1889 「吉村外喜雄のなんだかんだ」
「三八豪雪の思い出」
昭和38年の正月は例年になく雪が少なかった。
当時私は21歳。1月11日の夜、高校時代の友人の家で
酒を飲み談笑していた。
夜もふけた12時過ぎお暇して玄関の外に出てびっくり!
来るときにはなかった雪が、わずかの間に40㌢・・更に
サラサラ音を立てて積もっていく。大寒波襲来である。
膝までの雪をかき分け、吹雪の中を家に帰ったのを記憶
している。
12日58㌢、15日88㌢、22日107㌢、国道も鉄
道もすべて不通に・・24日142㌢、26日175㌢、
自衛隊が災害救助に出動・・
3週間降り続いて27日には181㌢・・未曾有の大豪雪
になった。
富山は186㌢、福井は213㌢と、北陸は雪にすつぽり
埋もれてしまった。インフラが回復したのは、103㌢
まで溶けた50日後の2月28日だった。
横安江町アーケードと、金沢市スポーツセンター(現在の
玉泉院丸庭園)の屋根が崩壊した。
主要交通網は寸断され、2㍍を超えた福井県は死者31名
家屋の全半壊10244棟の記録が残っている。
材木町の妻の実家は、降り積もる雪と、繰り返す屋根の雪
降ろしで、道幅の狭い一階部分が、雪に埋もれてしまい、
外へは2階の窓から出入りするほかなかった。
一日かけて家の周りの雪をどけても、翌朝また同じだけ
積もった。屋根の雪下しと除雪に明け暮れる毎日だった。
食料品、生活必需品が滞った。当時便所はどの家も汲み
取り式で、し尿処理のバキュームカーが入れず、市民生活
は支障をきたした。
ようやく鉄道が回復した2月中旬、私は就職・面接試験を
受けるため、復興回復したばかりの上越線で上京した。
当時は蒸気機関車・・先頭にラッセル車、客車を挟んで
最後尾にも機関車を連結して、雪で埋もれたループ式の
鉄路をあえぎながらの峠越え。
前夜から11時間かけ、雪にまみれた列車が上野に着いた
とき、東京の空は真っ青に晴れ上がっていた。