1811 「吉村外喜雄のなんだかんだ」
幸せな人生 「延命治療を考える(2)」
つい最近まで、患者への癌の告知はタブーでした。
”絶望”して命を縮めてしまうのでは・・と。本人に癌を
伏せておくのが、医療現場や世間の常識でした。
当時は、回復不能の状態で癌が見つかることが多く、
「癌=死」のイメージが強かったのです。
病気をしたことのない母が80歳の時、慢性的腰痛に悩み、
総合病院で診てもらったところ、すい臓癌が見つかった。
医師は本人には告げず、家族の私に「余命半年」を告げた。
進行癌の患者には、胃潰瘍とか肺炎といった、嘘の病名が
告げられた。治すためではなく、命を少しでも先に延ばす
ための治療を行うのが一般的だった。
母に抗がん剤が処方された。効果が認められないからと、
薬を変えて二度処方した・・母は副作用に苦しんだ。
「必ず治るから頑張って」という、医師の嘘の励ましを信じ、
苦痛に耐えたのです。
そのうちに気づいたのでしょう・・「少しも良くならない」と
医師や家族は「大丈夫」とはくらかす。
自分は癌ではないのか? この先どうなるのか?
不安と疑心暗鬼の中で、精神を荒廃させていったようです。
医師は「治る」と言い続けたため、母の衰弱が進んでも、
治療のレベルを下げることができなかった。
母のお腹に水がたまり、弱った脚はぱんぱんにむくんだ。
「さすって・・」とせがむ脚に血が通わず、冷たかった。
終末期を迎えても、母の意思とは無関係に過剰治療が
続けられた。苛烈な”蘇生治療”を経て最後を迎えた。.
医師の予告通り、半年後に母は逝った。
入院して3カ月経過した頃、100%回復の見込のない母
に、 何故医師は抗がん剤の服用を勧めたのか?
母は癌の新薬を試すモルモットになったのでは・・と疑った?
.
死の直前に尚、執拗に延命処置を施したのは何故か?
医学の力で無理やり、旅立とうとする命を引き延ばすこと
が、果たして良いことなのか。
終末期に母に施された延命治療・・私は絶対お断りです。