1937 「吉村外喜雄のなんだかんだ」
幸せな人生
「七転び八起/詩人・星野哲郎の人生(2)」
昭和24年故郷に戻った星野。長い療養生活を強いられた。
僕は海に捨てられたのだ。もう船に乗れない体になった。
そのことは自分が一番わかっている。
このとき初めて船乗りで一生を終えることが”永遠の夢”
になった。
やせ細った身体・・もう、船には戻れない。
笑顔で送り出してくれた家族や近所の人たちに合わせる
顔がない・・これからどうやって生きていけばよいのか?
寝たまま、体が動かなくても出来る仕事は何か?
必死に考えた。子どもの頃から”詩”が好きで、
詩人のランボーやボドレールの詩を読んでいた。
星野は、詩や短歌、小説を書き始めた。
昭和27年、雑誌”平凡”の作詞コンクールに応募した句が
入選・・28年にコロンビアローズ、若山彰のデュエット曲
「チャイナの波止場」としてレコード化された。
星野に目をつけた「憧れのハワイ航路」「悲しい酒」の
作詞家・石本美由起の勧めで、歌謡同人誌に詩を投稿し
腕を磨いた。海をテーマに詩を書き続け、懸賞荒らしと
呼ばれるようになった。
沸き起こってくる海への思いが、僕に詩を書かせてくれた。
”捨てる神れば拾う神あり”で、僕の場合は、捨てたのも、
拾ってくれたのも、海の神だった。
数年後、かって乗船した「第六あけぼの丸」が長崎県
沖合で沈没・・同僚だった多くの乗り組み員が死亡した。
もし健康なまま働いていたら、命を落としていたかもしれ
ない。
結核の病が星野を救ってくれた・・
「人生塞翁が馬」運命の不思議さを噛みしめた。
次号に続く