■夢
英語落語にチャレンジする"桂かい枝"師匠。
落語家の"桂かい枝"さん、アメリカ各地で、日本の伝統芸能"落語"の公演を行っている。1997年単身アメリカに渡り、10年の間、 全米を回り、悪戦苦闘しながら、英語落語に挑戦してきた。
面白さが、どこまでアメリカ人に通じるか?英語にはない日本語独特の言い回し…古典落語を英語に翻訳しただけでは、 アメリカ人は笑わないし、オチがわからない。
昨年の9月17日、ニューヨーク/マーキン・コンサートホールで、「ニューヨーク繁盛亭」を開催。
上方落語協会会長の"桂三枝"師匠も応援に駆けつけ、字幕付きで古典落語を披露した。
かい枝師匠は、巧みに英語をあやつって、「アメリカ人から見た不思議な国日本」と題した創作落語を披露。師匠のこっけいなしぐさ・表情に、
会場は終始笑いに包まれた。
中学時代の恩師の影響で、英語に興味を持ち、英語落語の普及に努め、各所で英語落語教室を開催…そこから、多くの外国人落語家や、
愛好者が生まれている。
これまで、世界11ヶ国28都市で、200もの公演を成功させ、日本文化「落語」の魅力を紹介している。
【吉村外喜雄のなんだかんだ - 629】
~日本人のアイデンティティー~
「日本人の心を語る"落語"」
あけましておめでとうございます。
つたないメルマガですが、今年もよろしくお付き合いください。
私の趣味は広く浅く、多彩です。「静」は囲碁、読書、メールマガジン、絵画・音楽・映画鑑賞。
「動」は、スキューバーダイビング、旅行…
何をやっても下手な私ですが、今年、長年親しんできたスキーを趣味から外し(雪が降らないため…)、
新たにゴルフを加えることにしました。
また、月1回マージャンに触れ・楽しむ会が、20年ぶりに復活する。
ゴルフは、足腰を鍛え、健康のため…マージャンは、ボケ防止?のために。
落語に惹かれたのは、二十歳の頃…三遊亭円歌(落語協会会長。当時は"歌奴"…真打なりたて。「山のあなあな…」で一躍有名に)
一座のドサ周りに、1ヶ月付いて歩いたのがきっかけ。
落語は、趣味"言葉遊び"の延長線上にあり、演目の面白さだけでなく、最後の"落ち"がたまらない…落語家は、
言葉のマジシャン"語り職人"である。
落語というのは、人間の"業"…ダメな部分を丸ごと認めて思考し、客と一体化する…他の伝統芸能とは一味違う、
庶民的親しみに満ちているところがいいのです。
立川談志師匠は、「人間のいたらない部分こそが、いとおしい」と、哲学の領域にまで踏み込んで、落語を"定義付け"している。
日本独自の伝統芸能「落語」…扇子と手ぬぐいだけ携えて、舞台の真ん中の一枚の座布団に座り、小半時しゃべくる。落語こそが、
世界に誇る日本の話芸である…。
扇子を逆さに持ち、左手をお椀にして口に運び、ソバをすする仕草をしたら、観客すべてが、おそばを食べている気分になる。
「お客様に仕事をさせて、おあしを頂く…こんな素晴らしい芸能はほかにない」と、談志師匠…。
落語家は「想像力を生み出す芸人」である…観客のイマジネーションのために、扇子や手ぬぐいを駆使して演じる… 師匠から弟子へと受継がれてきた、想像力を喚起する落語という芸能は、無限の可能性を秘めているのです。
日本語が持つ魅力は、そのまま落語の魅力になる。
私を「ことば遊び・落語」の世界へと誘い込んだのは、日本語という豊かな言語が、落語という伝統芸能を育み、
話芸でもって聴衆を魅了してきたからです。
英語は" I とYOU "だけだが、日本語は…俺、ぼく、あたい、わて、拙者、貴様、おぬし、それがし、おまえさん… 耳にするだけで上下関係がわかり、職業が連想できる。出身地の目安にもなる。
コンピューターの世界ならば"1と0"、イエスとノー。その組み合わせでしか構成されない。
一方の日本語には、1と0、イエスとノーの間に、無限のトーンが存在する…イエスでもノーでもない、
"曖昧ファジー"な空間が存在するのです。
「来週の勉強会、来られますか?」とお誘いしたら、「…行けたら行きます」と…参加するでもない、断るでもない返事。 それが外国人には、「なんてまあ、日本人は曖昧な表現をするんだろう…」となる。
日本の文化の底流にあるのは、この"曖昧"さ。
相手を気遣おうとする優しさが、曖昧さに表れてくる。
けれども、欧米人にはこの曖昧さが理解できず、国家間の政治交渉の場で、日本は誤解され続けてきたのです。
戦後、日本に欧米の文化・思想が浸透するにつれ、世の中の閉塞感が高まってきた。
その一因は、ものの考え方が1と0、イエスとノーになってきたことにある。
一人ひとりが抱える、"いたらない部分"をすくい上げることもせず、白か黒だけで判断しようとする…効率性のみがもてはやされる… これでは、日々の暮らしはギスギスして、息つく暇もない。
日本人本来のアイデンティティを取り戻し、日本人に立ち戻るために…
落語は、日本人の源流にあるものを、笑いながら再確認できる、格好の娯楽なのです。
立川志の輔「日本の未来を落語が救う」より
■じゃんけん文明論
何事にも勝敗をハッキリさせようとするのが西洋の文化。
コインを投げて、「表・裏」で勝ち負けを決める。「二項対立の思考」である。
一方、日本、韓国、中国などの東アジアには、ジャンケンに象徴される
「三すくみ肯定」の思想がある。
例えば、子ども達が何かの順番を決めるとき、欧米人だと、いろんな理屈を
つけて自分を優先させようとする。日本や韓国・中国の東洋人は、ジャンケン
の結果に従う。西洋には、ジャンケンでモノ事を決めるという習慣がない。
調和ではなく、ひたすら「優位性」を競う西洋思想は、現代社会に様々なゆがみ
をもたらす。国際政治の場では、それがしばしば覇権主義となって現れてくる。
一方の東洋は、「融和の精神」を大事にしてきた。中国の兵法書「孫子の兵法」は
「戦わずして勝つ」を、戦いの第一眼に置いている。そこに、東洋の精神が伺える。
法人 4月号より
【吉村外喜雄のなんだかんだ - 126】
~日本人のアイデンティティ~
「守備範囲の違い」
昔の話になるが、鍵山秀三郎氏が、日本からトイレ掃除のメンバーを引き連れ、はるばるブラジルへ出かけ、公衆トイレを掃除した。
ブラジルに"トイレ掃除の会"が組織されるのを、後押しするためである。
西欧社会では、職業における階級制がはっきりしていて、仕事の範囲が明確、分化している。自分の守備範囲が明らかで、その範囲内でしか働かない。
他人の仕事に余計な口を出さないし、手助けすることもない。
地元の新聞は、はるばる日本からやって来て、トイレ掃除をしている人たちを写真入りで記事にした。賞賛しているのではない。どうして社長さん達が便所掃除をするのか? 理解に苦しむのです…
ブラジルでは、トイレ掃除は階級の低い人たちがする…。不可解極まりない。
貧しい人たちの仕事を奪うつもりか? そんな驚きの意味が込められていた。
以下、曽野綾子「透明な歳月の光」からの抜粋です…
外国に旅行すると、時折はっとする面白いことがある。 店員は呼ばなければ来てくれないのが普通。多くの場合、呼ぼうとしても、視線を逸らせ、気付かない振りをする。「韓国人も、日本人みたいなところがある…。察して、先回りしてサービスする」、そんな気配りができるのです。 パリのホテルで、ポーターに「部屋の読書灯がつかないんですけど…」と言ったら、「それは私の仕事ではない、ハウス・キーピングを呼んでください」との答えが返ってきた。 |
アジア系の航空会社の客室乗務員も同様である。今年の一月、女子ゴルフ世界選手権が南アフリカで開かれ、藍ちゃんとさくらちゃんが、日本代表で出かけた。その時、ゴルフバックが中継地の香港に取り残されるというハプニングが起きて、出鼻をくじかれた。それが原因なのか?結果は散々だった。
私(吉村)も、ニューヨークを経由してフロリダへ、飛行機を乗り継いだ時、空港にトランクが取り残されるというトラブルに見舞われた。日本ではあり得ないことです。
「どうしてですか」と尋ねたら、「荷物を扱う人が、自分の守備範囲さえちゃんとしていれば、あとは無関心。目配りしないからですよ…」との答え。
手違いで、変な場所にスーツケースが一つ取り残されていたりすると、日本なら、付けられている荷札を見て、自分の受け持ち外の、他の航空会社の荷物であっても、本来のルートに乗せるよう手配りするだろう。それくらいの親切は当たり前のことである。
外国の人は口を揃え「日本人は親切だ」と言う。日本人は、無意識にやっていて、案外親切行為と思っていないのかも…
こんなことをテーマにしていて、ふと、プロジェクトXに共通性があることに気づく。日本人のチームワークの良さと応用力である。世界一だろう。
仕事の範囲に垣根がない。良いと思ったら、自分の受け持ちであろうが、なかろうが、気軽にやってしまう。
一般社員に混じって、経営のトップがトイレ掃除をする。これこそ、日本人が誇りにして善いことであり、日本人が持つ、日本人独特の優しさではないでしょうか…。
3月19日、川人正臣氏の招きで「日本を変えた、すごい人サミット」に出席した。
"小野晋也"氏のコーディネートで、「全国先覚者顕彰サミット」の第一回が京都で開催されたのです。
今回、日本の先覚者に選ばれたのは、空海・中江藤樹・坂本竜馬・山田方谷・吉田松陰・伊庭貞剛の6名。サミットのテーマは…
(1)先覚者が残した功績
(2)現在、日本が抱える問題は何か?
(3)これからの日本、どう改めていくか…
※坂本竜馬が姉にあてた手紙、「日本を今こそ洗濯いたすべく候」
(4)「すごい人」とは、どんな人か?
選ばれた6人の識者が、その時代の先覚者となり自論を述べ、会場の人たちを交え、議論を戦わせた。いろんな意見が出たが、私にとって"すごい人"とは、「誰もが出来る簡単なことを、いつまでもやり続ける人」
でしょう。
この会の提唱者、鍵山秀三郎氏が、そのすごい人なのです。
・十年 偉大なり ・三十年 歴史になる |
・二十年 恐るべし ・五十年 神のごとし |
【心と体の健康情報 - 237】
~日本人のアイデンティティー~
「大和魂」
ワールド・ベースボールで優勝した日本。「あれぞ大和魂!」と、世界に賞賛され、日本中が歓喜した。
日本に初めてやってきた外国人に、日本の感想を聞くと、「日本人は優しい、親切だ」と、口を揃えて言う。そして、欧米人が日本人に抱いているイメージで、肝心の日本人が忘れてしまっているものに「大和魂」 がある。
大和魂は「武士の心」。それは古き良き時代の、日本人を象徴するアイデンティティである。
つい少し前の時代、私の父親が生きた時代の精神には、
一つ、命にかけて、事に対処する覚悟」があった。
一つ、自分の利益よりも、周囲の利益を優先する、自己犠牲の精神があった。
「てんびんの詩」に見られるように、昔の人は偉かった。私の父親もそうだったが、家長として凛としたものを家族に示し、少々のことでモノに動じることはなかった。また、女々しさを嫌い、滅多なことで人前で泣いたり、弱みを見せたりしなかった。
イメージ的には、俳優の三船敏郎、笠智衆、山村聡などが浮かんでくる。
身近には、東京ストアの故箕田会長、シマダ時計店の故島田会長、92歳でかくしゃくとして、今年も商業界全国ゼミに参加した、芝寿しの梶谷会長など。
今の時代に生きる日本人、平和で豊かな暮らしが長く続く中、"心"が貧しく、 ひ弱になった。ちょっと何かあると、女々しく騒ぎ立てる。そんな男が多くなってきた(私もそう…)。誇り高き日本人の精神、大和魂を持つ者は、極めて少なくなった。
1860年徳川幕府は、使節団80名を米国に派遣した。
一行はワシントンで大統領にえっ見した後、ニューヨークのブロードウェイで、市民が手を振る中を行進した。
見物に集まった群衆の中に、詩人の"ホイットマン"がいた。
見ているうちに、こみ上げる興奮を抑えかね、後に一編の詩を書き綴っている。
「(前文略)…頬が日焼けし、刀を二本手挟んだ、礼儀正しい使節たち。
無蓋の馬車に身をゆだね、無帽のまま、動ずることなく、今日 マンハッタンの街頭をゆく…」
キリッと背筋を伸ばした日本の使節団。傍目にもその凛々しさが伝わってくる。
立ち居振る舞いを見ているだけで、詩人ホイットマンの心を、感動に揺さぶった。き然とした威厳・気品が、当時の日本人にあったのである。
映画ラストサムライの、渡辺 謙の立ち振る舞いにそれが伺える…。
同じ人間でありながら、同じ日本人でありながら、何がそんなに立派なのだろう? 当時にあって、今にないものを問えば、それは「仁義礼知信」だろうか…。
つまり、幼少の頃に"四書五経"を修め、人としての生き方、在りようを身に付けたからであろうか…。
もう一つ昔にあって、今にないもの…。それは、もの事に「耐える」辛抱強さ、
我慢強さでしょうか…。昔の人は、貧しい暮らしの中で、もの事に耐える辛抱強さや、我慢強さを身につけていった。今の豊かな時代に、それを求めるのは無理というものでしょう…。
NHK・BS2で、思い出深い昔の映画が再放されている。 最近では、裕次郎の「錆びたナイフ」、マカロニウエスタン「夕日のガンマン」、アラン・ドロンの「太陽がいっぱい」などを録画で楽しんだ。当時の時代背景が映し出され、懐かしさもひとしおです。
「希望は過去にしかない」とは、
フランスの文豪バルザックの至言である。
私のような歳になると、あのころは良かったと、何かにつけ、人生を振り返るようになる。
今、老人ホームでは、そんな過去を思い返すことで、若き活力を少しでもよみがえらせようとする、「回想法」という療法が行われているという。
米の精神科医が提唱し、「懐かしい歌謡曲」「若かりし頃の映画・写真・生活用具」などを使うと、昔話しが盛り上り、会話が弾む。"認知症"のケアに良いなど、年寄りの脳の活性化に効果があるようです。
【吉村外喜雄のなんだかんだ - 106】
~日本人のアイデンティティー~
「会議のあり方」
欧米人が日本人とビジネスをする時、どの日本人も同じように美辞麗句を並べ、
たてまえで接してくるので、不可解な気持ちになるという。日本人には個性がない、アイデンティティーが感じられないと言う。たてまえばかりで、本音が伝わってこないというのです。
どの会合においても、日本人が挨拶に立つと、「本日は大変お忙しい中、そしてお足許の悪い中、ご出席を賜りありがとうございます。さて、経営環境は益々混迷の…」。
欧米人は、こんなどうでもいいような挨拶を、くだくだ言わない。そんな暇があったら、さっさと本題に入り、本音で語りかけ、少しでも課題を前に進めようとする。
日本の会議での発言は、気配りのあまり、奥歯にものが挟まったような言い回しが多く、なかなか本音を言わない。持論をきっちっと主張し、議論を戦わせながら問題をまとめていこうとする欧米人とは、噛み合わないのです。
また、日本の会議は、一言も発言しない人が半数近くいたりする。関係なさそうな人まで集まって、主催者数人のやりとりを聞いて終わってしまう場合が多い。
会議の進め方も、最も大切な議題から優先して討議すべきなのに、トップの長々とした挨拶に始まり、"形式"に囚われ、式次第に沿った議事進行を粛々と進めているうち、肝心の重要議案が時間切れ審議不十分、次回に持ち越されてしまう。
だから居眠りする人も出てくる。やってもやらなくてもいいような会議が多い?ように思うのです。
米国の会議は、直接係わりのある担当者のみの少人数で、徹底討論する場合が多い。発言は真剣で鋭い。会議の目的に沿った準備が不十分であったり、自分の意見を持たない者は、出席を認められない。
逆に、主催者が目的不明の会議を招集したりすると、次からは、誰も出てくれなくなる。当然、居眠りしている暇など全くない。
会議の途中で、詳細な説明がいるとき、その時だけ必用な人を参加させるのがアメリカ。日本の場合は、そういった場合でも、最初から最後までずっと同席させている。
このように比べてみると、日本の会議は形式に囚われ、不合理で、無駄が多いように思うのです…。
外国人から見た日本人、「何で皆髪が黒いんだろう」「何で皆日本語しか話さない
んだろう」。同一性というか、画一性が気になる。がんじがらめの社会に見える。
大学や病院の序列にも驚かされるという。教授、助教授、助手、それぞれの立場
がある。みんな仲間という雰囲気の欧米とは、随分違うなと感じるという。
例えば専門外の人間が、何かの研究を学会などに発表しようものなら、
「インチキ研究」だとか、「素人が何やってるんだ」などと非難され、疎外される。
西欧諸国では、社会のニーズに応える研究であれば、誰がやっても評価される。
島国根性というか、たこつぼのようなやり方をしているのは、日本だけでしょう…。
毛利 衛「宇宙と地球」より
【吉村外喜雄のなんだかんだ - 105】
~日本人のアイデンティティー~ 男性の、しかも軍人さんが着るものが、日本では女子高生の制服なのです。 なぜ軍人さんの制服を、日本の若い乙女が着るようになったのか? 何とも不思議です。 日本で最初にセーラー服を採用したのは、福岡県のカソリック系の女学校です。 大正十年、エリザベス・リー校長が、運動着に良いと思いついたのです。 それまで生徒は、運動しづらい和服姿で、体育をしていたのです。 着せてみると意外と似合った。その後、学校の制服となり、日本中に広がって いった。今人気の韓国ドラマ「冬ソナ」を見ていたら、高校の女子生徒の制服が セーラー服だったのには驚いた。日本の統治時代のなごりでしょうか? アメリカからやってきた中学の交換留学生、最初に教室に入ったとき、「ギョッ」 とするという。男子生徒も、女子生徒も、みんな同じに見えるからです。 髪は全員黒、肌色も服装もみんな同じ。いろんな肌色があり、一人ひとり個性 があるアメリカ生まれの学生から見ると、なんとも異様に見えるのです。 先進国で、学校に制服があるのは、日本と英国くらい。「学校の制服」というと、 日本では、男子生徒は軍服に似た詰襟が圧倒的。女子も水兵(セーラー)服が 多い。明治以来の富国強兵のなごりだが、この戦前からの服装に、左翼系の 先生から軍国主義的服装だと、反対の声が出なかったのは何故なんでしょうか? このセーラー服姿、イギリス人には異様に映るという。 英国でデイリー読売が、学校制服の是非について、読者に投稿を呼びかけた ところ、目だったのは、日本のセーラー服に対する怒りの声だった。 「グロテスクな倒錯趣味」「性犯罪を誘発しかねない、危険なポルノグラフィ的 服装」と言うのです。 それに加え、最近の女子高生のスカート丈は、膝上十センチのミニが一般的。 英国では、短いスカートにタイ、肌のラインが出るきついブラウス、ロングソック スなどを「ソフト・ポルノ的服装」と、憂慮する声が一般的なのです。 米国や欧米の学校には、このたぐい制服がない。校則が厳しく、学校儀式の多 い日本や北朝鮮に制服が多いのです。イタリアでは、入学式も卒業式もない。 だから子供たちは、整列の仕方も意味も知らない。 欧米人から見たら、日本の学校は相当変わった存在に見えるのです。 |
イタリア在住の日本人女性が書いた「ローマの平日」というエッセーの中に、
イタリア人は、人前でへりくだった言動や態度をとることが全くないと、書かれ
ていた。つまり「謙遜」ということを知らない。
ですから、日本人が奥さんを紹介するとき、うっかり「うちの愚妻は…」などと、
謙遜した物言いをしようものなら、大変です。
むしろイタリア人は、人前で自分の妻や子どもを褒めちぎる。「相手を立てて
一歩引く」「謙遜する」といった文化がない。良し悪しはともかく、自らの考えは、
謙遜したり遠慮したりすることなく、はっきり相手に伝えようとする。
【吉村外喜雄のなんだかんだ - 88】
~日本人のアイデンティティー~
「欧米人が奇妙に見えること(2)」
習慣や文化の違いで、エチケットに反する行為をしてしまうことがある。
人を手招きする時、日本人は手のひらを下にして、おいで、おいでをするが、
欧米では「あっちへ行け!」というゼスチャーになる。
手のひらを上にして手招きしないと、相手に不快な思いをさせてしまうので
す。
そのほか、肩をポンと叩いたり、子どもの頭をなでたり、人を指さしたりする
ことも嫌がられる。
江戸川柳に、「笑うたび 嫁手の甲を 口へ当て」というのがある。
日本では、女性が笑うとき、大きな口を開けるのははしたないと、口元に手
を当てるのがたしなみとされている。
しかし、欧米のマナーに従うなら、女性も大口を開けて笑わなければならな
い…??
