1915 「吉村外喜雄のなんだかんだ」
心と体の健康
「大乗仏教の教え/般若心経・不生不滅」
般若心経の「この世におけるすべての存在は、実体がなく
、変化し流動するものである」という中心をなす思想は、
「不生不減、不垢不浄、不増不滅」という6種の否定に
よって、深く説かれている。
その一つ「不生不滅」は、ものごとは「生じる」ことも
なければ「滅する」こともない・・と解釈します。
ところが私たちは実際に生まれ、そして死ななければなり
ません。つまり、生じて、滅するのではないかと、言いた
くなります。確かに、人の一生を見ると、命あるもの
は生を受け、死んでいきます。
般若心経でいう「不生不滅」は、言いかえれば、
「何も無いところから、生じるなどということはないし、
滅してしまえば、すべて無くなるということでもない」
ということです。
縁があって生じ、そして縁があって滅していきます。
そして滅すること自体が一つの縁になって、また何かが
生じてくる。
食事のメニューにカボチャが出たことを例に考えてみます。
さて、このカボチャはいつ死んだのでしょうか?
A「畑でツルを切られた時じゃないですか?」
B「そうじゃなくて包丁で半分に切られた時じゃないの?」
C「いやまだまだ、鍋で煮られた時・・さすがのカボチャも
お陀仏だ」
ここから考え方が変化していく・・
D「カボチャは食べられるために食卓にのっているの
だから、人に食べられた時が成仏さ」
E「でも、食べ残したカボチャは、死んでも死にきれない
じゃないの・・」
F「その時は肥料になって、他を生かすことになる。
そこで、ようやくお役御免に・・」
G「だったら、私が食べたカボチャは、私を生かすことに」
H「なんだ、他の命を生かすということは、他の生命の中
で生き続けるということになる。カボチャはいつまで
も死なないではないの・・」
ものの見方を変えると、”生じて滅していた”ものが、
”生ぜず滅せず”になります。これが不生不滅の意味に
なるのです。
「なんだそうだ般若心経」より