1865 【吉村外喜雄のなんだかんだ】
ことば遊び 「曽呂利新左エ門/倍々とんち話」
てがらを立てた曽呂利新左エ門に豊臣秀吉が、
「褒美をやるが、好きなもがあれば申してみよと」言った。
新左エ門
「恐れながら、米粒を1日目は一粒、 2日目は2粒、
3日目はその倍の4粒と、前日の倍の量を50日分
頂きとうございます」と所望した。
秀吉笑って・・
「50日間なら米俵数俵程度だろう。なんと欲のない男だ」
と快諾した。
・7日目、わずか64粒
・10日目もわずか512粒
・15日目、やっと16.384粒。
半月経っても、茶碗5杯分にしかならない。
恐怖の倍々ケームはここからである。
・18日目、131.072粒。たった3日で茶碗40杯になった。
・21日目、1.048.576粒。米俵3分の1に。
・25日目、16.777.216粒。あっという間に米俵6俵に。
・30日目、536.870.912粒。
1か月でなんと米俵200俵になってしまった。
重さにすると約12トンになる。
いや、ものすごい量になった・・しかしあとまだ20日ある。
・そして50日目、なんと600万トンになった・・
日本の1年分の米の生産量に匹敵する。
しばらくして、一杯食わされたような気がした秀吉・・
どれくらいの量になるか、家来に計算させた。
報告の数字を聞いて驚いた秀吉・・
曽呂利新左エ門に、褒美を替えるよう頼んだという。