家庭を訪問したとき、玄関に入ってコートを脱がないのが、欧米の習慣です。
しかし、女性の前では帽子はとらなければならないし、女性と握手するときは、
男性から先に手を差し出さないことです。
それと、ショッピングのとき、商品に触り、手に取るのは、マナーに反すると
言われる国があるので、外国へ行くとき注意しなければなりません。
話が変わり、一昨年は「SARS」で大騒ぎした。SARSといえば「マスク」。
日本でマスクが普及したのは、1918~19年にかけて。世界中にスペイン
風邪が猛威を振るったときです。その4年後の関東大震災で、広く定着した
と言われている。
中国では、街を歩くほとんどの人がマスクをしていた。ところが、スペイン風
邪で数千万人もの死亡者を出したヨーロッパでは、日本や中国とは逆に
「マスクをしている人はウイルス感染者。近寄るな!」という悪いイメージが
浸透してしまい、あれから百年近く経った今でも、「予防のためにマスクをす
る」という習慣がないという。
また中国のお正月は、どの家庭でも白と黄色の菊を、お祝いごとの花として
飾る。日本では、葬儀の祭壇を飾る花のイメージが強い。
ノエビアでは、婦人服や女性の下着も販売している。
商品カタログのモデルさんは、100%すらりとした小顔の白人女性である。
実際に着るのは身長も、体形も、肌色も違う日本の女性なのに、白人女性が
着てかっこよく見えるからって、自分も似合うと思うのでしょうか?
ファッション雑誌の広告のほとんどは、白人がモデル。欧米人が奇妙に思うの
です。日本人の白人への憧れ、コンプレックスの現われではないでしょうか。
白人は、黒髪の女性を美しいという。日本人は、ツヤのある美しい黒髪を茶髪
に染めて美しいと思っている。最近は黒髪の女性が珍しいくらいです。
「へぇ~」と思うのは、日本の女性は整形して鼻を高くしようとする。アメリカの
女性は、可愛くて小さな鼻にあこがれる。そこで、鼻を低くしようと整形する。
日本では、女性が結婚すると、みんな「△△ちゃんのママ」「□□さんの奥さん」
と呼ばれる。ちゃんとした名前があるのに呼んでもらえない。外国から来た女
性は、存在を否定されたようで、すごく寂しい思いをするという。
きりがないのでここまで…。
■ことば遊び「豆富」
親戚へのお中元に取り寄せ、大変喜ばれた「安心堂白雪姫」のお豆腐。
大阪堺
市のお豆腐屋さんである。経営者の橋本さんは、その昔、芝寿しで工場長をして
いた人。今では、美味しいお豆腐屋さんとして、関西一円其の名が知られている。
社長さんのこだわりは、日本一美味しい豆腐をつくること。もう一つ、豆腐の”腐”
は”富”、つまり”豆富”にこだわる。”豆に富んでいる”
美味しい食べ物をつくって
いるという自負がある。橋本さんの豆富に懸ける思いが伝わってくる。
決して、ダジャレなどではない。
「暮らしのことば 語源辞典」(講談社)によれば、”豆腐”は中国の漢語。
漢字の”腐”は、本来の意味「腐る」の他に、固体でも液体でもないようなものを
指すときに用いる。(例…乳腐=ヨーグルト)
中国語の”腐”には、「柔らかい」とか「凝固させる」という意味もある。
が、日本語の”腐”には「くさる」の意味しかない。だから「豆を腐らせて豆腐を
作っているのではない」と、”腐る”という字を避けたくなるのが、お豆腐屋さん
の心情でしょう。
【吉村外喜雄のなんだかんだ - 87】
~日本人のアイデンティティー~
「欧米人が奇妙に思うこと」
お中元のシーズン。「つまらない物ですが…」と謙遜してお届けするのが、日本の
習慣。ところがこの言い回し、近頃の若い人達にはなじめない。
アメリカでは、「最高に喜んでいただけると思って選びました!」と言って渡す。
貰った人は、満面笑みを浮かべて、目の前で包装紙をビリビリと破く。日本では、
お中元をお届けして、目の前でビリビリ破られたら、失礼になってしまう。
折角、最高の物と思ってお届けするのに、何で「つまらない物」と言うのだろうか。
「そんなつまらない物だったら、持って来なければいいのに…」って、若い人たち
は思う。「いいものはいいと言った方がいいじゃない!」と、この謙遜した言い回
しを嫌がる。
この違いは、アメリカ人は「物」をプレゼントし、日本人は
「心」をお届けしよう
とするところからきている。ですから、「つまらない物ですが…」を正しく言うと、
「あなたに最高の物をと思ってお選びし、お届けに上がりましたが、受け取って
いただくあなたには、つまらない物かもしれませんよね…」となる。
新渡戸稲造「武士道」より
日本を代表する食文化に「天ぷら」や「すき焼き」がある。でも、「おそば」はそれ
以上だろう。食欲の落ちた夏場の「ざるそば」、”たれ”に漬けたおそばを一気に
すすり上げる美味しさは、こたえられない。
この「ズズ…、ズズッ」て音を立てて一気に”すする”食べ方は、日本人独特のもの。
日本人にしかない食習慣であり、日本人の食文化なのです。
一方、西欧社会では、このように人前で「ズズッ」って”すする”のは、食事のマナー
では最悪の食べ方。ところが、日本人はスープを飲むとき、つい「ズズッ」って音を
立ててしまう。無意識に”すすってしまう”のです。
パリの高級レストラン。日本人の団体が入ってくると、1番端っこの、他のお客様
の迷惑にならない所へ、ご案内するそうです。
外国から入ってきた文化で、日頃私たちがなにげなく、ごく当たり前にやってい
ることが、外国人からみたら奇妙に見えることが、他にもいろいろあるようです。
幾つか紹介しますが、「へぇ~」と驚かれるかも…
デパートのハンカチ売り場は、可愛いハンカチを求める若い女性であふれる。
自分のだけでなく、ボーイフレンドや誕生祝いの贈り物にしようと物色している。
このハンカチ、欧米では鼻をかむためのもので、年寄りしか持ち歩かない。
若い人はハンカチを持ち歩く習慣かないので、プレゼントされても嬉しくない。
で、バーバリーのハンカチは、日本人のために作られ、売られているという。
日本では、腕を組んで歩く若いカップルをよく目にする。欧米では、若いカップル
が腕を組むことはない。腕を組んで歩くのは主に老夫婦で、若い人は、手をつな
いで歩く。(気がつかなかった…)
日本人は、美しい女性を見かけると、初対面でも「可愛い」「きれい」と気軽に声
を掛ける男性が多い。(仕事がら、私は挨拶代わりによく言う…)
欧米では、初対面の人に「可愛い」とか「きれい」とか声を掛ける男性はいない。
いるとしたら、イタリアの男性ぐらいかも…。ナンパしているように見られるから…。
■私の心を打つ言葉 坂村真民 「時」
日の昇るにも 手を合わさず 月の沈むにも 心ひかれず
あくせくとして 一世を終えし人の いかに多きことぞ
道のべに花咲けど見ず こずえに鳥鳴けど聞かず
せかせかとして 過ぎゆく人のいかに多きことぞ
二度とないこの人生を いかに生き いかに死するか
耳かたむけることもなく うかうかとして
老いたる人の いかに多きことぞ
川の流れにも 風の音にも
告げたもう声のあることを 知ろうともせず
金に名誉に地位に 狂奔し終わる人の いかに多きことぞ
生死(しょうじ)事大無常迅速 時人を待たず あ々
【吉村外喜雄のなんだかんだ - 86】
~日本人のアイデンティティ~
「日本人の価値観」
小泉首相の靖国参拝が、中国や韓国などの近隣諸国との紛争の種になって久し い。戦後、歴代の保守党政治家が靖国神社を参拝し、戦没者の御霊をお参りするのが恒例だった。中国がそれを問題視したのは、中曽根総理の時からである。
当時の社会党が、こともあろうに日本政府を傷めつける材料にと、中国政府に裏から工作した。それ以降、この問題で両国がこじれるようになった。そして、中曽根さんはついに参拝を取りやめてしまった。
田中総理が中国へ出かけ、平和条約締結時した頃は、あれほど親密だったのに…。中曽根以降中国は、日本の歴代の総理の踏み絵として、日本を悪者にする格好の材料にしているのです。
以下、7/1 日経新聞「春秋」からの抜粋です。
第二次世界大戦末期、ルーズベルト米大統領死去の報に接した鈴木貫太郎首相と、 ヒトラーの反応は対照的だった。鈴木は同盟通信の海外向け英語放送を通じ、「深甚なる弔意」 を米国民に表明した。 鈴木は「大統領の逝去が、アメリカ国民にとって、非常なる損失であることが理解できる」とも述べた。
米国主要紙がこれを報道し、米国に亡命中だったトーマス・マンは、鈴木に騎士道精神を見たと述べている。
これは、二人の人間性の違いだけではないだろう。日本人は誰であれ、死後仏となった人を侮蔑したり、
辱めたりはしない。一神教と多神教の違いと考える見方もある。狩猟民族と、
農耕民族の考え方の違いでもある。 |
大罪を犯して、死刑という罪の償いを受け、”仏”となった東条英機をはじめとする戦犯にもう罪はない。前世のことは前世のこと。あの世では、一般の仏と等しく霊を弔らってやればいい。これが日本人の一般的な考え方であり、優しさだった。
戦後、西洋思想が広まるにつれ、こういった亡き霊を敬う日本人の心が、失われつつある。
中国の外交戦略に乗せられてはならない。「あれだけ問題にするのだから、 中国の言い分を聞いて譲歩すれば事が治まるじゃないか」と、本気で言う政治家やジャーナリストがいる。そうだろか? 「先祖が犯した罪は、子々孫々償わ なければならない」という考え方の、中国や韓国の国民性。
NHKで毎週放映中の韓国ドラマ、「チャングムの誓い」を見ていると、親の無念を晴らそうとする子の執念。そのエネルギーの強さは、「起きてしまったことを いつまでもくよくよ悔やんでいても仕方がない」と、過去のことはサッパリ水に流して、明日に生きようとする日本人には、考えられないことです。
靖国を譲歩したら、次の切り札は教科書。最近、北京の日本人学校の社会の教科書が、台湾を別の国家として色分けしていると、事前の警告もなく、突然没収して、日本政府に改善を求めてきている。
教科書で譲歩したら、次は台湾問題、尖閣国境問題と、中華思想の中国は、どこまでも難題を日本にぶつけてくるだろう。それが中国の国益になるのです。
太平洋戦後のどさくさに紛れて、他民族国家である内モンゴルや、チベットを併合してしまった中国の中華覇権主義。今もスキあらばと、台湾など四方をうかがい、周辺の国々とトラブルを起こしている。
許されないそういった行為も、国際社会では、大国の論理として大手を振ってまかり通る。アメリカやロシアの政治手法も同様である。そういった覇権国家の弱点を追求できないところに、日本の置かれた弱さがあるように思う。
春闘の季節。といっても今から四十年も前のお話。毎年四月に決まったように賃上げ闘争のストライキがあり、国鉄や私鉄が止まった。
地元の企業に労働組合が出来ると、上部組織からオルグが送り込まれ、経営者と対峙。赤旗を振ってストライキを敢行した。
当時、金沢で一番の呉服店。毎年の賃上げ闘争に何とかしようと、東京から経営コンサルタントを招いて、
当時はまだ珍しかった衣料品の大型量販店を、福井市、敦賀市などに積極展開した。
ところが、コンサルタントの言うがままの拡大方針が災いして、数年も持たずに倒産してしまった。責任はすべて方針を誤った経営者にある。が、
その引き金になったのは、毎年賃上げを迫った過激な労働組合。
闘争に加担した上部組織、経営危機に陥った会社を救うわけでなく、組合幹部は、自分達の権利を要求するばかり。倒産によって、
生活基盤を奪われた社員さんは可哀そう。組合幹部の使命・役割は、社員の幸せのための組合活動のはず…。
会社がなくなってしまえばそれまでである。
【吉村外喜雄のなんだかんだ 第74号】
~日本人のアイデンティティ~
「調和を尊重する社会」
この六月の法律制定で、ブラックバスの輸入と飼育が禁止されることになった。
今回の規制に猛反対なのが、釣り人口三百万人、市場規模一千億円の釣具メーカーや小売店。一方の規制推進派は、湖沼などで漁業を営む全国の漁民。
双方に国会議員が後ろ盾となって、反対、賛成運動を展開。環境省内では、今回の規制対象からブラックバスを外し、決定を半年間先送りするという妥協案を国会に提出し、双方の顔を立てようとした。
ところが小池環境相は、このような官僚主導のやり方に異を唱え、「ブラックバスを規制に加えるように!」
との政治的判断を下した。省内は大騒ぎとなった。
昨年の十二月の話である。
十年ほど前、「ファジー」という言葉が流行った。結論が出せず困っているとき、とことん争って、白黒を決したりするようなことはせず、右でも左でもない、ほどよい「中間」のところで丸く治めようとする。
日本人の知恵である。
今、竹島の領有権が騒がれている。韓国は西欧的。たとえ日本との関係が悪化しようとも、はっきり自国の利益を優先し、主張すべきところははっきり主張する。外交とは、本来そういうものであろう…。
日本政府はといえば、「波風を立てないように…」と,日本の権利主張はあいまいのまま。あくまで調和を優先し、相手国へ気配りを優先する。きわめて日本的で、外交下手に見える…。
以下は、小野晋也「日本人の使命」からの抜粋です。
戦後になって、西欧社会の考え方、哲学がいろいろ日本に持ち込まれたが、その弊害の一つに、「勝敗」をはっきりさせようとすることがある。東洋社会の哲学は、相対するものの是非・善悪を、 高い次元で見定めて、事を丸く収めることを由とする。 例を挙げれば、資本家と労働者の対立がある。この二つの立場は、
全く合い反する立場として日本に入ってきた。戦後の歴史において、両者は常に闘争の対象となり、
激しく争ってきた。 対立してストライキをして、力ずくでどちらかをねじ伏せるようなことをやり続け、 対立の上に互いが血を流し合ってきた歴史から、お互いが譲り合い、認め合いながら、 話し合いを続ける中から調和し、前進していこうとする、日本人に古来から受け継がれてきた、 和の精神が戻ってきたのです。 |
このことを学んだのは十年前のある研修。相手を打ち負かすことによって勝ちを手に入れるのではなく、相手も勝つ、
そして自分も勝つ。「共に勝つ」ためには、一歩引くことが大事。そうやって、
双方争わずして互いに目的を達成する道が拓けることを知った。
私が所属する経営者団体が掲げる理念に、「共に栄える」がある。
お客様、仕入先、社員さん、いずれも”三方良し”の共存共栄の精神を旨とする。
それ以前の私の商いに対する考え方は、「勝者か敗者のいずれか」という見方が多分にあった。目から鱗だった。
3/7 中日新聞「週刊誌を読む」が面白かったので、その一部を転載します。
堀江社長が出演する番組はいずれも高視聴率を記録し、彼はいまや新”視聴率王”と言われているという。
堀江社長の幾つかの著書も猛烈に売れているというし、ライブドアのホームページのアクセスは、
昨年の7倍の300万ページビューに激増しているという。
一方のフジサンケイグループも必死。産経新聞の緊急会議で「堀江社長のスキャンダルで書けるものはドンドン書いていこう」
という方針が確認された。
政治家などへのロビー活動も行っていて、森前首相などが一斉に堀江批判を始めたのは、その成果の現われ。
金にモノを言わせ、金に汚い自民党。その森前首相が「カネの力でなんとかなると思ったら大間違いだ!」と堀江批判。
ブラックユーモアですよね。
この間、一貫して堀江コールを送っているのは「週間プレイボーイ」。3月15日号で「ホリエモンを総理大臣に!」とブチあげた。
「民主党など、どの政党に任せても、日本が変わんないことに、そろそろみんな気づいてきたんじゃない?」
ホリエモンだったら、もしかしたら閉塞した日本をひっくり返してくれるかもしれない。
【心と体の健康情報 - 184】
~日本人のアイデンティティ~
「企業不祥事」
以下、3/2読売新聞・論点「企業不祥事」からの抜粋です。
雪印事件に端を発する企業の不祥事は、止まるところを知らない。 なぜこのような違法事件が頻発するのだろうか? 資本主義という社会の仕組みに問題があるのだろうか? それよりも、日本人の社会慣習、物事の進め方に問題があるようです。 日本人の「和」を重んじる精神が、「ことなかれ主義」になり、「なあなあ」や「見て見ぬふり」
になり、「波風を立てない」ことが職場のため、会社のためとなる。 |
家族を養っていけるのは会社のお陰。出入りの業者や社員である立場を考えると、筋や正義を貫き通すということは、
取引停止や、会社を辞める覚悟がなければ、とても実行できることではない。
ところが最近、こういった不祥事の多くは、”内部告発”という過去には見られなかったやり方によって、問題が公にさらされ、
企業責任を追求されるようになった。労使の雇用関係、帰属意識が弱まってきたことによる現象でしょうか。
いずれの事件も、やっていることは悪いと知りながら、ひたすら会社のため…。
「人に知られなければ何をしてもいい」といわんばっかり。罪悪感が極めて薄い。
人の道に反することをやっているにもかかわらず、飲酒運転をして捕まったような、「運が悪かった」
程度にしか受け止めようとしない。
だから、よその会社がマスコミで、会社の存亡に関わるほど叩かれていても、それを見ている他の経営者や管理職は、 「自らを戒め、改める」という気にはならない。「当社は、絶対バレない」とでも思っているのでしょう。
これは何も経済界だけの問題ではなく、政界では更に根が深い。国益よりも己の利益を優先する議員が後を絶たず、 汚い手法で政治の世界を渡り歩きながら、事がバレそうになると、「追求を巧みに逃れ、嘘をつき通す」。 そういった手練手管に長けた政治家が、政界を牛耳っている。
今の日本を動かしている50~60代の団塊の世代。戦後間もなく生まれた新しい教育制度の中で育った。
受験と出世競争を勝ち抜き、「宗教・倫理・道徳」
などとは無縁の世界で生きてきた。学力があり、 人よりも優れた能力の持ち主が、どんどん出世していった。
出世するには、実力が認められなければならない。どの企業でも、頭が良くて、行動力があり、人間関係づくりに長けた、
生き馬の目を抜くような人間が重宝された。
個人よりも会社の利益が優先され、そのためには「人の道」についてなど考えもしない。
あらゆる競争に打ち勝つことが自身の幸せにつながると信じ、生きてきた。
平気で嘘をつき、守るべきことを守ろうとしない。そんな人間が、世渡り上手に出世していった。そういった倫理や道徳、
モラルの欠落した人たちが、政界や財界のトップに上り詰め、悪いことをするのでしょう。
成人式や卒業式の風景を見ると、今の子ども達たち、大人の悪い面をそのまんま真似て、 社会のひんしゅくを買っているようにしか見えない。
■趣味の言葉遊び
今日の韓国語は「ちょんまる、かむさはむにだ」。
お世話になった人への感謝の言葉、”どうもありがとうございます”の意味。
「ちょんまる、かむさはむにだ」
「かむさ」は、漢字で”感謝”と書く。何となく意味が通じるでしょう。
「ちょんまる」は、”どうも””本当に”の意味。
「はむにだ」は、”ございます”の意味。で、「かむさはむにだ」は”感謝します”。
日本語では”ありがとうございます”になる。
通しで覚えるには、当て字で、
「ちょんまる(・ ○)感謝(噛むサ)はむにだ(ハム荷駄)」
「てだに、かむさはむにだ」
「てだに」は、”
大変”の意味。覚え方は”てーへんだに”、縮めて「てだに」。
日本語では”大変ありがとうございます”になる。
韓国人は、日本人から見ると、この「てだに」をたびたび使って、
少々オーバーぎみに、最上級のお礼の言葉として使います
【吉村外喜雄のなんだかんだ 第69号】
~日本人のアイデンティティ~
「多元的価値観の日本人」
今回のライブドアのケース、日本では初めてのことです。とかく弱いものに味方したがる判官びいきの日本とは違って、
「誰よりも強くなければならない」という力関係で物事すべてドライに割切るアメリカ。
M&Aによる企業買収は、企業成長戦略の一つであり、アメリカでは日常茶飯事。
ターゲットにされそうな企業は、乗っ取りに備え、普段から様々な知恵を働かせ、防衛策を講じているという。
以下、衆議院議員 小野晋也「日本人の使命」からの抜粋です。
アメリカの論理というのは大変分かりやすい。映画を観ても単純明快。 キッシンジャーが大統領補佐官だった時、「世の中の秩序は三つしかない」と言い切った。
二つは 「一つの強力な国が一方にあり、更に別の強力な国がもう一方にあって、この両者が力をぶつけ合いながら、 パワーバランスを保つ」というもの。つまり二大勢力がバランスを保つという考え方。 1950~70年代のアメリカとソビエトの関係を言う。 三つは「カオス、 混沌しかない」 欧米の考え方は「一神教的価値観」。 つまり彼らの頭の中に、秩序を保つとは、この三つの内の二つしか存在しない。 まさに一神教が描く世界観そのものです。 |
アメリカのこういった世界観が、アフガニスタンやイラクへの軍事介入へと駆り立てる。
秩序ある平和な国家を築くための、一方的価値観の押し付けにしか見え
ないのです。
一神教が描いたアメリカの価値観から見れば、日本は「カオス、混沌」とした無秩序の国家ということになる。が、
決っしてそうではない。
日本人の考え方は 「多元的価値観」。
いろんな種類のものが一緒に混在しながら、 調和していく社会。
西洋と東洋と日本の文化がバランスよく混在し、神教、仏教、キリスト教などの様々な宗教が、ごく普通に、ごく自然に、
日本人の社会に溶け込んでいる。
日本人の価値観の根底にあるのは、「和」を大切にすること、「人を思いやる優しい心」。
異なる考え方の集団をうまくまとめるために、自らの考え方や主張を表に出しすぎないように気配りする。
ここが一神教的価値観の民族と大きく異なるところでしょう。
故に、欧米社会以上に調和の取れた社会を創りあげている。日本人の奥底に、そういった調和を生み出す考え方と能力が、
伝統的に備わっているのでしょう。
たとえば、基礎的研究開発の分野では、欧米諸国に劣る日本人が、応用研究開発の分野では抜群の能力を発揮する。
それは、日本人に備わっている多元的価値観が、強みとなって表れてくるからではないでしょうか。
■趣味の言葉遊び
今日は韓国語です。私たち日本人にとって最も近い国、韓国。
韓流ブームをきっかけに、双方仲良くなることは嬉しいことです。そのためには、少しくらい韓国語を話せるようにしておきたいものです。
もし、身近に韓国からやってきた人がいたら、「あんにょんはしむにか?」と、声をかけましょう。韓国人ほど母国語で話しかけられて、喜ぶ外国人はいません。
「あんにょんはしむにか?」
「あんにょん」
は漢字の”安”に、丁寧の”寧”、安寧(あんねい)と書き、「すこやか」の意味です。
「はしむにか?」は、日本語で「していますか?」になる。
「おはようございます」「こんにちは」「こんばんわ」の挨拶言葉として、朝・昼・晩いずれにも使えます。
「はしむにか」の覚え方、「あんにょん(安寧)”歯しみるか?”」なんて、どオ…
また、親しい人には、「あんにょんはせよ?」と、声をかけます。
ニッコリ笑って歯を出して、「あんにょん(安寧)”歯せよ”」と、覚えるといい。
この「こんにちわ」の挨拶言葉を覚えておくと、日本と韓国の距離がグンと近くなりますよ!
