■金沢城・二の丸御殿
1631年寛永8年の大火で本丸御殿が消失し
たのを受け移されて、以後藩政の中核を担った。
総面積は3200坪。
2度の大火で焼失。その都度再建されたが、
明治14年に焼失し現在に至っている。
遺構の一部能舞台は、市内中村神社拝殿に、
唐門は、尾山神社東神門として現存する。
1918 【吉村外喜雄のなんだかんだ】
石川県は昨年12月、明治期に焼失した二の丸御殿の、
復元整備を含む「金沢城跡保存活用計画」事業が、
文化庁の了解を得たので、今年度から事業に着手する
ことになった。
昨年7月からの発掘調査で、二の丸御殿全体の3分の1に
当たる、藩主の儀礼や政務の場3300平方㍍の遺構の
場所が確認された。
それを受け、藩主が政務を執った「表向(おもてむき)」の
玄関と大広間、書院の基本設計に入り、主要部から段階的
に復元整備に取り掛かる。
二の丸御殿は表向のほか、藩主が居住する「御居間廻り」
奥女中が住む「奥向(おくむき)」で構成されるが、
今回の整備計画には含まない。
復元に当たり、御殿のふすまや壁紙、飾り金具の図面など
、江戸時代後期の仕様書が金沢市玉川図書館に保管されて
いる。
表向の書院の天井画の画形も、金沢市の中村神社に保管
されていて、復元に生かされることになる。
県は21年度中に、復元整備の基本方針を策定し、
実物に忠実に復元整備を進めていく。随所に伝統工芸を
生かし、二の丸御殿ならではの特徴ある建物を再現する。
金沢城復元の総仕上げとして、今後エリアごと段階的に
復元整備事業を進めていく予定・・
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