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仏教の教え 「寓話/三尺三寸箸・地獄と極楽(2)」

以下、親鸞聖人の言葉です。
 
『  小慈小悲(しょうじしょうひ)もなき身にて
    有情利益(うじょうりやく)はおもうまじ

     如来の願船(がんせん) いまなさずは
     苦海(くかい)をいかでか 渡るべき       』

「困った人を助けたい」などと思ってもいない自分がいる
ことを・・自分のことしか考えることが出来ないのです。
自分は、ちっぽけな慈悲の心もない愚かな人間だと・・

自分が”私”に埋没し、自我に負けて人生を放置すれば、
地獄・餓鬼・畜生の道を進むことになる。
いまこそ仏教者として、苦しみ多い人生を”人”として、
利他の心で生きていく決意をすべき。



2000 「吉村外喜雄のなんだかんだ」
仏教の教え 「寓話/三尺三寸箸・地獄と極楽(2)」

2011の東日本大震災・・あの地震の直後、コンビニに
は食料や飲み物を求める住民が、両手に持てるだけの品物
を抱えてレジの前に並んでいた。

列の中に、小学校に入る年頃の男の子が、おやつの菓子袋
を一つ持って並んでいた。
レジの横には、震災者への支援募金箱が置かれていた。

その子の番になったとき、募金箱に目をやり少し考えてい
たが、握りしめていたお小遣いを募金箱に入れ、持ってい
たお菓子を棚に戻して、コンビニを出ていったのです。

それを両手に持てるだけの品物を抱え、
並んで見ていた
大人たちは、ハットして恥ずかしくなった。
被害がなかった地域の人たちも、食料品がな
くなったら
大変と、コンビニやスーパーへ買い出しに走ったのです。

震災で大きな被害を受けた人たちが、苦しみ悲しんでいる
現状をすっかり忘れて、我先にと自分のことしか考えなか
った・・そんな自分に気づいて、恥ずかしくなったのです。

私たちは、大きな災難に遭うと、不安と恐怖でつい自分の
ことに目がいってしまい、被災し困っている人たちのこと
を、考える余裕がなくなってしまう。

今回の新型コロナ禍に於いても、自分に感染するのが
怖いので、感染した人やその家族が弱りきっているのに、
悪魔のように排除しようとしたり、嫌がらせをしたりする。

更に、患者のために献身的に働く看護師とその家族を、
村八分のように排除しようとする・・そんなことが起きて
いるので す。
そんな私たちですが、先ほどの人のように、自分が今やっ
ている行為から、自分の至らなさに気づき、 改めようと
する一面も持っているのです。

2020年7月18日「吉村吉村外喜雄のなんだかんだ」
      1832号 『寓話/三尺三寸箸・地獄と極楽』
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