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心と体の健康情報



2011年10月11日

目を見て”ダメ!”しっかりと

■小学校低学年の子どもに身に付けさせたい「四つの力」

 

(1)「生きる力…しつけ」
    「命・絆・心・夢」に関する四つ
    それぞれ、正しい生活習慣を身につけさせる

 

(2)「学ぶ力」
    ・漢字を読む力     ・本を読む力     ・モノを数える力

 

(3)「考える力…創造する力」
    ・作文能力     ・モノを描く能力     ・話す能力

 

(4)「人と交わる力」
    ・集団の中で遊ぶ力(挨拶、かたづけ、協調、援助)



905 【心と体の健康情報】
~子育て~
「目を見て”ダメ!”しっかりと」

 

私の娘は夫婦共働きで、二人の子供がいる…長女は小1で、長男は幼稚園。
週に数回、娘が仕事で手が離せないときは、孫の送迎を引き受け、孫を預かり、遊ばせている。

 

今日は、若いお母さんの「レッスン日」…会社の一画に臨時の遊び場を作り、幼児を預かる。子連れのお母さんが実習室にいる間、子どもを預かり、遊ばせるのです。

 

しばらくして、年長の子が、年下の子が持っている玩具を取って、泣かせてしまった。
お姉さんが駆け寄って、「○○ちゃん、よその子のおもちゃ、取っちゃダメ!」と叱るが…知らんプリ。
いたずらを叱っても、言うことを聞かない○○ちゃん。

 

そこでお姉さん…○○ちゃんを抱きかかえて立たせ、子どもと向き合ってしゃがみ、同じ目線で○○ちゃんの目をしっかり見ながら…「○○ちゃんダメよ! お友だちが遊べなくなって困るでしょ!」と言って聞かせる。
すると○○ちゃん…ビックリした様子で、お姉さんの顔を見つめ、無表情になった…「なんで叱られるの…わからないよ~」といった反応をしている。

 

○○ちゃんは、日頃からよくいたずらをする。○○ちゃんの母親は、度を過ぎたいたずらをしたとき、一応注意はするものの、きちんと対応して、叱ることをしなかった。

 

お母さんは、叱るとき大きな声を出すが…いつものこと…その声は、○○ちゃんの頭の上を通り過ぎていってしまう。

 

■幼い子どもを注意するとき
  悪いことをしたその瞬間、しっかり目を見て、
  「お母さんは怒っているよ!」と、幼い子に伝わるように、
  怖い顔をして、言って聞かさなければなりません。
  後になって、「あの時…」と注意しても、
  子どもには何のことやら、チンプンカンプン。
  大人の中途半端な対応は、子どもを混乱させるだけです。
  ※犬を躾ける時も同じです。

 

■人に対する配慮ができない子ども
  子どもに、やって良いことと悪いことを、
  きちんと教えようとしない親が多い。
  何をやっても我が子が可愛くて、
  人と仲良く交わることの大切さを教えない。

 

  ファミレスで、大声を上げて走り回る子に、
  誰かが注意すると、我が子を抱き寄せ、 
  注意した人をにらみ返す親がいたりする…。

 

  公の場で、子どもが他人に迷惑になるような行為を
  しても、気にならない親が多すぎます。

 

乱暴で我がままな子どもは、友だちから相手にされなくなる。
その子の親は、「我が子が仲間はずれにされている」事実だけに目を奪われ、神経を尖らせる。
幼稚園の先生は、「そうした親に、どのように話をし、説明すれば、その原因に気づいてもらえるか」…思い悩むのです。

 

金沢大学院教授 きむら・るみこ「子どもって/しつけ」より

2011年10月03日

教え魔

■良薬口に苦し

 

れう薬 口ににがし。忠言は耳に逆う
「よく効く薬ほど 飲むときは苦い…
                      人の忠告は 耳ざわりなものだ」
孔子の言動を集めた、中国の「孔子家語」という古典にある
ことばです。
人への忠告も、耳ざわりのいいものでは、効果がない。
それこそ体を張った忠告でなければ、何の役にも立たない。
しかし、それには相手を見きわめる必要がある。
それで怒ってしまうような相手だったら、忠告などしない方がいい。

 

このことわざの中心は、”忠言”の方にある。薬の味をどうこう
言ってみても、仕方あるまい。薬の味を引き合いに出すことで、
「耳ざわりな忠告こそ、聞きなさい」と言っているのです。

 

会議での小数意見は耳ざわりだが、強硬に自己主張して
孤立するのを恐れ、多数意見に相づちを打つ、「長いものに
巻かれろ」的人間が多いだけに、少数意見であっても耳を傾け、
良いか悪いかの判断材料にすべきでしょう。

 

「理念と経営/江戸いろは歌留多」

 

 

903 【心と体の健康】

~幸せな人生~ 「教え魔」

 

ゴルフ練習場でクラブを振っていると、近くで練習している顔見知り…欠点が目に付き、つい教えたくなるのでしょう…後ろにやってきて、「もっと脇を締めて…ヒジが抜けている」「右肩が下がっている…肩の力を抜いて」などとアドバイスをしに来る。

 

言われた通りやってみると…なるほど「いい!」…教える方も熱が入ってくる…そんな親切な教え魔が4~5人、入れ替わりやって来る。
最初の頃は有難かった…言われた通り練習すれば、上達すると思った。

 

ある人は「足を広めに開いて、下半身をどっしり構え、スイングの時頭を動かさない」
又、ある人は「スタンス巾をもっと狭くして…そう、腰の回転が良くなるから…頭が動いても気にしない」

 

皆、言うことが違う…言われた通り練習していたら…何が正しくて、何が良くないのか?…わけが分からなくなってくる。
習ったことを間違って解釈し、練習する私にも問題がある…練習するほどに”変な癖”が付いてくる…修正するのに苦労することになる。

 

間違った練習をいくらやっても、うまくはならない…スイングを理解したつもりでいても、正しいスイング理論を知らずに、ワンポインの手直しばかりでは、上手くならない。
昨年「習う人を一人に絞ったらいい」と言われ、Yさんの指導を受けることにした。

 

スポーツでも仕事でも、経験豊かな先輩…未熟な後輩の欠点が気になり、ついアドバイスをしてしまう。
あれこれ親切に教えても、それは教える人の長年の経験の積み重ねによるものであって、経験の浅い未熟者がやってもうまくいく訳がない。折角のアドバイスが無意味になってしまう。

 

教わる側の能力レベルを考えない、指導やアドバイスは困りものです。
教える人は、相手の習熟度を考慮し、「なるほど、こうすればいいのか」と、教わる人自らが理解し、納得できるまで、指導を焦らないことです。教え過ぎにならないように・・


2011年09月27日

大乗仏教の教え(6)

■「色即是空」
人は、物や対象をあれこれイメージして、”色”を付けて見ている。
般若心経では、物は”空”であって、確固不変ではない。
物は人によって違って見えるし、違って見えるから、人によって違った
表現がなされるのです。
ニワトリの鳴き声…私たち日本人は「コケコッコー」と鳴くと誰もが思っている。
実際、そのように聞こえる。
ところが、イギリス人やアメリカ人が聞くと、「コッカドゥドルドゥー」になる。
ドイツ人は「キケリキ」、フランス人は「ココリコ」、インド人には「ククルククー」
と聞こえる。
世界中、ニワトリの泣き声は同じはず。ところが、国によって違って聞こえる
のです。どの国も、ニワトリの鳴き声は一つ…確固不変と思っている。
 
次に”太陽”を例に挙げると、日本人は太陽を描くとき赤く塗ります。
アメリカの子どもは黄色く塗ります。日本の子どもは、アメリカの子どもが
描いた太陽を、月と思ってしまう。アメリカやフランスでは、月の色は”白”
が普通です。
                                    ひろさちやの般若心経「22~23講」
 
 
901 【心と体の健康】
~般若心経~ 「大乗仏教の教え(6)」
 
般若心経の「空」なるものを、更に掘り下げてみることにします。
般若心経の「空」は、人によって見え方が違ってくる。
人は「空」なるものに”認識波”を送って、その跳ね返ってきたものを見ています。
 
認識波には個人差があるのです。
心のやさしい人が発する認識波はやさしいので、モノ事がやさしく見えます。冷たい人の心は、冷たい認識波を発するので、モノ事が冷たく見えます。
 
こちらがびくびくした認識波を送れば、”幽霊”が見えてきます。「幽霊なんていない、見えるはずがない」と言う人がいますが、見えている人には見えているし、見えない人には見えないのです。
 
一人が妄想にとらわれて、幽霊を見たと言えば、周りの人もその妄想にとらわれて、恐れおののく。何もないのに、何人もの人が見たと言えば、見えなくても幽霊存在を信じてしまうのです。
 
アンデルセンの「裸の王様」では、家来や見物する大衆には、「空」なるものが、王様の豪華な礼服に見えるのです…これが般若心経に言う「空不異色」です。みんなが「見える、見える」という…こちらからそういう認識波を送るから、見えてあたりまえなのです。
 
「霊のタタリがある」と信じきっている人は、そういう認識波を送っているから、霊のタタリが見えるのです。霊のタタリから逃れたければ、自分の認識波を変えるしかない…霊そのものを無くそうとしてもダメです。
霊に限らず一切のモノ事は、もともと「空」なのです。
 
ひろさちやの般若心経「第20~21講」



2011年09月16日

大乗仏教の教え(5)

■天 寿
来月私は、七十歳の古希を迎える。古希とは、 七十歳まで生きるのは、
「古来、稀(まれ)なり」というところからきている。
 
松下幸之助は、九十四歳で亡くなられたが、常々「百二十歳まで生きたい」
と言っておられた。言いはじめは八十を過ぎてから…
当時の国家主席”鄧小平”の招聘で中国へ行ってからです。
 
幸之助は鄧氏との会食で、「八十を過ぎて、自分は長生きし過ぎたようだ」
と話したところ、鄧氏が「いや、中国には天寿 (天からいただいた寿命)
は百六十歳という言い伝えがあります。八十歳は丁度折り返し点!
まだまだですよ」
幸之助は、これが嬉しかったようで、日本に戻ると、
「自分は百二十歳まで生きる」と言い始めたのです。
 
若い頃から病弱だった幸之助。いつも言っていたのは、
「僕は病気から逃げたことなかったで…病気と仲よく付きあってたんや。
病気を恐れとったらあかん…病気は恐れて逃げとったら、あとから追い
かけてくる。病気と親しくなれば、病気のほうから卒業証書をくれるもんや」
 
                                    「木野親之の経営問答」より
 
 
899 【心と体の健康】
~般若心経~ 「大乗仏教の教え(5)」
 
大乗仏教の基本教理は”空”… 「物を実体視するな。差別するな。よしんば差別をしても、その差別にこだわるな!」 と説く
 
私たちは日頃様々なモノを比較して、そのことに”こだわり”生きている。 ある者は、人より自分は「貧しい」と思い込み、 「不幸だ不幸だ」と嘆いている
般若心経の教えでは、「豊かさ」も「貧しさ」も”空”である。
「自分は貧しい」「自分は豊かだ」と思うのは、 何かと比較して実体視することからくる”こだわり”なのです。
 
「荘子」にも、大乗仏教の言う”空” によく似た教えがあります。
『荘子が山中で、枝や葉が生い茂った大木を見た。弟子のきこりが、 その木の前で足を止めても、伐採を命ずることなく、通り過ぎてしまった。
木こりが理由を尋ねると、「あの大木は、節や曲がった枝が多く、 材木には向かない…脳なしの役立たずだ」と答えた。
 
その夜宿の主人は、鵞(が)鳥を殺してもてなそうとした。
召使が主人に尋ねた。「一羽よく鳴くが、 もう一羽は鳴かない。どちらを殺したものでしょう…」
主人は「鳴かないほうを殺せ」と命じた。
 
次の日、弟子が荘子に尋ねた。
「山中の大木は、能無しの役立たずのお陰で、伐られずに済んだが、 鵞鳥は能無しのために殺されてしまった。先生は、有能無能のどちらがよいとお考えですか」
 
荘子は答えた「わしは有能でもない、無能でもない…その中間だ。しかし世間では、 有能か無能かで悩んでしまい、わずらわしさから抜け出せないでいる。
人間の営みを見てごらん…会えば別れ、完成すれば破壊し、角突き合っては傷つき、 高貴の身分になると害に遭遇し、賢者は謀略にかかり、愚者はだまされる。
無能な大木…鳴かない鵞鳥と…違ったものを比較しようとするのが、そもそも間違いなのだ』
 
イエス・キリストは、弟子たちが「誰が偉いのか?」と言い合っていたとき、 黙ってペトロ足を洗い始めた。
そうしたイエスの行為…人の足を洗うのは、 当時は身分の卑しい奴隷仕事でした。あえて自分を、弟子よりも下の愚人になって、偉いの・ 偉くないのと、優劣をつけようとする弟子たちの愚かさを、身をもって示したです。
                              「理念と経営8月号/荘子に学ぶ」
 

2011年08月12日

死生観

■お 盆
 
お盆のことを「盂蘭盆(うらぼん)」といいます。
梵語の”ウランバナ”を音写したもので、日本語に訳すと、「倒懸(とうけん)」
(木に逆さに吊るされたような苦しみ)になります。
 
お盆の行事は、釈尊の弟子"目連尊者"の故事に由来します。
『神通力第一と呼ばれた目連尊者は、亡き母を案じて、母の姿を探し求め
ますが、母は餓鬼の世界に落ちて、苦しんでいました。
 
目連は悲しみ、何とかして母を助けたいと、食物を母のもとへ運びます。
ところが、母のもとに届く前に、すべて地獄の炎に変わってしまいます。
どうすることもできず、思い悩んだ目連は、釈尊のもとを尋ね、救いを請い
ます。
「安居(あんご)の最後の日に、三世の諸仏方に百味の飲食を供えなさい」
と教えられた目連…その功徳によって、母は餓鬼道から救われます 』
 
この故事から、お盆に先祖を追憶し、孝養を尽くし、供養する行事として、
今に伝えられているのです。
 
 
889 [心と体の健康情報] 
「死生観」
 
人は死を迎えた後、どうなるのだろう?
宗教の世界では、死後への問い「死生観」には、様々な答えを提示している。 核心に問えば、「死後の世界があるのか?ないのか?」、そして、それを 「信じるのかどうか」いうことになる。
 
「死後、肉体は失われるが、 その人の霊魂は目に見えない世界で存続し続ける」…仏教の教えである。
 
金沢には、お盆に墓参りする時、 紙を張った四角い箱に薄板の屋根を乗せた「きりこ」を墓前に吊るし、 ロウソクを灯す習慣がある。また、百万石りの賛行事として、浅野川で 「灯篭流し」が行われている
 
これらは、「迎え火」をたいて、他界から帰ってきた死者の魂を迎え入れる目印に、 行なわれる行事です…死者が住む他界は、 この世で焚かれる火が見えるくらい、近いあるということになる。
 
我が家は「浄土真宗」です。葬儀や四十九日の法要で、 お坊さんがお経をあげ後に、 参列者に「白骨の御文(おふみ)」が拝読される…蓮如が、 切々と門徒に聞かもので、
5帳80通の文章のあらましは、以下のような内容になる。
 
『人生ははかなく幻のようなもの…死はいつ襲ってくるかわからない。 自分の死は遠い先だろうなどと、 油断してはいけない。 顔や身体が若々しく、それが自慢のあなたでも、 いつ死を迎え、白骨の身となるやしれぬ。
極楽往生のための信心をして、阿弥のもとに行くのか、 地獄に堕ちるのか…その分かれ目が、 もうすぐそこまで来ているのです』
 
仏教だけでなく、キリスト教もイスラム教も、世界の様々な宗教で「来世信仰」 が根強く生きている。
信者の中には、「天国があるとは思っていない」人がいたり、 「極楽浄の有無は、 一人一人の心の中にある」とする人がいたり…様々です。
 
「死んだら何もない…灰になるだけ」とか、「死によってすべてが終わる」 と考える人が大多数です
信心する人は、「死んで神のみもとに行く」 とか、「永遠の平安、 仏の境地に行く」と、安らぎを宗教に求めて祈る
 
日本では「来世」を信じる人は少数派…2004年の世論調査では、「来世が存在する」 と答えた人は、16%にすぎない。
仏教の「輪廻転生」…日本人には、抵抗なく受け入れられる教えです。
                                     しまぞの・ すすむ「現代日本人の死生観」
 
死線をさまよって、今まさに三途の川を渡ろうとしていたら、呼び戻す声にハッと我に返り、 引き返して九死に一生を得た人に、「三途の川の向こうはどんなだった?」 と尋ねると、 「一面お花畑が続いていて、とても美しかった」「渡って行く向こうで、父や母が手招きしていた…」 と、誰もが似たような話をする。
 
私の従兄が内灘の海水浴場で溺れ、意識不明のまま病院に担ぎ込まれた。 目が覚めたのは病棟のベッドの上…その時家族に、同様の臨死体験を語っている。

2011年08月05日

リンゴ自然栽培農園の奇跡

■自然農法
 
除草剤・殺虫剤など、農作物に被害を与える生物を防いだり・取り除いたり
するために、薬剤を使わないで栽培することを「無農薬栽培」といいます。
 
そのためには、農薬を使わなくても元気に育つ作物、つまり自然界に淘汰
されない、自然界と調和した野菜を創らなければなりません。
 
更に、野菜や果物を栽培する時、農薬に依存しないだけでなく、科学肥料を
与えなくても育つ、自然の仕組みの中から生まれた「有機栽培」という、
自然のことわりに沿った農法でなければなりません。
 
 
887 【心と体の健康情報】
「リンゴ自然栽培農園の奇跡」
 
青森県でリンゴ栽培農家を営む”木村秋則”さん…一昨年、「NHKプロフェッショナル・仕事の流儀」 を見て、リンゴ栽培への想像を絶する闘魂と歳月に、感動したのです。
 
自然栽培でリンゴ作り始めて、もう22年… 木村さんが農薬も肥料も使わない栽培を確立するまでには、 長く壮絶な格闘の年月があった。
かって、農薬で皮膚がかぶれたことがあり、 それを境に農薬を使わない栽培に挑戦し始めた。始めてから七年間は、 全くリンゴが実らなかった。
農薬も肥料も使わない栽培を確立するまで、 いつとも知れない絶望的な戦い明け暮れたのです
 
肥料をやることで”甘やかされた”リンゴの木…甘やかされた環境から脱するのに、 7年の歳月を要した。
丁度、麻薬中毒患者が、毒が抜けるまでの禁断症状に似ている。
その間、収入が絶たれた木村さん…キャバレーの呼び込みや、 出稼ぎで何とか食いつないだ。
極貧の生活が続き、絶望感に襲われた木村さん…死を決意して、ロープを片死に場所を求めて、岩木山をさまよったのです。
そこでふと目にしたドングリの木…「なぜ山の木は害虫や病気に強いのだろう?」
疑問に思い、根元の土を掘り返すと、手で掘れるほど柔らかい… このような土再現すれば、 リンゴが実るのでは?
栽培のヒントをつかんだのです。
 
8年目の春、木村さんの畑に奇跡が起こった。畑一面を覆い尽くすリンゴの花… それは豊かな実りを約束する花だった。
涙が溢れ出て、止まらなかった。
 
木村さんの畑では、あえて雑草を伸び放題にしている。
畑をできるだけ自然の状態に近づけることで、 そこに豊かな生態系が生まれる。
害虫が増えれば、害虫を食べる益虫も繁殖する…結果、 害虫の被害は大きくならない。
無農薬栽培は、葉の表面に様々な菌が生息するようになり、病気の発生が抑えられるのです。
 
木村さんがやることは、人工的にリンゴを育てるのではなく、 リンゴが本来持っている”生命力”を引き出し、育ちやすい環境を整えていくことにある。
害虫の卵が増えすぎたと見れば、手で取り除き、 病気のまん延を防ぐために、酢を手作業で散布する…大型機械での散布は、土を踏み固め、リンゴの根の成長を妨てしまう。
 
すべては、徹底した自然観察から生まれてくる。
「私の栽培は”目”が農薬であり、肥料なんです」…これが木村さんの流儀です。
 
私たちの子育ても同様…何でも、欲しがるものを買い与え、 親が手を貸してしまう過保護は、子どもに工夫させることを妨げ、ひ弱で手のかかる子供になってしまう。
成人して後、人生の荒波に押し流されてしまう打たれ弱い人間になってしまう。
 
木村さんの自然農法は、人間が本来持っている「自然治癒力」 で病気を治すことや、 子育てのあり方に、相通じるもがあるのです。

2011年07月29日

般若心経 「大乗仏教の教え(4)裸の王様」

■ 「色不異空 空不異色 色即是空 空即是色
 (しきふいくう くうふいしき しきそくぜくう くうそくぜしき)
 
「色は空(くう)に異ならず 空は色に異ならず 色は即ちこれ空なり 
  空は即ちこれ色なり」

「色」とは…壊れることを前提にこの世に存在し、起こるべきすべての
物質的現象いう。
「空」とは…見るもの、感じるもの、想うもの、 更には知ったり判断したり
するすべてのものには、実体がない…それを”空” という。
 
「実体」とは、永遠に変わらない本質的・根源的なもを言い、すべての
存在実体なく、実体がないのが、すべての存在の本質になる。
 
つまり、世の中に存在するすべてのものは変化していく。
変わらないものはないのだから、ものごとを”こだわり”をもって見て
ならない…般若心経の教え、基本理念です。
 
喜びも悲しみも苦しみもすべて、一人ひとり受け止め方も、感じ方も
違う…モノサシなどなく、実体がない。たえず変わっていくものだから、
そのことに捕らわれずに、生きていくことです。
 
 
885 【心と体の健康】
~般若心経~
「大乗仏教の教え(4)裸の王様」
 
般若心経第7節に、「色不異空 空不異色 色即是空 空即是色」がある。
アンデルセンの童話「裸の王様」は、般若心経の”空” を理解するのにピッタリの物語です
とりわけ「空不異色」の意味をうまく説明している。
 
王様の豪華な服が”見える”…とみんなが言えば、服が見えるような” 幻覚”陥ります。
この童話でアンデルセンは「誰も見えなかった」 と言っているが、仏教の教え般若心経では…その服を”空” ととらまえ…ありありと見えるのです
『おしゃれをすることが大好きな王様の元に、 二人の詐欺師が布織職人という触れ込みでやって来た。
詐欺師「王様…私共は馬鹿や身分の低い者には見えない、不思議な布地を織ることができます」… 王様は大喜びで注文した。
機を織っている出来栄えを見に行ったところ、目の前にあるはずの布地が、 王様には見えない…
王様はうろたえるが、家来たちの手前、本当のことは言えず、見えもしない布地を褒めちぎった。
 
家来もまた、自分には見えないものの、そうとは言い出せず…褒めちぎった。
王様は、見えない衣装を身にまとい、パレードに臨んで、国民に手を振った。 見物人もまた、馬鹿と言われたくないので、王様の衣装を誉めそやした。
 
と…見物していた子どもが、「王様は裸だよ!」と叫んだ。
すると、次々と「王様は裸だ」との声が聞こえてくる。
「馬鹿や身分の低い者には、見えるはずがない」 と信じきっている王様…パレードを続けた』
 
「あの人は、まるで”裸の王様”だ…」と言うことがある。
少し前になるが、過去の事例では、芸能界では暴言事件の”島田真助”、 著作権詐欺事件の”小室哲也”などが思い起こされる…
北海道・ミートホープ牛肉偽装事件…同社の常務が、社長の詐欺まがいの為に堪りかねて、かん言したが改めず、思い余って保健所役所に内部告発した… が、取り合ってもらえない。新聞社に持ち込んでようやくニュースになり、 世間に知られるようになった。
ミートホープ社を知る管轄の役所も、従業員も、みんな裸の王様になっていた
 
一代で成功した経営者にありがちな「ワンマン、傲慢」…
彼らにはそれなり自信と自負、思い込みがあって、 「自分は優れている」「自分が今やっていることはしい」信じて疑わない。
誰にも弱点はある…イエスマンに囲まれ、 弱点を指摘する部下がいないと…暴走して、世間を騒がせる事件に発展してしまう。苦労して手に入れた、地位や名誉、 財産ガラガラれていく…”裸の王様” である。
 
どうにもならなくなってから、涙を流し、反省しても手遅れ…
周りヨイショれ、”裸の王様” になっていることに、早く気づかなければならない。
                            ひろさちやの般若心経「第21講」
 

2011年07月22日

般若心経~ 「大乗仏教の教え(3)」

■ 「正法眼蔵」
曹洞宗開祖、道元禅師が著した「正法眼蔵」
道元禅師が、32歳から54歳までの23年の間に、
弟子や大衆に説示した教えを集めたもので、95巻にまとめられている。
曹洞宗の根本経典であり、日本が生んだ最高の哲学書でもある。
 
[仏 道]
・仏道をならふといふは、自己をならふなり
 
・自己をならふといふは、自己をわするるなり
 
・自己をわするるといふは、万法に證せらるるなり
 
・万法に證せらるるといふは、自己の身心、およぴ
 佗己(たこ)の身心をして、脱落(解脱)せしむるなり
 
「解脱」…一切のしがらみから脱して、心身共にさっぱりした空の境地を言う。
   坐禅三昧の業から「心身脱落」の境地に至り、五欲煩悩が除かれていく。
 
 
883 【心と体の健康】
~般若心経~ 「大乗仏教の教え(3)」
 
大乗仏教の基本教理は”空”… 「物を実体視するな。差別するな。よしんば差別をしても、 その差別にこだわるな!」 と説く
 
私たちは日頃様々なモノを比較し、そのことに”こだわって”生きている。
ある者は、人より自分は「貧しい」と思い込み、「不幸だ不幸だ」 と嘆いている
般若心経の教えでは、「豊かさ」も「貧しさ」も”空”である。
「自分は貧しい」「自分は豊かだ」と思うのは、何かと比較して実体視することによる、こだわりなのです。
 
大乗仏教の”空” を理解するにはもってこいのTVドラマがNHKで放映され、反響を呼んだ…「下流の宴」である(総合PM10時・連続8回)
過去に「国民全て中流意識」の時代があった。その後の徐々に国勢が衰え、右肩下がりに… いつ自分たちが下流に落ちるか…そんな恐怖に囚われるようになった。
 
一流大学に入り、上場企業に就職し、良家の娘を嫁に貰う…
それが息子の幸せの道と、信じて疑わない中流家庭の主婦…そんな家族を取り巻く、 林真理子原作のホームドラマです。
 
国立大卒・高学歴の夫、会社では部長。妻は医者の娘。
「中流の我が家が”下流”になるの? 息子が下流の娘と結婚するなんて、絶対嫌!」
 
それを聞いていた夫…「下流は…あっちなの? あの子の方が今じゃ、息子よりずっと上のところにいるよ… 」とつぶやく。
愛する息子を守るため、中流?を守るため、専業主婦を演じる女優”黒木瞳”の、 身につまされる戦いの日々。
 
このドラマでは、夫と妻、親と子、母親と息子の恋人、金持ちと貧乏人、男と女、都会育ちと田舎育ち、 高学歴と無学歴…
様々な「価値観」のバトルが繰り広げられる。
みんな傷つき、一人勝ちするものは誰もいない「不快」なドラマだが、 見るもの誰にも何かしら思い当たる節があり、切実な気持にさせる物語です。
 
この連続ドラマは、モノにあふれた時代の価値観…培われたこだわりや、 しがらみが崩れつつある現代社会が、背景になっている。
この春、千年に一度という東日本大震災に見舞われたことで、今まで日本人が抱いてきた価値観が、 大きく変わろうとしている…変わらざるを得なくなっている。
勝ち組や拝金、学歴崇拝、出世、働き蜂といった、今までの価値観にはまったく心動かされない、 若い世代が育ちつつあるのです。
                NHKドラマのみどころ「下流の宴」より

2011年07月15日

般若心経 「大乗仏教の教え(2)」

○あなたは、以下の何れに該当すると思いますか?
 