【吉村外喜雄のなんだかんだ 第68号】
~日本人のアイデンティティ~
「日本人は素晴らしい国民だ」
韓国ドラマの「美しき日々」を毎回見ていて、フッと気づいたことがある。感情が激してくると、大声でわめき、 怒りをあらわに口論する場面が多いことです。
昨年の暮れの新潟中越地震。テレビが、避難所に充てられた学校の校庭や、体育館を映し出す。
校庭には車が何台も行儀よく駐車し、体育館では人々が思い思いに横になっている。
避難者にマイクが向けられると、「いやあ、すっかりやられました」と、静かに微笑んでいる。
「一から出直すしかありませんね」と、サバサバした口調で言う。
不自由な避難生活が辛くないはずがない。住む家や田畑を失って途方に暮れる人もいる。 家族を失った人はどんなに辛いことだろう。生活の糧を失って、この先の見通しがまったく立たない。だが、何故か皆、 穏やかな顔をしている。悲惨さを人には見せまいと、懸命に自分を抑制し、耐えているのです。
救援物資が届く。おにぎりが配られる。「おいしい。本当に助かります」「皆さんに助けてもらって、ありがたいです」。 誰もが感謝の言葉を口にする。
「災害が起きてすべてを失ったというのに、こんなに穏やかな光景は、他国では考えられない」と、外国の特配員は言う。
テレビを見ていた韓国人は、「韓国ならこうはならない」と言い切る。
「泣き叫ぶ、わめき散らす。怒りをぶつける。ちょっとしたことでつかみかかり、殴りかかり、
収拾のつかない混乱になることは目に見えている」と言うのである。
「日本人というのは、なんとすごい国民なんだ」と…。その韓国人はすっかり感服していた。
ロサンゼルス地震の時、その混乱の中、商店から思い思いに品物を持ち出し、走り去っていく光景がテレビに映しだされた。
治安が悪化したことによる略奪行為である。発砲騒ぎで街も歩けない。州政府の対応が悪いと群衆が騒ぎだす。
そうなのである。中越地震のようなことが起こったら、盗みが横行し、喧嘩が頻発し、食料を奪い合い、
治安が悪化したとしても不思議ではない。略奪が起こり、暴動になり、治安維持のために軍隊が出動するのは、
諸外国ではごく普通のことなのです。
日本では、そんな光景は露ほども見られない。誰もが苦痛に耐えて自分を抑制し、感謝を忘れず、
皆一致して災害の後片付けをし、困難から立ち直ろうとしている。
中越の人が、特にそんな訓練を受けているとは思えない。これは国民性であろう。
日本人とは大したものである。
致知一月号 渡辺昇一「歴史の教訓」より抜粋
「冬のソナタ」に代表されるように、韓国のTVドラマ、映画などの「韓流ブーム」は、日本の中年女性の心を揺り動かしている。 その韓流ブームのお陰で、韓国の庶民生活を、お茶の間で垣間見ることができる。
一方の韓国の方は、ずっと以前から日本文化が静かに浸透していて、今上映中の「ハウルの動く城」
は150万人の観客動員があったという。ゲームや漫画本など、韓国では、十代・二十代の青少年を中心に日本文化が浸透している。
韓国には、日本語を話せる韓国人は多い。しかし日本では、韓国語を話せる日本人は珍しい。韓国の大型書店には、日本の書籍コーナーがあり、
「世界の中心で愛をさけぶ」などの日本のベストセラー本が並んでいる。日本の書店は、女性誌コーナーの一角に、韓国俳優と「ヨン様」
コーナーがあるくらいで、韓国書籍のコーナーはまだない。
韓国へ単に観光に行くだけでなく、最も近い国である韓国の人達と交流し、韓国をもっと知り、理解を深めていく必要があるようです。
【心と体の健康情報 - 180】
~日本人のアイデンティティ~
「国旗と国歌への日本人の意識」
平成元年、日米の高校生を対象に「国旗・国歌に対する意識と態度調査」が行われた。
■あなたは学校の行事や何かの式典で、国旗が掲揚されたり、 国歌が吹奏されるとき、起立して威儀を正しますか?
・起立する
日本 25.6% 米国 97.2%
・外国の国旗・国歌のときは
日本 17.3% 米国 93.4%
米国では、起立し威儀を正すのは当たり前の行動として受け止められている。
ハワイへ観光に行ったときのこと。その日は七月二日、独立記念日の前々日。
ショッピングモールの広場に人だかりがしていた。地元の高校のブラスバンドが、演奏を始めようとしているところだった。
最初に国歌が吹奏された。それまで、二階踊り場の手すりにひじをついて見下ろしていたアメリカ人が、
いずれも直立姿勢になり、右手を胸に当て、演奏に合わせて国歌を歌い始めた。
日本の建国記念日は2月11日。この日は祝日です。しかし、私たちが身近に触れる国民的行事など何もないし、
誰もお祝いしたりしない。誰も国旗を掲揚しないし、その日、国歌が吹奏されるのを聞くこともない。
で、ふと思った。自国の国歌が吹奏されたとき、自発的に起立して歌う日本人はいるだろうか? と…。
アメリカが独立戦争で、十三の植民地が団結してイギリスと戦い、勝利を収めた。
その時作られた星条旗の星の数は十三だった。そんなことを知っている私が、自国の建国記念日が、
どのような歴史的背景で2月11日に定められたのか知らない。説明できない。
台湾へ行ったときも、たまたまその日が「国慶節」だった。国を挙げてのお祝い。
街中爆竹が鳴り、町内の人達が思い思いに上り旗を立てて、お祭りに繰り出してくる。
今の日本、この日本を築きあげた先人達に、誰も感謝することをしない。国旗と国歌に日常接する機会が少なく、
諸外国に比べて、国旗と国歌に対する意識が希薄です。
で、国旗掲揚や国歌吹奏に際してのマナーや常識を知らないばっかりに、日本の青年が、
海外でとんでもないトラブルに遭っているという。
タイの映画館で、上映が始まる前に、スクリーンに国王陛下が映し出され、国歌が流される。居合わせた日本人二人。
自分たちには関係ないと、起立しなかった。
しょっ引かれて留置場に入れられてしまった。
ケニアでも、国旗降納の合図の笛の音が鳴っているのに起立せず、そのまま仕事をつづけていた日本の青年が、
ライフル銃を突きつけられて、連行された。
国旗が国家の象徴であることは知っている。しかし日本人には、日頃それを尊重しなければならないという意識がない。
世界各国には、それぞれ独自の文化や歴史、宗教がある。各国の国旗や国歌を尊重することは、
その国の国民に対して敬意を表すことになるのです。
故に、国旗や国歌をないがしろにすれば、その国の人々や歴史、伝統、文化をないがしろにすることになる。
相手国への怒りをあらわにするとき、国旗を焼いたり、足げにする光景を、外国からの報道テレビで見ることがある。
この、世界共通の大切なことを、私たちは教えられることがなかったのです。
モラロジー研究所 「ニューモラル No.425」より
スマトラ沖地震で、ドイツ人観光客が撮影したビデオ映像がテレビに映し出された。
今まさに大波が押し寄せんとするとき、ドイツ人の撮影者が一瞬、「ツナミ!」と叫んだのを気づかれたでしょうか? 「tsunami」
は今やドイツ語なのです。
「スシ」と同様、「ツナミ」も国際用語になったようです。
"tsunami"が一般化したのは1964年。この年アリューシャン地震による津波がハワイを襲い、被災した日系人が口にした
「ツナミ」が、新聞に使われたことから。
欧州では、1755年のリスボン大地震で大津波が発生し、人口の四分の一が犠牲になったが、それ以降、記録に残る津波は起きていない。
【吉村外喜雄のなんだかんだ 第66号】
~日本人のアイデンティティー~
「西欧の論理と日本の論理」
つい最近まで世界の先進国からは、「日本は強制しない限り、
世界に対して何ら貢献をしたがらない国である」と…。 日本は、「できれば他国を助けたいと思っている。しかし、他人の内部問題に介入するのは、 いかなる国民の倫理にも反する。要請されても関与すべきでない」 という考え方をしてきた。 この問題は、国策を担当する官僚も、知識人・言論界も、おしなべて同じような考え方であり、政治家も、 与野党の間にそれほど大きな違いがなかったのである。 その理由について、多くの説明が行われ、その一つひとつは”もっとも”と思われる。 しかし、とどのつまりは、言い訳の山…。世界の問題と人間に対する真の思いやりが欠如しているのに、 もっともらしく正当化し、問題回避しようとする魂胆…。 西欧諸国は、そういう風に見ていたのです。 日本は経済大国。国際安全保障に十分貢献できる国力がありながら、意識と自覚がない。ならば、日本はそれだけの対価を払わなければならないことを、自覚すべきである…。 それだけの対価とは…? はっきり言えば、国際社会から受ける「軽蔑」である。 |
「エコノミック・アニマル」と、軽蔑の目で見られたのもその一つ。
1月22日、たまたま見た民放TVで、日本がアルカイーダの新たな報復対象になっていると、その筋の評論家が警告していた。
「その原因はイラク”派兵”にある。国民をアルカイーダのテロから守るためには、今すぐ撤退すべきである」と…。
声だかに撤退を訴えても、それに代わる代案を示そうとしないのが、この手の人達である。要するに「一国平和主義」 である。他国がどうなれ、日本がよその国のトラブルに巻き込まれるのは、ゴメンなのである。
なぜユダヤ民族が西洋の国々から嫌われてきたのか? 彼らはすべてのことをやったが、他者を守るために、体を張ることだけはしなかった民族だからです。中世、 ユダヤ人は、キリスト教徒の二倍の税金を払う代わりに、軍務から免れてきた。イスラエル建国まで、 不都合が起きると「金」で解決するしか、選択の道がなかったのです。 |
日本もつい最近まで、理由は違えど、同じように金で解決するしかなかった。
ブッシュ大統領は、この一月の就任演説で、20分間に45回も「自由」を訴えた。
「我々は、わが国の自由のために、アメリカの自由を世界に広めるために、自由のない国に自由をもたらすために、戦っている」
と…。
中世、西欧諸国の支配階級、貴族や騎士階級は、
自分たちが住む周りを城壁で囲んで、武力でもって敵から味方を守ることで、
民衆から敬意を払われてきた歴史がある。この伝統は今も立派に生きていて、アメリカが大国と認められるのは、
経済力だけでなく、世界にニラミをきかす軍事力のお陰である。 ヨーロッパの人たちが、三千年を費やしてつちかってきた西欧の論理。 つまり「力とはイコール軍事力」という論理を…、日本人は理解しなければならない。 |
1月30日の日曜日、毎週楽しみにしている、NHKの早碁トーナメントを見ようとチャンネルをいれたら、当日の対局者”加藤正夫”
名誉王座が亡くなったとの悲報が飛び込んできた。昨年暮れ、加藤先生の対局を見たばかり。
まだ五十七歳の若過ぎる死でした。
私が囲碁を覚えたのは、二十二歳の時、香林坊にあった碁会所の先生の手ほどきを受けて覚えた。それ以来、私の趣味の一つになっている。
加藤先生の全盛期は、昭和五十年から六十五年にかけての頃。当時、武宮正樹、石田芳夫と並んで”三羽がらす”と称された。殺しの加藤、 寄せの加藤と言われ、私の最も好きな棋士でした。
加藤先生が持つ、十四年連続タイトル保持の記録は、未だ破られず、王座八期、十段七期など、取ったタイトルは三十一回。一昨年、
久しぶりに「本因坊」のタイトルを奪取され、益々意気軒昂だっただけに、惜しまれてならない。 冥福を祈ります。
【心と体の健康情報 - 179】
~日本人のアイデンティティー~
「日本人であることの意味」
十日ほど前、スティーヴン・スピルバーグ監督、トム・ハンクス主演の映画、
「ターミナル」
を鑑賞した。
ストーリーは、ニューヨーク空港に降り立った主人公、祖国がクーデターによって消滅してしまった。無国籍となり、
入国を拒否された。空港のターミナルを一歩出れば、そこは米国なのに、入国が許されない。何ヶ月も足止めされてしまった。
その限られた空間の中で繰り広げられる人間模様を、トム・ハンクスがみごとに演じている。
国家が崩壊すると、国籍がなくなってしまう。「ターミナル」の主人公のように、渡航証明書の信用がなくなって、 その国の国民というだけで、誰も信用しなくなってしまう。更には、どの国も受け入れなくなり、 住む場所まで失ってしまうのです。そういった難民と言われる人達が、アフリカやパキスタン、 中近東などに何百万人といるのです。
ところで、私と妻がアメリカへ観光に出かけたときの話し。ハワイ観光を済ませて、ラスベガスへ飛び立つ日が、 独立記念日の七月三日だったことが災いして、出発検査が普段の倍の二時間を要した。スーツケースの検査が二度、 身体検査と手荷物検査が二度。米国内の移動と高をくくっていたら、とんでもないことで、テロ防止に対する警備の厳しさは、 日本での想像をはるかに超えたものだった。
その数日前、ハワイへ入国するときの通関でも、前に並んだ人達が、係官からいろいろ調べられ、質問されている。
そのために長蛇の列。個人旅行で、片言の英語も話せない私は、不安になってきた。ようやく順番が来て、パスポートを出すと、
係官は「ジャパニーズ、カンコウ?」と尋ねただけで、簡単に通してくれた。
「イエス」とだけ答えた私は拍子抜けしてしまった。日本のパスポートを持っていることで、私が日本人であるとして、
信用してくれたのです。
パスポートには、「日本国民である本旅券の所持人を、通路故障なく旅行させ、同人に必要な保護援助を与えられるよう、
関係の諸官に要請する。日本国外務大臣」と書かれている。
海外に出る日本人は、日本政府が発行したパスポートによって、日本人としての身分と安全が保証されている。 日本人であることを証明するパスポートさえ持っていれば、世界のどこへでも行けるし、 その国で高い信用を得ることができるのです。
モラロジー研究所 「ニューモラル No.425」より
■ 言葉あそび「日本の古称」
「日本」という古称のルーツは、その昔中国南部で、北方の国「日本」のことを、“日出ずる国”「ニチホン」と呼んでいた。それがいつの頃からか日本に伝わってきて、「ニッポン」と言うようになった。
中国や韓国では、日本のことを「倭(わ)」とも呼んだ。日本では「倭」を訓読みして「やまと」と自称した。「倭」とは小さな人、つまりチビを意味する。
今でも中国では、日本の悪口を言うとき、「小日本」と呼ぶ。韓国でも「倭」の韓国語発音に「ノム」(奴)をつけると、日本人を蔑称した言葉になる。
大海に浮かぶ小さな島国の小柄な人々というイメージは、昔も今も変わらないようです。
1/24読売新聞「 編集手帳
【心と体の健康情報 - 178】
~日本人のアイデンティティ~
「日本人て何?」
私もあなたも日本人です。じゃ「日本人って何?」 って問われたら、あなたはどのように答えるでしょうか?。 明治以降、 欧米の真似ばかりしてきた結果、日本人が日本人であることを、見失っていないでしょうか。
英国人に、イギリス人って何?と聞けば、「ジェントルマンシップを持っているのがイギリス人です」と答えるでしょう。
フランスに行って、フランス人とは何かと聞けば、「フランス人は、良識を持ち、
フランスの文化や伝統に深い理解と誇りを持っている」と答えるでしょう。
ドイツに行って、ドイツ人とは何かと聞けば、彼らは「ジャーマン・スピリットを持つことです」と答えるでしょう。
「ジャーマン・スピリットとは何か?」と問えば、「社会の善いことについては、喜んで賛同し、悪い面については、
力を合わせてこれを改革する」と答えるでしょう。そして、アメリカ人に問えば「フロンティア・スピリット」
と答えるでしょう。
改めて「日本人とは何か? 答えてください」と、外国人に尋ねられたら、何と答えればいいのでしょうか?
