■「井の中の蛙大海を知らず」の由来
「 荘子/秋水編 」にこの言葉がある。
原文は「 井蛙不可以語海者 拘於虚也 」
直訳すると・・
「 井戸の中の蛙と海について語ることが
できないのは、虚のことしか知らないからだ 」
原文では、続いて・・
「 夏の虫と氷を語ることが出来るのは、
夏を知っているからだ・・
心が邪な人が”道”について語ることができ
ないのは、偏った教えに囚われているからだ 」
1895 「吉村外喜雄のなんだかんだ」
ことば遊び 「井の中の蛙大界を知らず」
狐が井戸の底をのぞき込み、
「蛙さん蛙さん、可哀そうに、井戸の底から見える世界は
丸い小さなお空だけ・・
それに引き換え僕なんか、春夏秋冬、野山を駆け巡り、
小川で遊び、楽しいことだらけ。
君には想像できない世界を沢山知っているよ! 」
そんなやり取りから”見識が狭い”の意味に使われ、
自分の狭い了見に囚われて、他に広い世界があることも
知らず、得々として振舞っている様」を、
「 井の中の蛙大海を知らず 」と言うようになった。
ところで 「井の中の蛙大海を知らず」 には続きがある。
狐が哀れむ言葉に、蛙は胸を張って言い返したのです。
『 されど、天の蒼さ(深さ)を知れり 』と・・
年がら年中飽きもせず、天空の一点を見上げている蛙・・
日々季節とともに移り変わっていく天空・・
天空に輝くお星様は、何と奥が深く素晴らしいんだろう。
狐さんにはとても分からないだろうな・・
だから、ちっとも寂しくないし、狐さんをうらやましい
とは思わない。
狐の生き方は「 広く浅く 」
蛙は「 一つのことをとことん深め、極めていく 」
生き方の違いということでしょうか・・