 ・金持ちでも貧乏でもないが 幸福だ  
 ・金持ちでも貧乏でもないが 不幸だ
 
 ・金持ちになって   幸福だ         
 ・金持ちになったが 不幸だ
 
 ・貧乏だが 幸福に暮らしている     
 ・貧乏から抜け出せない不幸を嘆いている
 
 
881 【心と体の健康情報】
~般若心経~ 「大乗仏教の教え(2)」
 
前号879で紹介した、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」を読んで、「大乗仏教とは何か?」 ほんの少し分かったような気がした
 
地獄から天国につながる蜘蛛の糸は、細くて今にも切れそう…
本当は何人ぶら下がっても切れることはない。  カンダタには、それが分からなかった…細くて頼りない糸に見えたからです。
 
私たちの心が小さいと、糸は細く弱々しく見えます。
大きな心の持ち主であれば、糸は太く丈夫に見えます…
これが「大乗」の教えです。
 
では、大乗仏教の教えの核心をなすものは何か?
それはです。
「すべて空」というのが、大乗仏教の基本教理になる。
それでは”空”とは何だろう?
一言で言うのは難解だが、”空”というのは 「物を実体視するな…差別するな…よしんば差別をしても、 その差別にこだわるな!」という意味になります。
 
洗面器を三つ用意して、20度、30度、40度、 それぞれに温度の違ったお湯入れます。
最初に左手を20度のお湯に、右手を40度のお湯に浸けます。
それから左右両手を同時に、真ん中の30度のお湯に浸けると、 どうなるでう?
 
20度のお湯に浸けていた左手は”温かい”と感じ、 40度のお湯に浸けてい手は、”ぬるい” と感じるでしょう…30度のお湯は変わらないのに、左手と右手は、 違った感触を持ちます…
これが般若心経が言う”空”なのです。
 
つまり、30度のお湯そのものが”空”なのです。
それを私たちは、「温かい」とか「ぬるい」とか、 勝手に受け止めて、こだわっているのです。
そんなこだわりは捨ててしまいなさい…というのが、般若心経の教えです。
 
しかしながら、私たちは日頃様々なモノを比較して、 そのことにこだわりながら生きています
ある人は、人よりも自分は「貧しい」と思い込み、「不幸だ不幸だ」 と嘆いている
 
般若心経では、「豊かさ」も「貧しさ」も”空”です。
つまり私たちは、「貧しさ」を何かと比べ、実体視して、不幸を嘆いているのです。
 
観自在菩薩(観音さま)は、肉体も精神もすべてが”空”であると照見された。
肉体も精神も、すべてが”空”であることを悟ったとき解脱し、一切の苦しみ・災厄克を克服したのです。
                   ひろさちやの般若心経「第15講」

2011年07月08日

般若心経 「大乗仏教の教え」

■坐禅のこころ             曹洞宗 「坐禅作法」より
 
「禅」とは、インドの古代語「梵語(ぼんご)」の”ゼンナ”を、
当て字で表したものです。
禅を意味するものは、ものごとの真実の姿、あり方を見極めて、
これに正しく対応していくために、心を整えることをいいます。
 
それにはまず、身体を整え、心を静かに落ち着かせます。
好きだ嫌いだ、善いの悪いのと、日頃の雑念に執われていては、
心を整えることはできません。
 
心は一瞬一瞬動いています…その一つひとつを追いかけるのではなく、
我が身をあるがままに任せるようにします。
こうした心の動きに執われないことを、”三昧”とも”無念無想”とも言います。
 
このように、身の回りの事象に執われることなく、”真実”を見極める
ことを解脱という。この解脱を体解(たいげ) するのが禅の真義であり、
その悟りを求めて、日々坐禅修行に励むのです。
 
 
 
879 【心と体の健康情報】
~般若心経~ 「大乗仏教の教え」
 
大乗仏教の経典「般若心経」…正しくは 「摩訶般若波羅蜜多心経」 といいます。
「摩訶不思議」という言葉がある。「摩訶」とは、サンスクリット語で「大きい・ 偉大」いう意味になり、 大乗仏教の頭文字”大”につながる言葉です。
大乗仏教の教えは、芥川龍之介の作品「蜘蛛の糸」を読むと、 僅かだがその意味理解できます
 
『お釈迦さまがある日、極楽の蓮池を覗き込むと、 はるか下の地獄でもがき苦しむ罪人たちの中に、カンダタの姿を見た。
極悪人のカンダタにも、生前たった一度だけ善行があった。
一匹の蜘蛛を踏み殺そうとしたが、思いとどまり、 命を助けてやったのです。
 
そこでお釈迦さまは、極楽の蓮池からくもの糸を一本、カンダタにたらしてやった。
カンダタは喜んでくもの糸をたぐり、極楽に向って登りはじめた
ふと下を見ると、彼の後から大勢の地獄の亡者どもが、 糸をたぐって登ってくるでないか… このままでは、糸は重さに耐えきれず、切れてしまうだろう
 
びっくりしたカンダタ…「これは俺さまのための糸だ!お前たちは、 極楽に登ることならない…降りろ!降りろ!」 とどなった。
その瞬間、蜘蛛の糸はプツリと切れ、カンダタは再び地獄の底に落ちていった』
 
自分一人が助かればいい…人はどうなろうと知ったことではない… それが地獄に住む者の心です。「みんなと一緒に…」という心があって初めて、 極楽が見えてくるのです。
地獄から天国につながる蜘蛛の糸は、細くて今にも切れそう…
本当は何人ぶらがろうと切れることはなかった。カンダタには、それが分からなかった… 細くてない糸に見えたのです。
 
私たちの心が小さいと、糸は細く弱々しく見えます。
大きな心の持ち主であれば、糸は太く丈夫に見えます…
これが「大乗」の教えであり、「大乗」の意味なのです。
 
「般若心経」は短いお経ですが、多くの人を教え導く”大きなお経” ということで、「摩訶」 の語が頭についているのです。
                                 「ひろさちやの般若心経」より

2011年06月28日

ピロリ菌発見

■信 頼
 
焼肉チェーンの「えびす」…”ゆっけ”中毒事件から丸二ヶ月…
市から営業再開の許可がおりず、取引銀行の支援も得られず、
廃業に追い込まれた。
「一皿100円」のキャッチフレーズが当たり、急成長していた矢先の
「まさか」の失態…
「もしかしたら、うちの店で起きていたかも…」
「ユッケ」を提供している、同業焼肉店の偽らざる思いである。
今回の事件は、焼肉業界に一石を投じ、問題を提起することになった。
 
仮に、えびすが営業再開にこぎつけたとしても、顧客の「安かろう・
悪かろう」 「えびすの肉は怖い」 イメージは拭えないだろう。
再開すれば…事件の後だけに、日本一” 安全・安心”のお店になって
いただろう。
しかし、顧客のこだわり、先入観、 偏見を拭い去りるには、何年もかかる。
顧客の信頼を失ってはおしまいだ…雪印乳業や北海道・ミートホープ
偽装事件のように、顧客を裏切った企業に将来はない。                   
 
 
875 【心と体の健康情報】  
「ピロリ菌発見」
 
数年前…定期健診で胃カメラを呑んだ折り、TV画面に映し出された胃壁が、 白く粉をふいたように真っ白になっていた。
胃カメラは毎年欠かさず呑み、胃や腸の検査をしているに… びっくり。
「ピロル菌が繁殖しています…大丈夫!抗生物質を呑めば、 一月くらいでなります…しかし、 このまま放置すると”癌”になります!」と先生
 
ピロリ菌を発見したのは、オーストラリアのバリー・マーシャル博士と、 ロビン ウォーレン博士の二人。二人は2005年に、ノーベル医学賞を受賞した。
ピロリ菌の繁殖が、胃炎や胃かいようの原因になることを、突き止めたのです。
 
この病気になると、胃が荒れて痛くなり、吐いたりする。
ピロル菌が見つかる以前は、胃から胃酸が多く出過ぎるのが原因…と、考えられていた。当時、 胃酸を減らす薬を呑んでも治らず、ひどい場合には手術をしなけれらなかった。
 
1980年代初頭、ウォーレン博士はオーストラリア西部の病院で、 患者の胃から採った組織に変な細菌がいることに気づいた。
「この病気と関係があるのでは」…といっても、当時、 胃酸が細菌を殺すとみらいたので、博士の考えは学会で採用されなかった。
 
医学に失望し、研究をあきらめかけていたとき、ウォーレン博士に出会った… 二人で研究を再開… この細菌を増やす実験を何度試みてもうまくいかない。
たまたま休みが続き、五日間放置しておいたら、細菌が増えていた。 普通の細菌よりもずっと成長の遅い菌だったのです。
 
この細菌に「ヘリコバクター・ピロリ菌」と名付けた。 大きさは1000分の四ミリ らせん状の本体に数本の尾が伸びている。
アルカリ性物質を出して、胃酸から自らを守っている。
 
ここからが有名な話…マーシャル博士は自ら、 胃炎の原因を突き止める実験台なろうと、 ピロリ菌培養液を飲み込んだ。
一週間後、食べたものを吐くなど症状が表れて、 ウォーレン博士の推測が証明されたのです。
 
その後、ピロリ菌を退治する薬が開発され、胃がんとの因果関係も分かってきた。 日本人の七割が、子供の頃からピロリ菌を持っているという。
しかし、発症して気になるのは、 ほんの一部の人だけ…
なぜ、病気になる人少ないのか? ピロル菌が人体に及ぼす仕組みが、まだ十分わかっていないのです。

2011年06月17日

勉強とスポーツ、両立は無理?

■好きな言葉                

焼肉チェーン「えびす」の勘坂康弘社長…今、人生最大の
試練に直面している。 以下は”坂村真民”の詩です。
 
 だまされて善くなり        悪くなってしまっては駄目
 いじめられて強くなり      いじけてしまっては駄目
 踏まれて立ち上がり      倒れてしまっ
ては駄目
 いつも心は燃えていよう 消えてしまっては駄目
 いつも瞳は澄んでいよう にごってしまっては駄目
 
人は困難に出会ったときに、人間としての真価が問われる。
苦労を重ね人間でなければ、人の本当の苦しみや痛みが
分からない。
順風満帆時は、その人の本当の姿は見えてい。
人間の真の価値は、困難に出会った時、初めて試される…。
 
 
873 【心と体の健康情報】
「勉強とスポーツ、両立は無理?」
 
小学校一年の孫娘、週に一度ジャズダンスを習わせている…
同級生にも、我が子を”習い事” に通わせているお母さんが多く、その熱心さには驚かされます。
 
上級生になると、「勉強とスポーツの両立は無理」と塾に通わせて、勉強オンリーのお母さんも少なくない。 その理由は「勉強以外のことに時間を割くのは、学業影響する」 「部活動との両立は、勉強に身が入らなくなる」というが一般
 
スポーツは、大脳・中脳をフルに刺激し、身体の運動能力や反射神経を向上させます。忍耐力や判断力を高め、 環境への対応力が増します。 運動は脳を鍛え、知能の発達を促します。
ストレスを発散させ、 ストレスに負けない健康で強靭な心身を育みます。
 
毎日勉強ばかりでは学習意欲がなえる…部活動ばかりでは学業成績に影響します。 「文武両道」 られた時間を有効かつ集中的に生かし、両立させる… 勉強だけ、 スポーツだでは視野が狭く、 いびつな人間になってしまいます。
 
朝、ウオーキングで薄っすら汗をかくと、 頭がスッキリして爽快な気分になる…脳に血液が回り活性化するのです。
頭の痛い、難しい問題に取り組んでいる時、適度に”有酸素運動”を挟みながら頭を使うと、デスクに座ったままじっと作業しているよりずっと作業効率がアップし、アイデアも涌いてきます。
 
心と体は切り離して考えるものではなく、根底ではつながっていると考えるべきょう。朝雨が降っていたり、 寝起き時などは起き辛いものです。
 
運動すると爽快になり、ストレスが取れることは分かっているが、 滅入っている時や落ち込んでいる時は、運動する気にはならない。
運動が気分にいい影響を与えるのではなく、 健康で気分が良いから運動するのです…運動するから更に気分が良くなるのです。
 
「運動神経が人より劣っている」ことを、運動嫌いの理由にする人がいる。
天才と言われ、オリンピック選手になった人はともかく、 運動神経の有無など関係ありせん…演劇でセリフを覚えるのも、ゴルフが上達するのも、繰り返し熱心に練習すれば、も上達するし、 身に付くのです
 
何事であれ、真剣に取り組む姿勢が大切です。分らなかったら、恥ずかしがらずに、何度で手を挙げ質問する… そのエネルギーは、運動で汗をかく中から育まれるのです。
           (一部、何かからの引用ですが、 思い出せません)

2011年05月12日

禅僧・関 大徹 「心…便所掃除も修行の内」

■つれあいにモノ申す                              中日新聞
 
[産地物にかぎる]
干物が大好きな夫が、産地からアジの干物を30枚もお取り寄せ。
夕食の時「やっぱり産地直送は違う…絶品、うまい!」
私は言えませんでした…
2日前にスーパーで買ったのを、先に焼いたのです。
 
[平坦な坂道が好きな主婦]
三十数年前に、私たち夫婦が挙げた結婚式で、友人が…
「人生には上り坂、下り坂、そしてまさかの坂道がある」 スピーチした。
 私の結婚生活を振り返ってみると、「まさかの坂」ばかり…
 さすがに最近は「とさか」に来ています。
                    
[…っぱなし]
開けっぱなしの戸、脱ぎっぱなしの服、食べっぱなしの食卓、
ほうりっぱなしの妻…さて、この後はどうなる?
 
 
863 【心と体の健康情報】
~禅僧・関 大徹~ 
「心…便所掃除も修行の内」
 
人生の書、禅僧・関 大徹の「食えなんだら食うな」からの抜粋です。
 
どこの禅寺も掃除が行き届いている。もし、 掃除の出来ていない禅寺があるとたら、それは禅寺でも何でもなく、ただの居住空間にすぎない。
禅寺がすがすがしいのは、 坊さんが経を読む以上に当たり前のことであり、何も驚くにはあたらない。
 
それよりも、禅寺を見ていただくなら、もう一つ確かなところを見てほしい。 それは便所である。禅寺の便所は、ただ排便をするという、 人間の生理的欲求に応えるだけでなく、”修行の場所”なのである。言葉はきたないが、禅宗では、糞を垂るのも修行である。
 
便所は、隅から隅まで磨きあげ、小のほうの便器に、 青々とした杉の葉が入れてある。
現在、永平寺の貫主であり、曹洞宗管長でもあった秦慧玉(はたえぎょく) 禅師は、十三歳の年から正眼僧堂で修行をされ、それが身にしみていたらしい。
永平寺へあがって、副貫主になられてからも作務を怠らず、 とりわけ便所掃除は入念にやっておられる。
 
吉峰寺を再興された田中仏心和尚も、永平寺の便所掃除を、 亡くなるまで続けれた。旅に出るときは、 便所掃除用の雑巾を油紙に包み、どこの家、どこの宿泊まっても、夜間こっそり便所掃除をしたという。
仏心和尚にとっては、行く先々みんな修行場所だったのである。
便所掃除をしない禅僧など、禅僧とは言えないのである。
 
吉峰寺で、嫁入り前の娘を預かったことが何度かある。
私が便所掃除をしていのに驚いて、自分もしなければと手伝い始めた。
嫁入りするときに、余計な道具は要らない…雑巾が二枚あればよい。
一枚は普通の、一枚は便所掃除用の…。
 
そうして、陰ながら人様に気持ちよく過ごしていただくために、労を惜しまぬ嫁になれば、これにまさる幸せはあるまい。
一般の人にも同じことを言いたい…特に、社長とか管理職にある人に、 その心構えがほしいのです。

2011年05月06日

禅僧・関 大徹 「おいしくいただく」

■日本人の食生活
 
「ユッケ」0111中毒事件…販売店・卸元だけでなく、厚生省も責任を問われ
る事件に発展している。日本人が馬刺しやユッケを好んで食すようになった
のは二十数年前から…ここに来てようやく、生肉の怖さを知ったのです。
 
日本人の食文化で「肉」は、 七世紀に天武天皇が肉食禁止令を出して以来、
つい最近の四十数年前まで、一千三百余年の長き渡って、 庶民の食卓に
乗る一般的食べものではなかった。
 
その間の穀物主体の食生活が、日本人の腸の長さを、北欧人の倍の長さ
(14メートル)…ずん胴・短足の体形にしていったのです。
江戸時代は、 薬として鹿や猪を食べることもあったが、 明治になって文明
開化が進み、 牛鍋が庶民の間で流行るようになった。
昔から肉を常食しているお隣の韓国…肉料理の種類は豊富で美味しい。
 
農水省によれば、1960年代の一人当たりの肉の消費量は、年間5キログ
ラムだったが、その後の食生活の洋風化により、40年後の2002年には、
28キログラムと”5倍以上”になった。
 
 
861 【心と体の健康情報】
 
~禅僧・関 大徹~「おいしくいただく」
 
人生の書、禅僧・関 大徹の「食えなんだら食うな」から…
 
禅僧の日課、お勤めの後は作務と、まったく休む間もない。
そのわずかな休憩時間も、地べたに寝そべったり、無駄口を叩いたりする者はいない。樹の根っこや石の上に腰をおろし、 端然と坐っている。
 
体の動かぬときは心の動くときである…貴重な時間を一時も無駄にしない。
作務は「動中静の工夫」であり、休憩は「静中動の工夫」 である。
そして毎夜、開枕(就寝)の時間になると「夜坐(夜中の座禅)」に出る。
 
そうした中でいただく三度の食事は、この上なくありがたかった。
麦八分の粥もご飯も、塩辛い味噌汁も、三百六十五日同じ献立でありながら、その都度新鮮でおいしかった…飯がうまいとは、 このことなのである。
おいしい料理とは、材料や調味料や料理人の小手先にあるのではなく、いただく側の受け止め方しだいなのです。
 
禅には「一日為さざれば、一日食わず」という言葉がある。
それをどうであろうか、「一日為してこそ、食うものが食える」と読み変えてはどうか。
大根も人参も、折角いただくからには、せいいっぱいおいしくいただいてやるのが、人間としての勤めであろう。
 
ところで今の日本の食生活は、贅沢極まりない。しかしながら、米や小麦・大豆など、 日本の食卓に乗る食品の自給率は40%にも満たない。
将来世界の人口が増えたとき、穀物や肉・野菜など、今と変わらぬ輸入が可能だろうか?  
諸外国が自国の消費で手いっぱいになり、日本に輸出する余力がなくなったら、 日本はどうするのだろう…今、こんなことを心配している。
 
以下、月刊致知「三農七陶」から…都会を捨て、田舎に移り住んで、 農業を覚えながら暮らしている夫婦の言葉です。
 
都会に住んでいた頃は、お腹が空いたから食べるという感覚しかなく、感謝も何もなかった。
今は自分で畑を耕し、野菜を育て、芋や豆を食べていると、食べるたびに”生命”を感ずる…
地球や大自然に感謝しながら食べる…とても美味しいのです…毎日の食事は粗末ですが、 食材の新鮮さがたまらなく美味しい。
 
町に住む人たちは、お百姓さんのご苦労など知る由もなく、「旨いの、まずいの」 と食べ物を粗末にする。
たらたら文句を言いながらの食事では、どうしても脂っ濃い味の濃い食事になってしまう。
悪感情が消化を妨げ、内臓を疲れさせる。そんなふうだから、折角口に入れても、 味も解らないまま、食事をすることになる。
 
「食べる」ということは、「生きる」ということにつながる、何にも増して神聖な行為なのです。 どんな味付けをして、どんなものを口に入れ、どんな心で、どんな食べ方をするか…その一つひとつがとても大切なのです。
 
テレビを見ていると、ひたすら美味なもの珍味なものを求め、 食べ歩いて視聴者を引きつけようとする番組が多い。
そこに出てくる食べ物は、私達が言う神聖な食べ物ではないのです。

 

2011年04月20日

禅僧・関 大徹 「食事の作法」

■食事と躾け
 
子供の頃、家族揃って食卓を囲み、食事をするのが決まりだった。
父親から「食物に感謝して、黙って食べなさい」と、喧しく注意されたものです。
関大徹の書物を読むまで、何故黙々と黙って食べなければならないのか、
わからなかった…単に「行儀が悪いから」くらいにしか思っていなかった。
 
母親が心を込めて調理し、食卓に並べられた料理…
感謝の心で、「いただきます」と手を合わせ、よく噛んで食べる。
食事が終わったら、「ごちそうさま」と手を合わせ、箸を置く。
 
食事の行儀を知らない子は、人に挨拶が出来ず、履物も揃えられない
一事が万事である。家庭で、親がやらないから…子もやらない。
躾けのない子は、成人してのち恥をかく…結婚しても我が子を躾けられない。
親の親…つまり、私たちの世代が、我が子をしっかり躾けてこなかったからだ。
 
 
859 【心と体の健康情報】
~禅僧・関 大徹~ 「食事の作法」
 
人生の書、禅僧・関 大徹の「食えなんだら食うな」から…
禅宗における食事の作法です。
 
禅宗の食事は、正坐と沈黙の中で行われる。
”ものを食う”という営みに、全身を打ち込むには、まず、 必要最小限度の条件として、正坐と沈黙を守る。
おしゃべりついでに食事をしたり、テレビを見ながら食事をするのは、 せっか事に対して、 申し訳が立たない。
 
遊び半分に食事の支度をするような主婦は、まずいまい。
ましてや禅宗の寺では、 台所方の食事の仕度も、修行の一つであり、それこそ、 全身全霊でやらねばならい。
 
世間一般の料理人なら、巧みに包丁をさばき、 おいしく味付けをして、綺麗に盛付ければいい。それは、 技術にかかわることで済まされる。
 
禅宗の台所方は、技術より先に”心”が問われる。
道元禅師は、「この役に当たったものは『喜心・老心・ 大心』の”三心”でもって当らなければならない」と説いいる。
 
「喜心」とは、自分に与えられた仕事を素直に喜び、 感謝する心である。
「老心」とは”親切心”のことである。本当の親切心とは、 親が子を育てるときうな”無私の心”でなければならない。
「大心」とは、字の通り”大きな心”山のように高く、海のように深い心である。
いかなる材料を与えられても、うろたえてはならない…
臨機応変、たちどころ調理しなければならない。
 
台所方は、かかる”三心”をもって食事を提供する。
たとえ献立は貧しくても、料理の「心」をいただく。
真心をこめて一心不乱につくったものに、 真心で応えていただく。
そして、それに応えるのが本当の会話であり、その会話を豊かにするために”正坐と沈黙”がある。
沈黙の中に”無限に広が会話”を楽しむのである。
 

2011年03月17日

禅僧・関 大徹「貧欲・しんに・愚痴」

■ 心 眼
 
民放TV番組での実話です… 5歳の時事故で失明し、両親の顔も、
色も思い出せないまま、 松葉杖にたよる生活で大人になった。
結婚して、二人の子供に恵まれたある日、 眼科の先生から…
「手術をすれば目が見えるようになります…成功率は50%です。
  但し、失敗したら後遺症が残る恐れがあります」
 
悩んだ末に手術…そして成功…視力は0.1に回復した。
奥さんの顔… 初めて見る二人子供… 空の青さ… 目に入る景色
… すべてが感動日々。
しばらくして、大きな問題に直面した。 30年も暗闇の世界にいて、
物を見て判断する脳細胞機能が、退化していたのです…
見たままを脳が処理出来ず、 ストレスとれが溜まり、
日常生活に支障をきたすようになった。
 
ある日、目をつむって家の中を歩いてみた…
口笛を吹くと、 音の反射で、周りの家具や壁の位置が分かる…
目が見えなかった時、 普通にやってことです。
それからは、視覚を「心眼」 の補助機能にすることで、
快適に出来うになった。
 
 
849 【心と体の健康情報】
禅僧・関 大徹「貧欲・しんに・愚痴」
 
人生の書、禅僧・関 大徹「食えなんだら食うな」から…
 
結婚式で新郎は、「あなたを生涯幸福にします」 と新婦に誓う。
ところが「少し幸福にしてくれないじゃないの…」と、離婚騒ぎになるのは茶飯事。妻が思っていた「幸福」とは、一体何であったのだろう?  そして、夫が誓った「妻を幸福にする」という幻想は、いかなる世界なのか?
 
