■コロナワクチン接種の是非
何れのワクチンも、一定の頻度で副反応の
リスクがあるのは避けられない。
今回の新型コロナの感染者は43万人を超え、
死者も約8千人出ていることから・・
万一感染したら、家族や職場にも波及し、
完治した後の後遺症も心配しなければなら
ない。
副反応のリスクより、接種メリットの方が格段
に大きいことを理解した上で、接種の是非を
判断しなければならない。
1907 「吉村外喜雄のなんだかんだ」
食と健康「ワクチン接種/副反応の歴史」
コロナワクチンの開発に出遅れ、外国が開発したワクチン
を輸入しなければ、国民の生命を守れなくなった日本。
科学立国と言われてきた日本が、いつしか開発途上国の
インドや中国にも抜かれ、後進国に成り下がってしまった。
日本がワクチン接種に慎重なのは、過去摂取による副反応
が社会問題になり、訴訟が相次いだ歴史がある。
戦後、感染症による死亡が多発したことから、
国は1948年に「予防接種法」を制定。百日せきなど
12疾患に、罰則付きの接種を義務付けた。
その直後、京都府や島根県でジフテリアの予防接種を
受けた子どもが次々に異常を訴え、80人が死亡した。
メーカーの製造ミスが原因だった。
私が子どもの時、天然痘ワクチン”種痘”の集団接種を
受けたが、種痘の効果は絶大で、56年以降国内の発生は
ゼロで根絶した。
ただ、10~50万人に1人の確率で”脳炎”を発症し、
重度の障害を負った子どもは、約20年に及ぶ訴訟の結果
勝訴し、国が責任を負うことになった。
1989年に接種が始まった、はしか・おたふくかぜ・
風疹の3種混合ワクチンMMRでも、接種した子ども
に高熱を伴う”髄膜炎”が多発した。
国は当初、副反応の発生頻度を10~20万人に1人程度
としていたが、1200人に1人の頻度で起きることが
分かり、4年後の93年、接種中止に追い込まれた。
その後、メーカーが国に無断で製造工程を変更していた
ことが問題になった。こうした経緯から国民のワクチン
接種への不信感が高まった。
国は94年、予防接種法を改正し、接種を国民の”義務”
から”努力義務”に緩和。”集団接種”から”個別接種”に
変更し、個々の判断に委ねることになった。
国の消極的姿勢に伴い、国内で大規模なワクチン開発が
行われなくなり、メーカーの開発力は低下。
コロナ禍での国産ワクチンの開発は、中国や欧米に大きく
出遅れることになった。
読売新聞