早稲田大学や日本代表ラグビーチームを率いた名監督
2090【吉村外喜雄のなんだかんだ】
幸せな人生
「判断と決断/決断が人生に幸せをもたらす」
大西鐡之祐氏は、自著で「判断と決断の違い」について
語っている。
『 いろいろなデーターをもとに答えを出すのが判断。
エイヤッと直感で下すのが決断 』だという。
私は卒業後大手電機メーカーに就職した。
白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫が三種の神器の時代で、
飛ぶように売れ、給与も社内環境も良好で、楽しい職場
だった。
3年勤めて仕事も覚え、マンネリ化し始めた頃、
エイヤッと退職・・さらなる可能性を求め、38豪雪で
復旧直後の2月末に上京・・大手商社に再就職した。
ところが、学生の時患い、完治したと思っていた肺結核が
再発していた。入社前日の3月末、結核患者隔離病棟に
入れられた。・・それから闘病入院生活3年目。
アメリカで開発された新薬が効いて・・みるみる回復へ。
医師から「今度再発したら治らない」と言われたが、
晴れて退院。退院後約5年間の療養生活に入る・・
ただぶらぶらしていては駄目だ・・社会に出遅れた分を
取り戻そうと、金沢片町の繁華街にハンドク、アクセサリ
ーなど、女性小物を売る店を開いた。
当時は小売業全盛時代・・売れに売れ、毎週末東京・
大阪へ仕入れに走った。6年経った頃大手量販店が商店街
に進出してきた・・売上に陰りが出始めた。
小売業の専門店化が叫ばれ、大量仕入れ・大量販売の時代
へ。
エイヤッと、繁盛してリニューアルしたばかりの店を畳み
更に大きな仕事がしたいと、後に業界日本一になる創立
間もない住宅会社に就職。
小さなお店を守って安住し、人生を終えるのではつまらな
い・・今のままでは、世間知らずの器の小さな人間に終わ
ってしまう・・それが嫌だった。
就職した昭和44年は、郊外に住宅団地が出来始めた頃。
戦後のベビーブーム世代が家を建て、マイカーが普及し
始める、右肩上がりの時代に入ろうとしていた。
10年間北陸各県の所長を勤めて、昭和54年38歳の春
約50億の宅地開発事業の陣頭指揮をしている最中に
エイヤッと脱サラ・・
日本で最初に自然派化粧品を開発した、創立1年目の化粧
品メーカーに人生を託し、北陸地区の販社へと転身した。
男性中心の建設会社から、女性を戦力に女性をターゲット
にした化粧品卸売業への転身・・念願の独立を果たしたの
です。
周りからは、男性中心の職場から女性中心の事業への
180度転身と危惧され、妻や兄弟からは脱サラを猛反対
された。
時代の流れ・変化をいち早くキャッチし、追い風が吹き
始めた未知の世界へ・・人生の夢を託しての決断でした。
元ソニーの社長大賀典夫氏・・
『 鼻がきかないやつは、何をやらせてもだめなんだよな・・
そもそも、面白そうな新しいことにはデーターも成功例
もない。
私は誰もやっていなくて空いている領域を選んでビジネ
スをしてきた。過去の実績のようなデーターはないから
始めるときに賛同は得にくい・・決断するしかない 』
いくら鼻がきいて勘が働いても、決断しなければ新しい
ことには取り組めない・・ビジネスチャンスを逃してしま
うのです。
一方、判断や決断を誤れば、二度と立ち直れなくなって
しまう。加えて”運を呼び込む強い志”がなければ、成功
は望めない。”前髪をつかむ”一瞬のチャンスを逃さない
ことです。
一度しかない人生・・やり直しが利かないのです。