吉峰寺には、目や耳の不自由な人が時折坐禅に訪れる。
23歳で失明して、 盲学校に通って点字を覚え、 マッサージも覚えて、いま 「修証義」を点訳し、 点字で写を続けている人がいる。
「方丈さん…目がつぶれたときは、人生に絶望しました。
けれども、そのお陰で”技術”を身につけることができ、 結婚もでき、子供も大きくなりました…これに勝る幸せはありません」
 
この人は、家事労働は無論、食事も作る。ボタン付け程度なら、裁縫もやる。 身体の不自由な人は、 健常者の何倍も努力してきた結果… 勘がするどい。
たとえ目が見えなくても、 心眼」 が開いているのです
 
だから五体満足で、肉体の目は開いていても、まるで” ものが見えていないちを、気の毒に思うそうです。
目は見える…しかし、それを自分の内面でとらえる” 心の目”がっているのです。
 
仏教ではそれを「三毒の煩悩」という…「貪欲」 「瞋恚(しんに)」 愚痴」である。
「貧欲」とは、あれが欲しい…もっと欲しい…安楽に暮らしたい… というむさぼり心。
「瞋恚(しんに)」とは、自分は間違っていない…あの人が間違っている… という勝手怒りの心。
「愚痴」は、自分の運命は自分で背負っていかなければならないのに、そのことが周りの責任であるかのように、愚痴る心。
 
人間として、生かされている幸福を確かめられぬ者は、すべて、この曇りによものと心得られるがよい。 しかし、この曇り…自分自身の手で取りよりないのである。

2011年03月10日

死生観を養う(4)

「妖怪・さとり」と千葉周作
 
古来から、日本に語り継がれてきた”妖怪”の一つに「さとり」という鳥がいる。
この「さとり」という妖怪、人の心を見透かす力を持っているのです。
 
ある時、「さとり」を見つけた木こりが、生け捕りにしようとした。
すると「さとり」は、「我を生け捕ろうと思っただろう…」と飛び去った。
次いで木こりは、斧で打ち殺そうとしたが、やはり見透かされてしまった。
 
木こりは、これではどうにもならぬとあきらめ、再び木を切り始めた。
突然、斧の頭が柄から抜けて、飛んでいった…直撃を受けた「さとり」は死んだ。
 
江戸時代の剣客”千葉周作”は、この寓話を例にあげて、言った。
流石のさとりも、無念の斧には打たれし
斧には心がなく…流石の妖怪、見透かす術が効かず…打たれてしまった。
続けて千葉周作…
剣術も、この無想の場に到れば、百戦百勝疑ひなし、
 千辛万苦の労を積み、無想の場に進むべし」          
 
                                             千葉榮一郎扁 「千葉周作遺稿」
 
 
847 【心と体の健康情報】 
「死生観を養う(4)」

人生には、善いこともあれば悪いこともある。 私は思わぬ不幸に遭遇したとき、 この程度で済んで…良かった」と、あるがまま肯定的に受け止め…感謝するのです。
起きてしまったことを、悔やんでみても仕方がない。 それが原因で失うものがても…それに囚われたり… 悔やんだり…くよくよしないことです。
 
以下「致知1月号」、平成13年に芥川賞を受賞した禅僧”玄侑宗久”氏と、 聖心女子大学教授”鈴木秀子”氏の対談から…
 
禅の世界に「知足」(足るを知る)という言葉がある。
「自分の身に起こることはすべて偶然ではなくて、 起きることすべてに…意味がある」 と考える。
私が日本人に生まれたのも、男子に生まれたのも、突然病気になったりするのも、すべて何か意味があることなのです… 意味があって起きたのであれば、起きたことに過不足を思うことはないのです。
 
「生まれたときはみな裸、死ぬ時もまた裸…棺桶は縦6尺、横2尺… 何一つあの世に持っては行けない…何を不足に思うことがあろうか」

禅の世界では…例えば、何かの角に頭をぶつけたとする。
「痛い!」と言わずに、「風流だね」って言う… 痛いからって自分に腹を立てたり、人に文句を言っても仕方がない…逆に人から 「ボヤッとしているからだ」なんて言われると、余計に腹が立ち、 痛みが増す。

ぶつかってしまった以上、 痛みをなるべく速やかになくす言葉を吐くようにする… それが「風流だね」になる。日常起きる様々な出来事、 バカバカしいこと、楽しいこと、悲しいこと… 「それが人生」と達観して、 何があっても 「今が最高!」と思うことです。

今日は今日でしかない…「今ここに」 なのです。今日が最高なんだと、今この瞬間喜び、生かされている命のありがたさを実感できれば、すべてに感謝すようになる…何があっても、 素直に受けとめることができるようになる。
  
故に「人生にはピークがあって、年とともに衰えていく」 という考え方をしない…「今を最高に生きるなら、明日はもっと高まっていく」 というふうに考える。
「生きている限り、 高め続ける 思いで、明日に向って生きていく。
  - * - * - *  - * - * - 
私は今年70歳…「今、 70年間待ちに待った最高のときがやってきた」 と考え
人生、何が起きるかわからない…目の前に立ちふさがる難問・ 悩みは、何れも、 解決できることばかり… 解決できない問題に悩まされることはない…と考える。
某セミナーで学んだことです。
 
平凡で、何の取り得もない私が、 「東京都知事に立候補してほしい」と懇願されて悩むことなど、 あり得ないことす。
 
目の前に表れる良いことも悪いことも、すべて自分にとって”必用なこと”であり、人生を生きるための” 必然”である…と考えるなら、悩んだり悔やんだりすることにも、意味あることになる。
 
癌の病を克服した人が、「ガンは素晴らしい贈り物だった」と言う。ガンになって、 「生きる喜びを知り…家族の有りがたさに感謝し…身体につい実に多くのことを学んだ… 悪しき食習慣も改善することが出来た…すべてに感謝きられるようになった」 と…

2011年03月03日

死生観を養う(3)

■苦難に遭って                   3/2 職場の教養
 
兵庫県の西宮神社では、毎年一月に「開門神事福男選び」の神事が行な
われる。十年ほど前の神事のとき、先頭を走りながらも、残り5メートルで
転倒し、後続に抜かれてしまった平尾亮さん…TVで見た記憶がある。
間を置かずに交通事故にも遭い、塞ぎ込んでいた。
 
そんな平尾さんを救ったのが、「えべっさんが命を守ってくれたんやないか」
という友人の一言。以来平尾さんは、毎年神事の時、整理券配布・交通整理、
走者の服装指導などの手伝をするようになった。「福をおすそ分けする男」に
変身したのです。
何事であれ順調な時は、勢いに乗って前に進むことができます。
が、ひとたび何かに躓くと、それまでの勢いが嘘のように止まり、マイナスの
面が表に出てきます…それが分岐点になって、 人生に影響を及ぼす
です。
苦難に遭った時、「何に気づき、何を学ぶか」 で人の真価が
問われる。今は、苦しみの渦中にあっても、『だから良かった』と
言える来ることを、 心に留めておかねばならない。
 
 
845  [心と体の健康情報]
「死生観を養う(3)」
 
私たちは日々、 生きているのが当たり前のように暮らしている。そのられた命…大切にしているだろうか? どのように生きようとしているのか
以下、末期ガンと闘って健康を取り戻した、O医師の体験談…
最終です。
北陸は浄土真宗の盛んな土地柄です。親鸞聖人は「熱心に信心すれば、 皆等しく光輝く極楽浄土へ行ける… 地獄に落ちることはない」と説いている。
 
O医師、余命1年弱と言われ、絶望の淵に立たされた時、「たとえ死んでも浄土に行くことできるなら、 それも悪くない」との思いが救いになった。亡き母や友人、 父母が逝った世界に自分も戻って、一緒にいられる…と思うと安心した。
 
でも、モヤモヤしたものがある。「じゃあ、生きているうちはどうなんだろう? 努力すれば叶うのか…叶わずにこのまま死ぬとしたら、 それは努力が足らないなのか」…あれこれ思いは尽きない。
残された時間はわずか…明るく前向きに生きようと思っても、 気持はなえる。
 
ガンとの闘いの中で、むしろ「人間は淋しく悲しいものだ」 との思いを持つことの大切さを、 S医師が教えてくれた。
死にいく人の顔を見ていると、みんないい顔になる… 今しがた亡くった人とはとても思えない、仏さまのような表情をしている。
 
ある人にその話をしたら、「それは、死ぬ間際に何かを見るんじゃないでしょうか」言うんです…死ぬ間際に何かを見て、ほっとするんじゃないか…と。
 
とすると、やはりそれは”あの世” としか言いようがない…そんな気がするのです 一面お花畑の、美しい”あの世”を見て安心し、心が和むのでしょうか。
 
人は誰しも、長生きしたいと願う…可能なら百歳までも生きたい。
もし願いが叶い、 百歳以上生きることができたとしたら…兄弟・ 我が子・親戚みな、 先に逝まい、 友人も知人も他界していない… 一人取り残され、 寂しさだけが残る。
 
どこか適当な年齢で区切りよく死んだ方が、 本人も・周りもせだし、楽でないろうか。
死後の世界の有無は別にして、”死” というものを考えて生きることは、良いことに思えてくるのです…とO医師。
 
自分が今生きているのは…十代先祖を遡れば、およそ千人の遺伝子が…二十代遡ると、何と百万人もの遺伝子が、今の私の身体とつながってくる… 生かされていることに気づくのです。
 
この命、自分一人のものではない。 先祖に支えられた我が命なのす。
ガンの病にならなかったら…死を覚悟することがなかったら…
そのこ気づず、自分一人の狭い了見で、苦悩しているであろう…愚かさ。 病を得たことに感謝ればない。

2011年02月24日

死生観を養う(2)

■一千回の登頂
 
静岡県のアマチュア登山家・実川欣伸さん…昨年67歳の時に、
富士山登頂1千回を達成した…足かけ26年の記録です。
実川さんは大学時代、山岳部に所属していた。
 
その後、登山から遠ざかっていたが、1985年、 家族と富士山に
ったこときっかけで、 昔の情熱が甦った。
登頂回数を重ねるうち、人がやらない記録に挑戦しようと決意した
 
一千回目の登山には仲間六人も同行した。田子の浦を出発し、
約21時間かけて登頂を果たし、皆で喜びを分かち合った。

富士山に一度登るだけでも大変です。 一千回登頂は驚異的
数字です。登山に耐えうる体力が求められるが、 それに増して、
強固な精神力があったからこそ、 この偉業が達成できたのです

 
843 [心と体の健康情報]
「死生観を養う(2)」
 
私たちは日々、生きているのが当たり前のように暮らしている。 そのられた命… 大切にしているだろうか? どのように生きているのだろう
以下、末期ガンと闘って健康を取り戻したO医師の体験談…
前号の続きです。
 
[よく生ききることは、よく死ぬことなり]
太極拳で著名な”楊先生が大病を患い、自然治癒の名医S先生の病院に入院した。ある時楊先生…
「S先生は私の主治医だから…言っとくけど… 生きるも死ぬもあるがままだからねと言った。それは、 医学的処置は一切不要、という意味になる。
本当に…何も対処しないで亡くなったら、家族やお弟子さんに恨まれてしまう。
 
それでも楊先生「何もしなくていい」と言う…胸水が溜まっていても取らない… 食べられなくても点滴しない。
S医師、病室を覗いて「何か辛いことがございますか?」と尋ねた…
「いや…何もない。それより… よその患者さんを見てあげなさい」と言う。
何もないわけがない…胸水が溜まっているし、呼吸だって浅い。
 
S医師が退出した後、楊先生の奥さんが「本当にあなた…つらくはないの?」… すると「つらいことは山ほどある。でも、S先生が心配するといけないから…」
 
ある朝、S医師が講演に出かけようとしていた時、病院から「楊さんが…」 と電話…講演を断り、急遽病院に向った。病室に入ったら、楊先生の意識はんどない状態だった。S医師が呼んだら目が開いて、手を握り絞めてきた…死を直にした人とはとても思えないすごい力だった。
 
そこへ、ご家族が駆けつけてきた。楊先生は、一人ひとりに何かを話しかけている… ろれつが回らず、何を言っているか分からない。でも、とにかく全員と手を握った後、 十分ほどで亡くなった。 その様子を見ていたS医師…本当にすこい!
 
ヘルマン・ヘッセのことばに「喜んで朽ち果て、 万有の中に崩壊していく」がある。楊先生は… 「生きるも死ぬも あるがままに」…人生を生ききったのです。
                           ~つづく~

2011年02月17日

死生観を養う

■私と死生観
 
高校2年の秋…先生と大学の進路を話し合った矢先、定期健診で
”結核”を告知された。進学も就職も諦め、療養に専念した。
四年間薬を飲んで快癒したと思い、東京の商社に就職した。
 
学歴で劣り、同級生より十年遅れの社会人…私が選んだ”志”は、
商人の道で自立すること…。
東京へ旅立つ二日前の3月29日…念のためと、病院で検診を受けた。
一時間後、先生「ベッドを用意したから、午後入院してください…」
 
結核は伝染病です…世間から隔離された重症患者ばかりの病棟に、
6年間お世話になった。一室2人、廊下をはさんで10室、20代から
60代の患者20名…当時、良薬はなく、ただ静かに寝ているだけ。 
 
人生の基礎を育む大切な二十代に、いつ治るとも知れず、肉体的にも
精神的にも、耐え難い闘病の日々。
夜遅く、廊下を慌しく人が行き交う…翌朝、空になったベッド…シーツが
取り替えられ、何事もなかったように、新しい患者が入室してくる。
 
五年十年・闘病の末…何の楽しみもなく死んでいく患者を見て…
自分はあと何年生きられるだろう? 
”人生”を考え”死生観”を育むことで、苦しみを和らげようとした。
 
 
841 「心と体の健康情報」
「死生観を養う」
 
私たちは日々、生きているのが当たり前のように暮らしている。 そのられた命… 大切にしているだろうか? どのように生きようとしているのか
以下、末期ガンと闘って健康を取り戻した、O医師の談です。
 
今から13年前…O医師は、背中の痛みがひどく、 眠れない日が続くようになった。仕事が休めず、休日診療のある病院で検査を受けた… 「ガンの恐れがある」と言われ、ショックを受け混乱した。
ガン専門病院に入院して精密検査…末期の進行性胃ガンで、余命1年弱… 治療は、 抗がん剤に頼るしかない状況だった。
 
動揺は、当人より家族がひどかった…そんな家族のことを思うと「何とかせねば…」 と焦りがつのってくる。
その頃妻は、S医師の自然癒法の著書を読み、 「今の医療技術で根治できないのなら…」と、S先生を訪ねた。
 
当時、最先端の西洋医学治療を受けながら、S医師のところで、 人間が本来持っいる回復力… 自然治癒力を引き出す治療…”気功” や生薬療法に取り組んだ。
西洋医学と、自然治癒療法とがマッチして、末期ガンを克服… 健康が回復したです。
(なんだかんだNo279~283「癒す心 治る力」が参考になります)
 
「生きながら死を考える。それが病の意味なんでしょうね」 とO医師。快方に向っている患者と話すと、 「病気になってよかった」と言う。
O医師自身も、この病気にならなかったら、わがままで、 勝手気ままな生き方をしていただろう
病を通して、自分を見つめることや、 命のことを深く考えるようになった。すると、生きることが一瞬一瞬、輝いて見える…周りへの感謝の気持が涌いてく今までより深みのある人生が見えてくるようになった。
 
職場に復帰してから、誰にでも自然に「ありがとう」と、 感謝の言葉が言えるようった…腹が立たなくなった… 相手の立場になって考える視座が持てようなった。                  
                               ~つづく~

2011年02月09日

禅僧・関 大徹「病は死ねば治る」

■極楽浄土までの距離は?
 
仏教でいう「あちらの岸」とは…「彼岸」のことをいう。
そして、真宗門徒にとっての彼岸とは…「浄土」になる。
ところで、極楽浄土はどこにあるのだろうか?
浄土へ行きたいと思っても、浄土までどれくらいの距離なのか?
さっぱり分からない。
 
経典には、浄土は「西方十万億土の彼方」にあると説いている。
一体どれくらいの距離なのか? 
1億光年の1億倍が1京光年…その十倍の10京光年になります。
現実の宇宙の広さは、約150億光年と言われているが、
浄土は、宇宙の広さの数百万倍の彼方になる。
 
つまり、どんなにもがこうと、行くことのできない距離なのです。
日々信心して、来世のことは、仏さまにおまかせするしかない…
極楽への道は、心の持ちようで、近くにも遠くにもなるのです。
 
                三条教区勝覚寺住職・草間法照
 
 
839 【心と体の健康情報】 
~禅僧・関 大徹~ 「病は死ねば治る」
 
今年七十になる。十年前還暦を迎えたとき、祝う気にはなれなかった…六十歳とはいえまだまだ元気で、 第一線から退く年齢には「早すぎる」と思った。 
七十歳の節目の今、ようやく還暦を受け入れ、喜び・祝う気になった。
以下、人生の書/禅僧・関 大徹「食えなんだら食うな」からの抜粋です。
 
二十数年前大徹は…五十代の初めに癌を患い、 医師から死の宣告を受けたことがあった。
「ははあ、死ぬときが来たか」と思った…ところが良医を得、 手術のおかげで命をりとめた。日頃は 「死ぬときは、死ぬるがよろしく候」という覚悟でいる。
いつ死に直面しても動じぬ心得で生きてきた… それが本物であるかどうか、私は知りたかった。
 
あるいは、発狂しそうになるかもしれないし、 人か゜変わったように塞ぎ込んでしかもしれぬ…そうなれば、それでもよいと思った。 現実、医師から引導を渡されとき、発狂も、 塞ぎ込みもしなかった…普段と同じだった。
 
お釈迦さまが説かれた「」の四つの”苦”は、 つまるところ生死の問題あり、「苦は… 生を受けたときに始まり、死を迎えたとき完結する」
「人間、何のために生まれてきたのか」という問いに対して、 万人共通の答えを求めるなら、それは「死ぬまでに何を為したか」であり、”老”も”病” も、死への手続きにすぎないのです
 
私はあの時…癌が進行していたら、癌の苦痛に耐えるだけでよかった… いずれねば治るのである。 当然の帰結に安心していられた。病に伴う死への恐怖かったのである。
 
自分は、自分一人で生きているのではなく、多くの人たちに支えられて” 生かされている”ことを、病を得て感じた。病になれば、 多くの人が我がごとのように心痛し、快癒すればまた、我がごとのように喜んでくれた。
 
人生…何が苦であるといって、”病”に勝る苦はあるまい。
人の世に病というもなければ、 どれほど幸福であろうかと思う。
病苦を…健康な人は、病による”生理的苦痛”と安易に思いがちだが、 一度患っみれば、 そうではないということが、 分かるであろう。
 
仏教には「転禍招福」の教えがある…禍を”除いて” ではなく、 ”転じて”といところが面白い。
禍が降りかかって、免れることができないのであれば…その禍を”禍のままに”、あるがままへとひっくり返してしまえ…というのが、 仏教わいのあるところである。
何事も「モノは取りよう…思いよう」である。

2011年02月03日

死をみつめる

■呼吸法                                               
 
ヨガで大切な呼吸法。ところで、「吐く」と「吸う」とは、どちら
捉えればよいのでしょうか。普通に「呼吸してください」と言うと、
多くの人はスーッと息を吸って、その後にハーッと吐きます。
まず酸素を充分に吸って、炭酸ガスを吐き出すのです。
 
呼吸の「呼」は「吐く」の意で、「吸」は「吸う」の意です。
文字通りに呼吸とは、「吸って吐く」の繰り返しなのです。
しっかりと息を吸うことによって、自然に息を吐くことができます。
 
この呼吸のリズム…私たちの生き方にも当てはまります。
ヨガの呼吸法は、すーうッと3秒吸って、ゆっくり7秒吐き出します。
「吸う」は人から与えられることで、「吐く」 は人に施すことに通じす。

人は、一人では生きられません。人から三つ与えられたら、
それに倍する七つ、お返ししなければなりません
見返りを期待する行為は、良い生きとはいえん。
人に奉仕し、人の喜ぶ姿を見て、 自分の喜びとしたいものです。
 
 
837  【心と体の健康情報】
「死をみつめる」
 
以下、同朋大・大学院教授・三重県行順寺住職/田代俊孝
「ビハーラ往生のすすめ」 からの抜粋です。
人間は欲深い生き物です。思い通りにならないのに、思い通りにしようとし、 思い通りにならないことに悩み苦しむのです。
 
大腸ガンで亡くなった阿部幸子さんは、著書「生死をみつめる… 進行ガンの患者として」で、患う前は自分の力で生きていると、自信過剰な私であった。
人生の困難に直面した時も、 自らの力で活路を見出してきたし、様々な状況に柔に対応す能力があるっていた。
そうした自信にあふれた人生…ガンを患って、 立ち止まざるをえなくなったのです。
 
まず、第一に浮かんだ疑問は…
これまでの人生、「本当に自分だけの力で生きてきたのか? 」ということであった。
「他力によって生かされてきた」… 何故今までこんな単純な心理に気づかなかったのか。気づくのが遅すぎたと思うと同時に、 気づかぬまま死んでいくよりよかった」と語っている。
 
”煩悩”に囚われている間は、どんなに長生きしても、 「こんなはずではなかった…もっと長生きしたい」と、我が身の不幸を嘆く。
老いたくない…病気になりたくない…死にたくない…という虚妄が、 死すべき状態さらされたとき、 思い通りに生きてきた自我が、打ち砕かれてしまうのです。
 
そこに、老いてあたりまえ、死んであたりまえ…と、 「あるがままを、あるがままに」け入れる境地が開かれてくる。
まさに”我”が破れた”無我”の世界である…
これを親鸞は自然法爾(じねんほうに) と言った。
 
ここで誤解してはならないのは、 何でも思い通りに自然体でいればよいということではない。それは「あるがまま」ではなく、「我がまま、気まま」なのであって…無我ではないのです。
 
仏教の”救い”とは、ガンが治ることではない…死なない体になることでもない。 ガンをガンのままに、あるがままに「これでよし」と受け入れられるよう、 こちらから”転じて”いことである。
 
ガンを患った人は誰もが、「ガンは、今まで気づかなかったことを、 沢山気づかせくれた… 生かされている自分、家族の愛、朝目覚める喜び…様々な気づきをえてくれた」、「ガンは宝です」 と言って逝ったいる。
ガンを患ったことで、それまでの価値観が変わり、 事実をあるがままに受け止めることできるようになったのです。                                                                        (鈴木章子著「癌告知のあとで」)
 
良寛の言葉に…
老いるときは老いるがよかろう、死ぬるときは死ぬるがよかろう がある。
これが、災難を安らかに逃れる妙法である。「老・病・死」に逆らい、 そこから逃れようとし、 うち克とうとすれするほど、 苦しみの刃は鋭く我が身に突き刺さってくる…。
 
生まれたからには、いずれは死ぬ。死を迎える時に 「こんなはずではなかった」と、不平不満を言って死ぬのか? 
「いい人生だった」と”満足”して死ぬのか?
死を目前にして、死を受け入れざるを得なくなった時…心の持ちようで、楽になれば、苦にもなるのです。

2011年01月27日

禅僧・関 大徹「よく生きるとは…(2)」

■孤独な社会
 
死ぬ間際になって、人は何を思うのだろう…
その瞬間は一人なのか、それとも手を握る者がいてくれるのか…
いずれかで、人生のラストシーンは違ったものになる。        
                (仲代達矢主演「春との旅」から)
 
超高齢化社会になり、一人住まいの老人が増えている…
さぞや孤独なことだろう。人前では明るく楽しそうに振舞って
いても、独りになると寂しさがこみ上げてくる…
 
今の社会…老人だけでなく、若者も孤独に悩まされている。
原因を探っていくと…”愛”の欠如にあるようです。
親子の愛、夫婦の愛が希薄になり、両親との同居が嫌われ、
子供は部屋に閉じこもり、家族の会話は途絶えたまま…
 
NHK朝ドラ「てっぱん」のような、向三軒両隣の付き合いもない。
独り暮らしをしていると、社会から置き去りにされ、忘れ去られ、
姥捨て山に捨てられたような、そんな寂しさに苛まれるのです。
                                               
 
835 【心と体の健康情報】
~禅僧・関 大徹~
「よく生きるとは…(2)」
 
以下、人生の書、禅僧・関 大徹の「食えなんだら食うな」から…
 
禅宗の坊主は、常日頃「死を額に貼って生活せよ」と言われて、 修行をんできた。禅には生死一如という言葉がある…「よく生ききることは、 よく死ぬことなり」 と。
 
死を目前にして、死を恐れることなくゆったりと死んで逝く人と、 そうでないいる…その差はいったい何だろう?…それは、日々の心がけと、 平常の修練よるところが多い。
一日をよく生きるなら、多分、そうなるんじゃないかと思うのです。 よく生ききるとは、 よく死ぬための練習ようなものです。
 
私が先師から学んだことは、人間は生まれたからには、「何れ必ず死ぬ!」 ということです。 毎日朝、目覚めてから夜寝るまで、与えられたこと、ささいなことも、 何一つおろそかにければ、 いざという時になって、覚悟をする必要がないのです。
 
「与えられた命を、ひと時も無駄にせず、生への油断がなければ、いざとう時に覚悟の必要がない」 ということを先師は徹底された。ですから 「一日をよく生ききる生き方に徹す安楽に死ぬことが出来るのです。
 
私はその教えに従い、修行を積むうちに、一日一日が… 場合によっては死の勉強であると考えるようになった。
「一日一日をよく生ききることは、死を勉強することでり、よく死ねることになる」と…それを繰り返すこと五十有余年、 七十にしてようや身についてきた
 