日本人は農耕民族である。古代から現代に至るまで、日本人は太陽の恵みに感謝して生きてきた。私たち民族は、
古代から太陽を自分たちの生命の源として、大切にしてきたのです。そういった営みの中から、「日の本」
という言葉が生まれたのです。この「日の本」から「の」が抜けて、「日本」という国名になったのです。
ですから、日本人とは何かと聞かれたら、答えは簡単です。「日本という名のごとく、太陽のように丸く、 明るく、元気に、太陽の恵みに感謝して、みんな仲良く助け合って生きる」 。 これが日本人なのです。日本人は平和を愛し、「和」 を大切にする民族なのです。
境野勝悟「日本人のこころの教育」から抜粋
世界の国々のほとんどは狩猟民族です。狩猟民族は闘争心が強く、争いを好む。
他民族から侵略を防ぎ、弱いものをたたくことで、民族の存続と繁栄を維持してきた。部族・民族間の争いを、
何千年の昔から際限なく繰り返してきたのです。
一方、四方を海に囲まれ、異民族の侵略を受けたことのない日本。太陽の生命に感謝し、
みんな仲良く助け合って生きてきた民族。狩猟民族とは違った生き方をしてきた。
国益を左右する外交交渉に於いて、戦いに勝つことを前面にちらつかせて、交渉の場に臨む諸外国と、仲良く平和に話し合い、
譲り合いの精神で解決策を見出そうとする日本とは、どこかかみ合わず、交渉ごとがうまくいかず、
気押されてしまうことが多いのです。
北朝鮮や中国の、あの外交におけるしぶとさを見れば、納得できることです。
イラク、イスラエル、インド、パキスタンなどの紛争に見られるように、世界のいたる所で宗教による争いが繰り返され、
戦争になっている。それが数千年続いている。イラクのように、援助の為とはいえ、
宗教が絡んだ紛争の一方の肩を持つような行為は、日本の国益にはならないのです。
私たちの国は仏教国。お釈迦さま生誕2500年の歴史の中で、自らの宗教を広めるために、 他の民族に戦争を仕掛けるような行為は、一度もないのです。
【吉村外喜雄のなんだかんだ 第61号 】
~日本人のアイデンティティ~
「みんな同じ」
今日は、子供たちには楽しいクリスマス。
日本の家庭は、どの家にも神棚があり、仏壇がある。クリスマスにはケーキでお祝いし、大晦日には、除夜の鐘を聞いて煩悩を取り去り、
元旦には神社へ初詣に行き、柏手を打って幸せな一年を祈る。かっこいいからと結婚式はキリスト教会で挙げ、お葬式はお寺でする。
京都へ行けば、宗派に関わりなくお参りして歩く。
こんなことを日常平気でやっているのは、日本人だけ。何でも受け入れてしまう寛容さは、キリスト教や回教徒の国の人たちには、
理解できないことかもしれません。
四方を海に囲まれ、異民族にじゅうりんされたことが全くない、単一民族国家日本。戦争などで他民族の地が混じらず、
純血を保ってきた数少ない民族である。
そんな何千年の歴史から、アウンの呼吸といおうか、わずかの表情・仕草の変化を読みとり、
相手の思っていることを理解する能力を備えるようになった。
同じような生き方、考え方をする民族。変わった行動、変わった発言をする物がいると、直ぐ異端のようにみられ、
仲間はずれにされてしまう。
五人のうち四人までが口をそろえて「右がいい」と、グループの意見がまとまろうとしているとき、「私は左がいい!」と、
自らの考え方を通すことが出来るでしょうか?
日本人の価値観の根底にあるのは、「和」と「人を思いやる心」 。異なる考え方の集団をうまく取りまとめていくには、
自らの考え方や主張を一歩譲って、 程良い中間のところで収めようとする。集団の中で生活する術を身につけてきた、
農耕民族故の特徴だろうか。「長いものに巻かれろ」 的行動心理が顕著に働く。
街を歩く女子高生は、一見個性的に見えるが、よく見ればみんな同じような格好、同じようなメーク、おんなじ喋り方をする。 みんな同じだと安心なのかも…。
全国高校野球の開会式、選抜チームが行進する。外国の軍隊じゃあるまいし、何でみんなあんなに手や足を高く上げ、 足並みをそろえて歩くのだろう。滑稽にさえ思えてくる。もっと伸び伸びと、オリンピックの入場行進のように、 代表選手になった喜びを自由に表現したらいいと思うのだが…。
誰かが笛を吹くとすぐ踊り出す。みんな同じ方向を向きたがる。人と同じ方向を向いていれば安心だし、
話題も気持ちも共有できて楽しい。
この国の人たちを思想統一して、同じ方向に向かわせようとするのは、案外簡単なのかも知れない。戦前の日本がそうだったように…。
そう思うと怖い気がする。
そんな国民性か、日本ほどナントカブームが次々と作られていく国は、世界のどこにも見当たらないと、新聞の評論に載っていた。
毎年いろんな流行が作られていく。漫才ブームからクイズ、トレンディードラマ一色といった風に…。今は吉本一色、ジャニーズ一色、
手品ブーム。
今年は「冬ソナ・韓流ブーム」に湧いている。日本中の中年女性のハートは、ヨン様のあの笑顔に奪われてしまった。 民放各社もNHKに遅れてはならじと、韓国のドラマをお茶の間に流し、ブームをあおっている。
11月1日から新紙幣が発行される。五千円札は樋口一葉。女性が初めて採用された。男女平等の今の時代、
遅すぎたきらいがある。
千円札は夏目漱石から野口英世になる。福沢諭吉だけ”留任”したのは、肖像画原版を作るのに時間がかかり、
一度に三人差し替える日数が不足したためという。
新紙幣刷新の最大の目的は「偽造防止」。六年前、
八百枚だった偽札の発見枚数は、今年は既に三万枚を越えたという。
新紙幣発行による「景気刺激効果」も期待できる。
通貨処理機の需要などで、この二年間で一兆円に届く経済効果となって表れ、今年のGDP(国民総生産)を0.1%
押し上げると言われている。
10/11 読売新聞
ヨーロッパ諸国は王室の肖像が多く、アメリカも含め、政治家が多くを占めている。
日本は学者や文化人が多い。そろそろ松下幸之助や豊田佐吉などはどうでしょうか。
【吉村外喜雄のなんだかんだ 第52号】
~日本人のアイデンティティ~
「イタリア人とドイツ人と日本人」
ある日本人が、米国人の家に招かれたとき、車はホンダ、テレビはソニー、見るものさわる物日本製が多い。
「おまえの家、みんな日本製だね」と、誇らしげに言い、つい調子に乗って
「アメリカの象徴ホワイトハウスをひっくり返してみないか!
そうしたら、底にメイドイン・ジャパンと書いてあるぞ」と、ジョークを投げかけた。
米国人は少しも動ぜず、即座にジョークで返してきた。
ニューヨークのホテルで火事があったんだと…。高あ~いビルの燃えているその上の階で、
イタリア人とドイツ人と日本人が助けを求めていたのよ…。
ニューヨークの消防士が、下から上に向かって「飛び降りろ~!」って叫んだが、震えているだけだったと…。
そこで、イタリア人に向かって「かっこいいぞ~」て叫んだら、
ひらりと飛び降りてきた。残ったドイツ人と日本人に、何度「かっこいいぞ~」と叫んでも、飛び降りてこなかった。
ドイツ人は、世界的哲学者を輩出した理屈っぽい国民です。
そこで、ドイツ人に向かって、「貴方が飛び降りることによって、生きる・死ぬは問題ではなぁ~い。
飛び降りる そのことに意義がある~」と叫んだ。
そしたらドイツ人は”ひらり”と飛び降りた。
残ったのは日本人。「皆さん飛び降りましたよ~」と言っても、降りてこない。
「何と言ったら降りてきたの?」と尋ねたら、「それは簡単なことだよ!」
「ほら、ここにお金が落ちている…」。
日本人の価値観はモノやお金。何か行動するとき、”損か徳か”が判断の基準になっていることが多いようです。
何か大切なものを過去に置き忘れてきてしまった国民のようです。
何かをするとき、「損か徳か」で判断するのではなく、「善いことか、悪こといか」で判断するようにしたいものです。
つまり、やろうとすることが「やって善いことか、善くないことなのか…」で、判断するようにするのです。
松井選手の活躍はすごいですね。今戦っているヤンキースとレッドソックスは、犬猿の仲。
ちょっとしたことがきっかけで、両軍入り乱れて乱闘騒ぎになる。
そんな時の松井選手の行動が面白い。みんなベンチから飛び出していく。
その後から、みんなと行動を共にしないと悪いと思ってか、仕方なくトコトコと出て行く。入り乱れた輪の外に立ち、
どうすればいいか思案しているように見える。
松井選手は、過去に怒りをあらわにした記憶がないという。ストレスは人一倍溜まるだろうし、イライラすることもしょっ中だろう。
ピンボールまがいの玉も飛んでくるし、ヤジもすごい。何故、怒らないのだろうか?
松井選手に聞くと、「怒ったらおしまい、怒った方が負け」と…。ムムッときた時に、自分の心に言い聞かせるという。
「怒りって、突然こみ上げてくるでしょ。頭が真っ白になるし、本能に近い感情だと思う。それを、もう一人の俺、つまり理性が抑えようとする。
理性が本能に負けるのは、情けないじゃん」。 この考え方が野球に結びつく。
やはり大物は違う。自らをコントロールし、律することが出来る。それが、どんな時でも冷静に期待通りの結果を出す。 四番の重責をみごとに果たしている。
【心と体の健康情報 - 167】
~日本人のアイデンティティ~
「古きよき心」
今年リーグ優勝したのは、過去の球団年間ホームラン数を更新した、
超エリート集団の巨人軍ではなく、貧打の中日であったことが愉快である。それにも増して、毎日入ってくる大リーガー情報と、
イチロー、松井の活躍が楽しく、心に残るシーズンです。
以下、ニューヨーク・ヤンキース広報担当、広岡 勉「ニュースの手帳」よりの抜粋です。
今年の三月末、49年ぶりにニューヨークヤンキースが来日し、大リーガーの開幕戦が日本で初めて実現した。
主催者や関係者の努力と、松井選手の活躍もあって、興行は大成功に終わった。そのかいがあってか、
帰国してからの反応も上々、「また日本へ行きたい」という声が多かった。
日本の印象については様々。最も多かったのが「日本は美しい」という声だった。
ジータ選手は、「何十万、何百万の人たちがいるのに、ゴミが道に落ちていなかった。すごい驚きだった」と、感心した様子。
だが興味を持ったのは、その次に多かった声です。
「日本人はみんな心が美しい」。
お世辞もあるだろう。ただトレー監督の言葉は、社交辞令だけではなさそうです。
「挨拶をする時のお辞儀の仕方、頭の角度を見ても、人々の勤勉精神が見て取れる。
日本人の忠誠心はそういうところから生まれてくるのだろう。日本人から、「真心」の意味を改めて学んだという。
日本人の心のルーツをたどると、日本に影響を与えた思想家の代表が、儒教家の”孟子”だろう。孟子は、人間には生来” 人に忍びざるの四つの心がある”と説いている。
・他人の不幸を見て見ぬふりが出来ない | 「惻隠(そくいん) の心」 |
・自らの不正・悪を恥・憎む | 「羞悪(しゅうお) の心」 |
・互いに譲り合う | 「辞譲(じじょう) の心」 |
・善悪を見分ける | 「是非の心」 |
来日したヤンキースの皆さんからの褒め言葉。それを聞いた私達は、「へぇ~、そうなの」と、
面映い気持ちにさせられる。
長い歴史の積み重ねから培われてきた、日本人のアイデンティティ「古き良き心」。
今一度、日本人とは何かを見つめ直すと共に、古くから伝わる日本の良き心を、に受け継いでいかなければならない。日本人は、
もう少し日本人であることに、誇りを持つべきでしょう。
稲刈りも終わり、新米のおいしい季節です。その新米も夏なら一ヶ月、冬なら二、三ヶ月で味が落ちてくる。
新米の微妙な甘みやうまみに関係するのは、タンパク質やでんぷんを分解する酵素。古くなると、その働きも徐々に衰えていく。
新米は水をよく吸収して、柔らかくふっくらと炊きあがる。でんぷんの一部が溶け出して、独特のつやと粘りけを生み出すのです。
古くなると、水を吸いにくくなり、硬くて粘りの少ないご飯になる。更に古米になると、米に含まれる油が分解し、古米臭が出てきて、
香りも味も落ちてしまうのです。
日本農林JAS規格でいう新米とは、収穫した年の内に精米し、包装して商品化したお米のことをいいます。
読売新聞「ことばのファイル」よ
【吉村外喜雄のなんだかんだ 第47号】
~日本人のアイデンティティ~
「おにぎり」
秋風が肌に感ずるようになった。秋といえば行楽シーズン。おにぎりの美味しい季節です。
アテネの金メダリスト、水泳の北島選手、そして人気者、卓球の福原愛選手も、試合前にお母さんの手づくりの”おにぎり”
をほおばった。「ご飯を食べないと力が出ない」という。おにぎりは日本人の元気の元。
炭水化物の摂取が試合のエネルギー元になる。お母さんが握った手のぬくもり、愛情も伝わってくる。
日本人に欠かせない”おにぎり”。家族そろっての行楽で、遠足で、運動会で、かぶりつくあの幸せ感は、 日本人にしか味わえない喜びでしょう。
日本最古のおにぎりは、我が石川県鹿西町の遺跡で、化石として見つかった。
約二千年前の弥生時代のものだという。平安時代には屯食(とんじき)と呼ばれ、宮中の宴で招待客の従者に振る舞われた。
やがて、兵士の携帯食となり、江戸時代に広く庶民に普及した。
(8/28 読売新聞「編集手帳」より抜粋)
今コンビニで買われるおにぎりは年間二十億個。今年、日本から北京に大手のコンビニが店を出した。開店初日、
市民が我先にと買い求めたのが”おにぎり”である。初めて口にする人が多い。
鮭をまぶした混ぜご飯のおにぎりが人気ナンバーワン。海の香りがする浅草海苔は、意外と不評だったと、TVで報じていた。
余談ですが、昭和二十年、アメリカは敗戦国日本を民主主義国家に改造するため、次々と新しい施策を打ち出した。政治、経済、
教育などあらゆる分野で実施されたが、学校給食に於いては、パンと牛乳を中心に据えた献立がそうであった。
パンと牛乳で、食糧不足の日本の子供たちの栄養を補おうとしたのですが、子供達の間にパン食を普及させることによって、
米食中心の和食文化に加え、小麦を主体とした洋食文化が、自然と家庭に普及するようになったのです。
その裏には、アメリカが自国で栽れた小麦を、日本へ輸出しようとする戦略が見え隠れする。
給食でパン食に慣れ親しんだ子供たちが成人し、結婚し、所帯を持つに従い、
パンやパスタなどが毎日の食卓に乗るようになった。食生活の変化がお米の消費に影響して、1960年には、
一人当たり年間消費量が120Kgだったものが、2003年には、60Kgに半減してしまった。
そういった中で、おにぎりがヒット商品として定着しているのは、日本人のアイデンティティに根ざした食品だからでしょう。
ちなみに私は大のパン好き。毎日朝食はパン。昼食もコンビニで買ったパンで済ますことが多い。60歳を過ぎて、
ご飯よりパンの方が好きというのは珍しいかも…。
近頃は、海外どこへ行っても、スシやラーメン、日本食の店がある。中でも居酒屋は一番の人気。
おにぎりが世界中どこへ行っても食べられるようになるのは、そんな遠い先ではなさそうです。
■「松下資料館」を見学
先週の土曜日は京都にいた。京都駅から地下鉄で奈良方面に向かうこと40分。
静かな住宅地の一角にある、豊かな緑に囲まれた「松下資料館」を訪れた。
敷地は1800坪。隣接してPHP研究所の建物も見える。
資料館は、1階が図書館のよう。松下幸之助翁の著書、PHPが出版した書籍、国内で出版された著名な経営書、経済書がびっしり。
自由に閲覧できる。
2階は、松下翁が理想とした「人間としての生き方」「人生の考え方」「企業経営のあり方」、そして「国家社会の展望」にいたるまで、
幅広い偉業、経営道を、ビデオ映像・音声、写真などを通して、分かり易く展示紹介してあり、楽しく見学できた。
【心と体の健康情報 - 147】
~日本人のアイデンティティー~
「日本語は漢字文化」
私が四歳の時、日本が戦争に負けた。そして米軍がやってきた。日本占領後直ちに教育改革に取り組んだ。
彼らはまず小学校の教室を廻った。そして顔をしかめた。
子供たちが読んでいるのは、国語読本の名作といわれた、昭和八年の「サクラ本」である。
