1812 「吉村外喜雄のなんだかんだ」
幸せな人生 「延命治療を考える(3)」
人生の終末を迎える時、「延命治療を施さずに、緩和に
重点を置いた医療であってほしい」と強く願うようになった。
そして4年前、私と妻は「尊厳死協会」の会員になった。
きっかけは母の死。
自然に衰え、枯れるように寿命が尽きて死ねたなら・・
と思うようになった。
病気一つしたことのない母が、80歳の時ガンを患い、
余命半年を告げられた。
母の寿命があとひと月も持たないという時、医師から延命
措置の問いかけに、私の兄弟は一日でも長く生き永らえる
ことを願い、承諾した。
「母の寿命はもう見えている・・延命をすることの意味が
分からない」と私は言いたかった。
結局、兄弟の願い通りに胃ろうが始まった。
「なんでこんな無駄な治療をするんだろう」と私は思った。
「1日でも永く」と願う兄弟を押し切って、「延命治療を
しないで」とは言えなかった。
一日でも永く生きていてほしい・・本人は果たしてどうなん
だろう・・母はたぶん「やめて!」って言うと思うんです。
死を迎える時どうありたいのか?
家族が両親の”死に際”の問題に触れたくないのは分かり
ます。ですが、元気なうちに夫や妻、子供たち家族と話し
合っておく必要があるのです。