初めの頃は、教えと自分の考え・行動というものが、なかなか一致しなかった。 「行解一致」…つまり”悟り”と”行い”が、なかなか一致しなかったのです。 七十の齢なってようやく、論語にあるところの 「己の欲するところに従い のりず」というふうになってきた。
 
五十・六十はまだ若い…六十前後の頃が一番迷ったかもしれない。その年になると、社会的にも評価されるようになり、物質的にも恵まれてくる。いつしか、 世間のなどというものを気にしなくなり、あつかましくなってくる。 だから、早くに開いても、 良いことはないということです。
 
この世に迷いや未練があったり、思い残すことがあるようだと、 死ぬときになうろたえる。明日に未練を残すことがないよう、一日一日を徹底して生き抜く…    「一日一生」である。
 
道元禅師の言う「生也禅機現、 死也禅機現」 生きるとは、 無駄なく生きる「生きるっきり」、死ぬとは、この世に未練なく「死ぬっきり」ということです。

2011年01月21日

~禅僧・関 大徹~ 「よく生きぬくとは…」

■親鸞聖人の「極楽浄土」
 
新年から、北陸中日新聞に小説「親鸞」の連載が始まり、
毎日楽しく読んでいる。
北陸は浄土真宗が盛んな、信心深い土地柄です。
 
親鸞の時代は、生きていくのが大変な時代であった。
当時の仏教の教えは、善行を積まないと、
来世「地獄に落ちる」と説き人々の心に重くのしかかた。
 
怖い鬼がいて、血の池地獄、針の山地獄と、人々を苦しめる
絵図が、信者の脳裏に焼きついて離れないのです。
日々、生き地獄のような暮らしをしているというのに、
死んでまた地獄かと…信者は悲嘆にくれたのです
 
親鸞聖人は、「熱心に信心すれば、皆等しく光輝く
極楽浄土へ行ける地獄に落ちることはない」と説いた。
当時の人々に、生きることへの希望与えたのです。
 
 
 
833 【心と体の健康情報】
~禅僧・関  大徹~ 「よく生きぬくとは…」
以下、人生の書、禅僧・関 大徹の「食えなんだら食うな」から…
 
人間生まれてきた以上、必ず死ぬときがくる。死というのは、人間が行う最大の事である。
生死一如生きるとは 死ぬことであり、死ぬことは 生きている者証しである
これが仏教の大原則である。
 
禅宗では、人は死んでも「(ごう)」という働きが永遠に残る。
苦しんで死ぬのも、ぽっくり死ぬのも、そのための通過点であり、死ぬ時になっみなければ、誰わからない。
 
わかっているのは、生きている間に「次に生まれ変わってきたとき、何をなすのか」という課題を、しっかり固めておかねばならぬということである。
その覚悟ができ、「業と因果の道理」をわきまえることができたら、これまで生きてきた短い人生の、この上もない尊さがわかってくるであろう…これが仏教・禅宗の考え方です。
 
-  *  -  *  -  *  -  *  -
いずれ死ぬ時が来る。その時に備え、普段から、いつその時がやって来ても、シャキッと腹を据えて臨めるようにしておかねばならない。
 
ところが、いずれ死ぬときが来るに、そのこに触れたくないし、考えようとし…いや、「考えたくない」のがでしょう。しかし、生きている以上は、いつか必ず死を迎えなければならない。
まだ若いからとか、人生、先が長いからといっても、誰も将来のことはわからない。ある日医師から、癌の病で余命三ヶ月と告げられるかもしれない。死はまだまだ先のことだと、勝手に思っているだけなのです。
 
太平洋戦争で赤札が来た時、多くの青年は、国のために死ぬ覚悟で、出征していった。そして、一部の若者は「特攻隊」に志願し、散っていった。
数年前、そうした特攻隊員を教育・訓練した、生き残り教官の講演を聞いた。
戦後になって、博識な文化人が「将来る若者が、国の犠牲になって死んでいた」と哀れんだが、「それは全く違う!」と元教官。
 
「お国のために自ら志願し、命捧げたのであって、上官の命令で特攻隊になったわけではない。どの青年も、ら死に行くというのに、明るくさわやかであった…己の運命を呪ったり、泣喚いたりする者ただの一人もいなかった」と当時を振り返って、語るのです。
 
忠臣蔵の浅野匠守…不祥事の責任を問われ、お上から切腹を言い渡されたとき、「いかに潔く散るか」ということが最大事だった…時世の句を詠み、いさぎよく腹切った。
誰一人、恐れおののいたり、痛さを想像するまり泣き叫び、命乞いをすという、みっともない行為をする者はいなかった。武家に生まれた以上、切腹もありうる。若くして武家の作法を身につけ、覚悟が備わっていたのです。
 
いつ我が身に降りかかるかもしれない”死”…普段からその覚悟が出ていれば、その時になって不運を歎いたり、死を恐れたりことはないであろう
昨年の大河ドラマの正岡子規のように、どんなに辛く苦しい病であっても、いずれは死ぬ…死ねば治るのです…これが禅宗の教えです。

2011年01月13日

禅僧・関 大徹 「体罰の是非(2)」

■幸せを感じる三つの種類
敬愛する故・梶谷忠司さんが、私たちに残された”人生訓”です。
 
(1)してもらう幸せ
   沢山の人から慕われる幸せ
(2)できる幸せ
   商いを通じてお客様に奉仕できる幸せ
(3)させてもらう幸せ
   縁ある人に自分の体験を語り、元気と勇気をさし上げる幸せ
 
私たちは、日頃「あれがない、これがほしい」と不平不満を募らせ、
”求め続ける”人生ではなかっただろうか? 
 
聖書のことばに「与えよ さらば与えられん」がある。
人のために、自ら率先して与えていく…
「無償・無条件の奉仕をすることによって、自己の内面や
 他者を通じて、神の祝福が与えられる」と説いている。
 
タイガー「伊達直人」を名乗る慈善行為は、全国300件に迫る
という。見返りを期待して何かをする、狭い了見ではなく、
見返りを求めない、精神面での無償の報酬を言うのです。
 
 
831 【心と体の健康情報 】
~禅僧・関 大徹~ 「体罰の是非(2)」
 
以下、人生の書、禅僧・関  大徹の「食えなんだら食うな」から…
 
子どもをしつけるとき、何がなんでも暴力はいけないという。
馬鹿をいっちゃいけない。人生の大事を、子供が成長する最も大切な時期にしつけるには、言葉で補いきれない場合もある。体罰は、大いに加えればいいのである…ただ、感情に走った報復はしていけない。
 
先生が生徒を殴ったという話なら…まだいい。この頃はどうであろう…逆に、 生徒が先生を殴ったという、とんでもない新聞記事におめにかかることが、 珍しいことではなくなった。
 
中には集団で教師をとり囲んで、 足腰が立たぬほど暴力をふるう事例もあるこれは生徒の「報復」である。生徒が教師に対して、 気にくわぬことがあるからと、 腕力に訴えてきたのである。
 
中学生ともなると、腕力だけなら、 ちょっとした大人も歯が立たぬほどに成長している。頭は子供のままなのに、 体力だけが伸びたのである。その体力のなんたるかを知らぬまま、大きくなったのである。
 
この子の幼児期の子育てが、よほどいい加減だったのであろう。 両親も先生も、 全身全霊で子供をたしなめなければならないときに、 見てみぬ振りをしたのであろう。 人間としての根幹を教えるしつけは、 子供より大人の体力が優っている時期にしか、通用しないのである。
 
この時期に、力の強いものが、弱いものに対する尊厳を教えておかなければ、体力を備わってからでは、遅すぎるのである。
 
まともな教育を受けた子なら、成長とともに人生… 体力の強さだけではないという道理に気づくであろう。初めは、 体力にまかせた行動をしていても、やがて”人格”を具えた大人に心服するようになる。
 
心服されるだけの人格を具えた教師でなければならない…生徒に媚びることなく、人格と誠意でもって、全身全霊で生徒と向合っていくことである。

2011年01月06日

禅僧・関 大徹 「体罰の是非」

■生活リズム向上で健康管理
 
家庭や学校でトラブルもないのに、疲れて学校に行けない子供たちが
増えている。
「子供の基本的生活習慣の確立と、生活リズム向上運動」を推進する、
文部科学省は、次のような実験を実施した。
 
登校拒否の子供たちを、「日中は強烈な人工太陽を浴びせ、夕方徐々に
暗くして、夜になると真っ暗にする」という環境の中に置きました。
すると、身体に昼と夜のリズムがつき、三週間ほどで元気を取り戻し、
学校に通えるようになった。
 
東北大学・川島隆太教授は、「人間の脳は、午前中に一番よく働きます。
夜型の人間でも、午前中がピークです。早起きをしている子のほうが、
脳が活発に働いている。故に早寝早起きは非常に重要」と述べている。

昔から「早起きは三文の徳」と言う。日が昇るともに一日が始まる…
太陽に合わせた生活リズムの中で、適切な運動、バランスの取れた食事、
十分な休養・睡眠を取るようにすると、健康な心身か養われるのです。
 
 
 
829 【心と体の健康情報】
~禅僧・関  大徹~ 「体罰の是非」
 
近年、子供を虐待する件数が右肩上がりに増え、社会問題にっている。
以下、人生の書、禅僧・関 大徹の「食えなんだら食うな」から・・
 
40年も前の、大徹が富山・光厳寺を預かっていた頃の話です。
夏だったと思う…子供たちが遊んでいる砂場に、 頭上から雀の子が降ってきた。
 
たぶん、木の枝に巣をつくっていたのが、 なにかのはずみで落ちたのであろう。
数人いた子供たちは、最初驚いた様子で、 まだ飛び立つこともできぬ雀を見守ていたが…そのうちの一人が、こわごわ手を出して、雀の子を拾い上げた。
 
ちょうど四・五間離れた場所に大徹はいた…「事件」を目撃して、 事件そのものよりも、子供たちがそれにどういう反応を示すかに、関心を抱いた。
ここは、お寺の幼稚園である。普段から、小さな命をいたわるように教育してきた。 その教育の成果を試すよい機会だった。
 
ところがどうだろう。拾い上げた子は、その小さな手で、 小さな生き物をひねりつぶそうとしたのである。
大徹は、とっさに飛んでいき、その子の首根っこをつまえた。かなりきつくつまみ上げたようである。子供は悲鳴を上げ、 手の雀した。
大徹はしかし許さなかった。子供は身をもがいて苦しんだ。
「どうだ、痛いか」…『痛い』。 大徹は、やっと手をゆるめた。
「雀は、もっと痛かったかもしれん。 おまえが痛いように、雀も痛いのだ…わかったか!」
 
その後大徹は、その事件をすっかり忘れていた。
それを思い出させてくれたのは、当の本人だった。
四十年以上もたって、五十歳ちかい立派な紳士になって、吉峰寺へ訪ねてきた。
そして彼は言った…「五十年の人生で、あれほど恐かったことはありません」
 
なんでも人間…もっとも頭脳の発達する時期は、四・五歳の頃だという。 保育園、幼稚園の年齢である。仏教では 「識」という。 この時期に、人間としての根源を鍛えておかねばならない。
 
この時期、まっすぐすくすく伸ばしてやるために、成長を阻害する無駄な枝をはらてやらなければならない。
しかし、体罰を間違えて加えたら、子供は真っ直ぐ成長せず、いじけて小さくまとまってしまうであろう。
 
大徹がもしその時、子供の手から雀をとりあげて、 優しくたしなめていたとしたなら、おそらく本人は、そのことを忘れてしまい、思い出すこともなかったでしょう。 そして、 小さな生き物の痛みに気づくこともなく、大人になったでしょう。
 
大事なのは、体罰は断じて”報復”ではないということである。
子供が悪さをして、大人を困らせたからといって、 カッと逆上して、思わず手を出すのは、これは報復である。
体力的に劣る幼児に、 大人と同じような応酬をするなどといったことは、本来あってはならないことである。
 
ここのところを混同するから、幼児教育における体罰の是非論が、 マスコミの話になるのです。
そして、当節の学校のように、何でもかんでも暴力はいけないという、安易な答えで済まされてしまうのです。

2010年12月22日

一日に何歩歩けばいい?

■頭頚部ガンを防いでくれる「コーヒー」
 
63才まで約45年間、毎日タバコを平均25本吸っていたが…禁煙。
大切な友人を喉頭ガンで喪って以来、毎年のガン検診は欠かさない。
 
私は大のコーヒー好き…1日3~4杯飲む…そんな私に朗報です!
「コーヒーを多く飲む人は、口や喉にできるガンの危険性が減少する」
と、愛知県ガンセンターの研究グループが公表した。
 
コーヒーを飲む量が、1日1杯未満の人と、1杯の人とでは、ガンに
なる危険性に大差はなかった。
ところが、2杯以上になると、82%に危険性は低下。
3杯以上の人は、飲まない人に比べ、危険性は59%にとどまった。
 
一方、食道ガンに対しては、明らかな予防効果が認められなかった。
細胞が酸化して、DNAに傷がつくとガンになる。
研究グループでは、コーヒーには「抗酸化作用」があり、酸化を中和
してくれる…それがガンの発症を防いでくれると言う。
 
 
826 【心と体の健康情報】
「一日に何歩歩けばいい?」
 
健康維持のために、お金がかからず手軽に取り組める運動といえば…
”歩く”こと。私は、歩いて1時間以内の距離であれば、 タクシーを拾わず歩いて帰ってくる。友人のTさん、 Yさんも「歩け、歩け」派。Kさんは、毎朝夫婦で40分歩くのを欠かさない
 
カートに乗らず、歩きでゴルフをするのは、学友のTさん。6年連続 「100キロ会」で完走ている奈良のKさんは、 次のホールまで走る。
ゴルフで1ラウンド歩くと、1万8千歩近くになる… 私には少々過ぎるで、夏場、 ゴルフでたっぷり汗を汗をかいた日の夜、 体内の水分不足から、太ももが”こむらえる”ようになった。
 
発症後数分間、足が突っ張ってケイレン…苦痛に耐えなければならない… あれは痛い… 困ったことに、両足同時にこむらがえるようになった… 耐えられないくらい痛い そこで、 歩くのは1万歩程度に留め、後はカート乗るようにしている。
 
普通、一日にどれくらい歩けばいいのか? 
「健康日本21」に、21世紀の日本人の健康指針が盛り込まれている。
これによると現在、成人男子の一日平均歩行数は8,202歩…これを1千増やして、 9,200歩以上にする。
女性は7,282歩… それを8,300歩以上歩くよう推奨している。
あと10分間長く歩き続ければ、一千歩増やすことができる。
 
生活習慣の改善に取り組まなければならないが、 習慣化するまで続けなれば意味がない。まず、 毎朝30分早起きして散歩する…今朝は冷え込むから、 雨がっているからと休んでいては、 生活習慣の改善にはならないだろう。
 
日々心掛けることは、エスカレーターやエレベーターに乗らず、 階段を上りりする 「どこへ行くにもマイカー」の習慣を改め、自転車に乗… マイカでの移動は、 限りなく少なくしたい。
 
ヨガもお薦めです…私は毎朝約15分間、ヨガで身体をねじってほぐしている。
ヨガで大切なのは「瞑想と呼吸法」…仰向けに寝て、 始まりと終わりの2回、2分間瞑想する。そして、ヨガで途中欠かせないのが、吸う3秒、 吐く7秒の呼吸法。
 
多忙の中にも、ちょっとした生活習慣の改善で、体を鍛えることができます…
工夫しだいで運動量が増し、 メタボや生活習慣病の予防になるのです。

2010年12月16日

心筋梗塞と狭心症

■「メタボリック症候群」の診断基準
 ウエスト 男性85センチ以上、女性90センチ以上で…
 
(1) 血清脂質異常
  ・トリグリセリド値 150ミリグラム以上
  ・又は、HDLコレステロール値 40ミリグラム未満
(2)高血圧 
  ・最高血圧130以上 又は 最低血圧85以上
(3)高血糖
  ・空腹時血糖値 110ミリグラム以上
 
上記3項目のうち2つ以上該当すると、「メタボリック症候群」と診断
されます。
メタボの人は、健康な人に比べ、狭心症や心筋梗塞になる比率が、
何と10倍以上高くなるとされています。
健康診断での数値が軽度だからといって、安心するのは禁物です。
 
                     金沢循環器病院 名村正伸院長
 
 
824  【心と体の健康情報】 
~食と健康~ 「心筋梗塞と狭心症」
 
突然死の6割を占める心臓発作。西田敏行さんは 「急性心筋梗塞」倒れ、舟木一夫さんは 「狭心症」で入院した…幸い二人とも完治し、現役復帰している
 
私の身近にも、ある日突然症状が出て、 入院しした人が三人いる…一人はバイバス手術をして健康をとり戻し、 一人は手当ての甲斐なく亡くなった。
 
心筋梗塞は、突然胸部が締めつけられるような激痛に襲われる。動脈硬化による血管の内膜がはがれ、 血流を遮断してしまう症状です…20分放置すると心筋細胞が壊死し、死に至るので、一刻を争うのです。
 
速やかに冠動脈を再開通させる治療を行うが、「不正脈」や「心不全」 などの合併症なければ、2~3週間で退院することができます。
 
心臓病で、心筋梗塞と似た病に、狭心症があります。
心筋梗塞」と「狭心症」 の大きなは…「心筋梗塞」は心臓を動かし、ポンプの割をしている筋細胞「心筋」 へ、 素や養を送っている「冠動脈」 が詰まってしまい、 心筋が”壊死” の状態になるとをいいます。
一方「狭心症」は、はがれた内膜が、血液の流れを悪くする症状です… 冠動脈から送り込まれる酸素が不足する状態は一時的で、 心筋は死なずに回復します。
 
「冠動脈」が詰まる原因は「動脈硬化」です。 冠動脈の内部がコレステロールカルシウムなどで、血液の供給が減ったり、 通り道がふさがれてしまうことにより、 発症ます。
 
「動脈硬化」は、加齢とともに徐々に進行しますが、高血糖症糖尿病、 高脂血症、肥満、喫煙など、生活習慣病がからむ人は、悪化の速度が早まります。
不健康な生活習慣が原因で引き起こされるのです。
狭心症と心筋梗塞は、発作の出方や、 対応の仕方が違います。
■発作の誘引
・狭心症 
(1)階段を上り下りした時や、興奮したときに起こるタイプ
(2)安静時や睡眠時に起こるタイプ
・心筋梗塞…とくになし
 
■症状の出方
・狭心症  …締めつけられる痛み、圧迫される痛み
       …不安感を伴う
・心筋梗塞…狭心症よりはるかに強い激痛
       …死の恐怖にとらわれる
■発作の長さ
・狭心症  … 2~5分     
心筋梗塞…30分~数時間。 数日間続くこともある。
 
■発作後安静にすると
・狭心症  …治る     ・ 心筋梗塞… 治らない
 
■ニトログリセリンを使うと
・狭心症  … 治る          ・ 心筋梗塞…効果なし
                 
                                               金沢循環器病院 名村正伸院長                                

2010年12月09日

離婚が子供を直撃する

■道徳の国”日本”                       
 
世界一の原油大国・サウジアラビアで、日本を現地ルポしたテレビ番組が、
30回シリーズで放映された。
拾った財布を交番に届ける親子…信号を守る通行人…犬のフンを拾う
飼い主…教室を掃除する小学生…そうした日本人の姿に、「わが国では
あり得ない」とレポートしていた。
 
保有する原油の枯渇化が進み、人口増加で道徳の荒廃が懸念される
サウジで、にわかに起きた日本ブーム…高視聴率だったという。
日本は「伝統と近代化を両立させる国」として注目したのです。
 
落し物を交番に届ける何気ない行為が、いかに大切な”文化”であるか…
日本を外から見るとよく分かるのです…日本人は倫理・道徳を身につけた
誇るべき民族であるということを…
 
ところが教育によるのか? 日本の未来を悲観したり、今の社会を嘆いたり、
自信喪失したりしていないだろうか…。
今こそ私たちは、自国の歴史・文化・伝統に誇りを持ち、胸を張って生きて
いかねばならない。
                    倫理法人会 「今週の倫理」から
 
 
 
822  【心と体の健康情報】
~子育て~ 「離婚が子供を直撃する
 
 ■子育て名言
   赤ん坊のときは 肌身を離すな   
      幼児のときは   手を離すな
    子供のときには 目を離すな    
      少年のときには 心を離すな
 
今年の八月、大阪市のマンションの一室で、幼いきょうだい2人の遺体が見つかった。 母子家庭の母親が、 育児放棄をしたことによる餓死が原因だった
同じような悲惨な事件が、いつまた起きてもおかしくない今の社会…。
 
私の会社は働く女性に支えられている。近頃の女性… 一人で生きていくことの選択を怖がらなくなったのか、離婚女性がやたら目立つようになった。
「夫に頼らずに生活していける」といっても、母子家庭の平均収入は二十万円を少し超えるくらい… それだけの収入では、離婚後の生活は楽ではない。
近頃はそうした収入すら、期待できなくなってきている。
 
離婚後、子供たちは生活苦と寂しさを味わされることになる。
母親が働きに出てまうめ、 子供たちだけ家に取り残される。
欲しいものも買ってもらえず、親子のリクレーションもなく、 テレビを買い換える裕もない…生活苦が子供たちを直撃する。                       
 
中学生の時、両親が離婚した女子高生… 「どっちの親と生活するのが有利か…別居する直前まで悩んだ」という。
「母親と一緒に住んだ方が、 高に通いやすい」というのが、 選んだ理由だった。
 
一番つらかったことは、両親の離婚を周囲に知られた時…
担任教師や友人の親などが妙に遠慮して、 まるで腫れ物に触るような扱いをされて…傷ついた。離婚のことは、誰にも話してはいけないのです。
 
離婚は、子供たちに様々な影響を与える。
離婚に伴う引越しや転校などで、ストレスを溜めこむ子供が多い。 離婚した母親には、悩みを打ち明ける場があが、子供たちには、 悩みを打ち明け、抱えている問題を解決する”場”がない。
 
離婚について大多数の子供は、親からきちんと説明を受けていない。 そのため「自分のせいで親が離婚した」 と思い込み、 「生まれてこなければよかた」と、 自分を責めたりする。
 
更に、両親がそろわない自分の家「普通でない」と思う子供が少なくない。
友達に架空の父親の話をしたり、家族の話になると、 席を外したりする子供がいて、 人間関係に不安を抱いている。
 
幸せになりたいと思う気持ちは、大人も子供も変わらない。
親は、自分の将来を選ぶことができるが、 子供はそうはいかない。離婚で傷つくのは、大人だけではなことに気付かなければならない。
                                  読売新聞の記事から                                              

2010年11月04日

我が家はみんなが悪い…

■友情を誓うことば
 
『 我為人人  人人我為 』
「我は人々の為に 人々は我の為に」
 
フランスの小説「三銃士」の中で、
ダルタニャンが発案した友情を誓うことば。
この教訓は、人間がとるべき行動の規範として、
広く世界に知られている。
 
 
812 【心と体の健康情報】
~幸せな人生~ 「我が家はみんなが悪い…」
以下、今週の倫理681号から…ある小学生の作文です。
 
『きょう私が学校から帰ると、お母さんが「お兄ちゃんの机を拭いていて、金魚鉢を落として割ってしまった。
もっと気をつければよかったのに、お母さんが悪かった」と言いました。するとお兄ちゃんは、「僕が端っこに置いておいたから、僕が悪かった」って言いました。
 
でも私は思い出しました。きのうお兄ちゃんが端っこに置いたとき、私は「危ないな」って思ったのに、それを言わなかったから、私が悪かったと言い出しました。
 
夜帰ってきて、それを聴いたお父さんは「いや、お父さんが金魚鉢を買うとき、丸い方でなく、四角い方にすればよかったなあ…お父さんが悪かった」と言い出しました。そしてみんなが笑いました…うちはいつもこうなんです…うちの家はいつもみんなが悪いのです』
 
- * - * - * - * - * -
 
私たちは、何か問題が生じると、小学生の「うちの家」とは逆に、自分のことは棚に上げて、問題を人に擦りつけ、他人のせいにしがちです。
「自分は精一杯やったのだから、あとは君たちの責任だ」「伝えるべきことは伝えたのだから、よく理解しなかったお前が悪い」…無意識に、このような心理が働くのです。
 
こうした心理状態では、起こった問題を解決するのに、自分自身はもちろん、相手にとっても、何のプラスも進歩も望めません。
「自分が悪かった」「自分の配慮が足りなかった」と振り返る心が、場を和ませ、人間関係を良くし、やる気を引き出していくのです。
 
生活や仕事の場で、日々様々な問題が生じます。
その原因の所在をきちんと究明することは大切ですが、その前に「自分自身に、何か至らぬ点はなかったか」を冷静に振り返る。そのような謙虚さを持っていたいものです。
 

2010年10月28日

五観の偈

■「いただきます。ごちそうさま」
 
ある民放TVで、
「日本人の生活習慣で、素晴らしいと感じることは何でしょうか?」
と、在留外国人に尋ねるシーンがあった。
 
返ってきた答の中に…
『日本人は、食事の前に「いただきます」、食事を終えた時
「ごちそうさま」と言う…このような挨拶習慣がある日本は、
本当に素晴らしい』というのがあった。
 
キリスト教国では、食事の前に神様にお祈りをするが、
感謝を込めた、このような食前食後の挨拶ことばは、
世界の多くの国では存在しないという…
 
 
 
810 【心と体の健康情報】
「五観の偈」
10月23日、輪島市門前・總持寺へ、 座禅仲間15名と貸切バスで訪れた。
 
總持寺は1321年に開山し、永平寺にぶ曹洞宗本山・修行寺とし栄え、全国に末寺1万6千余りを数えるに至った…歴史を忍ばせる、 由緒あるお寺です。
諸堂拝観の後、法堂で先祖供養のお勤めをして、般若心経を唱え、 座禅堂座禅体験の後、法話を聴いて、 昼食を頂いた。
 