小学校で、子供たちが「サイタ、サイタ、サクラガサイタ、コイ、コイ、シロ、コイ」と、声をそろえて斉読するの聞いて、
「これぞ日本の全体主義の温床だ」と、厳重に中止を申し渡した。
さらに追い討ちをかけるようにして、日本語の改革に取りかかった。
曰く「複雑難解な日本語では、この国の近代化はむずかしいだろう」と、口語体に改革し、漢字の略字化を推進した。
日本の歴史・文化を理解せず、素人に近い米国の教育使節団が取り組んだ改革の一つに、国語の読み書きを、
外国人も読めるローマ字書きにすることがあった。
私が小学校四年の頃、早速、アルファベットの読み書きが授業に取り入れられた。
”よ”は「YO」、”し”は「SHI」。平仮名だと一字で済むものが、二字にも三字にもなる。
何でこんなことをするんだろうと思った。ローマ字の読み書きにはなじめなかった。
幸いなことに、国語になることはなく、一年くらいで授業から消えていった。
中国も日本も、漢字は国民の命。漢字がなければ表現ができない。今後も漢字文化は不変であろう。その一方で、
中国に隣接している北朝鮮やベトナムは、漢字の使用を中止している。
日本語は書きにくいが、読みやすいという特性を持っている。漢字は見ただけで意味がわかり、平仮名は記号である。だから”
斜め読み”ができる。
同じ意味の文章をアメリカ人が英語で、日本人が日本語で読んだ場合、その読解速度は日本人が九倍の速さであったと、かって、
糸川英夫博士が語っていたことがある。
和歌や俳句、川柳など古来から受け継がれてきた伝統文化は、漢字と仮名文化なしには有りえない。
今から思うと馬鹿馬鹿しいことだが、占領政策で、もし日本人から漢字と平仮名を取り上げて、ローマ字を国語にしていたら、
長い歴史に培われた日本文化の伝承が、一時期にしろ途切れてしまったかもしれないのです。
日本人にとって「漢字と仮名」は、アイデンティティそのもの。
占領軍の教育改革の目的は、日本の非軍国化にあったわけで、その時に発令された方針に基づく国の教育方針が、今の日本を、
日本人を、骨抜きにしてしまったのです。
■坂村真民 「時」
日の昇るにも 手を合わさず 月の沈むにも 心ひかれず
あくせくとして 一世を終えし人の いかに多きことぞ
道のべに花咲けど見ず こずえに鳥鳴けど聞かず
せかせかとして 過ぎゆく人の いかに多きことぞ
二度とないこの人生を いかに生き いかに死するか 耳かたむけることもなく
うかうかとして 老いたる人の いかに多きことぞ
川の流れにも 風の音にも 告げたもう声のあることを 知ろうともせず
金に名誉に地位に 狂奔し終わる人の いかに多きことぞ
生死(しょうじ)事大無常迅速 時人を待たず あ々…
【吉村外喜雄のなんだかんだ 第32号】
~日本人のアイデンティティ~
「そんなに急いでどこへ行く」
坂村真民の詩を口ずさみ思う…。「あ々…!どうして毎日がこんなにセカセカとして、時のたつのが早いのだろうか…」
外国人が東京へ来てまず驚くのが、行き交う人がセカセカと急ぎ足なことです。
世界が、日本が、どんどん狭くなっていく。どこにでも気軽に行けるようになった。
世の中が便利になればなるほど、セカセカしてきて、「のんびり・ゆっくりズム」
が消えていき、「心のゆとり感」がなくなっていく。
十年近く患った病も癒えて、ようやく社会復帰への自信がついた二十八歳のとき、世の中の仕組みを学ぶためと、
自らを鍛えるため、片町に出していた店をたたんで、勤めることにした。
閉店バーゲンで売れ残った、残りものの商品を、同じ商店街でライバル関係にあった一の谷鞄店の社長が、
上代の四掛けですべて引き取ってくれた。
今の時代考えられないことです。そんな、のんびりと”みんな仲良く”商いをしていた、あの良き時代はとっくにない。
今はどの企業も商店も、東京、大阪などから進出してきた大手と戦っていかなければならない。
年を追うごとに競争が厳しくなってきて、元日の午前零時に初売りをする大手スーパーも現れてきた。
流通業界にすれば、消費が低迷する中、少しでも早く、一日でも多く店を開け、売上を確保したい気持ちはわかる。しかし、
そこで働く従業員はもちろん、押しかける客側にも、正月をゆっくり過ごす”ゆとり”
が感じられない。
同業他社との競争が加速し、消耗戦の体を示し始めている。昼夜・年中無休、そして、切れ目のないサービスは、
企業を終りのないサバイバル競争へと駆り立て、社会全体から”ゆとり”を奪っていく。
そういった企業間競争の激化が、人件費の圧縮を余儀なくされる。年功序列制度を見直し、
成果主義の賃金体系に移行せざるを得なくなってくる。
ところが新聞の報道によれば、ここへ来て、若者がこういった成果主義をとる会社に、「ノー」
を突きつけようとしているのです。
急ぎ過ぎる企業環境の変化に、若者が背を向け始めているのです。行き過ぎた実力主義は、企業を、サラリーマンを、
終りのないサバイバルの世界へと追い込んでいく。若者たちは、そういった実力一辺倒の社会の流れに反発する。
若者たちが、こうした賃金体系の会社を敬遠し、就職離れが進むようであれば、社会問題と化し、
世の中に不安をもたらすことになるかも…。
生き残るためと、休む時間も惜しんで営業すれば、企業の収益は上がるだろう。が、競争に敗れる企業や社員が大勢出れば、
経済の活力は失われていくことになりはしないか…。
「何か革新的なことをしなければ、競争に勝てない」、「ライバル企業に遅れを取ってはならない」と焦り、経営者に”
心のゆとり”がなくなっている。
焦る心が国全体をセカセカと疲弊させていく…。
交通標語ではないが、「日本人、そんなに急いでどこへ行く…」。
もっと”ゆっくりズム”のゆとりのある生き方、
ゆとりのある人生に目を向けるべきではないでしょうか? ”みんな仲良く助け合い”の精神を大切にして、一度しかない人生、
もっとゆったりと、人生を、日一日を、楽しまなくっちゃ…
■ことば遊び。同じ文句を並べた「畳語」、今日はその二回目です。
【心と体の健康情報 - 145】
~日本人のアイデンティティ~
「失われた日本人の心」
倫理法人会「倫理325号」に掲載された文章から抜粋してお伝えします。
前財務相で、三十余年の国会議員を引退した、「塩爺」こと塩川正十郎の言葉です。「戦後の高度成長に弾みをつけたのが、
田中角栄の日本列島改造論。その頃から、日本人全体が物欲に走り、
国全体がモノで栄え心で滅ぶ。そんな道を歩み始めた」
現代の日本人から”心”が失われ、この心の喪失感が、経済界をも含めた混迷の原因と言われています。では、
「失われた心」
とは、どのような心でしょうか?
様々挙げられるでしょうが、ここでは復活を期したい”三つの心”を考えてみることにします。
第一は、
「何事にも耐えうる、たくましい心」
「逆境に対するたくましさ」であり、自らが設定した「目標実現のために、辛抱強く我慢する心」です。
「たくましい心」を養うには、苦労を体験し、苦労の意味を知るのが一番です。
苦難はその人を成長させます。また、「解決できない苦難は決して目の前に現れたりしない」ということも、
心得ておかなければなりません。
合わせて、「モノ事の成否は、心の持ち方しだい」ということです。可能性を信じ、希望を失わずにいるから、
道が拓けてくるのです。
第二は、
「謙虚な学びの心」です。
現状維持にあまんじた時から、衰退が始まります。日々変化する世の中に合わせ、常に変わり続けようとすることです。
そのために、学びを続けなければならないのです。
この学びの元となる教えは、周囲に満ちています。大自然から発せられる”気づき”のメッセージを、
いかに謙虚に教えとして受け止められるかが鍵になります。
三つ目が
「思いやりのある愛の心」です。
今の世相は自分中心で、自分のことだけを優先させ、人のことに気を回そうとしません。
人から愛を与えられても気づかない人は、人に愛を与えることを知りません。
いつも求めるばっかりで、不足不満の状態に陥っています。
様々な問題の原因を突き詰めていくと、幼少の頃の「母と子の愛情不足」が、その決定的要因になるのです。
愛を育て与えることは、少なからず何らかの自己犠牲が伴います。愛は一方的に与えるものであって、
「与えた分に見合う見返りを期待する」ようでは、思いやりのある愛の心にはならないのです。愛や優しさは、一方的に、
心がそうさせるのであって、見返りを期待して与えるものではないからです。
子供が成長してから、いかに苦労して育てたかを言って聞かせ、見返りを求める親がいるとしたら、どう思うでしょうか?
■日本人が誇っていいこと
致知四月号 牛尾治朗「巻頭の言葉」に、以下のことが書かれていました。
昨年、SARSで世界が大騒ぎした中、日本では一人の患者も発生しなかった。
衛生管理の徹底では、日本は世界に誇れる国として見直されたのです。
又、九年前の阪神大震災の際には、被災者とボランティアが見事な連携をとって、事態の収束に努めた。中でも、火事場泥棒、
略奪のたぐいが一切なかったことで、諸外国から尊敬のまなざしで見られた。
日本にしかない良さが、まだまだ沢山息づいている証しといえます。
【吉村外喜雄のなんだかんだ 第30号】
~日本人のアイデンティティー~
「米国に商社は作れない?」
日本が急成長し、国際的地位と、経済力が高まって、二十一世紀は日本の時代と言われ始めた頃のお話です。
時の大統領はジョンソン。当時の国務長官で元CIA長官のニクソン(後の大統領)に、極秘調査の指示が出された。
日本急成長の一旦を担っている、日本独自の「商社」
というものを研究し、「米国にも商社を作ってはどうか?」というものでした。
半年後に、調査結果が大統領に提出された。答えは「ノー」である。大統領から出された指示で「ノー」
の回答が出されるのは異例なことである。
大統領が「月へ行け」と言えば、総力をあげて取り組むのがアメリカ。そんな中で、
元CIAの経歴を駆使しての調査結果をもってしても、「ノー」なのである。日本には沢山ある「商社」が、
何故アメリカでは作れないと言うのか?
何故なんでしょう? あなたも考えてみてください。
三人の猟師が山に入りました。一人は鹿を一頭、一人は兎を三羽、一人は何も採らずに戻ってきました。
農耕民族の日本の商社は、獲物を一箇所に集め、収穫の大小に関わらず労をねぎらいます。そして、
会社と社員が相応に仲良く利益の分配をするのです。勿論、何も採れなかった者にも分け前があります。
個人の売上よりも、グループの和と結束力を重視し、部署の売上として処理し、収穫物を会社と社員で仲良く分け合う、
独自の文化があるのです。日本独特の「みんな仲良く」なのです。
米国は狩猟民族の国。力のある者は、それに見合う分け前を、当然のこととして要求します。当初の契約を盾に、
鹿を採ってきた猟師は相応の分け前を主張し、兎を採ってきた猟師も一羽持ち帰ります。
何も採れなかった猟師は何ももらえません。
商社は、あらゆるモノを右から左へと動かして利ざやを稼ぐ商売。個人の能力より、組織力とチームワークが優先される。
米国のように、個人の業績に応じて、大きな報酬を支払っていたのでは、経営が成り立たないのです。
更に、米国でどうにもならない大きな理由は、日本の給与制度があった。日本の何れの商社も、
大卒者の給与を28歳まで一律に抑え、能力の差は賞与で、ほんの少し加減するやり方をしてきた。
28才になって初めて、同期入社の中から役職者(係長)が出て、給与に能力差が出始める。その間の若い人材を、
低い賃金の戦力としてフルに活用できることは、国際競争で有利に働くのです。
米国に商社が存在しない理由は、日本独自の給与制度を真似られないことです。入社後28歳頃まで、
能力に関わらず人件費を一律に低く抑え、しかもチームワークで競争に打ち勝とうとする日本独自の雇用慣習。
個人の能力を重視するアメリカでは、日本式商社経営は無理なのです。
不況が続く中、日本の会社も勤続年数に関わらず、能力第一の給与配分を重視するようになってきた。
「みんなで仲良く助け合い」
という終身雇用制度、年功序列などの日本独自の文化、雇用慣習が失われていくのに伴い、
日本古来の助け合いの精神も、失われつつあるのです。
■詩人・坂村真民の代表作 「二度とない人生」
二度とない人生だから 一輪の花にも 無限の愛を そそいでゆこう 一羽の鳥の声にも 無心の耳を かたむけてゆこう 二度とない人生だから 一匹のこおろぎでも ふみころさないように こころしてゆこう どんなにか よろこぶことだろう 二度とない人生だから 一ペんでも多く便りをしよう 返事は必ず 書くことにしよう 二度とない人生だから まず一番身近な者たちに できるだけのことをしよう 貧しいけれど こころ豊かに接してゆこう 二度とない人生だから つゆくさのつゆにも めぐりあいのふしぎを思い 足をとどめて みつめてゆこう 二度とない人生だから のぼる日しずむ日 まるい月かけてゆく月 四季それぞれの 星々の光にふれて わがこころを あらいきよめてゆこう 二度とない人生だから 戦争のない世の実現に努力し そういう詩を 一篇でも多く作ってゆこう わたしが死んだら あとをついでくれる若い人たちのために この大願を 書きつづけてゆこう |
ほんの20~30年前まで、日本人の長い歴史の根底にあったアイデンティティーは、「みんな仲良く助け合い」でした。
三月まで放映していたNHK朝の連続ドラマ「あした天気になぁ~れ」は、昭和三十年代から四十年代のパン屋さん家族の物語。
寅さんの「男は辛いよ」もそうですが、ご近所や町内の皆さんが、家族同様の触れ合いをしている。
そういったシーンを見るにつけ、今は失われてしまった、人情味溢れた善き時代があったことを思い起すのです。
中山靖雄氏は、「広やかな心」の中で、日本人の特性をユニークに語っています。
日本の着物は大抵の人が着られます。
洋服は一人ひとりサイズを合わさなければ着られない。下駄もみんな共通、誰でも履ける。
靴はそうはいきません。下駄は左右反対でも履けるが、靴は左右反対というわけにはいかない。
懐中電灯は一点しか照らさないが、提灯はみんなを照らす。 日本式住居は、襖・障子を取り払えば、「みんな仲良く助け合い」です。昔は、結婚式も葬式もみんな家でやった。 今の住宅のほとんどは個室尊重型だから、家族のコミュニケーションが図りにくい。日本式浴室は何人も入れて、 親子が触れ合う場だが、西洋式バスは一人しか入れない。日本は、一部屋にお布団を詰めて敷けば、 何人でも寝られる。洋室の寝室はそうはいかない。 西洋のチェスは駒取りゲーム。日本の将棋やマージャンは、駒を生かすゲーム。 「みんな仲良く」なのです。日本人の根底にあるものは「みんな仲良く助け合い」なのです。 個人のプライベートを尊重するよりも、 家族の集団的触れあいを中心とした生活様式で暮らしてきたのです |
戦後米国から入ってきた欧米の生活文化と教育思想が、日本古来の家族文化を破壊し、地域社会をよそよそしくし、
偏った個人主義がはびこる社会にしてしまったのです。
私たち夫婦は、結婚と同時に両親と同居しました。当時は親と同居するのが普通だったのです。そして、
私の妻は年老いた両親の世話をし、看病をし、天国へと見送ったのです。今は、
住む場所があっても 同居しない親子がほとんどです。
そんな社会構造が、子育てがわからなくノイローゼになる母親が増え、子供を見てくれる年寄りがそばにいないから、
保育所や託児所に子供を預けなければならない。
一方の年寄りは、我が子が近くにいても独り暮らし。
市町村は、子供を預かるためや、老人介護のために、お金をかけて施設を作らなければならない時代になったのです。
家族みんなが助け合い、支えあって生活してきた、日本の家庭の良さが、今はもうないのです。親子の間の情が薄くなり、
近所づきあいもなくなり、なんとも寂しい世の中になったものです。
テレビのホームドラマの家族構成は、両親にお爺ちゃんかお祖母ちゃんが同居しているケースがほとんど。そして、
大家族がそろって食事をしている。その食事風景のなごやかなこと!
