1936 「吉村外喜雄のなんだかんだ」
幸せな人生
「七転び八起/詩人・星野哲郎の人生」
戦後、歌謡界に異彩を放った作詞家・星野哲郎の人生は
絶望の淵からよみがえった、波乱の日々の連続だった。
星野の故郷は、瀬戸内海に浮かぶ山口県周防大島。
学校の教員をしていた両親のもと、大正14年哲郎は
生まれた。
まだ幼い時に両親が離婚。父が家を出たため、父の顔を
覚えていない。
母は家計を支えるため満州に渡り、教師の仕事を続けた。
祖母ツヨと2人島に残された幼い哲郎・・
甘えたい盛りの時に母がいなかったのは、辛かった。
子どもながらに、家庭の事情ははっきり分かっていた。
欲しいものがあっても、ねだることができなかった。
寂しさと貧しさに耐えながら、辛抱強い少年に育っていっ
た。
寂しさを紛らわすため、毎日のように海を眺めた。
美しい海の風景が、幼い哲郎にはたった一つの慰めに
なった。
船乗りにあこがれ、清水高等商船学校に入学。
在学中に終戦を迎え、卒業後水産会社に就職。
大型漁船「第六あけぼの丸」の船員になった。
荒れる東シナ海で、木の葉のようにほんろうされる船・・
星野は必死でシケに耐えた。
シケにもようやく慣れ、船上の暮らしをおう歌し始めた頃、
思わぬ災難が星野の身に降りかかった。
血尿に気づいた星野は、日本に戻ると病院にかけ込んだ。
診断は”腎臓結核”。山口市内の病院で、腎臓の摘出手術
を受けた・・術後の経過は思わしくなかった。
次号に続く