境内を巡る廊下に、2007年の能登半島地震の被災写真が並べられていた。
法堂(本堂)は復旧工事中で、工事シートに覆われ、土台をジャッキアップ中とのこと。
被災写真を見ると、僧堂の仏像が台座から転がり落ち、破損…落下した瓦が散乱し、 襖が外れて散らばっている。 ひび割れた祖院内の建物の壁は修復されて新しい。
 
M6.9…表参道沿いの民家が軒並み全半壊する中、 重心が高く筋交いの無い山門… 屋根が傾いただけで終わったのは奇跡…当時の木組み工法が、地震の揺れしたのです。

總持寺の写真1
總持寺の写真2
山門

山門から法堂を望む

總持寺の写真3
昼食のお膳

※写真をクリックすると拡大写真が表示されます。

 
食事の前に、作法に従って 五観の偈」 唱え、それから箸を取った。
五観の偈」は、 食事を頂くことに感謝し、自らを反省しめるための、 五つの網目からなっている。
食事の後、箸をおみやげに頂いた…箸袋の裏には 「五観の偈」印刷されいた
 
一には 功の多少を計り 彼(か)の来処を量(はか)
「お米一粒一粒にお百姓さんの労苦がこもっている。目の前の食事は、どれほど多くの人の手間がかかっているかを慮る」
 
二には 己が徳行の全缺(ぜんけつ)を忖(はか)つて 供(く)に応ず
「お寺での修行や、日々の行いが、この食事を頂くに値するかを考え、 益々精進することを心に、 出された食事をありがたく頂く」
 
三には 心を防ぎ 過(とが)を離るるは 貧等(とんとう)を宗とす
「迷いの心や、過ちの心を捨て去り、貧りの心、怒りの心、 道理をわきまえぬ心を起こさぬよう修行に励む…食事の場も同様である」
 
四には 正に良薬を事とするは 形枯(ぎょうこ) を療ぜんが為なり
「この食事は、肉体の衰え、渇きをいやす良薬としていただくのであって、 美食を楽しむためのものではない」
 
五には 成道(じょうどう)の為の故に 今此の食(じき)を受く
「食事を頂くのは、あくまでも仏道を成就するため、 自らが目指す目標を達成するためにある」
 

2010年09月22日

禅修行における悟りとは…

■哲学の祖「タレス」    (今週の倫理676号)

 

ギリシア七賢人の筆頭に数えられ、哲学の祖とも言われる

タレスは、 紀元前六〇〇年から五〇〇年頃、 ミレトスとい

商業都市に生まれ育った。

日蝕を予言するなど天文学に長け、オリーブ油を絞る機械

投資財を成し、 また政治の世界にも深く関与するなど、

様々な経歴を持っている。

残念なことに本人の著作は残っておらず、数々の伝説や逸話

となって、 現在に伝えられている。

 

・その中の一つに、愛弟子との次のような問答がある。

 弟 子「人生で一番難しいことは?」

 タレス「自分自身を知ることだ」

 

 弟 子「人生で一番易しいことは?」

 タレス「他人を批判することだ」

 

 弟 子「人生で一番楽しいことは?」

 タレス「目標を立てて、挑戦することだ」

 
 
 
800 【心と体の健康情報】
「禅修行における悟りとは…」
 
仏教の基本原理は、人の「生死病老」の悩みから解き放つことから始まる。
釈迦は、生死病老の悩みを解決するために、難行苦行に身を投じたが、 一つとして問題解決できず、 苦行は心身を傷つけただけで、何の悟りも得られなかった…そこで、 すべ行を打ち切って、 菩提樹の下で座禅を組んだ…
 
そしてついに”悟り”に到達したす。 悟りを得た釈迦…
「奇なるかな、奇なるかな…一切衆生生草木国土ことごとく、如来の徳相を具有す」と叫んだという。
何をどう悟ったのか…「困苦して悟ったものを、 いま解き明かすべきではない…貧りと怒りに従う者たちに、この理法は理解できるはずがない」と。
 
では”悟り”とは何か? 禅宗ではそれを「冷暖自知」と言って、 「冷たさも暑さもしたことのない者に、いくら言葉で冷たさや暑さを説明しても、 理解できるがない…自ら”悟り” を得初めて、 知ることのできるものである」と…
 
道元は「宋では、仏法を学ぶ者が千人いても、その中で悟りを開く者は、 一人かに過ぎない」と言っている。
大方の修行僧は、一生悟らぬまま、無為に修行に明け暮れることになる。その上で釈迦は、この理法の中身を”空” と言い換えたのす。
 
私たち凡人は、”悟り”を得れば「一切の煩悩が消え去る」と思いがちです。 悟ったからといって、喜怒哀楽・物欲・執着といった煩悩がなくなるわけではない… 煩悩るからこそ、 人の悲しみや苦しみが分かろうというもの… 煩悩のない人間は、 動のロボットのようなものだ。
 
禅問答の題材(公案)に、「婆子焼庵」というのがある。
♪昔、ある所に老婆がいて、一人の禅僧に安心して修行に励めるよう、 小さな庵に住まわせ、 食事や身の回りの世話をした。
しばらくして老婆は、禅僧の心の内を計ろうと、 美しい娘に身の回りの世話をさせた…禅僧が、娘の色香に惑わされるようなら、叩き出すつもりでいたのです。
 
しかし、数ヶ月過ぎても、禅僧は娘に心を動かされることはなかった。 ならばと老婆は、娘に禅僧に抱きつくように指示した…
娘は、座禅をしている僧の後ろから、 いきなり首に抱きついて、「こんなことをしたら…どうなさいます?」
 
禅僧は冷然として答えた…
「枯れ木が冷たい岩に寄りかかっているようなものだ…少しもその気にならん」
いかにも修行僧らしいみごとな態度に、娘は恥ずかしそうに戻って、老婆に告げた。 娘の報告を聞いた老婆…禅僧を庵から叩き出し、庵に火をつけて焼いてしまった。
 
-*-*-*-*-*-*-*-*-
このような事例を問答の題材にして禅問答を行い、禅の精神を究明しようというのです。
人間である限り、性欲・物欲・執着心などの煩悩を消し去ることは不可能です。 なのに、さも悟りきったように振舞った禅僧が、 偽善者であることを老婆は見破のです。
 
難行苦行の末に悟りを得たからといって、煩悩がなくなること決してないことを、 問答を戦わす中から学ぶのです

2010年09月17日

禅僧・関 大徹「正眼僧堂の一日」

■「足るを知る」
 
◇老子」三十三章に「知足」がある
『人を知るものは智    自らを知るものは明なり
  人に勝つものは力あり 自らに勝つものは強し
  足るを知るものは富み 強めて行うものは志あり』
 
◇仏教思想では…
『裸で生まれてきたのだから裸で帰る。
  人間寝るところ一畳あれば足りる。
  人間を入れる棺桶は、巾二尺、長さ六尺もあれば足りる』
 
◇「聖書」五章十五節には…
『人は母の胎より出で来たりし如く また裸体にて帰り行くべし。 
  その労苦によりて得たる物を 
  一つも手にとりて携え行くことを得ざるなり』
 
 
 
798 【心と体の健康情報】
~禅僧・関 大徹~ 「正眼僧堂の一日」
 
人生の書、禅僧・関 大徹の「食えなんだら食うな」から…
 
禅には「一日為さざれば、一日食わず」という言葉がある。
「正眼僧堂」の生活が正にそれであろう。 仕事をしないものには食う資格がない…ということになる。
 
禅もすごいが、作務のすごさはまた、言語に絶した。
どんな日でも、決して休みはないのである。
普通でいう作務とは、堂内の拭き掃除、庭掃き、薪とりなどである。
ところが、正眼寺にあっては、 巨大な機械力を投入しなければならないような土木工事まで、雲水たちがやってのける。
 
早暁、本堂の朝課を終えると、禅堂に移って座禅を組む。
それを済ませると、老師の部屋に入って、与えられた”公案”(禅問答の題材)に対して見解をのべ、 批判を受ける。
これがまた峻烈をきわめる… 毎朝毎晩が試験である。そして粥坐(朝食)。粥坐の後、 ただちに作務に入る。
 
私を含めた新参者の多くは、運搬方にまわされた。
土や石をモッコに盛り上げ、二人がかりで天秤をかつぐ。
私の両肩が腫れあがて、食い込む天秤の痛さに、しばしば気を喪いそうだったが、それも暫くすると、 コブシ大の硬い肉塊が盛り上がって、 耐えられるようになった。
 
むろん、強いられてやるのではない。みんながやるから自分もやる… ということではない。 作務もまた禅であり、禅である限りすすんで身を投じるのである。
 
夜九時、開枕の梵鐘が鳴ると、一同は坐禅を終えて経を誦し、 三宝礼をして横になる。ただ一つの小さな灯まで消されて、僧房の中は真っ暗になる。
これで、一日の行が終わったわけではない。「夜坐」という日課外の修行が始まる。 静かに寝所を抜け出し、法衣をつけ、座布団を厚く敷いて、軒下で坐禅を組む。
本堂や諸堂の中に入ることは許されない。 雨などで外に坐れないときは、縁側に坐る。
 
驚いたのは、正眼僧堂では、入堂以来何年というもの、 一夜として僧堂の中で夜を明かしたことがないという、命知らずが少なくないのです。
文字通り「不惜身命」である。雨の夜も風の夜も、 大地が凍てつくような極寒の夜も、 雪の中でさえ平気で坐り続けてきた人たちの仲間入りをしたのです。
 
夜を徹して樹下石上に坐り、露に覚め、寒冷に自らをふるい立たせ、ふくろうの声、 風の音に自分を空しくして、充実していく日々の己を知った。
 
 

2010年09月08日

禅僧・関 大徹「人間本来無一物」

■「四苦八苦」
 
「いやあ~四苦八苦してますよ…」などと、軽いノリで使われる「四苦八苦」
という言葉…仏教の開祖、ブッダの説法に出て来る言葉です。
人生そのものが「苦」だという教えで、最初の「四苦」は
これに、以下の四つを加えると「八苦」になる。
 
愛別離苦(あいべつりく) …愛する人と別れねばならない苦しみ
怨憎会苦(おんぞうえく) …怨み憎む者と会わねばならない苦しみ
求不徳苦(ぐふとくく)」   …求めるものが得られない苦しみ
五陰盛苦(ごおんじょうく) …五体は丈夫だが、良い考えが浮ばない苦しみ
 
ブッダの教えの基本は”諸行無常”。「この世の一切のものは、絶えず移り
変わって、一瞬の間も同じ姿を保つことがない」…「今、ここに!」なのです。
一秒一秒…命が…時間が…風景が…すべてが変化して新しくなっていく。
 
今、どんなに苦しくとも、時とともに変化していく…明日は違ったものになって
いく。故に、明日への希望を失ってはならないのです。
 
 

796 【心と体の健康情報】
~禅僧・関 大徹~ 「人間本来無一物」

人生の書、禅僧・関 大徹の「食えなんだら食うな」から…
 
禅僧・関 大徹は、日頃から「手マメ・ 口マメ・足マメ」の”三マメ”を実行してきた。
福井市の大きな乾物屋の二代目がお寺へやって来て、 「自分には、とても店を継ぐほどの器量がない」と、悩みを訴えた。
関 大徹…その二代目を見て、控え目なところが彼の美点と見た。
 
『やれるやれる…』と勇気づけ、「本来無一物」 と書いた色紙を激励のために与た。 その覚悟でやってほしいとの願いである。 親から大層な財産を譲り受けたと思うから、荷が重いのであって、人間本来無一物という、 自明の理に踏まえれば、これほど軽やかな心境はあるまい…。
 
二代目は、手や足を動かすことには、誰にも負けぬ自信があったが、口だけは人一倍「口下手」で、どうしようもないと言う。
大徹は即座に、『それこそあなたの「徳」 であろう。「口マメ」といっても、 おしゃべりな人をいうのではない。むしろ、 寡黙な人の誠実な言こそ、より人を動かすであう。それが「徳」というものである』と…。
 
『「」という字をよく見るがいい。 行人偏に十四の心と書いてあるではないか。
十四年間、心を込めてコトを為せば、 必ず得るものがあるであろう。
もし、最初の十四年間で駄目なら、もう十四年頑張る…
計二十八年頑張って、それでも得るものなければ、言った私に文句を言いにくればいい』と、 大徹は言った。
 
二代目は、十四年も待つことなく、事業を手広くひろげ、 この業界では福井県屈指の事業家になった。
大徹は、二代目がその間に何をやっていたかを悟った。
彼は”口マメ”の代わりに「手マメ・足マメ」で、 泥んこになって働いたのである。
そして、言うことがふるっている…「なあに、永平寺の禅僧のことを思えば、 真似事にもなりませんよ…」
 
永平寺で一番早く起きる人は、深夜の1時半である。
1時半から2時間かけて掃除をする。拭き掃除にしても、雑巾一枚で用を足すのではない… それぞれ場所に応じて、上段、中段、 下段と三枚を使いわける。
朝一番の仕事を済ませ、3時半になると、みんなを起こす。
3時半には、すべて日の日課が始まるのである。
 
二代目は、永平寺の日課に習ったのであろう。
 

2010年09月02日

禅僧・関 大徹「入門の儀式・庭詰(2)」

■鍛えれば強靭になる
 
禅僧・関大徹は子供の頃から近視で、メガネを離せなかった。
それが30歳の頃、正眼寺の修行中に、 否応なしにメガネを外
た。
かなり残酷な仕打ちである。視界はすべて茫漠とし、 濃霧の中
歩いているようであり、おぼつかない足許で、 儀執に厳しい禅堂
の生活や作務はこたえた。
 
ところが、そのうちに慣れてきた…霧中の行動に慣れ、人並み
不自由感じなくなった頃、不思議なことが起こった。
徐々にではあったが、霧が晴れてきたのである。ものが見え出し、
知らぬ間に近視は治っていたのです。
 
体は、鍛えようによって、見えなかったものが、見えるように
なったり、歩けなかった人が、 歩けるようになったりします。
反対に身体や脳は、使わなければ、どんどん退化していきます…。
 
 
794 【心と体の健康情報】
~禅僧・関 大徹~ 「入門の儀式・庭詰(2)」
 
人生の書、禅僧・関 大徹の「食えなんだら食うな」…前号の続きです。
 
日が暮れた。客行が現れ、今夜は宿を許すから、 明朝早々に立ち去るようにとげられて” 旦過寮”に案内され、麦八部の粥をいただいた。その後座禅に入った。
九時になり、就寝の梵鐘が鳴った。大徹はいつしか気を失って、 横ざまに倒れていた…失神に近かった。
 
その頭の上から、物凄い罵声が降ってきた…客行であった
「この無道心者め!」
あとは、聞くに耐えない悪罵である。命がけの修行に来ていながら、 寝てしまうとは何事か…
 
ここで弁解すれば、客行と言葉の応酬をしなければならない。
平ったく言えば、り言葉に買い言葉である。
客行は「一刻も置くことはならぬ…即出て行け!」 と言った。
 
言葉で応対するなら…ひたすら許しを乞うか、開き直るか…どちらかであろう。 「ああ、出て行きますとも」と言うのはたやすい。実際、 いくら詫びても許しをられなかったら…そう言うしかないだろう。
 
大徹は、返事のかわりにひたすら平身低頭して、沈黙を守った。この沈黙、不貞れているのではない…自分を守るためでもない。 いわば、相手の判断一切をおまかせしているのである。
 
もし客行が、私の襟首をつかんでひきづり出そうとすれば、 大徹は従うほかなかであろう。
しかし、客行はそうしなかった…なかったことが「許す」 という意表示だったのであろう。
朝になった…四時…広い本堂に案内されて、七十人の僧の後に坐って、 朝のおつとめをした。宗派が違うため、 誦経はまるでわからない。
 
朝食が済むと、昨日と同じ日課が待っている。玄関の式台に斜めに低頭して、 入門の許しを乞うのである。
それも、いきなり玄関に坐るのではなく、いったん山門を出てから引き返し、案内を乞い、毒づかれるという手順まで、前日と同じことをやるのである。
 
この入門の儀式を「庭詰(にわづめ)」という…最も見込みのよいもので二日… しからざる者は、限りなし…と言われる。
大徹は、失敗を重ねながらも、二日間で庭詰を終えたのだから、誠心誠意を認められたのであろう。
 
大徹は、和尚さんに感謝すべきである。何も教えられなかったから、 よかったのある。 あれこれ教えられて、近道をしても、 結果は大いに遠回りをしなければならなかったであろう。
 
- * - * - * - * - * - * -
ゴルフのプレー中に失敗をすると、言わなくてもいい”言い訳”が口をついて出てくる… 自分の正当性をに分かって貰おうとするのでしょうか… 照れくささを隠すめでしょうか…つい、 ああだから、こうだからと、 言い訳をしている自分がいる
 
「言い訳」は、自分の弱さを相手に教えているようなもの。
「弱い犬ほどよくる」 と言うが、「言い訳」をするのは恥ずかしいことです…慎まなけならない

2010年08月26日

禅僧・関 大徹「入門の儀式・庭詰」

■日本における禅宗の歴史
 
禅宗は6世紀の初め、インドから中国へ来た菩提達磨(ボジダーマ)の
思想から起こった。
その教義は、大乗仏教の教義と変わらないが、儀礼・経典の形式的な
ところを極力排除し、仏陀の根本精神を伝えることに、重きをおいた。
 
禅においては、仏教の真髄を「般若」と「大悲」に置き、知識の習得よりも、
修行を通して得る「悟り」を重視。修行者は、その体験を通して禅の精神を
学ぼうとした。
禅宗を初めて日本にもたらしたのは、法相宗の始祖”道昭”(629~700)。
鎌倉時代になって、”明庵栄西”(1141~1215)が、中国から「臨済宗」
を、続いて”道元”(1200~1253)が「曹洞宗」を導入してから、禅宗が
勃興した。
 
 
 
792 【心と体の健康情報】
~禅僧・関 大徹~
「入門の儀式・庭詰」
 
人生の書、禅僧・関 大徹「食えなんだら食うな」からの抜粋です。
 
曹洞宗「発心寺」で三年間修行した後、禅風の違う臨済宗 「正眼僧堂」の門を叩いた。
「頼みましょう」…大声で叫んだ。間をおいて、三度叫んだ。
三度目に「どうれ」と応答があり、奥から接客係(客行) が現れた。
私は、式台に横向きで腰をおろし、両手をついて、 額をくっつけて名乗りをあげ、当山で修行をしたい旨告げた。
 
「当僧堂は、ただいま満衆である…早々に立ち去りなさい」
客行はそう言い捨て、 立ち去った。一時間ばかりして再び現れ、「まだ居るのか」と毒づいた。
「おまえのようなものは勤まるまい」とも言った。 「既に修行に入ってしまっている今頃、のここ出てくるのは何事か。その上、到着時刻は過ぎているし、 装も法のごとくでい」
 
あとでわかったことだが、修行が始まって半月も遅れてやってきて、 到着時刻早朝とされているのに、 八時だった。
出かける前に住職が知らん振りして、教えてくれなかったのだ。
昼になった。客行が現れて、昼食だけはとらせてやるから、 済みしだい立ち去ようにと告げ、 台所の片隅に案内された。
 
午後、再び式台で同じ姿勢をとった。時々客行が来て、 嫌味を言っては奥に消えた。 そういう姿勢を保持することは、既に限界に達していた。 横座りの姿勢で、骨格と関節をねじり続ける姿勢。首は充血し、肩は痛み、 体全体がしびれて、まったく生きた心地はない。
 
夕刻になった。奥の方から庭に向かって掃除が始まった。
私は邪魔だとわかっが、動かなかった。相手のことなど構っておれないのである。 この難関を通過できるかどうかの瀬戸際なのである。
「退け!」と、鋭く叫んで、手にしたほうきで私の頭を小づいた。
体中に電流がた。不思議なことに深い感動を覚えた。
なんという尊い所へ来たのだろうと思った…。                                      
 
- * - * - * - * - * - * - * - 
タイ国では、成人男子はすべて、一度仏門に入らなければならない。
韓国にも兵役がある。 日本にもは兵役があって、若者はそこで鍛えられた。
「鉄は熱いうちに打て」と言う…肝の坐った男らしい男…いわゆる日本男児育てるには、 一度はこのような試練を経験することだろう
 

2010年08月19日

禅僧・関 大徹「座禅三昧の苦行」

 

■無我の境地
 
某テレビ番組で…修行を積んだ禅宗のお坊さんが座禅を組んで瞑想する。
その前を小学生の鼓笛隊が通り過ぎて行く。
頭には、何箇所もセンサーコードを貼り付けられ、測定器の針が地震計の
ように、脳が反応するのを画面に映し出し、見せようという趣向。
 
座禅を組み瞑想する禅僧の前へ、「ピーヒャラドン!ドン!」とけたたましく、
楽団が近づいてくる。
禅僧と並んで一般人が数人、同じく座禅を組み、センサーを付けている。
 
鼓笛隊が近づくにつれ、測定器の針はちじに乱れ始め、目の前を通り
過ぎる頃には、測定器の針は、振り切れんばかりに激しく波打っている。
何とか冷静でありたいと思うのだが、心の乱れを抑えることができない…
 
方や禅僧…無我の境地に入り込んで、石のごとく静かに瞑想…
測定器は…と見れば、おだやかな水面のごとく、乱れるところがない…
目の前でドンチャカやっていても、外界の雑音が届かない瞑想無我の
境地にいる…
 
 

790 【心と体の健康情報】                                                                             ~禅僧・ 関 大徹~                                                                       「座禅三昧の苦行」

お盆にちなんで、人生の書、禅僧・関 大徹の「食えなんだら食うな」から…
 
大正十四年夏、関 大徹は、福井県小浜にある発心寺の門を叩いた。
「毎日饅頭が食える」と、饅頭食いたさに頭をまるめて丁度十年。
いよいよ、本格的な禅の修業に入ることになった。
 
一人前の雲水になるための入門の儀式となる、 かなりきついお勤めをした。
一日中座っている…用便のとき以外、 立つことは許されない。運ばれてきた食事を作法通りいただくと、直ちに座禅三昧に入る。
 
大徹は一人で、まるで無限のように感じられる”時間”との格闘が始まった。
蝉が啼いていた…騒がしく騒然と啼いている… と最初は聞こえた。
それが、実は、一定の”気息”のようなものがあり、 それは大自然の気息と一体になっていると言ってもよく、一つに融けあった世界だと知って、大徹は自らの気息も、 その蝉の”無心”に移しかえていく心境になった。
 
この一週間、大徹にとって蝉は師であり、仏であった。
そして、大徹自身が蝉になった。夜間も座禅は続く… 意識がもうろうとしてくる。
 
そういうとき、不意に蝉が啼いた… 蝉の周辺で自然の気息をかきまわすような、 何か、異変が起こったのであろう。 蝉が叫ぶ…蝉の叫びは、 もうろうとした私をよび醒ました。蝉の驚きが、大徹の驚きになった… 大徹は、蝉になっていた。
 
旦過寮(入門の儀式)を終えて、正式に入門を許され、 雲水の生活が始まった。座禅、 作務、勤行といった日々。そういう日常の中に、 毎月一回、一週間の「接心」 に入る。 入門の儀式と同じ座禅三昧である。
 
この時、原田祖岳老師じきじきの指導がある。大徹の 「蝉座禅」には、感じるとこがあったのだろう…”初めての悟り”は近いと言われた。
十二月一日からの「接心」のお勤めで、大徹は” 初関(初めての悟り)”を得た。
 
”初関”がいかなる内容であったかという点については、 筆舌には表難い。
いて言うなら、「座禅三昧」の果てにたどり着いた、 一種の宗教的恍惚かもしず、恍惚と言ってしまえば身も蓋もないが、やはり恍惚としか言いようのないった。

2010年08月09日

禅僧・関 大徹「食えなんだら食うな」

■”布施”とは、与える徳
 
他人に布施(施し)をしなさい。そうすれば来世で救われる…
仏教の教えです。
布施とは与えること…「与えれば””になり、貰うと””になる」
”徳”とは…他のために自己の能力の最善を尽くすこと。
       そうすると、形を変えて自分に返ってくる。
 
得は…博打で儲けたり、才覚で思わぬ儲けを手にしたりするが、
    長続きしない。
徳という字は…「人が行う十四の心」と書く。
十四とは…「八正道」の八と「六波羅密」の六を合わせた数字です。
八正道とは…人格を完成するために実践する、八つの正しい道をいう。
        (正しい見方、正しい思惟、正しい言葉、正しい行い、
        正しい生活、正しい努力、正しい願い、迷いのない境地)
 
六波羅密とは…施す、慎む、忍ぶ、励む、静める、学ぶを表し、
          菩薩が実践すべき徳目になる。           
本当の”徳”というのは、日々の積み重ねの中から生まれてくる。
 
 
788  【心と体の健康情報】
~禅僧・関 大徹~「食えなんだら食うな」
 
人生の書、禅僧・関 大徹 著「食えなんだら食うな」からの抜粋です。
 
貧乏こせがれの”関 大徹”が、仏門に入ったのは十三歳の時、 大正四年である。寺に入れば饅頭が腹いっぱい食えるとそそのかされ、のこのこついていったのが、 運の尽き。
ところが寺で出される食事はひどい麦粥。毎日…朝も、昼も、 夜も粥…朝から晩まばっかり。
たまりかねて和尚さんに尋ねた…「いったい饅頭はいつ食わしてくれるのか?」
答えは「饅頭食いたかったら、せいぜい修行せよ…修行して偉い坊さんになったら、饅頭なんかいつでも食える」
 
十日目に、我慢できずに寺を脱走…40キロ歩いて生家へ逃げ帰った。
大徹の姿を見て、母は喜んでくれた… 父も喜んでくれると思った。ところが、こわい顔をして 「何しにきた、 ここはおまえの家ではない…すぐ戻れ!」… このときの父親の一言が、大徹の人生を決定した。
 
当時、小学校の五年生だったが、朝、托鉢をすませてからでないと学校に行けい。 四時には床をたたんで、四キロ先の大野市まで乞(ぎょうこつ)に行く…往復十キロにもなる。
 