私達の子供の頃に繰り返された懐かしい光景が、今の普通の家庭のごとく演じられている。それが、
見ている人の郷愁をさそうのでしょう。
■益々お元気な坂村真民先生
詩一筋に生きてこられた坂村真民先生が、九十五歳の誕生日を迎えた一月、毎月発刊してきた「詞国」を、二月一日の五百号をもって完遂することにした。
「詞国」は、教育者・森信三先生の強い勧めで号を重ね、その間、死ぬような病気もしたが、四十年間一回も休まず刊行し続けた月刊詞誌です。
三月には、「鳩寿」
と改名して新たに一号が出た。四月に二号が刊行された。
「もうこれでいいい」ということはなく、又新たな門出をされた先生の一道精進の人生には、只々敬服するばかりです。いつまでも長生きをされ、
号を重ねられんことを祈ってやみません。
真民先生は、「鳩寿」第一号を発刊するに当たり、自らの「遺言」を表明された。
・一つ「葬式はしない」
・二つ「香典、供物など一切頂かない」
・三つ「妻のこと、戒名のこと」
妻は私より長く生きると思う。普通の方と同じく葬式をしてもいいでしょう。
私の戒名 詩国院蒲公英朴真民
妻の戒名 徳光院愛真華久代
【吉村外喜雄のなんだかんだ 第28号】
~日本人のアイデンティティー~ 以下、経済アナリスト 藤原直哉「大阪藤原塾」からの抜粋です。
過去、日本に持ち込まれたアメリカ型経営で、典型的なものに、デストリビューターに始まって、 スーパーバイザーにまで何段階かのクラスを、マルチ販売手法でのし上がっていくやり方があります。何れも、 一時期急速に組織が拡大し、巨大な売上の集団になるが、4~5年もすると組織が崩れて消滅していく。 実力のあるものが組織のトップにのし上っていく。成績が良ければ良いほど、
世の中の平均月収の何倍もの報酬を手にする。こつこつ荒地を開墾して種を撒き、苗を育てて実りを待つ、
そんな農耕型ではなく、まだ人が入っていない山に分け入り、鹿や猪を獲ってくる。そんな狩人型商法が、
アメリカ商法の典型なのです。
つまるところ、日本人には「みんな仲良く助け合い」の経営が、一番肌に合っているようです。 |
■ことば遊び「畳語」
から
・お酒飲みには、
『お酒のむ人花ならつぼみ 今日も咲け咲け(酒酒)あすも咲け(酒)』
・飲みすぎをたしなめるのには、
『一杯は人酒を飲み 二杯は酒酒を飲み 三杯は酒人を飲む』がある。
『姦夫と姦婦が喧嘩して 姦夫が姦婦を姦婦といえば 姦婦も姦夫を姦夫という』
このように、同意語を使って文章にしていくと、以外と簡単に面白いものが作れます。
先週、高台寺から清水寺へ向かうとき、名もない小寺の玄関横の伝道掲示板に書かれていた言葉。 ”ちる”
が八つも歌い込まれているのが面白い。
『花が散る 花が散る 散る散る落ちる 舞い落ちる 落ちる 舞い落ちる』
【吉村外喜雄のなんだかんだ 第27号】 ~日本人のアイデンティティ~ 「桜」 三月の下旬、桜のつぼみが日一日とふくらんでいくのを見て、春のおとづれが近いことを知る。そして、
あっという間に春が訪れ、桜が咲き、そして散っていった。 |
いよいよプロ野球のシーズン到来。
今年は巨人か?それとも阪神か? 三人に一人が巨人フアンの中で、アンチ巨人の私。でも、初っ端の阪神戦での三タテは、
優勝を争う相手だけに痛い。過去に、スタートで巨人が三タテをくらったケースは何度もあるが、優勝することへの影響は、
全く関係ないようです。
私は海や山が好きで、四季折々アウトドアーのスポーツを楽しんでいます。 しかし、年とともに運動量が減ってくる。ゴルフやスキー、
スキンダイブ、山菜採りなどは、健康のためにも、休日を楽しむためにも手ごろで楽しいものです。
多忙で、運動をする時間が無いときは、仕事が終わった後や、土曜の夕方などに、ちょこっとプールに出かける。一時間くらいいて、
1キロくらい泳いで帰ってきます。
県外へ出かけるときも、水泳パンツを忘れないようにしています。
【吉村外喜雄のなんだかんだ 第26号】
「狩猟民族と農耕民族(3)」
日本人の問題解決の仕方が、諸外国から見たら異質なのです。日本人のアイデンティティは「和」。群れ全体の考え方、
行動に逆らってまで、自己主張するものがいない。「長いものに巻かれろ」。コトを荒立てないことが良いことなのです。
何か違ったことをするときは、群れの中での根回しが大切になってきます。
それと、異論が出たら「善処する」という言葉で、問題を先送りしてしまうのが、日本人の不可解なところなのです。
新撰組にも出てきましたが、ペルーが黒船に乗ってやってきて、開国を迫った時の江戸幕府の対応が、まさにそうです。
「善処する」と約束しながら、問題をああだ、こうだと先送りしようとする。あれから百数十年、
諸外国に対する政府の対応を見ていると、本質は何も変わっていないようです。
前号でクリーニング騒動の話をしましたが、もう一つ、こんな実例があります。
米国からの自由化の要求が強まっていた1980年代、日本と韓国は、政府間交渉の末、
オレンジを米国から輸入しなければならなくなった。国内の柑橘農家が最も心配したのは、オレンジに付いてくる害虫です。
害虫が日本に入ってきたら、大打撃をうけるのは柑橘農家です。
更に、貨物船で運ばれてくる途中で腐ることが心配です。そこで米国から輸出する直前に、防虫・
防腐液の中にドップリ薬浸けにした。健康より、商品価値の方が大事です。米国の人々の口に入ることはありません。
船で輸送中に、表面に付着した薬が、皮の中に浸透していきます。
東京都の保健所の医者が、オレンジは危険と問題にした。マスコミが騒ぎ、一時デパートや大手スーパーの店頭から、
オレンジが姿を消した。
日本の政府は動きませんでした。お上が動かなければ国民は動きません。一年もしない内に、
その薬漬けのオレンジが再び店頭に並び、庶民の口に入るようになったのです。
一方の韓国も、政府は沈黙したままでした。日本での騒ぎを聞きつけて、騒ぎだしたのは大衆です。米国の大使館に押しかけ、
星条旗を燃やすなどして、大騒ぎになった。米国は、韓国へのオレンジの輸出を見合わせたのです。
狩猟民族を相手にするには、言うことをはっきり言い、自分の立場をしっかり相手に伝えなければなりません。そうしないと、
相手の思うようにされてしまいます。
イラクに侵攻して根絶やしにしようとするアメリカ。それに立ち向かうアルカイダのゲリラ。いずれも狩猟民族同士の戦いです。
「やられたら、やり返す」。人の言うことなど聞こうとしません。イスラエルとアラブの対立もそうです。
そんな両者に、農耕民族で「みんな仲良く助け合い」を価値観とする日本人が、いくら国連中心の平和を訴え、
話し合いの解決を叫んでも、聞いてくれるはずがありません。
北朝鮮もそう。断固とした態度で一歩も引かない厳しさで臨めば、問題は解決するでしょうが、「みんな仲良く」
の農耕民族日本人には、出来ない芸当です。
春になり、中国特需などの影響で、景気が回復しつつあるようです。そのせいか、二月の個人消費が前年度比5%アップしたという。
ところが、その発表に異論を唱えている評論家がいる。今年はうるう年、一日長い。それだけでも指数が3~4%伸びる。
しかも29日は日曜日であった。
二月という月は、その他の月よりも2日から3日短いため、日曜日も4回が普通。ところが、今年の二月は日曜日が5回あった。
日曜日は、デパートやショッピングセンターがお買い物客でにぎわう。
平日の3~4日分の売上がある。そんなわけで統計上、前年同月比5%消費が伸びてあたり前。
決して景気が回復して出た指数ではないと言うのです。
もしかしたら、逆に1~2%、前年より悪かったのかもしれないと言う。
ものを見るときに、固定観念に囚われていて、同じ方向、同じ観点からしか見ていない場合が多い。普段、会社の中から外を見て、
あれこれ判断しているが、一歩会社の外へ出て、外からじっくりと会社を見つめてみると、今まで見えなかったものが、見えてくるかもしれない。
【心と体の健康情報 - 140】
~日本人のアイデンティティ~
「日本人が日本人でなくなった?」
(株)アシストの代表取締役はビル・トッテン。米国人です。米国人から見た日本。
なるほどと納得できる切り口で、日本人を分析しています。
聖徳太子の時代から1990年頃までの長い歴史、
日本人の心には、
倫理や道徳が存在し、
そしてその倫理や道徳によって日本人が守られてきた。 しかし、今の日本、すなわち日本人には、倫理や道徳が無くなってしまっている。 これは、日本人がいなくなったということです。今いるのは、日本人にそっくりの日本人がいるということです。 ところが、困ったことに、そのそっくりの日本人が、自分は純粋な日本人だと信じて疑わないことです。 百年も昔にアメリカ大陸へ移民した日系人の三世・四世は、論語を知らない。 仏教を知らない。武士道を知らない。 神道を知らない。 日本の古典を読んだことがない。 そういった日本人のそっくりさんと同じになってしまったのです。 古来日本人が学び、受け継いできた四書五経や、 仏教思想などの学問は、戦後教育で途絶えてしまった。戦前、 そういった教育を受け、身に付けた人達も、1990年頃を最後に、政治、経済の第一線から退いていった。 と同時に、倫理や道徳感の欠落した社会になってしまったのです。 経営者も、政治家も、国民も、子供たちも、社会のすべてから倫理感が失われ、消えていった。 経済の活力が失われ、企業犯罪、社会犯罪が増加し、麻薬、失業、企業の破産が増えていった。 あの善き日本が失われてしまったのです。 |
そういった日本人を象徴した事件が、雪印や佐藤観樹議員の秘書給与詐欺事
件でしょう。倫理観の欠如、自らの非を潔しとしないなど、その言動に批判噴出
したが、人ごとではなく、今の社会に生きる、私達すべてに当てはまる出来ごと
ではないでしょうか。
日本人が日本人でなくなったのは、国旗を掲げず、国歌を歌わず、自国の宗教・
思想をおろそかにし、歴史を学ばず、二宮金次郎など、古き善き賢人から学ぼうとしない。
そのくせ、欧米人にあこがれ、欧米文化なら何でも受け入れる国民なのです。
欧米企業の真似をして、経営合理化の名のもとに、社員を能力で評価して差別し、都合が悪くなれば、
社員の首を切ることしか考えない。
何事も米国流のやり方が正しいと思い、アメリカに同調し、自国を守るこすらも
米国任せ。で、敗戦国で自立していないのは日本だけ。ドイツも、イタリアも、自立国家としてとっくの昔に、
主権を回復している。
古来日本人が受け継いできたアイデンティティーは、「みんな仲良く」です。
一個人の幸せよりも、共同体の中に身を置き、和を大切にしてきた民族なのです。
地主と小作の間柄は一つのファミリー。収穫の後の村祭りは、みんな一緒になって五穀豊穣を祝った。
あの貧しかった江戸時代の農民が、同じ村の地主庄屋を相手に氾濫を起こした記録など、あまり聞いたことがない。
今の日本、古来から受け継がれてきた、儒教思想、仏教思想、日本の古典などが、
私達の体内から消えてしまったということです。それは、日本の文化、日本人の奥ゆかしさ、礼節などがどこにも存在しない、
「損か徳かだけでモノを判断する社会」になったということです。
■国際テロリストが、日本で爆破事故を起こしたら…
スペイン・マドリードで起きた、列車同時爆破事件の二日後、スペイン全土で、雨の降る中を、国民の四人に一人、
一千二百万人規模のデモ行進があった。
国民は、「テロ」に対しての怒りを露わにし、「バスタ、ジャー!(もう、たくさんだ)」「テロをやめろ!」と、
き然たる姿勢をもって対決する意思を示した。
国民が危機に瀕したとき、一致団結して立ち向かおうとするのが、世界どこの国にも見られる光景です。
国際テロ組織アルカイダは、声明の中で、米国に加担する英国、イタリア、日本を標的にすると名指ししている。
もし、日本で不幸にもこのような大事件が起きたら、私達日本人は、スペインの人達のように、全国規模で一夜に三千万人もの人が、
自然発生的に、仕事を中断してまで、怒りのデモ行動を起すだろうか?
【吉村外喜雄のなんだかんだ 第25号】
~日本人のアイデンティティー~
「狩猟民族と農耕民族(2)」
一頃、日本人異質論がマスコミで話題になった。農耕民族と狩猟民族の気質の違いが、考え方や問題解決の違いとなって、
随所に現れてくるのです。
肉食が主体の民族は、ライオンのように縄張り意識が強く、独立独歩、自己主張が強い。
一方、日本人のアイデンティティは「和」。草食動物の牛や羊のように、
集団で群れることが多く、人のために自分は一歩下がることを美徳とする民族です。
ロサンゼルスの日系人は、クリーニング業を営んでいる人が多い。その他中国人などのアジア系、
メキシコ人などの中南米系の人達も、クリーニング業を営んでいる。
アジア系は勤勉で仕上がりもいい。顧客の評判がいい。それを嫉んだ中米系の人たちが、日本人と、韓国人の店に石を投げ、
ウインドゥガラスを割ったりして騒いだ。そのときの日本人の対応の仕方や、考え方が、よその民族とちょっと違ったのです。
韓国人は国境が陸続きで、他民族の支配を甘んじて受け入れてきた民族。自分達を守るために「やられたら、やり返す」。
大勢が手に手に獲物を持って、「もし今度同じことをしたら、絶対許さない」と、相手の居住地近くまでデモをかけ、
相手を牽制する行動に出た。
一方の日系人は四方を海に守られ、異民族に犯された経験のない農耕民族。
その夜集まり、今後の対応策を話し合った。出た結論は「相手の挑発に乗せられたら、事は更にやっかいなことになる…。
しばらく様子を見よう」。
翌朝、何事もなかったかのように割れたガラスを片付け、身をすくめてほとぼりのさめるのを待った。
つい最近の、尖閣領土問題に対する日本政府の姿勢も同じです。「相手国を刺激するような言動をして、
事をこれ以上荒立ててはならない。ほとぼりが冷めるまで様子を見よう…」と。
農耕で生きてきた日本人は、日照りや冷害、台風や洪水、地震など、突然襲ってくる天変地変で、
それまで積み上げてきた苦労が、一夜で無に帰することがしょっ中で、怒りをぶつけるところなどどこにもない。
土地を離れて他所へ移り住むこともままならず、悲しみにくれていても仕方がない。又、一からもくもくと体を動かして、
やり直すしか方法がなかった。
何千年と同じことを繰り返す内に、じっとこらえて我慢する生き方が、遺伝子に組み込まれてしまったのでしょうか。
■社会人としてのモラル
先月夜八時台の民放TV。交通整理のおじさんが、朝、車両進入禁止となっている通学道路の入り口で、孤軍奮闘する姿を、
ドキュメンタリーに放映していた。
その一月ほど前には、NHKでもやっていたので、見た人もあると思います。
通学時間は進入禁止の道路。表道路の渋滞を避けるため、抜け道として利用する車がひっきりなしやってくる。通学路の入り口で、
赤い誘導棒を持ったおじさんが、「ここは通学路です。進入禁止です」といくら運転手に訴えても、一人として言うことを聞こうとしない。
「みんな通っているやないか」「警察官でもないのに、何の権利があって…」「会社に遅れる…」「わかった、わかった…」と、
みんな勝手な理屈をつけておじさんの脇をすり抜けていく。見ていて無性に腹が立ってきた。
これが今の社会の姿、今の日本人の姿なのかと思うと、悲しくなってくる。
【心と体の健康情報 - 139】
~日本人のアイデンティティ~
「祖国愛・愛国心」
今年も又、「成人式各地で荒れる」と新聞が報じた。式場で酔って暴れる、演壇に駆け上がりクラッカーを鳴らすなど、
常軌を逸した行為が全国で見られた。
「人」は社会の中で、誰の世話にもならず、一人で暮らしていくことができるでしょうか?子供達や若者の中には、
社会が人と人との結びつきによって成り立っていることへの認識が、欠落している人が多いように思う。
生活環境や国家という共同体の中で影響を受け、日本人としての価値観や、
自己の存在、他人への信頼感などが形成されていく。
ところが、家庭や学校では、こうした当たり前のことを教えない。それが大きく影響しているのでしょうか?
自己中心的な若者が多く見られ、嘆かわしい限りです。
戦後の教育は、個人の権利、
自由や自発的精神などが重視され、社会人として生きていく上での大切な倫理・道徳が、
置き去りにされてきたことに、問題があるようです。
国に対する意識の一つに「祖国愛」
がある。祖国愛は、生まれ育った社会や文化、
共通の言語と歴史を持つことへの、
連帯感や帰属意識などによって培われていく。
次に、国民が一つの国家を形作っていることを意識するものに、「愛国心」がある。
”愛国心=軍国主義”という誤った国家観が、学校などで、国旗・国歌がタブー視される風潮を招くことになる。
読売新聞社説「教育基本法改正の時だ」から引用
四方を海に囲まれ、異民族に侵略されたり、
植民地として異民族の支配を受けた経験のない日本。そういった歴史的背景に、戦後教育が影響して、
国家への忠誠心が極めて希薄で、国家に対する敬愛の念が見られない、世界でもまれな民族になった。
某民放のインタビューで、「国が危機に陥った時、国のために死ねるか?」との問い掛けに対して、「国の都合で死ぬのはイヤ!
逃げる…」と答えた青年が多かったのを記憶している。
ニ千年近くの長きに渡って国家を持たず、世界各地で虐げられ、肩身の狭い思いをして暮らしてきたユダヤ人。また、
イラクのクルド族や、チベット民族のように、少数民族であるがゆえに、独立した国家が認められず、
他民族の支配を甘んじて暮らしている人たち。
その一方で、世界に例をみない恵まれた環境の日本。世界でも稀な単一民族国家としての歴史を持ち、
平和な暮らしができる民族であることに、気づいていないようです。
アメリカ人は、国歌が歌われる時、自発的に立ち上がり、右手を胸に当て、神に祈りを捧げるように歌う。米国人は、
そのようにして国を愛し、国に忠誠を誓う。それを見て、米国を軍国主義の国と思う人はいないだろう。
日本はといえば、戦後教育が明治以降の日本を、ことさら悪く見てきたことも影響して、子ども達の中に、
日本人に生まれたことを悲しむ風潮すら見られるという。すべて学校教育がなせる業なのです。
家族愛や愛社精神は素直に受け入れる私達が、
「愛国心」となると眉をひそめたり、無関心を装うのはおかしい。国民一人ひとりが国を愛し、国家の運営に参加し、
国民としての責任を持つ。そして子々孫々に至る国家繁栄の一翼を担う自負心があってしかるべきと思う。
そのためにも、子ども達に正しい意味での「愛国心」を植え付け、日本人であることに誇りが持てるアイデンティティーを育て、
その基盤の上に自分の人生を選び、作り上げる力を培う環境作りが急務と思うのです。
今の日本人には、国を大切にする意識がなく、社会人としての「倫理・道徳」が欠落しているように見える。
何とも嘆かわしい民族になってしまったものです。
先週、商業界石川県同友会の皆さんと神戸視察に出かけた。神戸同友会の三月例会に参加し、裸一貫から年商180億円になった企業、
「甲南チケットの小林社長」
の起業家精神を学んだ。普段ともすれば忘れがちな、商いの基本、鉄則、時流をつかむことの大切さなど、学ぶべきものが盛り沢山あった。
もう一つ「私のお針箱」というお店を、
38店舗関西一円に展開していることも驚きであった。ウエストや丈などのサイズ直しのお店で、平成13年からは、靴・バックの修理、
合鍵複製サービスのお店、「くっく・
ぱっく」も十数店展開している。
よその企業が目もくれないニッチ(狭間)の商売に着眼し、チケットのお店と合わせて、神戸ではお店の名前を言うと、
知らない人がいないという”ブランド”にまで育てあげている。
翌日は、六甲アイランドの「ファッションプラザ」、神戸空港建設地、アウトレッドがある「ボルトバザール」、元町商店街などを見学した。
【吉村外喜雄のなんだかんだ 第24号】
~日本人のアイデンティティー~
「牧畜狩猟民族と農耕民族」
日本人は「農耕民族」
。国は小さく、野山には狩猟の対象となる野獣の生息が極めて少ない。
そのために日本人は、 太古の昔から農業に依存して暮らすしかない。
農作業は人手がかかる。村人みんな助け合って生きていかなければならない。
それに対して、西欧人、中国・東南アジア、中近東の多くの国々は「牧畜・狩猟民族」です。
より良い土地を求めて部族が移動する。移動のたびに、他の部族と争いになる。相手の言うことをすべて受け入れていては、
自らを守ることができない。それだけでなく、他の部族に生活の基盤を、根こそぎ奪われてしまうかもしれないのです。
一頃、日本人異質論がマスコミで話題になった。農耕民族と狩猟民族の気質の違いが、考え方や問題解決の違いとなって、
随所に現れてくるのです。
肉食が主体の民族は、ライオンやトラのように独立独歩、自己主張が強く、闘争心も強い。
一方、日本人のアイデンティティは「和」。草食動物の羊や馬のごとく、
集団で群れることが多く、人のために自分は一歩へりくだることを美徳とする民族で、性格もいたって温和である。
多民族国家アメリカで、民族間の争い事が頻繁に起きる。ロサンゼルスの日系人は、クリーニング業を営んでいる人が多い。
その他中国人などのアジア系、メキシコ人などのヒスパニック系の住民も、同じようにクリーニング業を営む人が多い。
アジア系は勤勉で良い仕事をする。顧客の評判がいい。それを嫉んだヒスパニック系の人たちが、日本人と、
韓国人の店に石を投げ、ウインドゥガラスを割ったりして騒いだ。
そのときの日本人の対応の仕方や、考え方が、韓国人を含めよその民族とはちょっと違うのです。
何が違ったのでしょうか? 解決の仕方が、世界の常識から見て、異質に見えるのです。
みなさんなら、どのように解決するでしょうか? 来週の金曜日の「なんだかんだ」で、その答えを出しますが、
それまでに考えてみてください。
ここ数週間、新聞のニュースを見ていると、世界の様々な国が民族・宗教問題などの争いの火種を抱え、悩みが尽きないようです。
【米国】
先月の二十五日、全米でキリストの最後の受難を描いた映画「パッション」が、公開された。宗教的偏見と、
ユダヤ系市民団体が激しく抗議行動を行っている。
【スペイン】
三月十一日、マドリードで列車爆破テロが起き、死者200人、負傷者1250人と、スペイン最大級のテロとなった。
北部バスク地方の分離独立を求める過激派組織の犯行と見られているが、国際テロ組織アルカイダが犯行声明を出している。
【タイ】
タイ南部の分離独立を狙う、イスラム過激派の武装組織が、インドネシアで同じように分離独立を目指す、
イスラムテロ集団に武器を供給していることが明らかになった。タイでテロを繰り返しては、マレーシア側に逃げ込み潜伏。
タイ政府も頭を痛めている。
【フランス】
公立校に通うイスラム系住民の子供を対象とした法案が、このほど国会で可決され、宗教上の慣習を盾にするイスラム教徒の反発を招いている。
この法案は、「顔をショールで覆って登校し、顔を覆ったまま学習することを禁ずる」というものです。
【吉村外喜雄のなんだかんだ 第23号】
~日本人のアイデンティティー~
「単一民族・日本人」
アメリカの人種差別。多民族国家がゆえに抱える問題も多い。
テキサス州は、元はメキシコ領。州人口に占めるヒスパニック系が、国境を越えてくる人たちで、年々増加の傾向にあり、人口の50%にならんとしている。
英語が話せない人が多いため、今では、スペイン語が英語と並んで、テキサス州の公用語になっている。
テキサスに古くから住む白人は、「州がメキシコ人に乗っ取られてしまうのでは」という恐怖にかられるという。
ロサンゼルスや、ニューヨークなどに住む白人が、黒人に持つ感情にも、少なからず同じものがあるようです。
アメリカ経済が落ち込んで、就職難となった1980年代、白人青年の不満が黒人やヒスパニックに向けられた。それにつれ、
KKK団の活動が活発化した。
「黒人二人が入隊テストにパスして、そのせいで白人二人が落とされた!
