« 仏の教え/生きることの意味 | メイン | 芳村思風・感性論哲学の世界 »

仏の教え/生かされている自分

2032 「吉村外喜雄のなんだかんだ」
幸せな人生 「仏の教え/生かされている自分」

人間は欲深い生き物です。思い通りにならないのに、
思い通りにしようとし、思い通りにならないことに悩み
苦しむ。
大腸がんで亡くなった阿部幸子さんは、
著書「生死をみつめる・・大腸がんの患者として」で、
患う前は「自分の力で生きてきた」と思っていた・・

そうした自信にあふれた人生・・
がんを患って、立ち止ざるを得なくなったのです。
まず浮かんできた疑問は・・これまでの人生
「本当に自分 だけの力で生きてきたのか?」ということ
でした。
「他力によって生かされてきた自分」
何故今までこんな単純なことに気づかなかったのか。
気づくのが遅すぎたと思うと同時に、気づかぬまま死んで
いくよりよかつた・・と語っている。

煩悩”に囚われている間は、どんなに長生きしても、
「こんなはずではなかった・・もっと長生きしたい」と、
我が身の不幸を嘆く。

老いいたくない・・病気になりたくない・・死にたくない
という虚妄が、死すべき時が来た時、思い通りに生きて
きた自我が打ち砕かれてしまうのです。

そこに、老いて当たりまえ、死んで当たりまえ・・
「あるがままを、あるがままに受け入れる」
境地が開かれてくる。
まさに”我”が敗れた”無我”の世界である。
これを親鸞は自然法爾(じねんほうに)と言った。

ここで誤解してはならないのは、何でも思い通りの自然体
でいれば良い・・ということではない。
それは「あるがまま」ではなく、「我がまま、気まま」
であって・・無我ではない。

仏教の”救い”とは、がんが治ることではない。
 
死なない体になることでもない・・
「がんをがんのままに、あるがままに受け入れていくこと」
で ある。
今の自分は、先祖を10代遡れば、およそ千人の遺伝子が
・・20代遡ると、なんと百万人もの遺伝子が今の自分と
繋がってくる。
この命、自分一人のものではない・・
先祖の又先祖の、又々先祖に支えられた我が命なのです。

そして、生かされていることに気づくのです。
がんにならなかったら気づけなかっただろう・・
病を得たことに感謝しなければならない。

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.noevir-hk.co.jp/cgi-bin/mt/mt-tb.cgi/2684

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)

ひとつ前の投稿は「仏の教え/生きることの意味」です。

次の投稿は「芳村思風・感性論哲学の世界」です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Powered by
Movable Type 3.36