帰ってきて、托鉢してきた米で粥をたき、塩を入れて食い、残りをブリキの茶筒に詰めて、弁当として学校へ持っていく。 托鉢に回っても、米を喜捨してくれる人がなかったら、喜捨してもらえるまで回らねばならない。
 
それでも、恵んでくれる人がなかったら、手ぶらで帰るよりほかく、手ぶらでると、 朝の粥にありつけず、昼の弁当の粥もない。 「食えなんだら食うな」と厳しさを、 物心つかない幼い頃に、身をもって体験させられたのです」
 
- * - * - * - * - * - * - * - * - 
時代が違うと言ってしまえばそれまでだが、「てんびんの詩」 の近江商人の子も、NHKの「おしん」 も、我が子に人生の試練を積ませている…まだ幼い我が子を人様に預け、 子離れしようと耐え忍ぶた、偉い思うす。
 
「食えなんだら食うな」には、「食うことのできない己が…」という懺悔(ざんげ) が込められている。禅僧は”乞食”に頼っている…お恵みを得て、 食えるべきでなが、食わしていただいている。 それを実感として、小僧の体に叩き込まれるのです。
 
日本の歴史で、最も豊かな時代に生まれ、何不自由ない平和な時代をらしてきた私たち…
昔の人から見れば、呆れるほど満ち足りて幸せなはずなのに、家族を養えみ、 が無い悩み、世間体に悩み、 出世が遅れたと悩み、 周りと見比べて悩むキリのない煩さいなまれながら、暮らしているのです
 
妻帯せず、俗世界の欲すべてを捨て去り、 明日の食うものも保証されない禅には、 失うものなど何もない…故に悩むこともないのです。

2009年12月03日

指体操の効用

■「健康法に王道なし」                         
 
長寿の教育学者として知られ、今も現役で活躍する昇地三郎さん…
御年103歳。100歳の時、「各国の大学に招かれて、世界一周講演旅行に出かけます」と、講演終了後に、 聴講生の私たちに話されましたが、昨年も、そして今年も、世界一周講演に行かれたとのこと。
 
100歳を超えて尚、お元気なのは…「その秘訣は毎日の習慣にある」と言う。
三歳の頃、母親に躾けられた習慣に「食事を一口30回かむこと」があり、現在も続けている。
その他「棒を使った五分間体操」、背筋を曲げないために「硬いマットに寝る」、「寒水摩擦」は欠かさず、「新聞を四紙全て見る」 …を習慣にしている。
 
「健康法に王道はありません。体に良い平凡な生活習慣を、コツコツ続けることです」と語る昇地さん。 100歳を過ぎて益々お元気なお姿に、驚嘆するばかりです。長寿の秘訣は、「日々の、良き習慣の蓄積」 にあることを教えられました。
 
719  【心と体の健康情報】
「指体操の効用」
 
毎朝5時起床。洗顔のあと、最初に「ヨーガ」をやる。
吸って・吐いて~、首を上げて止めて、下げて止めて~、左右にゆっくりねじり、 そしてグリグリ。肩甲骨を開いて、閉じて、 背骨を伸ばし、縮めて、吸って・吐~、屈伸してひねり、太もも・くるぶし、体中の筋を伸ばす…そして、 全身の力を抜き、瞑想 朝の10分のヨーガが、身体にエネルギーを注ぎ込んでいく。
 
加齢とともに、細かい動作が苦手になり、持久力も衰えてくる。運動機の衰えを意識する歳になった。 そんな自分を、「もう年だから…」と悟ったりしてはなりせん。 筋力は、70歳を過ぎても、鍛えればアップするし、運動機能も、毎日続けると身に付いてくる。 テレビを見て、何もしないでいると、どんどん衰ていく
 
何か一つ、楽しくやれることを見つける。毎日コツコツ機能アッブに精を出す… で出来なかったことが、 出来るようになるから楽しい。
4年前、上手くなりたいと、道具から靴まで一式買い揃え、始めたゴルフ… ようやく100が切れるところまできた… 続けていれば、 ある程度は上達するものです
ところで、もっと簡単に誰でも出来ることがあります… 毎日少しづつ、一ケ月続ける。 考えなくても勝手に体が動き、三ケ月も続けると、 一生忘れない特技?になる。
 
■[2~3日で覚える簡単な” 指体操”
 ・左手と右手を前に、「1人ジャンケン」をします。
 (1)左手グーの時、右手パー (2)左手チョキの時、 右手グー
 (3)左手パーの時、右手チョキ
 
右手が勝ち、左手が負けます。(1)~(3)を繰り返し練習します。
2~3日で覚えられます。 体が覚えると、頭で考えなくても、 勝手に手が動いてくれます。
 
■[ちょっと努力しないと覚えられない” 指体操”]  
 両手を開きます。(1)左手の親指を折る。
  次に(2)左手人差し指と、 右手親指を同時に折る
  次に(3)左・中指、右・人差し 指を折る
  というふうに、(4)順に一つずつずらしながら、 ゆっくり折っていく。
  すると、左はグウ、右は小指だけ開いた、グウの形になる
  続けて(5)左手小指を開き、右手fはグウ
  (ここの切り替えが難しい。繰り返し練習しないと、後が続かない)
 
  続いて(6)左手薬指を開き、右手小指を開く
  順に(7)左右の指を開いていくと、
 (8)左手・パー、右手・親指だけが閉じた形になる
  続けて(9)左手親指折る、右手パー
  (ここの切り替えが難しい。繰り返し練習しないと、続けられない)
  (10)左手人差し指折る、右手親指折る
 
このように、左右変則折りを繰り返します。慣れるまで声を出して繰り返します。私は、車を運転して、信号待ちの時に練習しました。 繰り返していると、だんだん出来るようになり、 早く出来るようになります。この動作を休み無く続けられた、体が覚えたのです。
 
会社で、新しい目標にチャレンジしようとする人に、やって見せます。根気よくやり続ければ、 いつかは必ずなし遂げるであろうことを、 理解させるために…

2009年10月15日

体内時計

■時差ぼけ
 
1月…気温35度、 真夏のオーストラリアでスキューバーダイビングを楽しみ、 10時間後、成田に着いたら、そこは真冬で気温5度… 30度の気温差に加え、時差ボケ… この二つの環境変化に対応出来なければ、 海外旅行は楽しめません。
 
私は、時差ボケの経験がない…何故?  そのワケを考えたこともない…「時差ボケに強い体質だろう」 程度に思っていたのです。
先々月、モンゴルからの帰路、機内でたまたま「海外出張の達人」 の記事を読んで、 時差ボケに強い理由が分かった。
 
機内では「出来るだけ眠らずに起きている」… これが、差ボケ防止になるのです。
例えば、 アメリカからの帰路 ほとんどの人は機内で睡眠取ります。
が、 私は暇さえあれば本を読んでいる。 消灯後も映画を何本も見て、 2~3時間しか眠らない 機内で寝てばかりいるのは、時間がもったいないのです。
 
同日早朝成田着… 羽田経由で自宅へ…夜10時、バタンキューで”爆睡”… 翌日、時差ボケ知らずで、 さわやかに仕事に就くことが出来るのです。
 
706 【心と体の健康情報】
「体内時計」
 
毎朝5時起きが習慣の私…10月半ばともなれば、 外はまだ真っ暗 なのにッと目が覚める。 体の中に時計があり、夜の就寝時間関わなく、一定時刻になると自然に目が覚めるのです。
時計遺伝子と呼ばれる体内時計が、 体に指示を与えてるのです。
 
体内時計は、体内で24時間周期のリズムを刻んでいる。
そのリズムは、太陽の周期、 月の周期が大きく関わっていて、自分では気づかない、確かめるこのでない時計です。
夜、一定の時刻になると、急に眠気がさしてくるのも、 体内時計仕業です。
 
海外旅行に行った時など、現地の昼夜リズムと、 体内時計にコントロールされる睡眠覚醒リズムにズレが起きて、 時差ぼけが起こります。疲れているのに、なか眠れなかったり、 逆に昼間から眠くなって困ったりします。
 
体内時計は、すべての生物が所持している。大学で、 ネズミを使って実験したとろ、 窓のない、明るの変化のない所で飼っていても、体内時計の働きで、 24時間ごとに活動・ 休息を繰り返す。
 
ところが、脳の中の時計回路を破壊すると、24時間周期が消え、活動・休息が不規則になることが確かめられている。
 
この体内時計、以前は脳にだけあると思われていたが、最近になって、 肝臓肉、肺、心臓といった臓器にも、存在することが分かってきた。
 
急に空腹を感じて、お昼が近いことに気づくのは、脳の指令によるものではない。 毎日ほぼ決まった時刻に、 胃の筋肉や、消化管、肝臓を働かせなければならない。
食事の時刻少し前になると、内臓の体内時計が、 食物を受け入れる準備に入るう、 促すのです。
 
体内時計のリズムにも、ズレが生じてくる… そのズレの修正に大きな役割を果たすのが”光”…私たちは毎朝、太陽の光を浴びることで、体内時計がリセットされるのです。
 
毎朝の散歩は、リセットに必要な強い日光を、 一定時間浴びる役目を果たしてくれるのです。
夜勤の多い看護師さんや、 夜間勤務に携わる職業にガン発症率が高いのは、長年生活習慣からくる、 体内時計のズレが大きく関わっているのです。

2009年07月06日

ヨガの薦め

「不況克服の心得十ケ条」    松下幸之助
 
 1. 「不況またよし」と考える
 2. 原点に返って”志”を堅持する
 
 3. 再点検して、自らの力を正しくつかむ
 4. 不退転の覚悟で取り組む
 
 5. 旧来の慣習・慣行・常識を打ち破る
 6. 時には一服して待つ…
 
 7. 人材育成に力を注ぐ
 8. 「責任は我にあり」の自覚を…
 
 9. 打てば響く組織づくりを進める
10. 日頃から、なすべきことをなしておく
 
 
679 【心と体の健康情報】
「ヨガの薦め」
 
世の中のスピードが増して、便利になっていく中、 あらゆる情報が時空を越え、伝わってくる…毎日が慌しく目まぐるしく過ぎて行く… 仕事は忙しく、の経あまりにも早い。 もっとゆっくり、 シンプルに生きたいものです。そんな思いしてくれるものに” ヨガ”がある。
 
朝5時、太陽が山から神々しく顔を出す…その太陽の光を浴びて”ヨガ”をやる。 両足を揃えて立ち、大地を踏みしめる。お腹を引っ込め、 さわやかな空気をっぱい吸って、両手を天に伸ばす…静かに息を吐き、 合わせた両の手を顔面ろしてくる。
 
太陽を拝み…しばしそのまま、 降りそエネルギーを浴びて、
今日の始まりに感謝する。 10分間ヨガで体がほぐれる… 身体の細胞が生き生きしてくる…毎朝のです。
 
インドでは古来、”ヨガ”は出家した修行者たちによって伝えられてきた。 修行者は世俗を離れ、 自分の内面と向き合い、 厳しい修行の積み重ねによって、 ヨガのを今に伝えてきた。
 
ヨガで大切なのは「吐く・吸う・止める」の” 呼吸法”、そして”瞑想”。 の中心をなす呼吸は、目に見える身体と、 見えない精神を結ぶ役割を担っている。私たちは嬉しい時、楽しい時、くつろいだ気分の時…ゆっくりと呼吸します。怒っている時、恐れている時は、呼吸が激しく乱れます。
ヨガを体得した人は、呼吸をコントロールすることを覚えるという。
呼吸がコントロー出来たら、意識もコントロール出来るようになる。
ヨガを体得すると、「身体と呼吸と意識」を調和させることが出来るようになる。そして、どんな時でも冷静で、幸せいられるようになるのです。
 
およそ二千年前に書かれた、ヒンドゥーの聖典バガヴァッド・ギターの第六章に、 「ヨガの定義」が記されている。
 
「ヨガとは、どんなことにも動揺しない意識の状態をいう。
風のないに置いた灯火が、けっして揺るぐことが無いように、
ヨガをめた人は、心をしっかりとコントロールすることができる。
また、大きな困難に遭遇しても、動揺することなく、すべての苦し
から解放される。それが、ヨガと呼ばれるものである。
このヨガを、ひるむことなく、 決然と修めよ」
 
苦しみから解放してくれる”ヨガ”…ブッタもキリストも皆”ヨガ”をやった。
「”ヨガ”を会得すれば、健康で幸せになるだけでなく、 周りの全ての人や生き物に立てる」と、ヒンドゥーの高僧は、世界の人々に語りかけるのです。
 

2009年06月16日

ヤル気の源泉

「脳は鍛えれば活性化する」

脳は、年齢とともに機能が衰え、記憶力や理解力が悪くなっていくと思われがちです。しかし、芸術家や大学教授、政治家など、 頭を使う職業の人を傍から見ていると、そんな衰え…まったく感じられない。

日本における論語研究第一人者"伊与田 覚"先生…今年93歳になられる。
私たちに論語を教える時、滅多に使わない難しい漢字を、白板にすらすらと書く。
字を忘れたと、手が止まったことはない…頭脳は冴えわたっている。

年老いてボケる人は、毎日が平々凡々、脳に刺激を与え、脳を育み、鍛えることをしなくなったことに、原因があるようです。
「脳と筋肉」は、何歳になろうと年齢に関係なく、鍛えれば鍛えた分だけ活性化する。
結果、若さが持続され、周りから「若い」と言われるのです。


【心と体の健康情報 - 673】
ヤル気の源泉

昨年の夏は、北京オリンピックで大いに湧きましたが、「アテネより超気持ちいい」と、次々に記録を更新し、 競泳男子平泳ぎ百メートルで、二連覇を果たした北島康介選手…一時引退との噂が流れましたが、次のオリンピックを目指して、 新たなスタートを切っている。
100メートルで世界新を出した後に、「何も言えない…」と涙し、「誰よりも金メダルを取りたい気持ちが、強かったんだと思う」 と語ったのが、印象的だった。
いつも自信満々に見える北島選手ですが、前々回のアテネ以降、メダリストが陥る目的喪失、モチベーションの低下、勝てない日々、 更にケガと、不調が続いていた。

そんな彼が、ゆるぎない自信と強さを身につけて、北京の晴れ舞台に登場したのです。メディアは、その強さの裏に 「勝負脳」ありと報道した。
北京オリンピック後に、勝負脳という言葉が、静かなブームになったのです。
『勝負脳の鍛え方』の著者である、脳外科医の林成之氏は、著書の中で、何事にも否定的で、やる気・意欲が出ないのは、 「脳が疲労状態にあること」が原因であるとしています。
脳の疲労には"心"が深く関係しています…「いろいろなストレスを抱えている」「解決しない悩みごとがある」「性格が暗く、 いつも悪いほうに考える」等々…
そういった状態に陥っている自分を打開するには、「性格を明るくする」「たえず明るく振舞うようにする」ことが第一です。

勝負に強いスーパープレイヤーの多くは、何事にもめげない明るい性格を持っている。日常生活において、 「てきぱきと仕事や目標をこなし、エネルギッシュに行動する習慣を鍛えることが大切」と、述べている。

北島選手の場合…競り合いに負けない脳の使い方を、林医師のレクチャーで身につけた…脳の仕組みを知って正しく使えば、 勝負に勝てるようになるのです。
「勝負脳」を鍛えた結果の、金メダルなのです。

林教授は、"勝負脳"のレクチャーの中で、北島選手に以下の6ケ条を伝授している。
「プールと一体化した…と思えるまで集中する」「プラスのイメージを持ち続ける」
「常に全力で練習する」「否定的な言葉を使わない」「4拍子半のリズムを保つ」
「ライバルに意識を向けるのではなく、自分に勝つ」

キーワードは、「明るさ」と「心の持ち方」にあるようです。
つまるところ、「平常心を保つことができる力」…それが勝負脳ということになります。

明るい」「肯定的」 「プラス発想」…この三つは、スポーツに限らず、 ビジネスの世界でも、地域社会の中でも、持てる力・能力を、ここ一番という時、最大限に発揮できる、"ヤル気の源泉"になるのです。

「今週の倫理」590号/林 成之著「勝負脳の鍛え方」より

2009年05月01日

宮城まり子とねむの木のこどもたち

私たちの年代で、「ねむの木学園」や「しいのみ学園」を知らないという人は、少ないだろう。
今年、「しいのみ学園」の曻地三郎氏は103歳に、「ねむの木学園」の宮城氏は82歳になる。
二人は現在も理事長・園長として現場に立ち、障がい児童の療育に忙しい日々を送っている。
曻地氏は、長男と次男が相次いで脳性小児マヒになった。
障がい児童の就学受け入れ先がなく、悩んだ。
なら自分が…同じ悩みを持つ子どもを引き受けようと、先祖代々の家屋敷を全て売り払い、昭和29年(1954)、 精神薄弱児の通園施設を開設した。

■しいのみ学園の「療育精神」

 

山の中に捨てられた小さな"しいのみ"は、人や獣に踏みにじられているけれども、 これに温かい水と太陽の光を与えるならば、必ず芽を出して来る。
障がい児は固い殻をかぶって動こうとしない。
その固い殻を槌や小刀で破ろうとすると、殻は破られるが、中身が傷ついてしまう。温かい水と太陽の光をじっと与えて、 気長に待っていると、殻はやぶれて芽が出てくる。これがわからないといけない。

"温かい愛情と厳しい研究" これがしいのみ学園の精神である

 


【心と体の健康情報 - 661】
「宮城まり子とねむの木のこどもたち」

連休スタート初日の4月29日、「ねむの木のこどもたちとまり子美術展」(4/28~5/23金沢21世紀美術館)を、 妻や孫たち、家族連れで鑑賞した。
会場で、宮城まり子さんと、ねむの木学園のコーラスグループの皆さんにお会いした。
車椅子に腰掛けて指揮する宮城まり子さん…プロはだしの団員のコーラスを聴いて…感動がこみ上げてくる…
展覧会会場に入り、展示されている子どもたちの作品を見た…瞬間…それは、想像をはるかに超える、一流アーチストの作品だった… 見る者を引きつけて離さないのです。
障がいを持った智恵遅れのこどもたち…その絵筆から産まれた絵…語りかける創造性・感性・表現…言葉では言い表せない、 心の内からの筆づかい…生きている息遣いとなって、伝わってくる。
以下、宮城まり子編「ねむの木のこどもたちとまり子」画集から…

~しょうごの世界~

 

中学を出た時も、 一字もかけず、又、読むことも出来なかった。
かぎのような、かっこのような、すじをかくのが、しょうごの字である。
「まりこさん、えをかく」彼はそういって、つぎつぎ絵をかく。

一字もかけないしょうごから、私に手紙がよく渡される。
子どもたちが「ま」と「り」と「こ」の三文字を、彼に教えた。

その形が「ま」 と読むことを、彼は知らない。
けれど、「ま」と「り」と「こ」ばかりかきこんだ手紙がとどけられる…

まりことこども(とみやま しょうご)
まりことこども(とみやま しょうご)

白鳥がいなくなったの…どこへいったかぼく知っている(ほんめ つとむ)
白鳥がいなくなったの…
どこへいったかぼく知っている
(ほんめ つとむ)
秋のドレス(かわむら たかゆき)
秋のドレス
(かわむら たかゆき)

私は、宮城まり子の中に天使を見た…まり子は天使たちと暮らしている…

■宮城まり子プロフィール
1927年東京生まれ。昭和30年「ガード下の靴みがき」で歌手デビュー。
その後、舞台、テレビで活躍。昭和43年、日本で初めて肢体不自由児養護施設「ねむの木学園」を創設。その後、 子ども達の映画を製作監督して、広く世に知られるようになる。
昭和59年、ねむの木のこども達による劇団「虹」を結成。コンサート活動を始める。
2年後に始めた本格的コーラスが評価され、ビクターからCD発売。子ども達の劇団とともに、芸術祭賞など多数の賞を受賞。

2009年03月14日

生活習慣病「糖尿病」

■西郷隆盛と糖尿病

メタボといえば西郷隆盛…ピーク時の体重は、110キロにもなった。
沖永良部島に島流しになって1年6ヶ月。格子牢生活で、塗炭の苦しみを味わった。三食とも、冷飯に焼塩を振りかけるだけという食生活。 赦免されて帰ってきたときは、38キロ減って、72キロのスリムな体になっていた。
赦免されてからの7年間は、獅子奮迅の活躍…禁門の変で奮戦し、第一次長州征伐では、単身長州に乗り込み、戦わずして講和に成功。
そして、坂本竜馬の斡旋で、犬猿の仲の長州と同盟に成功した。

その勢いで、王政復古、更に、鳥羽伏見の戦い、江戸城無血開城と、肉体的にも、精神的にも、 計り知れないストレスに見舞われたこの時期…糖尿病を病んでいたのです。
生来肥満体質の西郷は、いつしか元の110キロに戻っていた。

糖尿の病を心配された明治天皇は、直々に減量をすすめられた。
天皇のドイツ人侍医が、西郷にヒマシ油を飲ませ、減量を試みた。
只でさえ飲みにくいのに、量が多いものだから、さすがの西郷どん、侍医を差し向けると閉口して、「これだけは…」と、逃げ回ったという。


【心と体の健康情報 - 648】
~生活習慣病~ 「糖尿病」

チョコレートが大好きな私、バレンタインで貰ったチョコレートを、血糖値とメタボを気にしながら、小出しにポリポリ食べている。

厚生労働省の調査によると、「糖尿病が強く疑われる人」690万人、「糖尿病の可能性を否定できない人」680万人… 合わせて全国で、1,370万人が糖尿を病んでいると、推定している。
ところが、糖尿病の治療を受けるため、病院に通っている人はわずか212万人。
なんで?…糖尿病は初期の段階では、痛みなどの自覚症状がないために、定期健診などで、医者から警告を受けても、つい放置し、 先延ばしにしてしまうのです。

生活が贅沢になり、体を動かさず、飽食から生まれた文明病…それが糖尿病です。
糖尿病は治療しても治らない病気です。また糖尿病は、遺伝的要因の高い病気で、両親に心当たりがあれば要注意です。 予防に心をくだく必要があるのです。
不幸にも糖尿と診断されたら、血糖値をコントロールして、恐い合併症を防ぐことが何より大切です。

血液によって運ばれるぶどう糖などの栄養素を、身体の組織が活用するのを促すため、 すい臓からインスリンが分泌されます。このインスリンの働きが不足すると、 エネルギー源となるはずの、ぶどう糖などの栄養素が血液中に溢れて、血糖値が高くなり、尿に糖が出るようになります… これが糖尿病の始まりです。

糖尿病は、遺伝や生活習慣と関わりが深いのですが、多くは、遺伝的体質を持っているところに、「食べすぎ・飲みすぎ・運動不足・ 加齢」などが加わり、発症するのです。
糖尿病は、初期の頃は自覚症状がなく、症状が出たときは、既に合併症がかなり進行してしまっている…そんな怖い病気です。 やたらとのどが渇き、尿が多くなり、体重も減ってきます。

「糖尿性腎症」は、自覚症状が出るに従い、急速に悪化…腎不全になって、 人工透析が必要になってきます。年間1万人以上の透析患者が、新たに生まれているという。 糖尿病が進行すると視角障害になり、失明してしまう…恐い病気です。

以前私が勤めていた会社の後輩…40過ぎに会社を辞め、独立起業した。
さあこれからと張りきっていた矢先、20代から慢性的に患っていた糖尿病が悪化。
視力を失い、車の運転が不能になった。仕事が出来なくなり、収入が途絶え、妻がパートに出て、家計を支えなければならなくなった。
将来に絶望し、1人家に閉じこもる日々…糖尿病を甘く見た結果の不幸です。

定期健康診断による早期発見、早期治療がとても大切な病気です。

2009年02月20日

青息吐息

■「胆識」

東洋政治哲学・人間学の権威で、日本の政・財界の啓発・教化につとめた"安岡正篤"先生がよく語られた言葉に、 「知識・見識・ 胆識」があります。

「知 識」…本を読んだり、人の話を聞いたりして得られたもので、
       知識として身につけることで、人間としての深みが増してくる。
「見 識」…自身の経験によつて得られたもので、何か問題に直面した時、
       的確な判断材料になります。
「胆 識」…何かを決定し行動しようとすると、反対され、阻止されることがあります。
       自分が正しいと信ずるなら、そうした反対に流されることなく、
       やり遂げようとする力、その実践的判断力を"胆識"といいます。
       いくら多くの知識があっても、すばらしい見識を持っていても、
       胆識がなければ、何も始まらないのです。

山口勝朗著「安岡正篤に学ぶ人間学」より

発言を追及され、前言を簡単に撤回してしまう麻生総理…発言のブレに象徴される場当たり的な政権運営… 指導者に求められる"胆識"が備わっていないのでは?