成績が上なのにだ! 平等を唱えるのもいいが、こっちは実力があるんだ!
奴らは、黒人という理由だけで受かったんだ」…。人種差別の根は深い。
現在、ヒスパニック系住民は、全米人口の一割程度二千万人だが、出生率が高いため、2020年には、
黒人の人口をしのぐのではと、心配されている。
それに引き換え、日本は単一民族国家。北海道には原住民のアイヌがいるとはいえ、人種問題にまで発展することはなかった。
四方を海に囲まれ、外部から閉ざされた国土に住む日本人。そこに住むすべての人が黒い瞳に黒い髪、
そして同じ肌色で同じ言語を話し、同じ風俗習慣のもとに暮らし、神教という共通の宗教を信仰して暮らす。
世界の国々から見れば、極めて稀なことである。
そこに、純度の高い文化と、特異なアイデンティティを持つ民族が育っていった。
この小さな島国に生まれ、そして育ったというだけで、自分は日本人であると言い切ることができるのである。逆に言えば、
日本人であることが当たり前過ぎて、日本国籍を持っていることをことさら意識したり、大切に守ろうとするものは誰もいない。
在日韓国人が日本国籍を取得しても、周りの日本人から「おめでとう」と歓迎の祝福を受けることはないという。
アメリカだったら、みんなでお祝いしてくれるのに…
毎年一万人近く、在日韓国人が日本国籍を取得する。韓国には親戚もいて、
韓国人の血を引く人が日本人になることを選択したとき、これからどのような日本人になるか、考えるという。
一方の米国は、多民族国家である。世界中から、様々な民族が移住し、様々な習慣を持ち込み、様々な言語の祖先を持ち、
様々な宗教観を持つ人たちが、他の民族と混ざり合って暮らしている。
米国国籍を取り、アメリカ人になるということは、自ら米国市民であることに誇りを持ち、国家に忠誠を尽くし、愛国心を育む、
大変重要で意味のある、感慨深いことなのです。
■「日本」という呼び名
サッカー・オリンピック予選バーレン戦、手に汗して観戦したが、健闘むなしく負けてしまいました。
二年前のワールドカップでの「頑張れニッポン・チャッチャッチャ!」の大声援。
あの時ほど多くの日本人が、日本人であることに歓喜し、日本人であることを意識して、一ヶ月近く声を限りに声援したことは、
過去になかったと思う。
ところで、「日本」という呼び名のルーツを知っているでしょうか?
その昔、中国南部では、日本のことを”日出ずる国”「ニチホン」と呼んでいた。
それがいつの頃からか日本に伝わって、「ニッポン」
と言うようになった。
スポーツだけでなく、切手や国名を表すときは「ニッポン」
と言う。
”日本昔ばなし””日本語”など、二つの熟語がくっついた時は、「ニホン」という言い方をする。どちらも正式の呼称です。
【心と体の健康情報 - 137】
~日本人のアイデンティティー~
「左と右の偏った思想」
3月13日の中日新聞を開いて驚いた。「卒業式で光る監視の目、処分に震える先生たち」
の大きな見出し。
2ページにまたがっての特集記事、「えッ!何これ…」
戦後60年を経た今も、日の丸はダメ、天皇制はダメ、君が代は認めないという先生が多数いることは承知している。が、
悪いのはその当時の国際環境、軍部や政府にあって、民主社会になった今の時代、天皇や日の丸の旗が、
国民に害を及ぼしているわけではない。君が代を歌ったからといって、国粋思想にかぶれるわけでもない。
「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」をいつまでやっているのだろうか。
それよりも怖いのは、ガンとして君が代を認めようとしない左派系の教師が、何も知らない子供たちに、
教室で行っている思想教育にある。都内の幾つかの高校では、式典の内容は生徒が自主的に決めるという名のもとに、
生徒会代表が校長に、国歌斉唱反対を申し入れている。
学校側が譲らなかったため、生徒たちは抗議の黄色いリボンを胸に付けて、卒業式に臨んだという。これには、
先生だけでなく父兄も一枚かんでいる。生徒達のこういった行動は、偏った思想教育の影響なくして起こり得ないことである。
国旗掲揚や、君が代斉唱を拒んでいる先生方は、一体子供たちをどこへ導こうというのだろうか?
更に、もっと怖いのは、問題のある高校に、都の教育委員会から、祝辞を述べるためと称して人が派遣され、
実際は監視の目を光らせていることです。厳しい監視にさらされる先生方。国歌斉唱で起立せず、歌わなかったら、
後日処分され、最悪の場合は免職の恐れさえあるという。
1999年に「国旗国歌法」が施行されて以降、年々都教委の指導が厳しくなっているとある。管理職の校長も、先生も、
従わなければ罰せられる。現場では、国が定めた法律を後ろ盾にした、強い圧力を感じるという。
十五年ほど前の話ですが、私が所属していた石川県の経営者団体が、七尾に能登支部を作った。その当時、
県内四百社ほどの大きな組織だったが、以前からこの団体は「赤」であるという、言われのない中傷があった。
七尾支部が発足した後、驚くべき事実が伝わってきた。七尾市の商工会議所が、「赤」の団体には貸せないと、
月例会の会場の申し入れを断ってきたのです。
さらに驚くことは、入会した会員のところへ次々と電話が入って、七尾で悪評が立つのがイヤなら退会しろ、
と言ってきたことです。
警察がマークしているというのです。何人かがそれで退会していった。確かに、共産党の息のかかった、
全国組織の商工業者団体は金沢にもある。しかし、私の所属していた団体に限っていえば、全くの誤解である。
富山県でも同じように警察にマークされたという。
共産党の匂いがするというだけて、国家警察が入会者をチェックし、素性を調べているとしたら、大変恐ろしいことです。
警察機関は、共産党は、日本の政府転覆を企む悪い思想集団であるという、戦前・
戦後の混乱期における社会主義活動家に対する悪いイメージを、今のこの時代においても尚、持ち続けているのでしょうか?
私は、右でも左でもない。政治への関心は低い。しかし何かが間違っている。
何れも、右や左の思想を持った人たちの中に、過去の歴史の悪しき亡霊に囚われ、時代錯誤的固定観念に凝り固まって、
社会に影響を及ぼしている人たちが、今なお、少なからずいるということでしょう?
■絵手紙詩人/大野勝彦氏
先月、絵手紙詩人” 大野勝彦”氏の講演を聞き、 感動の涙を流した。
熊本県の専業農家。平成元年七月機械を洗浄中に二本の腕をもぎ取られた。
「人生おしまいだ」。悲劇の主人公のような顔をしてベッドでうなっていたとき、両親、妻、子どもたちの家族愛に救われる。
”湧き出る生”への想いを詩に託し、”生きる喜び”を水墨画に、義手で表現するようになった。両手を失って初めて
「手は宝物」に気づいた。家族や人から受けた優しさを、
これからの人生すべてをかけてお返ししようと決めた。
半年後にはもう”詩画”の個展を開き、その後書き溜めた詩画を次々と出版し、様々な賞を受賞。全国各地、絵筆を持って講演して歩いている。
人生のどん底を味わって、本当の生き方を教わったという。「ありがとう」が祈りとなり、笑顔となり、今の幸福があるという。
【吉村外喜雄のなんだかんだ 第21号】
~日本人のアイデンティティー~
「日本という国」
ウシオ電機の会長、牛尾治朗氏は、日本の企業には三つの強みがあると言っている。一つは「現場主義」、二つ目が「完璧主義」、
三つ目が日本人が持っている「集団主義」
。この三つがある限り、日本の製造業は不滅だという。
日本には、ヨーロッパ諸国のような職種による階級性がない。NHKのプロジェクトXを見ていて、
日本人は何かを作り上げるときに、プロジェクトチームを作り、集団で上下関係に関わりなく、現場で、
やれることは何でも助け合って、しかも完璧にやってしまう。これはすごいことです。
日本人の完璧主義は、病的で行き過ぎるくらい徹底している。その代表がJR。新幹線なんか、時報と同時に発車して、
もう数秒狂っただけでも気になる。その完璧主義が四十年間無事故につながっている。
私(吉村)は、仕事がら式典とかイベントを企画し演出する機会が多かった。その都度、
スタートから終りまで分刻みシナリオを書き、プロデュースするが、時間に一分も違わず終了した時、
緊張がほどけて皆抱き合って泣く。こんな国は日本だけでしょう。
それも最近は怪しくなってきている。こういった日本人固有の強みが、欧米から入って来た合理主義のもとに崩れ始めている。
豊かな社会になって、ものを考えなくなったのです。
戦後は日本人から個性が失われ、みんな同じになってしまった。子供の個性には関係なく、小学校の頃から、一流大学に入り、
一流会社に就職することを最終目的として、詰め込み教育をする。その結果、個性が失われてしまい、日本人が本来持っている、
ものづくりの能力が失われていく。
昔の子供たちは、職人になるもの、丁稚奉公をして商人になるもの、役人や医者になるもの、いろんな人生を選択した。
戦後世の中が豊かになるにつれ、目的が定かではないのに、みんな一斉に大学に進学し、サラリーマンを目指す。
自分に学問が必要かどうかわからないまま、大学へ行く。大学を出ていなければ、
一人前の人間として社会が評価してくれないからです。
私は英会話が大の苦手です。
街で突然白人に呼び止められ、英語でペラペラやられたら、ドギマギして、声まで上ずってしまう。英語コンプレックスである。
日曜日の夕方、テレビでそんな番組をやっている。ほとんどの日本人は、白人から
声をかけられると、ドギマギするのです。
何を言っているのか解らない。無理に笑顔を作ってごまかそうとする。大方の日本
人が同じようなしぐさをするので、日本人が不可解に見えてくるのです。
【吉村外喜雄のなんだかんだ 第20号】
~日本人のアイデンティティー~
「人種差別」
昨年12月、米国で痛ましい事件が起きた。職務質問していた黒人が暴れたため、数人の警官が警棒で、
黒人を滅多打ちになぶり殺してしまった。そんな映像が私達の茶の間に飛び込んできたのです。
黒人差別が無くなりつつあるとはいえ、白人の潜在意識の中に、黒人蔑視が根強く存在しているのでしょうか。
何かコトあるたびに、こんな痛ましい事件が報道されるのです。
そこでフッと気づいたのが、ノエビア・ワールドコンベンション全米大会に黒人が見当たらなかったことです。
肌が黒い黒人に対応した化粧品が無いと考えれば、そうかと思うのですが、もし、そうではないとしたら悲しいことです。
日本人が黒人を対等に認めていないのでは? という疑問が湧いてくるのです。
黒人男性が日本人の女性と結婚し、生まれた子ども達が日本国籍を取得した。
ところが周りは大人も子供も「ガイジン」「ハーフ」「黒こげ」などと、差別した扱いをする。
毎年一万五千人の世界の様々な国の人たちが日本国籍を取得するという。
けれども、肌色や髪の色が違っていたり、青い目だったりすると、アメリカ社会における人種差別の比ではありません。
外国人として遠巻きにし、同じ仲間には入れず、差別してしまうのです。
たとえ日本国籍を取り、日本人になっても、同じ日本人として、普通の日本人として、社会が受け入れようとはしないのです。
毎年夏に、石川県で留学生を対象に開かれるジャパンテント。ホームステーの受け入れ先で、東南アジアや、黒人が敬遠され、
アメリカやヨーロッパの白人を希望する家庭が、少なくないとのことです。
私が中学の頃、金沢の中心を流れる犀川の上流(大桑)と下流(大豆田)に、朝鮮部落があった。私のクラスにも、
朝鮮人と言われて、いじめられている女の子がいた。小学校のときからずっといじめられていたのでしょう。
誰にも相手にされず、「きたない」と言われて、おびえていたのを記憶しています。
その頃は「朝鮮、朝鮮とパカにするな!」とはやしし立て、朝鮮人を卑しみ、さげすむ風潮があったのです。
明治以降、西洋文明にあこがれ、西洋の文化・経済に一歩でも近づこうと、努力を積み重ねてきた日本。
いつから同じアジアの人達を見下し、西洋人と見ればへつらう、傲慢で卑しむべき民族になり下がったのだろうか?
タイ、韓国、中国などへ、大挙して買春ツアーに出かけていく日本の男性。近隣アジアの人たちから嫌われ、
蔑まれるような行為は、慎まなければなりません。
中国が経済大国となり、日本が清貧国になったとしよう。金持ち中国人が大挙して日本へやってきて、日本人を見下し、
札びらで頬を叩くような行為をしたとしたらどう思うでしょうか? 民族の誇りが「許せない!」と叫ぶでしょう。
この2月の休日はすべてスキー漬け。
肉体年齢はまだ四十台後半くらいかな?
急斜面でのスピードとスリル感がたまらない。
筋肉痛もなく、たっぷり滑降を楽しんでいます。
明日からの二日間は野沢温泉スキー場。温泉につかって楽しんできます。
【吉村外喜雄のなんだかんだ 第19号】
~日本人のアイデンティティー~
「外交下手の日本人」
小泉首相は、二月十日の予算委員会で、靖国神社の参拝について、「日本には死者にまでむち打つ感情はない。
よその国の干渉は受けぬ」ときっぱり言い切った。ここまではっきり意思表示した首相は始めてだろう。
中国や韓国からの抗議にへっぴり腰だった日本。北朝鮮の拉致問題への政府の対応は、いっこうに進展しない。いずれも、
国民は腹立たしく、じれったい思いをしている。
国際社会における利害関係は、益々複雑になりつつある。日本は外交にもっと力を入れなければならない。ところが、
日本は国際社会に対して、なかなか独自の立場を貫くことが出来ないでいる。
米国も外交下手と言われている。日本は国の歴史は長いけれど、鎖国が解かれてからまだ百数十年、
外交の歴史は米国より短いのです。
外交下手の原因は、諸外国に対して自国の主張を貫く、
「言葉でわかってもらうノウハウ」がまったく確立していないことにあるという。
ヨーロッパ諸国の大学入試には、一般教養に”口頭試問”がある。
「ヨーグルトの作り方は」とか、「十九世紀の馬車について」とか、何を聞かれるかわからない。
この口頭試問で試されるのは単なる知識ではなく、「言葉の運用能力」や
「反射能力」です。
知らないことであれ、不得意なことであれ、何を聞かれても相手にちゃんと球を返しながら、
自分のペースに引き込む力を試される。入学後はさらにその能力磨きをかけ、適正とされた人のみが、官僚や政治家、
企業のトップになっていく
のです。
おぎの・あんな(慶応大学文学部教授) 「日本の道を考える」より抜粋
”森”元首相は、早稲田の弁論部で鍛えたことで知られている。
近年日本の中学・高校で、ディベートを戦わすことが盛んになってきた。私(吉村)
も一度ディベートに参加し、ディベートを戦わしたことがあるが、言葉の運用能力、反射能力を磨くには、
大変良いことだと思う。
政治家や官僚だけでなく、私自身も他人に伝わる言葉、他人が得心する話し方で、自らの意思、
考えを伝えていく能力を身につけなければならないと思う。
日本には、「黙して語らず」「以心伝心」
といった沈黙の文化があるが、それでは今の時代、
同じ日本人でも通用しないと思うのです。
■明日14日はバレンタインデー。
この日にチヨコレートを送る習慣は、1960年ごろに始まり、70年代にかけて急速に広まったという。こういった風習は、
12月24日のクリスマスにケーキを買って来て、家族そろって食べるのと同様、戦後新しく芽生えた庶民の文化である。
日本の庶民はこういった外来文化を、商業ベースに乗せられていると知りながら、日常生活の中になんなく取り込んでしまう。
現在の先進日本のエネルギー元は、こういった異国文化を取り込むことへの寛容性にあるようです。
【吉村外喜雄のなんだかんだ 第18号】
~日本人のアイデンティティー~
「与えられた環境に順応する能力」
毎日報道されるイラクの状況は、今から六十年前に戦争に破れ、アメリカから進駐軍が乗り込んできて、統治と治安、
改革に取り組んだ、当時の日本と何ら変わりがないように思える。
終戦のどん底状態の庶民の生活を救ってくれたのは、戦勝国アメリカからの援助物資だったと思う。食料品、衣料品、
医薬品などが配られた。
我が家にも、缶詰や乾パン、小麦粉などが配られたことを記憶している。
直径20cmはあろうかという大きなピーナツバターの缶詰や、乾燥貝柱。あの舌にとろけるような美味しさは、
決して忘れたりはしない。
戦時中は、あれほど鬼畜米英と、竹やりを突く訓練をしていた日本人が、敗戦となり、
にっくきアメリカ人に反抗するかと思いきや、わずかの期間にそんな罪悪感など跡形もなく消えてしまった。
進駐軍の兵隊さんが、子ども達にチューインガムやチョコレートをくれるというので、ジープの後を、子ども達が追っていく。
環境の変化に合わせて、丸にでも四角にでも順応する日本人。過ぎ去った過去に引きずられることもなく、現状を受け入れ、
なんなく取り込んでしまう能力は、日本人にしかないアイデンティティーでしょうか。
真珠湾や、南京事件をいつまでも忘れようとしないアメリカや、中国の人。このしつこさを思うと、
過去のわだかまりを直ぐ忘れてしまう日本人。何と淡泊なことか。
日本人のあきらめの早さは、士農工商、江戸三百年の歴史の中で培われたものだろうか? NHKの「新撰組」で、
母親が養子の”勇”に向かって、「武士になろうなどと思うな! 百姓の子は生涯百姓。武士になったつもりでも、
百姓からは逃れられない」と…。
農耕で生きてきた日本人は、日照りや冷害、台風や洪水、地震など、突然襲ってくる天変地変で、
それまで積み上げてきた苦労が、一夜で崩れ去ってしまうことがしょっ中。怒りをぶつけるところなどどこにもない。狭い国土、
土地を離れて他所へ移り住むこともままならない。農民であることから逃れることはできない。
悲しみにくれていても仕方がない。現実に起きてしまったことは仕方がない。又、
一からもくもくと体を動かしてやり直すしかない!
