり読んで赤貧洗う貧しさだった。

このため妻は家を出ていった。その後周の文王に見出され
出世して斉の始祖になった。別れた妻は復縁を申し出た。
呂尚は、盆に入れた水をこぼして見せ・・
『1度こぼれた水は2度と盆には戻らない』と断った。

「下手くそな役者をなぜ大根というか?」

大根とはなにか・・すぐに思いつくのは、どんな食べ方をしても、
どんなにたくさん食べてもお腹をこわさないことだろう。
絶対に”当たらない”のだ!
では、大根役者とは何か? どんなに脇役で熱演しても、
客には受けない・・つまり、絶対に”当たらない”のだ。

「別れるときの挨拶が”さようなら”なのは」

「さようなら」を漢字で書くと「左様なら」である。
武士の言葉で、訪問先を辞する時『左様なら、おいとま申す』と言った。
それがいつの頃からか後半が省略され、「左様なら」だけが残った。

「なぜ、”馬鹿”の漢字は馬と鹿なのか?」

秦の始皇帝没後、官官・趙高の策謀により二代目皇帝になった
胡亥(こがい)に、趙高は「これは馬」ですと言って鹿を献上した。
皇帝は「これは鹿ではないのか」と問い返したが、趙高の権威を
恐れる臣下たちは皆「馬です」と口を揃えた。
真実に目をつぶり、こびへつらって嘘をつく輩を「馬鹿」と言うように
なった。

「インチキ勝負を”八百長”というのはなぜ」

明治の初め、両国に八百屋の長兵衛という男がいた。
この男、大相撲の伊勢海親方とは囲碁仲間だったが、いつも
負けてばかりいた。
ある時、来賓で招かれていた本因坊秀元と対局したおり、
つい本気を出して互角の勝負をしてしまい、相当の腕であることが
バレてしまった。

伊勢海部屋に野菜を買ってもらいたくてご機嫌をとり、
わざわざ負けていたのである。このことから、わざわざ負けることを
”八百長”と言うようになった。