2/11中日新聞「中日春秋」


【心と体の健康情報 - 642】
「青息吐息」

毎朝起きて直ぐ、"10分間ヨガ"で身体をほぐすことから、私の1日が始まります。
ヨガで大切なのは、吐く・吸う・止めるの「呼吸法」と、「瞑想」…。
体内にある邪気すべてを、体外に吐き出すかのように「息をゆっくり吐く…」。
緊張感がゆるみ、心がゆったり、気が楽になり、晴れ晴れとした気分になります。

次ぎに、朝の外気をたっぷり「吸い込む」…気息が内へ向かい、新鮮なエネルギーが体内に満ちてくる…気力が充足し、 体がシャキッとしてくる。
そして「息を止める」…心気は一点に止まり、気が集中し、全身に充実感がみなぎってくる。
呼吸法を習得すると、自らの精神の安定と、心身の健康に大きく寄与するようになる。
東洋医学、西洋医学を問わず、医学界では"呼吸"の研究が盛んに行われている。アメリカの医学雑誌に、 人が様々な精神状態で吐く息の色の一覧が発表された。
息には様々な"色の違い"があることが、分かってきたのです。
笑う、泣く、怒る、妬むなど…精神状態によって、吐く息の色が異なってくるのです。

液体空気が入った冷却装置に試験管を入れ、息を吹き込む。息が冷やされて、底にカスがたまる。平常心の息のカスは"無色"である。 憎悪憤怒の口から吐き出される息は、毒々しい"栗色"になる。それをモルモットになめさせると、ひどく興奮し、頓死することもある… それは、他のいかなる毒よりも猛毒である証拠です。

少し前になるが、ある大きな会社の社長に面会した。社長室に案内され、部屋の空気を吸った瞬間、言葉を交わしてもいないのに、 オーラを感じ、無意識に頭を垂れていた…部屋の空気を吸った途端、そうせずにはおられなかったのです。

夫婦喧嘩をした時もそう…何故か冷静でいられなくなり、感情が激してくる。
それは、喧嘩相手が吐く息が脳を刺激して、興奮してくるのです。

日頃、何かにつけ腹を立てる人は、自らを自殺に追い込んでいるようなものです。
先ず肝臓がやられる。胃潰瘍や肝臓ガンは、こうした心理状態に起因して、発症すると言われている。
穏やか平穏に暮らすことが、健康には一番いいのです。
良い精神の人は和気を吐く。が、悪い精神の人は毒気を吐き散らすのです。
前号で「益友」の話をしたが、益友の吐く息が、脳に良い影響を与えるのでしょう。

歌舞伎「菅原伝授手習鑑」の「寺子屋の段」では、主君の子の首を討たねばならぬ羽目に陥った主人公が、 思案の末に、その日弟子入りしたばかりの子供を身代わりに仕立てて首を打ち…差し出した。首実検にやってきた役人… 実は子供の父親だったのです。
我が子と知りながら、「主君の子の首に相違なし」と言って、引き上げます。
その時の主人公の心境を浄瑠璃は、「青息吐息 五色の息を一時に吐く思ひなり」と、 表現している。

伊藤節子・著「父 安岡正篤を語る」

江戸の昔の人も、悲しみや怒りなどで吐いた息を、赤とか青で表現しているのです。
100年に一度の大不況と言われる今…国も私たちも、青息吐息では困ります。
何事もプラス思考に、赤い気炎を挙げて、不況を乗りきりたいものです…。

2009年01月30日

風邪と抗生物質と国際テロ

■インフルエンザの種類と特徴

[A型] 危険性はとても高く、毎年流行する。時に爆発的に大流行する。
     ロシア型、香港型のほか、人への感染が懸念される鳥インフルエンザもA型。
[B型] 危険性は高い。A型に比べ流行の規模は小さく、ワクチンが効く。
[C型] 危険性は低い。症状は軽く、ワクチンが効く。

1月になって、寒い日が続いたせいか、例年より早くインフルエンザが流行っている。
県内の流行のピークは、1月末から2月初めになるという。
一昨日、孫が香港A型にかかり、保育所を休んだ。また、取引先のK夫婦、二人揃ってダウン…ご主人は39度の高熱で、奥さんの手に負えず、 救急車を呼んだ。

今年のインフルエンザ、ロシア型に感染すると、タミフルも予防注射も効かないという…ならば、風邪を引かないようにするしかない。
人ごみを避ける、外出時にマスクをする、手を洗う、うがいをする。


【心と体の健康情報 - 636】
「風邪と抗生物質と国際テロ」

たいした風邪でもないのに、抗生物質を安易に処方する日本。
風邪を引いて、町医者に行くと、無理やり解熱剤で熱を下げようとする…
そこで渡されるのが抗生物質。
診察室を出る時、先生「3日分入れておきます…治ったからと、途中で飲むのを止めないで下さい…中途半端に止めると、 菌に耐性が出来ます」と、注意を促す。

以下、(株)山田養蜂場/代表・山田英生氏「緑が地球を救う」から…

抗生物質を飲むと、確かに治りが早い…。
ドイツに旅行した時、扁桃腺が腫れたので、薬局で抗生物質を買おうとしたら、「医師の処方箋がないとだめ」と、 売ってくれませんでした。

病院に行って「処方箋を書いてほしい」と頼んだら、老医師は…
「この程度で抗生物質は出せない。レモンでも絞って飲み、一晩ぐっすり寝れば、直ぐ治る」…その通りしたら、 翌朝熱が下がっていた。

無理に熱を下げ、体内に閉じ込めると、逆に風邪が長引き、完治を遅らせてしまう。人体のメカニズムは、発熱し、 熱を外へ逃がすことで免疫力が活性化し、ウイルスを排除しようとする。

抗生物質は、菌をやっつけるために開発された…ところが、抗生物質に負けない菌が出現する…今度は、 その菌を上回る強い抗生物質を開発する…菌と医学のイタチごっこが繰り返されてきたのです。

菌も生命体である以上、生存のために進化していくのは、当然の法則。
今、院内感染が社会問題になっている…医学会では、何れ、どんな抗生物質も効かない耐性菌が現れて、 人類を存亡の危機に陥るかもしれないことを、恐れている。

であれば、菌にプレッシャーを与えず、菌と上手に"共存"できる、健康な身体をつくりあげていくことが、 大事になってくる。
そのためには、病気に負けない身体、つまり「免疫力」を高めていかなければなりません。健康な時に、 病気にならない身体をつくっておくのです。
病気を"予防"することに重きを置く…病気に対する考え方を改めなければならないのです。

「風邪に利く薬はない…卵酒でも呑んで寝なさい…今晩熱が出ますよ」
近所に、こんなことを言う町医者がいる…が、待合室に人はいない。

風邪を引いたら、熱や咳きが出たら…薬で症状を治そうとする。
「仕事に差し障りが出る、寝込むわけにはいかない」と、強い抗生物質の処方を病院に求める患者。そんな考え方を改めない限り、 問題は解決しないだろう。
医者だけの問題ではないのです。

話は横道に反れるが、1月15日、英国の外相が「ブッシュ政権の対テロ戦争は誤りだった」と、 公式の場で盟友アメリカを痛烈に批判した。
インドネシアやアフガニスタン、パレスチナなどに出没する"テロ"。
ブッシュ政権は、武力でもって押さえ込もうと、何度も軍隊を送り込んだ…
が、失敗に終わった。

それまで、各地バラバラに展開していた武装集団を、逆に結束させてしまった。
アルカイダのような強力な国際テロ集団を、作り出してしまったのです。
武力でもって相手を追い詰めれば、相手も必死…生存をかけて、死に物狂いで立ち向かってくる。政府軍の届かない所に潜伏して、 姿を隠してしまう。

地道な対話で、法に従い、貧困を改善するなど、相手が抱える問題に手を差し伸べて、問題の解決を図るべきだったのでは…。

毎冬猛威を振るうインフルエンザ…抗生物質で押さえ込もうとするが、一向に改善の兆しがない…それは、 先進諸国がテロ集団に手を焼いているのと、似てはいないだろうか。

薬で叩こうとせず、菌にプレッシャーを与えず、菌と人間社会が"共存"していく…。
そのために、人の免疫力を高めていくことに重きを置く…そんな考え方があってもいいのではないでしょうか。イソップ物語の、 北風より太陽です。

※関連メルマガ
’07年2月6日No.279~283「癒す心・治る力」をお読みください。
(ページ下の「ブログ」 をクリック、カテゴリー"食と健康"にあります)

2008年11月11日

天職・一生やり続けるものを見つける

■人生が面白い

職業に 上下もなければ 貴賎もない
世のため 人のために役立つことなら 何をしようと自由である
しかし どうせやるなら 覚悟を決めて 十年やる

すると 二十歳からでも 三十までには一仕事できるものである
それから十年本気でやる
すると 四十までには頭を上げるものだが
それでいい気にならずに また十年頑張る

すると 五十までには群を抜く
しかし 五十の声を聞いたとき 大抵の者は息を抜くが それがいけない
これからが仕上げだと 新しい気持ちで また頑張る

すると 六十ともなれば もう相当に実を結ぶだろう
だが 月並みの人間は、この辺で楽隠居がしたくなるが
それから十年頑張る

すると 七十の祝いは盛んにやってもらえるだろう
しかし それからまた十年頑張る
すると この頃が一生で一番面白い


【心と体の健康情報 - 616】
~幸せな人生を歩むために~
「天職・一生やり続けるものを見つける」

■「仕事っていうのは…」

小野二郎さんは鮨を握り続けて57年。この春話題になった「ミシュランガイド東京版」で、世界初の鮨の三ツ星店に選ばれた。
三ツ星の評価を得てからは、3か月先まで予約でいっぱいという。
一日に600個(30人前)は握るが、いくら握っても肩や手首は凝らないし、腰にも来ない。
57年握ってきて、動作が型になり、力むことがない。

三ツ星になったことがすごいこととは思っていない…それが店の評価のすべてじゃない…大事なことは、与えられた仕事を手抜きせず、全うする…これに尽 きると思うんです。
そもそも自分は、鮨職人になりたかったわけではない。料理の才能だって大したことはない。3年前、”現代の名工”に選ばれた時も「どうして自分が?」というのが素直な気持ちでした。
7歳で奉公に出されて、頼る身寄りも帰る家もない。首になれば飢え死にするしかないから、目の前の仕事を必死にやるしかなかった。だから、この仕事は 合わないとか、向いていないとか、そんな若い人を見ていると、一言言いたくなる。
「仕事っていうのは、合う合わないじゃなく、こっちから努力して合わせていくものだ…」

読売新聞「時代の証言者」から抜粋

以下は、”夜回り先生”水谷修先生、「明日を求めて…こどもたちへ」からの抜粋です。
遠藤明さんという…73歳の江戸前寿司職人のお話をします。
江戸・四谷で「まとい寿司」というお店を、もう半世紀近くやっている。
彼の口癖は、「俺たち寿司屋は、ただ魚を切って売る魚屋じゃない。
塩をしたり、酢や昆布で締めたり、一手間かけてお客に魚を出す。これが職人の仕事だよ」

東京湾でタンカーが炎上し、東京湾の魚が捕れなくなったときは、店をしめた。
それほど江戸前にこだわった人でした。
私は、彼と今から30年前の21歳の時に知り合った。
当時も寿司は大変高価で、学生ぶんさいがカウンターに座って、お好みで注文して食べることのでき るようなものではありませんでした。
それでも、アルバイトでお金を貯めて、有名なお店に半年に一度は通っていました。
4月でした…私は、アルバイトで稼いだ1万円を財布に入れ、当時有名だった”まとい寿司”の暖簾をくぐりました。

カウンターに座り、圧倒されました。周りには、私が見知っている有名な俳優や、政治家たちが座っていました。私は、遠藤さんに言いました。
「私は学生です。今日は1万円しかありません。これで支払えるだけの寿司を食べさせてください…」
それを聞いた遠藤さん。
「学生さん、好きなだけ食べていきな。あんたのその1万円、汗流して苦労して貯めた金なんだろう…あんたの1万円は、この店に来る有名な連中の10万円 以上の価値がある…いいかい、学生さん…客を育てるのも、寿司屋の職人の仕事なんだよ…」
それ以来、私は遠藤さんを父のように慕い、30年間お世話になってきました。
遠藤さんの口癖は、「俺の寿司を食べて、お客さんが幸せな顔をしてくれる。それが、俺の一番の幸せだよ…」
彼の寿司は、客によって…また箸で食べるのか、手で食べるのかによって…シャリやネタの大きさ、形が変わっていました。憎いほどの本物の職人でした。

「本物になる」ということは、実に簡単なことです。
自分が志し、目指したその道を天職と思い、一生やり続け、生き抜く…
それが唯一の本物への道です。何か一つ、一生やり続けるものを見つけることですね…。

2008年11月04日

海外旅行での病気対策

ベネチアン・マカオ・リゾートホテル先週4日間、マカオ観光を楽しんだ。
昨年竣工したばかりのベネチアン・マカオ・リゾートホテルに宿泊。
ラスベガスのベネチアンと同じ設計で、 何と、東京ドームが3コも入る巨大ホテル。
1Fは、世界最大規模を誇るカジノ、3Fは、ベネチアの石畳の街並みを再現したショップス…400メートルの運河が3ヶ所あり、ゴンドラが行き交い、カンツォーネの歌声が響く…そして、三千室のスイートルーム。
従業員1万2千名の超豪華ホテルだ。

マカオタワー(338m)マカオに、世界一の高さを誇るバンジージャンプがある。
マカオタワーの233メートルから飛ぶ。
足首にゴムのロープを付け、真っ逆さまに200メートル落下…落下速度は時速200キロ…想像しただけでくらくらする。
私たちの観光案内をした、日本人ガイドの青年が体験…飛ぶと、ギネス記録証明書が貰えるという。


【心と体の健康情報 - 614】
「海外旅行での病気対策」

円高のお陰で、海外旅行が割安になった。
中でもウオンが数前の半分に下落し た韓国がお徳。
気をつけなければならないのが、旅行中の病気。
私は以前、友人数人とパラオへスキューバーダイビングに出かけ、着いて直ぐ 風邪熱で倒れ、救急車で病院に担ぎ込まれたことがある。楽しみにしていた旅行がオジャンになったのです。

旅行前日まで元気だった私…当日、やや風邪気味だったが、一本目を潜ってホテルに帰った直後、気を失った。まさか倒れるとは…。薬は持参していなかった。
気付いたら病院のベッドの上だった。友人達が心配そうに覗き込んでいた。
楽しいダイビングに水を差してしまった私。回復したのは帰国の日だった。

もっと大変な出来事があった。 私の親戚の長男が、大学推薦でアメリカに留学したが、渡米の翌日、事故で亡くなってしまった。
両親や大学関係者が、遺体を引き取りにアメリカに飛んだ。
遺体にはドライアイスが詰められ、金沢に戻ってきた。
日本に運び込むのに、検閲手続きなど、あれこれ大変だったようです。

パラオで支払った治療費は、帰国後全額保険で賄うことが出来た。
日本語が通じない医療制度の違う異国の地で、思わぬ事態に陥らないよう、予防措置をして快適な旅を楽しみたいものです…。

旅行者の医療費負担は国によってまちまちです。
イギリスは応急措置は無料。イタリアも公立病院での診療は無料。
一方アメリカは、日本のように健康保険制度が充実していないので、医療費はビックリするほど高額。集中治療室のお世話になると、数千万円の治療費を請求されたケースもあるという。

'06年、海外で死亡した日本人は484人。うち病死は298人で、事件・事故に巻き込まれての死者を、大きく引き離している。
病死のほとんどが「心筋梗塞」「脳卒中」。50歳以上の旅行者には、この二つの病気に対する備えは欠かせません…と医師は言う。が、倒れるまで、ほとんどの旅行者は、自覚症状がないのが実状…。
血圧の高い人、血糖値の高い人は、旅行に出かける前に、病院の診察・検診を済ませておくことです。
私は旅行前に、必ず歯医者に行き、虫歯や歯槽膿漏の有無を、診察してもらう。治療を要する箇所は、出発前に治しておき、持参する薬も貰っておく。

海外のスキューバー・ダイイビングポイント…町から遠く離れていて、医療が整っていない。出かける時は、目・鼻・耳・歯の異常や風邪の有無など、健康チェックを怠らず、薬を携行するようにしている。

海外でうっかり生水を飲んで、猛烈な腹痛と下痢に襲われ、楽しいはずの旅行を台無しにした話はよく聞く。
日本の水は「軟水」…東南アジアやヨーロッパの水は「硬水」です。
日本人は硬水に弱い…飲んで下痢を起こすのは、硬水のせい。
生水を避け、コンビニでミネラルウォータを買うことです。

2008年10月07日

3連敗の後の4連勝

■韓国勢の台頭と、元気のない日本の棋士界

先週5日の日曜、日本女子オープン最終日。
最終18番ホールでトップに並んだ"宮里藍"。
先月片山津の"横峯さくら"同様、1打差で又も韓国の選手に優勝を持っていかれた。
囲碁界も、つい最近まで日本は世界の碁界をリードしてきました。
中国も韓国も碁といえば、日本の棋士の指導や著書によって勉強したものでした。

ところが十数年前から力関係は全く逆転。
碁の世界戦のタイトルは、ほぼ韓国の棋士に独占されるようになりました。
その背景には、韓国の父母たちの教育熱心があり、10人中9人の親が「囲碁は教育にいい」と信じ、 子どもを囲碁教室に通わせる環境にあります(数年前から日本も…)。

同じ現象が、プロコルファーの世界にも起きている。
韓国勢が日本や米国ツアーの上位を席巻しているのです。
その韓国を、猛烈に追い上げているのが中国。
棋士たちは国家的支援を受け、住み込みで研鑽を積んでいる。
賞金額の大きい二つの世界棋戦…2008年の優勝者は、中国の棋士でした。

世界戦で結果を出せなくなった日本棋界…その現状を無念に思っているのは、私一人でしょうか…。

9/21中日新聞社説 


【心と体の健康情報 - 606】
「3連敗の後の4連勝…その奇跡」

第1回ワールドマインドスポーツゲームズ(頭脳オリンピック)が、10月3日~18日、北京で開催されている。大会には、囲碁、 チェス、チェッカー、シャンチー(中国将棋)、ブリッジ(トランプ)の、5競技36種目に、 100以上の国から2,000名を超える選手が参加して、メダルを競う。

囲碁が趣味の私。この7月の「本因坊戦7番勝負」で、羽根直樹九段が、3連敗の後、カド番の絶望状況から4連勝して本因坊を奪取、 初タイトルを手にした。その劇的大逆転の一部始終を、TV観戦した。
ファンを興奮させた羽根直樹九段は、囲碁界を支える「平成の四天王」の一人である。

囲碁界の3連敗4連勝は、"趙治勲"二十五世本因坊が三度、"林海峰"名誉天元が二度記録している。趙は6歳、林は10歳で、 それぞれ韓国、台湾から来日。勝つことを宿命づけられた"粘着流・二枚腰"で知られる棋士である。
日本人の達成者は、棋界・将棋界いずれも、今回が初めてである。

プロゴルファーでも、プロ歌手でも、経費を差し引いて、年収1千万円以上の所得を手にするプロは一握りであろう。 棋士の世界も同様、プロ棋士になれるのは一握り。タイトルを争う棋士となると、更に絞られ、10人に満たない。

本因坊羽根直樹九段は、中部総本部(名古屋)元"王座"のタイトルを持つ、羽根泰正九段の息子。恵まれた家庭で育まれ、 3歳で囲碁大会に出場。
小学1年でプロを目指す院生生活に…。
超一流棋士のほとんどがそうであるように、中学3年の14歳で、プロ棋士になっている。

先月9月中旬、片山津ゴルフ倶楽部で、日本女子プロゴルフ選手権を観戦した。
2日間予選ラウンドを戦い、上位60位タイまでが決勝ラウンドに進出する。
優勝者は、賞金1,800万円に、ホンダの高級セダン。60位は30万円。

出場選手の半分以上が予選で涙を呑む。交通費、宿泊費を差し引いて、どれだけ残るのだろう…。専属のキャディを従え、 試合に臨む選手は、宮里藍など、一部の選手に限られる。プロで食えるようになるのは大変だ。

鍛え抜かれた天才たちの戦い。2日間予選を戦い抜いて、1アンダー以上が5名(1位から3位を韓国勢が占める)。 アンダーパーは横峰さくら他3名、1オーバー5名、2オーバー7名と続く熾烈な戦い。5オーバーした選手は、予選落ちの憂き目に…。
一打のミスショットが…ツキの有無が…明暗を分ける。

そもそも、差が生まれるのはなぜか。何が、勝負を分けるのでしょうか?
羽根本院坊は、その問いに答え…
「碁はうまい手を打ったから、リードできるというものではありません。
そもそも相手がミスをしなければ、勝つことは難しいものなのです。
最善と思う手を打つしかないのです。
相手のちょっとしたミスに気付くかどうか…その嗅覚、その瞬間を見抜く…それが、勝つ棋士と勝てない棋士の分かれ目になる」

勝負は妙手より、一手のミスで決まる。
一流棋士には、自らが信ずる"思想信条"というべき"棋風"があり、技量の差は紙一重なのです。

ゴルフも同様。天才女子プロゴルファーが戦う姿を目前にして、その精神力、判断力、運、勇気…そういうものが、 いかに勝敗を左右するか…。
弱気になって脱落した"上田桃子"。あくまで優勝を信じて戦い抜いた"横峯さくら"。
二人の明暗が、最終順位に表れてくる。

優勝を決する4日目、最終18番ホール・パー4。一打差の2位で追う横峯さくら。思い切り叩いた一打目がラフに転がり込んだ。 深さ15cmのラフ…誰もがこれまでと思った。アイアンで安全な場所に出し、3打目でピンに寄せてパー狙い… ボギーになる確率の方が高い。

残り173ヤード・砲台グリーン。手前には背丈もあるバンカー。
グリーンオーバーしたら、奥に深いラフが待っていて、フライヤーが怖い。
横峯、やおらウッドを取り出し、イチかバチか思い切り叩いた。
ボールはグリーン中央に向かって一直線…ワンバウンド、ツーバウンド…転がり、止まった…イャーまいった!
優勝こそ逃したものの、天才一流ゴルファーのすごさを堪能した。
勝負に掛けるプロの秘密…その一端を垣間見たのです。

2008年08月26日

60歳からの健康法

■ゴルフ場の昼食は「カレー」がお薦め

21~22日の2日間、岐阜県荘川(白川郷から二つ目のインター)でゴルフを楽しんだ。
気温は20度…肌寒いくらい。高原の空気をいっぱい吸って、白球を追った。
夏…炎天下のゴルフは大変だ。ラウンドで溢れ出る汗、プレーが終わる頃には、体中の水分が抜け、喉はカラカラ、身体はクタクタ。
そこで、ゴルフ場の昼食には「カレー」がお薦め。その効果は多彩です。
カレーは消化が早く、その風味は食欲を増す。また、新陳代謝を促進する作用がある。
体を芯から温め、休憩中に体が冷えるのを防いで、後半のプレーで体がよく動きます。
カレーのスパイスには、漢方の生薬に近いものが多く含まれ、疲労回復に役立ちます。

汗びっしょり…昼食のテーブルに着くや、先ず生ビールで乾いた喉を潤し、生気を取り戻す。これが良くない… ビールには利尿作用があるのです。
水分を補給したつもりが、逆に体内の水分を排出する。脱水症状を起こし、粘膜が乾燥し、血液がどろどろになる。成人病を抱えている人は、 要注意である。
まめに水分補給して、プレーなければならない。


【心と体の健康情報 - 595】
「60歳からの健康法」

「いつまでも若々しく健康でありたい。」
60歳…還暦を迎える頃になると、残された人生の健康を考えるようになる。
毎朝ウオーキングするとか、タバコを止めるとか、ほとんどの人が、健康のために何かを熱心にやり始めます。

「まだ若い」と、つい過剰ペースになり、体調を壊してしまう…何時までも若くはありません。無理をしないことです。 年齢に見合った、無理のない生活を心掛ける…つまり60歳は、人生のギアを入れ替える時なのです。

以下、"丁 宗鐵"先生著「医者のいらない暮らしがしたい」から…
まず心がけたいのは、「病気にならない、病気を寄せつけない生活習慣づくり」。
過飲・過食を避け、早寝早起きの規則正しい生活を、習慣付ける。
趣味に、水泳・山歩きなど、適度な"運動"を取り入れるのもいいでしょう。

次に、健康管理に欠かせないのが"体重"。常に「体重を一定に保つ」ことです。
会食や付き合いが多く、気付いたらお腹が出て、体重が増えている。
増えた分、元に戻さなければなりません。
還暦を過ぎたら、肥満でなくても「1年に1kgを目安に、体重を減らしていく」…それくらいが丁度良いのです。

歳を重ねるに連れ、新陳代謝機能が弱まってくる。内蔵機能を、これからも長く、正常に維持するには、よけいな脂肪分を減らし、 内臓への負担を和らげなければなりません。
この際、注意しなければならないのが、急激なダイエット。皮下脂肪が血中に溶出し、血管の中に脂が溜まり、動脈硬化の原因、 コレステロール値を高めてしまいます。
何事も、ゆっくりがいいのです。

「病気になる前に、未然に病気を予防する」…そんな心配りが大切です。
自分では気付かないが、火事でいえば"ぼや"になっている状態です。
この段階で、ライフスタイルをきちんと整え、早めに手当てをすることで、大事に至るのを防ぐのです。

私は、毎年9月に定期健診。その時、癌や動脈瘤、痴呆症の早期発見を目的とした、
"ペット検診"を欠かさない。病は、自覚症状が出てからでは遅いのです。
病気になった後の治療費、周りへの迷惑を考えると、8万4千円は安いものです。

大切なのは、「今まで経験したことのない症状が出た」「ちょっと悪いところを抱えている…が、以前より症状が重くなったようだ」 「家族がおかしいと言う」「血圧・脈拍・排泄に何らかの変化が出てきた」など、体内からの信号を軽く見過さないことです。
ほうっておくと、取り返しのつかないことになります(どこかの民放のキャッチフレーズ)。
私は、変だと思ったら、すぐ病院で診てもらうようにしています。

過去の検診データが、病院に保管されている。 車検のように、日頃手入れを怠らず、部品の消耗・ 交換を出来るだけ少なくするよう努めます。
自分の健康状態をよく知り、いつでも相談に乗ってくれる"かかりつけの医者"を持っていると安心です。

2008年03月21日

老化しにくい体に…

■アレルギー

昭和22年、5歳の時、長町の眼科で「目もらい(まぶたのイボ)」を切除した。
それ以来、3ケ月に一度「逆マツゲ」を抜かなければならない。
目はいつもムジムジ赤く充血し、涙目に悩まされる…そして、過敏症になった。

多感な青年の頃… 人前で過度に緊張するようになり、対人恐怖に… 顔が耳まで真っ赤になるのです。 そんな自分を何とかしようと、28歳の時、家業の婦人雑貨店を畳み、大手住宅会社に就職した。営業の世界で、自分を鍛え直す決意で…

数年後、自らの提案で 「公的資金で社宅を…」 と新聞広告。商工会議所で、企業向け事業説明会を主催… 人前で堂々話しが出来る自分に変身していた。

過敏症の目には最も辛い春先… 一日中むじかゆい。紫外線や埃を避けるためのサングラスが欠かせない。  アレルギーで緊張した目で相手を見つめ、初対面の人に、 「怖い人」 のイメージを与える。



【心と体の健康情報 - 336】
「老化しにくい体に…」

春の訪れと共に悩まされる「花粉症」。
先週、一緒にゴルフを楽しんだ I 社長。花粉症に悩まされ、プレー中「ハクション!ハクション!」、クシャミをしながらのプレー… 辛そうでした。
鼻をかむために、カートに乗せておいたティッシュ箱…カラスが箱ごとくわえて飛んでいった。この珍事…巣作りに使うのでしょうか?