オイルショック、円高、自由化と、戦後何度も訪れた経済危機。阪神大地震で破壊された神戸。
襲ってくる危機をその都度切り抜け、生き抜いてきた日本人。
最大の危機、平成不況も、過去に引きずられず、今をしっかり見つめ、生きている。
日本人が持つアイデンティティーが、困難に立ち向かうエネルギーになっている。
■靖国神社
私が中学生のとき、肩かけカバンを下げて、香林坊から兼六園の園内を突きぬけ、護国神社の境内を通って、学校と自宅を毎日往復した。
護国神社の境内を歩くと、おごそかな気分になり、心が引き締まる。しかし、ふだんは詣でる人もなく、ひっそりとしている。
白山ひめ神社を知らなかったように、靖国神社についても何も知らない私です。
そこで、ホームページで調べてみました。
靖国神社
明治二年、明治天皇のおぼし召しにより、徳川幕府から明治の新時代に生まれ変わるとき、内戦で斃れた人たちを祀るために創建された。
戊辰戦争、日清、日露、大東亜戦争など、明治、大正、昭和、日本のために命を捧げた人たち、247万柱が祀れている。
【吉村外喜雄のなんだかんだ 第16号】
~日本人のアイデンティティー~
「靖国神社参拝」
日本の首相が靖国神社を参拝するたびに、なぜ大騒ぎするのだろうか。今年の正月元旦、
小泉首相は就任して四度目の靖国神社参拝をした。それに対して中国と韓国は、いつもながら強く抗議の反発をしている。
野党も、政府を批判し、「国益を害う行為」と攻撃している。
日本はあらゆる宗教が、ごく普通に生活の中に溶け込み、共存している国です。靖国神社は、
戦犯だけが祭られているのではなく、戦争で国のために命を捧げた人たちが、地位や身分や宗教に関係なく、
等しく祭られている神社です。
どんな悪人であっても、死者に対しては平等に弔うのが、日本の伝統的文化、習俗です。歴代の首相がお参りするのは、
国家の元首として、純粋に国に命を捧げた先人たちの霊に、こうべを垂れるためであろうと思うのです。
国の命でイラクへ赴いた自衛官が、不幸にして戦いに巻きこまれたとき、「だから言わんこっちゃない」と、
政府を非難するだけでいいのでしょうか?
過去の時代背景がどうであれ、国のために一命を捧げて、祀られている人たちです。そういった人たちに哀悼の意を示さず、
憲法を盾に否定し、無視するのは、日本人として悲しいことです。
私達が毎年、宗教的意味合いなど意識せず、清らかな心で、新年には神社をお参りし、お盆には墓参りをする。
そのような気持ちで、靖国神社をお参りしてもいいのではないでしようか…。
神社に参拝するのは、一般の宗教的信仰とは趣を違にする、「日本人の心」に根付いた、
日本人のアイデンティティそのもののように思うのです。
「一国の首相が、戦没者を追悼するために、いつどんな形で参拝するかといった問題は、本来、
その国の伝統や慣習に基づく国内問題であり、他国からとやかく言われる筋合いではない」と、
読売新聞は社説で近隣諸国の言動を批判している。
野党は、首相が戦争犯罪人の霊を弔うために参拝している、と批判している。しかし、
政府の足を引っ張るための政争の具としているのなら、そういった行為こそ国益を害うことになります。
読売新聞によると、戦後歴代の首相が靖国神社を参拝をしていたが、外交問題に発展することはなかった。ところが、
1985年中曽根首相の時になつて初めて、外交問題になったとのことです。
聞くところによると、当時の某野党が政争の具にするため、中国政府に情報を流し、言わしめたと言われている。
日本の内政問題に干渉する口実を、外国に与えるような行為こそ慎むべきでしょう。
どこの国でも、外国から主賓クラスが訪れたとき、真っ先にその国の戦没者慰霊碑に詣でるのが慣わしです。
日本の首相が、諸外国の顔色を伺いながら参拝しているのもおかしいし、
戦没者に哀悼の意を示そうとしない政治家がいることも、憂うることです。
■七福神
七福神とは、「大黒天」「恵比寿」「毘沙門天」「弁財天」「福禄寿」「寿老人」「布袋和尚」の七柱の福徳の神であることは、
皆様もよくご存知です。
ところがその由来となると、以外と知られていないのです。
この信仰は、室町時代の末期、日本に生まれ、農民、漁民の間の庶民信仰として、現代に受け継がれてきたものです。
当時の仏教に、中国の道教などが交じり合って出来た宗教なのです。
七福神は、夢まくらに宝船に乗って現れると、福が授かると言い伝えられ、初夢で見るために、まくらの下に入れることが流行ったそうです。
【吉村外喜雄のなんだかんだ 第15号】
~アイデンティティー~
「よろず宗教が共存する日本」
あらゆる宗教が、ごく普通に生活の中に溶け込んで、共存している国は少ない。
「どんな宗教でも自由に信仰できる日本って、世界に誇っていいことだ」と、”永 六輔”氏は語っています。
毎年繰り返される年末年始の宗教行事は、日本人の生活慣習の中に溶け込んでいる。信者でもないのに、
ツリーを飾ってクリスマスを祝い、年の暮れには、仏教の除夜の鐘で百八つの煩悩を取り去り、正月元旦には、神社に初詣。
七福神の飾り物を買い、家内安全、無病息災、商売繁盛をお祈りして拍手を打つ。今年は八千万人がお参りしたという。
ところで、お正月にお年玉を配る習慣、これは儒教です。幾つもの宗教が、ごく自然に日本人の生活の中に混在し、
共存している。こんな国は世界広しといえども見あたりません。
私の知人の画家は、ご夫婦共クリスチャンです。しかし、ご先祖から受け継いでいる浄土真宗は大切に守り、
家には仏壇もあるし、お盆に墓参りもする。
親が亡くなったとき、お葬式はキリスト教会と、仏教のお寺さんで、同じ日に続けて二回行っている。個人の信仰と、
ご先祖から受け継いできた家の宗教を、共存させているのです。
あまり例を見ないケースかもしれませんが、違和感をまったく感じさせないのです。
どの家にも、神様と仏様が同居している。そういった土壌文化を受け継ぐ日本人。
イラク、イスラエル、パレスチナ…、人類の歴史は宗教の違いから、どれだけ血を流してきたことか…。
人間社会がどんどん進化した現代においても尚、最も悩ましい問題なのです。
そうした中で日本は、すべての宗教が仲良く共存している平和な国、「和」を貴ぶ国なのです。
「日本は、宗教間の争いごとは皆無。共存しながら平和に暮らしていけるサンプルの国であることを、日本政府は国連の場で、
もっと強く訴えるべきである」と、
”永 六輔”氏は訴えています。
■「能楽」
金沢の伝統文化で忘れてはならないものの一つに「能楽」があります。能楽には幾つかの流派があります。東京や群馬県には「観世流」
があり、金沢には「加賀宝生流」。
前田利家は大変な能好きで、稽古は三日に一度という熱の入れようだったといいます。当然、次男利政、四男利常にも受け継がれ、
加賀藩に能が栄える源となりました。
徳川五代将軍”綱吉”が「宝生流」をひいきにしたことから、加賀藩でも盛んになり、その後の藩主が宝生流を手厚く保護したことから、
主流となって栄えたといわれています。
私は二十五歳の頃、宝生流の佐野先生から直接謡いの手ほどきを受けましたが、謡い本二十冊くらいまで進んだところで止めてしまった。
今にして思えば、悔やまれます。
身近に能・狂言が鑑賞できる加賀宝生流のお膝元金沢に住んでいますので、折があれば鑑賞するようにしたいものです。
【吉村外喜雄のなんだかんだ 第14号】
~日本人のアイデンティティ~
「家庭から和食が消えていく」
日本ほどバラエティ豊かに、いろんな国の食事を楽しめる国はない。朝はパンに牛乳、 昼はマクドナルドやピザをほおばり、夜は中華、イタリアン、韓国料理、なんでもござれである。金沢市内には、インド料理、 ベトナム料理、タイ料理、メキシコ料理など、国際色豊かにいろんな国の店がある。
中国人の家庭は、朝・昼・晩中国料理である。タイ人の家庭も、家ではタイ料理が食卓に乗る。 韓国人は韓国料理を食べている。ところが、日本の家庭の食卓は、カレーライスにハンバーグ、スパケッティに野菜サラダ。 もちろん、刺身や味噌汁も食卓に乗るが、問題なのは、 日本人なのに古くから伝わる日本料理の作り方を知らない奥様が多いことです。
私の妻の手料理十八番は春巻き。カレーライスもハンバーグもプロ並みの腕前で美味い。ところが、 いつも出てくる味噌汁はメッタ汁のよう。季節の旬を引き出す味づくりが苦手のようです。
昔は、味噌や沢庵は自分の家で漬けるのが当たり前。春祭りや秋祭りには、お重にご馳走を詰めて、 親戚に配ったものです。今は、お正月のおせち料理も、デパートの出きあいで間に合わせる時代。
今の若いお母さんのほとんどが、和食料理が苦手なようです。核家族化が災い
して、お婆ちゃんや母親から、日本料理を教わっていないからでしょう。
日本料理は、時間と手間をかけないと作れないものが多い。あわただしく台所に立って、
食事の支度をしなければならない共働き主婦にとって、日本料理が敬遠されるのは、仕方のないことです。
日本料理を食べようと思ったら、寿司屋や温泉旅館、近所の割烹へ出かけていかなければならないのです。
食事の例にもあるように、近年、日本人が国際社会の中に入ったとき、「日本人にはアイデンティティーがない」と、
よく言われるそうです。
日本人が日本料理を苦手にするだけでなく、代々親から子へと受け継がれてきた日本古来の庶民文化が軽んじられ、
忘れ去られようとしている。
金沢には、伝統文化「加賀宝生流」がある。そのため謡曲が盛んで、つい最近まで結婚式で「謡い」
が唄われることが普通だった。近頃、謡曲に関心がある人がどれだけいるだろうか。
日本人にしかない文化、”わび・さび”など、古くから受け継がれてきたアイデンティティーを、
もっと大切にしなければならないと思うのです…。
■白山神社
正月、お天気が良かったこともあって、久しぶりに白山ひめ神社へ初詣に行きました。
金沢から車で三十分、鶴来町の白山神社が、全国各地にある「白山神社」の
”本宮”であること。そして、
沖縄を除く四十六都道府県すべてに白山神社がある
ことを、1月1日の北国新聞で知りました。
岐阜県の414社をトップに、福井には341社、地元石川には276社もあるそうです。
これは驚きです。愛知県200社、新潟県196社と続き、全国に何と2,716社も
あるのです。これがもし会社だったら、すごい組織ですよね…
【吉村外喜雄のなんだかんだ 第13号】
~日本人のアイデンティティー~
「感情を表に出さない日本人」
「謙遜・謙虚」
は日本人の美徳とされます。昨年の大相撲夏場所で、モンゴル出身の横綱”朝青龍”が、同じモンゴルの”旭鷲山”
に負けた時にとった態度が、横綱の品位に欠けると、協会から厳重注意されたことは記憶に新しいですね。
モンゴル人には、戦意を掻き立てて戦っている最中に、高揚した「闘争心を抑えろ」と言われるのは、
納得できないことだろうと思うのです。
日本古来から伝わるスポーツや勝負ごとは、「喜怒哀楽」を人前で表さないのが、日本人の美徳であり、
礼儀とされてきました。囲碁の最高位を競って優勝した棋士が、敗れた相手を気遣って、喜びをかみ殺して平静を装います。
しかし、日本古来の武道も、国際化の度合いによつて、喜びや悲しみの出方が違ってきます。柔道の勝者は勝てば全身で喜び、
負ければ人前もはばからず悔し涙を流す。一方の剣道は、勝っても負けても選手は無表情を装い、礼儀正しいのです。
オリンピック予選でのバレーボール選手やプロゴルファーなど、外国から日本に入ってきたスポーツは、
プレー中に喜怒哀楽を全身で表すことはしょっちゅう。
見ている私達にまで伝わってきて、すがすがしいですね。
話が変わるが、昔から日本の男は「無駄口を叩かない」ことを美徳としてきました。
おしゃべりな男は、軽く見られたのです。
私の父の商いは、戦後良いときも悪い時もありました。人並みに株に手を出して大損したこともあったのです。そんな時、
顔色一つ変えず、愚痴もこぼさない、喜怒哀楽を表に出さない。父親の世代はおお方そうでした。
三船敏郎や東海林太郎の顔が浮かんできます。
同じ商店街の社長さんがやって来て、「近頃、商いはどうやいね…」と尋ねられると、父は
「お陰さまで…」
としか言いませんでした。
ある時、どうして「お陰さまで…」しか言わないのかと、聞いてみました。そうしたら、「儲からないと歎いたり、
愚痴を言って、儲けさせてくれるなら、なんぼでも言おう。言って得することが一つもないから言わない」。なるほど…。
誰が見ても儲かっているのに、謙遜して儲かっていない振りをしたり、儲かっていないのに、
儲かった振りをするのも心ぐるしい。問い掛けに「お陰さまで…」と応えるのが一番いいように思いました。
【吉村外喜雄のなんだかんだ 第12号】
~日本人のアイデンティティー~
「日本の武道」
江戸末期、薩摩藩の男達が国を動かしました。薩摩男児の心意気を象徴するものに、薩摩の武道があります。
相手と対峙したとき、「タァ~ッ!」と気合もろとも一撃で相手を倒してしまいます。次がありません。
一撃で倒せなければ自分がやられているのです。NHKで放映された、宮本武蔵と佐々木小次郎の一騎打ちも、
一撃で決着がついています。
以下、城野 宏「能力開発三国志」からの抜粋です。
西洋で代表される剣道はフェンシング。中国の武道の代表は少林寺剣法。何れもチャンチャカ、 チャッチャと、なかなか勝負がつかない。チャンチャカやっているうちに、どちらかが疲れてきて、 形が崩れて倒されるのである。 西洋や中国の武道は、日本とは違い「形」の武道である。「こうやって、 こう受けて、こうかわす」と形で覚える。そして戦うときは、その幾つもある形を使い分けて、 形通りに立ち向かっていき、形通りに攻撃をかわし、チャンチャカやるのである。 日本を代表する武道は、「柳生石舟斎・新陰流の居合い抜き」「北辰一刀流の抜刀術」「塚原朴伝」。 何れも相手を一撃で倒す武道である。日本の剣道は、「相手が面に来たら、それをかわして一撃で胴を打つ」 といった、一撃で倒すのが形である。日本人にしかない感覚なのです。 |
ジャッキーチェーンの名作「ドラック・モンキー酔拳」などは、まさに中国武道の「形」を観客に見せて楽しませている。
チャンチャカやっているうちに、どちらかが疲れてきて、形が崩れて倒されるのである。
一方、日本の時代劇に出てくる「殺陣シーン」でチャンチャカやっているのは、観客を楽しませ、 面白くするための演出と見ればいいのでしょう…。
【吉村外喜雄のなんだかんだ 第11号】
~日本人のアイデンティティー~
「ワールドコンベンション(2)」
米国で毎年ノエビア・ワールドコンベンションが開かれます。世界各国で活躍している優績代理店が表彰されます。
売上ランク別に名前が呼ばれ、壇上で表彰されます。
名前を呼ばれて、妻は夫の腕を取り、夫婦添って壇上に向かう。幾段かの段を上がるとき、夫が先に上がって妻に手を差し伸べ、
表彰が終わって段を降りるとき、夫が先に降りて、また手を取ります。そういったなにげないしぐさの中に、
男女の接し方における、日本と欧米諸国の文化の違いを感じるのです。
社長から祝福の言葉があり、トロフィーと記念品が授与されます。そして、仲良
く記念写真に納まるのです。
ここから日本では絶対見られない光景になります。壇上で表彰される妻と一緒に並んでいた夫は、妻の栄誉を讃え、
人目もはばからず抱擁し、抱きしめるのです。
見ている私たちも、その微笑ましい夫婦愛に、ひときわ大きな拍手を送り、何ともいえない幸福感を共有するのです。
日本から参加した優績販社も同時に、何人か表彰されました。五十代の、ご夫婦で販社を経営している方の名前が呼ばれました。
名前を呼ばれるや、ご主人は一人先にツカツカと壇上に向かい、後ろを振り向いて、奥さんに「何してる、早よ来んか」
といった視線を送って、壇上に上がってしまいました。
型どおり表彰が終わると、その社長さんは、奥さんにはお構いなくツカツカと段を降り、自分の席へ戻ってしまいました。
その一瞬、日本人であることに、なんだかすごく恥ずかしい思いをしたことを、今も忘れません。
先に表彰され、抱擁するアメリカのご夫婦の姿を目にして、本能的な恥ずかしさに襲われ、
思わずそんな行動を取ってしまったのでしょうか?
尚、日頃は大変な愛妻家であることを、本人の名誉のために弁解しておきます。
先週の日曜日、滋賀県湖東三山の「西明寺」と「金剛輪寺」へ、今年最後の紅葉狩に行きました。明日から十二月というのに、今が満開。
真っ赤に色づいた紅葉に、黄色の紅葉が重なり、緑の山々と彩りをなして、うっとりと見とれる美しさでした。
さて、話は変わりますが、以前、日本人異質論がマスコミで話題なになったことがあります。
何故日本人は諸外国の人たちから見たら異質な民族なのでしょうか? 日本の常識が世界に通用しないとしたら、何が原因なのでしょうか?
今日から何回かに分けて、私なりの気づきや視点で、問題を見つめていきます。
【吉村外喜雄のなんだかんだ 第9号】
~日本人のアイデンティティー~
「ワールドコンベンション」
海外へ頻繁に出かけるようになると、国民性の違いが目につくようになります。
ノエビアUSAは、毎年一回全米の優績代理店を招待して、ワールド・コンベンションを開催しています。
私も何度か招待を受け参加しました。
日本と同様、全米各州の優績代理店が一堂に会して、表彰式と懇親パーティーが開かれるます。ところが、
日本とは雰囲気がまったく違うのです。パーティ会場は、美しくドレスアップした女性や、
蝶ネクタイにタキシード姿のカップルであふれかえっています。
白人に加え、日系・韓国・中国系などの東洋人、メキシコ・中南米系のアメリカ人と、国際色豊かな一種独特の雰囲気です。
とっても明るくて開けっぴろげです。
そして、日本とまったく違うのは、アメリカの白人の招待者は何れも、夫婦同伴で参加していて、
楽しそうに会場に溶け込んでいることです。
代理店所長は奥様です。同伴のご主人は、何れも仕事を持っていて、忙しいはずです。
日本の大会では、奥様の日頃の努力が実り、晴れがましく壇上で表彰されることになっても、そのためにご主人が会社を休んで、
女性が集まるパーティに参加するなどということは、滅多にないのです。
たとえ、ご主人を招待したとしても、「そんな女ばかり集まるところへ、かっこ悪くて…」と、
にべもなく断られてしまいそうです。
一緒に参加してみたい気持ちは、十分あると思うのですが、「会社にどう言って休みを取ろうか?」
「妻にくっついて出かけていくのはみっともない」と、尻込みしてしまうのです。
米国では、ご主人が仕事に没頭して、奥さんをほったらかしにしたら、離婚されてしまいます。ですから、
何事も夫婦一緒に行動するのが当たり前。お食事やホームパーティなど、日常夫婦一組で集うことが多いのです。
国家を代表する政治家が、外国を訪問するとき、必ず夫婦同伴なのもうなずけます。
しかし、一昔前の日本には、そんな習慣などありませんでした。我々日本人は、ご主人の催し事に奥様が、
奥様の集まりにご主人が、何れも夫婦同伴で出席することには、まだまだ抵抗があるです。