厚生労働省の調査では、全人口の3人に1人が、何らかのアレルギー症に悩まされているという。最近では、天気予報に合わせ、 花粉の飛散予報が伝えられるほど、多くの人が花粉症に悩まされている。
花粉症に限らず、アレルギー症状に悩む人が増えている。国民病と言ってよいでしょう。
その原因の一つが、「活性酸素の過剰発生」にあることを、 ご存知でしょうか。
この、よく耳にする「活性酸素」とは…何でしょうか?
活性酸素とは「攻撃性のある酸素」のことで、活性酸素が体内で大量に発生すると、アレルギー症状が悪化するのです。

呼吸によって体内に取り込んだ酸素のうち、 約2%が代謝の過程で活性酸素に変化する。そのほか、加齢や紫外線、 激しいスポーツや喫煙などが、過剰発生を促すのです。
私たちは、活性酸素が大量に発生する様々な要因に囲まれて生活している。
例えば、コンビニのお弁当、カマボコなど、食品添加物を多く含む加工食品や、過度の飲酒は、肝臓で解毒する際、 大量の活性酸素を発生させます。
中国製ギョーザに付着していた農薬もそう…。

紫外線や大気汚染も、活性酸素を大量発生させ、身体を錆び(酸化)させる。
経営不振、過労からくる過度なストレスも、長引くと、モロに老化に表れてきます。肌は張りやツヤを失い、頬はこけ、目はくぼみ、 びっくりするほど老け込みます。
男性が女性に比べ平均寿命が短いのは、仕事からくるストレスの影響が大きいのです。
私たちの身体は、活性酸素から身体を守るため、体内で「抗酸化酵素」を作り出し、発生した活性酸素を除去して、身体を守ろうとします。
ところが、加齢とともに体内の「抗酸化酵素」が減少して、 活性酸素を除去しきれなくなる。人体を痛めつけ、 生活習慣病やアレルギー症状の引き金になるのです。
60歳を過ぎる頃から急速に老け込むのは、活性酸素による影響が大きい。
歳をとって病気を患うと、大量に発生した活性酸素で、みるみる老け込んでいく。
活性酸素が身体を錆びさせ、老化を促進させるのです。

私は66歳。老化を遅らせる様々な試みをして、若さを保っている。
食事に注意し、適度な運動を心がける。N研究所の可能性思考研修に出かけ、活力・気力を充電するのも、良い方法です。  そうした日常の積み重ねが、体力の衰えを補い、 「 若々しいね…」と言われるようになるのです。

老化を予防するには、喫煙をやめるとか、抗酸化成分を多く含む食品を食べるとか、肉類を減らすなど、 生活習慣の改善が大事になってくる。
同時に、体内で発生する活性酸素の除去を助ける、"抗酸化サプリメント" を積極的に補うようにします。 身体を錆びさせないことが、若さを保つ秘訣です。

ノエビア「健康クラブ・春号」より

~お勧めの「抗酸化サプリメント」~       提供/ノエビア

●一番のお勧め…[ワイゼットフォーミュラー(特許商品)
                          450粒 ¥16,000
 体内で発生した活性酸素を除去する「ルチン」「バラ花びらエキス末」
 「海岸松・樹皮エキス末」を配合。身体が錆び、老化するのを抑制する。

●朝・晩、ご家族で飲む…「健康茶ルイボスSP
                    60袋 ¥3,500
 このお茶、酸化せず、風味が落ちないので、翌日も美味しく飲めます。
 活性酸素を消す、南アメリカ産「ルイボス」、「コーン」「ハブ茶」「くま笹」
 「とくだみ」など、10種類の植物成分をブレンドした健康飲料です。

●ビタミンCの数十倍の抗酸化力のある…「リポピュア
                        180粒 ¥7,350
 糖の代謝を促進し、紫外線による強力な活性酸素を抑制する。
 今、注目の「α-リポ酸」の他、「ブドウ種エキス」「ハス胚芽エキス」
 「ビタミンB2」などを配合。

※「健康クラブ」をお読みになりたい方、メールでお申込みください。
  毎号無料でお送りします。

2007年03月20日

心を無にする

私の健康法に、毎朝のウオーキングがある。早歩き10分、ちょっと休んでまた早歩き10分。それを繰り返して40分。これは、 20分間休まずにジョギングするのと、同じ効果があります。

途中で一休みする時、ただ休むのではなく、"ヨーガ"で体をほぐすようにする。

■ヨーガで大事なのは…
1.伸ばす・ねじる
ヨーガには、山や木、魚、猫、コブラなと、自然や生き物をイメージした様々なポーズがある。動作はゆっくり、背筋を伸ばすことから始め、 一つひとつの動作を左右均等に行う。
完成されたポーズを求めるよりも、そこへ至る過程を大事にします。

2."吸う・吐く"の呼吸
自分の体を限界近くまでひねるとき、息をス~と吐く。
すると、びっくりするくらい柔らかく、体が曲がっていく。
元に戻す時、さわやかな朝の空気をお腹一杯吸い込む…。

3.瞑 想
ヨーガをやった後しばらく静止し、心を静める。私はベンチに腰掛けて、体中の重力をすべて抜き、ゆったりとした気分で、1~2分間瞑想する。


【心と体の健康情報 - 285】
「心を無にする・・・」

春の訪れはスポーツから…。ゴルフ、サッカーに始まり、大相撲春場所へ。
23日からは選抜高校野球。そしてプロ野球開幕へと、スポーツシーズン全開となる。
日本で相撲を始めて見た外国人。土俵に上がった力士が、何ですぐ戦わないのか、不思議に思うそうです。その意味は、 みなさんもご存知のように、相撲の仕切りを一度、二度と重ねていくごとに、心を無の状態に近づけ、気力を満たし、 相撲道を極めることにあります。

日本画を描くとき、絵の具を溶くという作業がある。
左手で皿を持ち、右手の人差し指を中指の上に乗せ、この中指の腹を使って、ゆっくり回しながら、ニカワを混ぜた絵の具を溶かしていく。 焦らず、力を抜いて、時間を掛けて黙々と混ぜていく。これは単に絵の具を溶かしているのではない。絵を描く前に、 心を無の状態にする大切なひと時なのです。

昔の職人は道具を大切にした。命の次に大切にした。仕事の前後にたっぷり時間をかけて手入れをする。これも心を無にし、 精神を鍛錬する時間になる。
合理主義がモットーの外国人には、とても理解できないことでしょう。

数年前、ヨーガ教室に通っていた。マットを敷いて、上を向いて寝る。
最初、薄く目を閉じて瞑想に入る。癒しの音楽が心地よく、先生の声がする。
「肩の力を抜いて… 腕を楽にして… お腹の力を抜いて… お尻を… 太ももを… 足を楽~にして… 全身の力を抜いて…  何も考えないで…」

五分くらい瞑想。それから15分くらいヨーガで体をいじめる。そして3分くらい瞑想。それを繰り返して、最後に瞑想して終わる。 不思議なくらい心が安らぎ 、穏やかになる、癒された気分になる。

柔道・茶道など、日本に古くからあるお稽古ごとには"道"が付く。
道を極める根底は、呼吸を整え、心を無にすることを何より大切にする。
日本を象徴する座禅も、いわば邪念を捨て、無心になるための訓練といえる。
能、日本舞踊、弓道、剣道、いずれも日本人は"精神面からその道を極める"
日本人は古来よりその精神を大切にしてきた。

2007年02月20日

癒す力、治る力-3

2004年に東京の明治座で上演された、「こだま、来る」は、その前の年に脳梗塞で倒れた坂上二郎にとって、仕事に復帰する初舞台となった。
予想よりも遥かに早く、復帰の原動力となったのが、舞台への情熱だった。

二郎さんの奥さんから、萩本さんに電話が来て、「リハビリを面倒臭がっている」と言うから、『体が動かなくても、舞台に上ってもらうよ…と伝えて』と、萩本は奥さんに言った。

長年連れ添う相方ならではの激励が、坂上のヤル気に火をつけた。
「車椅子でも出る!」、そう誓った坂上は、毎日2時間の散歩や、不自由な手で100個の大豆を1個ずつ動かすなど、地道で辛いリハビリを、欠かさず実行するようになった。
「朝晩やりました。早口言葉や巻き舌も練習しましたよ」
復帰の舞台では、坂上がステージを横切るだけで、爆笑が起こった。
『うらやましかったね。元気なだけでバカ受けするんだもん。一番喜んだのは二郎さんじゃないかな…』と萩本さん。

その公演の千秋楽に、信じられない事が起こった。
坂上が舞台上で、「お客さんが病気を治してくれた」と語り、涙を流したのだ。
40年以上コンビを組む萩本だが、初めて目にする坂上の涙だった。

読売新聞


【心と体の健康情報 - 281】
~食と健康~「癒す心、治る力-3」

アリゾナ大学のアーノルド・ワイル医学博士の著書から、「癒す心、治る力」を紹介します。
病気を治すのは医者ですが、病気を治すために最も大切なことは、本人自らが本気で「治りたい」、「絶対に治ろう」と思い続け、あきらめないことです。

■奇跡的治癒例
ひどい坐骨神経痛にかかり、二年半近く痛みぬいた五十代の女性。
初孫が生まれてくることになって、孫の顔を見ていたいと痛切に思うようになった。
おばあちゃんとして、孫の世話をするには「どうしても坐骨神経痛を治さなきゃ!」と、真剣に思いはじめたのです。そこで、イメージ療法に通ったり、ハリを打ったり、健康食品を食べたり、ビタミン剤を飲んだりして頑張ったのです。
それからわずか一ヶ月で痛みは消えた。一番効いたのは“腰に血液がめぐってきた"という"イメージ療法"でした。そして「本当に治りたい」と、自分に言い聞かせたことです。
助かる見込みがわずかしかなく、どんなに苦しいときでも、「きっと助かる」「必ず運が開ける」と、あきらめなかったお陰で、病気が治った例など、いくらでもあるのです。

多くの医師たちにとって問題なのは、自然治癒力を生かす単純な治療方法すら、知らないことです。
現代医学の医師は、医学会が認知した、生化学的メカニズムが立証された治療方法に頼り、医学的見地からの立証に欠けた民間療法には関心を示さず、軽視してきました。

ほとんどの医師は、現代医学以外の療法を採り入れようとしません。
更に問題なのは、薬の与え過ぎ、過剰検査、過剰治療が当たり前になっていることです。
高価な医療機器を備えた病院を、患者が信頼する。次々と買い揃える医療機器は、病院経営を圧迫する。その結果、高価な抗生物質など、薬の与え過ぎ、過剰検査、過剰治療へと駆り立てるのです。

保険医療制度が抱える大きな問題ともいえます。そして、初期の段階では、使う必要のない、抗生物質などの“重火器"を最初から投与してしまうのです。

そして、あまりにも多くの医師が、治る可能性について悲観的見解を持ち過ぎ、「治ることは期待できない」「病気とともに生きることを学べ」「覚悟をしたほうがいい」「これ以上医師にできることは無い」という意味のことを、無神経に家族や患者に伝えているのです。

ところで、いざというときのために、信頼できるかかり付けの医者を、身近にお持ちでしょうか?
良い「医者」と「弁護士」と、師と仰ぐ「先生」。そういったブレーンを持つ・持たないでは、人生の幸不幸に大きく影響します。

2006年07月11日

たばこ規制が強化される西欧諸国

たばこの価格が、この七月から一本当たり約1円値上げされた。
多くが1箱300円になる。値上げ分は、未成年者が自動販売機で買えないよう
に、改良する費用などに充てるという。

私は大の愛煙家。18歳の時に吸い始めて、一日25~30本、30年間吸い続
けた。営業の世界にいた関係で、タバコは必需品。ストレスを取るためにも、
離せなかった。
それでも、過去何度も禁煙にチャレンジ。2年近く吸わなかったことも二度ばか
り。つい気がゆるみ、「一本だけ」と手を出し、以前にも増してヘビースモーカー
に…。
四年前ようやく、完全禁煙に成功した。きっかけは「3KM・幸福設計」の研修。
みんなの前で"禁煙宣言"したのがきっかけ。本当は、肺ガンが怖かったから…。
大多数の喫煙者は、何れ禁煙したいと思っている。今回の値上、禁煙のきっかけ
になればいいが…。


【心と体の健康情報  - 252】
「たばこ規制が強化される西欧諸国」

諸外国で一番売れている銘柄、イギリスが1045円、米国774円、フランス
630円、ドイツが506円。日本のたばこはまだまだ安い。
日本の愛煙家にアンケートしたところ、「1箱500円になれば禁煙する」と
答えた人が多かった。                     7/2 読売新聞

財政赤字が続き、消費税値上げもやむなしとする政府。欧米並みに、たばこを
大幅値上げすべき時かも…。喫煙者が減れば、心筋梗塞や肺気しゅなどの患
者が減り、政府の医療負担も軽減されるだろう。

日本は、お酒やタバコをたしなむ人に対する、公でのマナーがいたって寛大。
先進国の中では、たばこの喫煙率が最も高く、禁煙規制もゆるやかで、禁煙
対策の遅れが目立つ…。

今、イタリアに旅行すると、喫茶店やレストランには、禁煙マークが描かれた
警告文が壁に掲げられているという。イタリアでは、今年一月"禁煙法"が施行
され、屋内での喫煙が全面禁止となった。

日本でも、公共施設や病院内は禁煙だが、イタリアは、すべての職場が禁煙。
厳密に定められた基準を満たす、排気・空調設備を備えた、完全分煙の喫煙
場所以外では、たばこは吸えないことになった。
違反すると、3千8百円から最高3万8千円の罰金が科せられる。
子どもや妊婦の前で吸ったら、罰金は倍になる。自由奔放に人生を楽しむ
イタリア人ですら、この厳しさ…。これが世界の潮流なのです。

イタリアの喫煙率は男性31%、女性17%。フランスが30%、21%。
スウエーデン14%、19%。対する日本は、男性46%、女性14%。
先進諸国の中では、日本男性の喫煙率が最も高い。

昨年3月アイルランドは、公共施設や飲食店など全面禁煙に踏み切った。
一年後に、調査結果が報告された。たばこの煙でくもっていた居酒屋の空気は、
粉じんが5割から9割も減少。従業員が訴える息苦しさなどの症状は、約4割
減少。たばこを吸わない人の呼吸機能が10%改善されたという。

肺の中で、酸素交換をつかさどる小さな袋が、長年の喫煙習慣によって、ニコ
チニンで詰まり、「慢性閉塞性肺疾患」という病気になる。慢性的な息苦しさに
陥り、高齢者の寿命に大きく影響する…。

日本同様、たばこ対策が遅れていたドイツでも、昨年一月、たばこ税を25%に
引き上げ、喫煙率低下に本気で取り組み始めた。世界各国たばこ規制が進む
中、日本だけが取り残されていく…。
少子高齢化で、政府の医療負担は増加の一途。国民の医療負担額を上げる
だけでなく、喫煙による患者を極力減らす努力もしなければならない。

2006年05月19日

囲碁は脳を活性化する

フインランドの義務教育が、世界の注目を集めていることを、以前お伝えした。
1クラス20人。生徒一人ひとりの個性に合わせ、能力を引き出すカラキュラム
が組まれている。
先生が作るテスト。日本のような暗記形"穴埋め問題"はない。記述式の問題が
大半を占め、月に一度は、生徒を近くの図書館へ連れて行く。
読むこと書くことが、すべての教科の基礎。
創造的な内容や、理論的な文章を、繰り返し書かせるようにしている

小学校3年生に「大人になって何になりたい?」とマイクを向けると、どの子供も
目を輝かせ、即答する…。「ピアノの先生になりたい」「お父さんのような立派な
職人になりたい」。そして「世の中の役に立つ仕事をしたい」と、一言付け加える
事を忘れない。なりたい理由が明確だ! 
同じ年代の日本の子ども達…同じように将来の夢、語れるだろうか?

【心と体の健康情報  - 245】
「囲碁は脳を活性化する」

私の趣味の一つに囲碁がある。日曜のNHK杯囲碁トーナメントは、毎週欠か
さず録画して見ている。
著書「脳を鍛えるトレーニング」など、脳の研究では第一人者の、東北大学・
川島教授。NHKテレビに出演して、「囲碁は脳を活性化する」という研究結果
を、囲碁の模擬対局で実証して見せていた。
だからでしょう…囲碁を打つ人に、ボケはいないという。

そのことを、2月中旬の田舞通信でも、取り上げていた…

囲碁の対局中、難しい局面を迎えると、脳の活動が活発になる。
コミュニケーションがキーワードとなって、脳の形成は強化される
ようです。
つまりアナログでしか、 人間の脳は活性化しないように出来ている
のです。パソコン相手の囲碁でも、一応反応しますが、相手と目の
前で対局することで、脳はより刺激され、活性化することが、研究
の結果明らかになった。

明確には言えませんが、推論しますと、私はあえて、苦労すること
を奨めませんが、「苦労をするのは、 脳にとっては大切な栄養素だ」
ということを、 成功されたすべての人が実証しているのです…。

私のTT研修や、心理学セミナーなどで主張している主要エビデン
スを、川島教授が立証してくださったようで、とても嬉しい一日で
した。
会社を活性化できないのは何故か? その原因を考えてみますと、
意外に「脳の活性化」が遅れていることに、原因があるようです。

個人であれ、会社であれ、「将来ビジョン」 を持つことの大切さは、
この脳の活性化の観点からも言えるのです。
囲碁は、絶えず先を見通して打たなければ、負けてしまいます。
「自らの行く先や、あるべき姿」に、少しでも近づこうとする意欲が、
人間の脳を鍛え上げていくのです。

ですから、「夢は、いずれは実現したいが、すぐに取り組まなくて
もいいだろう。だから今は何もしていない」という、パターン化さ
れた思考回路だと、脳は活性化しないのです。

脳の陳腐化は、ビジョン実現への一番の妨げになります。
また、個人の目標、企業の発展を妨げる最大の要因になります。
成功する人は過去を反省し、未来に創造性を駆使して、ビジョンを
創り出そうとします。

そして、そのビジョン達成のために、「今ここに」 今を必死の努力を
するのです。ぼんやりと現在の時間軸に止まり、目先だけを見てい
るようでは、創造性を駆使することは出来ません。

「今ここに」の感覚を研ぎ澄まして、「未来の自らのあるべき姿」を創
りだしていくことです。しかし、いくら研ぎ澄ましても、自らの「環境」
が創造性豊かなところになければ、我々のような平凡な人間は、
感覚を研ぎ澄ますことなど、出来ません。

盤面上で向き合って戦うことは、ある面「環境」であり、パソコンでは
鍛えられないという、研究結果が出ている。つまり、部屋に閉じこも
り、一人ゲームに熱中する子供は、「デジタル人間化」してしまい、
取り返しのつかない結果を、その子ども植えつけ、成長の芽を摘み
取ってしまうのです。

さて、未来を創造しようと思ったら、環境を変えてみることが一番
でしょう。
  1)現実から思い切って離れてみる。
  2)現実の事実をゼロにして発想する。
  3)生きる意味を考え、自らの存在価値を高める意欲をもつ。
                                 田舞徳太郎

数年前、学習塾に加え、子どもを囲碁教室に通わせるのが、ブームになった。
「囲碁は脳を活性化する」。このことが、教育熱心なお母さん方を、駆り立てた
のでしょう…。

2004年10月01日

健康が第一

九月中旬に胃と腸にカメラを入れ検査をした。引き続き先週、ガンの早期発見を目的としたPET(ペット)検診というものを初めて受けた。私の家系はガン系。
毎年定期健診を欠かさない。ガンの早期発見を最大目的としている。

ガン細胞が増殖するとき、体内の糖を取り込んで栄養にする。PET検診は、 ガン細胞の周りに集まった糖を浮かび上がらせる画像技術で、通常の検診では発見出来ない小さなガンを見つけ出すことができるのです。
さらにPET検診は、三大死因の一つ、心疾患や脳血管疾患の診断もやってくれる。脳を投影することで、痴呆の早期発見にもなる。

朝食と昼食を抜き、糖分を含んだ飲み物を一切口に入れず、午後一時半から約三時間のコース。寝台に寝かされ、 あのドームのような筒の中へ少しづつ入っていき、全身くまなく投影検査する。(検査時間は30分くらい)
只、健康な人は健康保険が利かないため全額負担。84,000円かかるが、予約待ちになるほど、今最も人気のある検診です。

【心と体の健康情報】
「健康が第一」

健康管理をおろそかにしていたら、気づいたら肥満になっていた…。あわててダイエットにチャレンジするよりも、 2キロ太ったら、直ぐ元の体重に戻していく。
そして、一定の体重維持を心がけていくことの方が簡単だし、健康維持には必用なことなのです。(私自身の問題です)

自分にとって最も注意を払わなければならない健康上の問題は何なのか? 
ガンの予防なのか、糖尿病なのか、血圧がやや高めだったり、血糖値が高くなってきたりして、今までの生活習慣のあり方を、 早急に改めていかなければならない場合が多いのです。

病気になって慌てるよりも、健康維持に気を配り、 病気を予防していくことに心を配る方が大事なのです。
私達の体は、自動車のように、壊れたから、耐用期限がきたからといって、簡単に部品を交換するわけにはいきません。 身体の機能が衰えないよう、大切に維持し、長持ちさせなければならないのです。
一つひとつの機能が、いつまでも元気で働いてくれてこその健康なのです。

2000年の日本のガン患者は、約47万人。それが2015年には、 ほぼ二倍の89万人になると推測されている。ガンで死亡した人は、 81年で約16万6千人だっだが、2000年には29万5千人と増加していて、病気で死亡した人の30% を占めるようになった。

一方、早期発見と治療法の進歩などにより、ガンが治る時代になった。国立ガンセンター中央病院の、 治療退院後の5年生存率は、65年当時、男性30%、女性50%だったものが、90年代に入ると、男性55%、女性65% にアップした。
つまり、早期に発見すれば、治る時代になってきたのです。

ところで、99年のガン患者が一年間に要した治療費は2兆6千億円。一方、 がん検診を受けた人は2千9百万人。費用は約1千3百億円
その割合は94対6である。予防に力を入れると、 医療費の削減に大変寄与するのです。

米国では、90年代半ばごろからガンが減り始め、上昇カーブがストップした。
徹底した禁煙対策がなされたことと、 生活習慣病にならないための研究・指導を、 強力に推し進めてきたことによります。
例えば米国では、新しい乳がん検査法である「マンモグラフィー」 による検診を、80%を超える女性が、3年に一度は検診しているという。

国立がんセンター資料より

2003年08月08日

熱中症

■「一生懸命やれば…」

いよいよ高校野球が始まりました。青春をぶつけ合う姿はいつ見てもさわやかです。 高校球児のような体験はできなくても、登山から学ぶものも多いのです。

「一生懸命やれば、大抵のことができる」
はるか見上げる高い山も、一歩一歩自分の足で登るところに意味があります。
登山を通して、一生懸命やることの大切さを学ぶのです。

「一生懸命やれば、何事も面白くなる」
懸命に登っていくうちに、何故かだんだん楽しくなってきます。懸命に目標に挑戦していることへの、喜びが湧いてくるのです。

「一生懸命やれば、誰かが助けてくれる」

下ってくる人が登ってくる人に、「ガンバレ、ご苦労さん」と声をかけてくれます。
いつの間にか、登っていく人たちが互いに励まし、元気づけ、助け合うようになります。

目標にチャレンジするとき、行動の支えになっているのが、この三つの言葉です。

【心と体の健康情報-102】
「熱中症にご用心」

梅雨が開け、突然猛暑がやってきた。全国各地でここ一番の暑さを記録した八月四日、 農作業をしていた女性が熱中症で死亡するなど、全国で223人が熱中症で病院に運び込まれた。
草むしり中に倒れたり、隊列を組んで吹奏楽の練習をしていた高校の女子生徒12人や、 運動中の女子生徒6人が病院に運ばれるなど、全国各地で熱中症で倒れる人が続出した。

30度を超える高温、多湿、 無風のもとで、エネルギー消費量の多い農作業やスポーツをしていると、 体内に熱がうっ積して、熱放射が不十分となり体温が上昇、体温調節機能が失われていきます。
そのために、仕事や運動を続けることが出来なくなり、意識を失い、こん睡状態に陥ってしまいます。また、 太陽の直射が原因の場合は、「日射病」 になります。

夏の体育館での部活の練習などは、暑いうえに、湿度が高く、通気性がよいとはいえません。 こんな中で運動していると熱中症になりやすいのです。昨日まで涼しかったことが落とし穴になつたようです。

熱中症になったら、医者が来るまでの救急措置として、涼しいところに移し、衣服をゆるめ、意識があれば「食塩水」 を飲ませます。そして全身を冷やすようにします。
以前は、「運動中に水を飲むと早くバテる」と言われて、極力我慢しようとしました。最近では喉が渇いたら、 練習や試合の合い間に水分補給するのが良いとされるようになりました。同時に塩分も放出されるので、塩分の補給もかね、 スポーツドリンクを飲むのも良いようです。

北陸中日新聞・救急医療ジャーナルより抜粋


昨日の夜、誘われてゴルフの練習に行きました。しばらくして着ていたウエアが汗でぐっしょり。 頭から湯気が立ったようになり、早々に切り上げてきました。この暑さで、黙々練習している人達…、偉いですよね。 絶対うまくなってやろうと思って練習しなければ、毎日続けられるものではありません。

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