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2020年04月 アーカイブ

2020年04月04日

国会での不適切発言

1801 【吉村外喜雄のなんだかんだ】  
「国会での不適切発言」

森法相は3月13日の衆院法務委員会で、東日本大震災
際に「検察官は最初に逃げた」と述べた、自身の答弁に
つい
て、事実誤認の不適切な発言だったと陳謝した。

また数日前、石川県知事の新型コロナに絡む発言が、
不適切 だったと、県民から非難された。

国会や公的な場での不適切発言・・謝罪したり辞任する
ケースが多発している。
芸能人や政治家の不倫報道に、マスコミが過剰反応するの
は・・いじめでしょう。

重要案件が山積する国会で、野党はスキャンダルの追及
に多くの時間を割いている。それもいい加減うんざりです。
また与野党議員の野次も、いい加減にしてほしい。

.
いくら表現の自由とはいえ、人が真剣に話しをしている時
に、まともに話を聞こうともせず、下品なヤジを連発し、
質問者の邪魔を
するのは、教養も礼儀も欠ける。

「言論の自由」とは何かを、考えさせられるのです。
失言報道の多くは、その発言の一部分を切り取って、
ことさらに誇張・・スピーチの前後を正確に伝えるなら、
事実と異なる報道にはならなかっただろうに・・

真の言論の自由とは、不謹慎な発言があっても”許す心”
ではないでしょうか。
国会では、対立政党をおとしめる材料にされ、マスコミは
視聴率を意識して、ことさら過大に問題を振りかざす。

社会的公正を欠き、差別・偏見を意図する言葉や用語だか
ら・・それだけで人を判断したり避難すべきではないと思う。
「後で考えると適当ではなかった」と自らの失言を反省
することは、誰にでもあることです。

その問題の”一言”をことさら大げさに取り上げ、それ
まで
の社会的功績を評価せす、辞職に追い込もうとする
のは、西洋の魔女狩りそのものではなか・・
大人気ない、心の狭い人が増えているのでしょうか・・

..

2020年04月08日

5Gは、くらしとビジネスを変える

■中国5G投資 2.8兆円

中国国有通信大手3社の2020年の
投資計画で、次世代通信規格「5G」
関連は、3社合計で1.800億元
(約二兆8千億円)に達し、前期の4倍
に膨らむ。

中国政府は5G関連を、新型コロナウ
イルスの感染拡大で落ち込んだ景気を
底上げする柱にしようとしている。  
                                   日経新聞



1802 【吉村外喜雄のなんだかんだ】 

「5Gは、くらしとビジネスを変える」

この3月、新しい通信規格5Gがスタートした。
5Gの特徴は、高速・大容量の通信が可能になり、従来の
通信ネットワークより格段に高速・大容量のデーター通信が
可能になること
です。

現行の4Gは、データー通信量の上限が60㌐バイトで、
(㌐は10億)それを超えると、速度制限がかかるが、5Gは
4Gの20倍を超えるデーター通信速度で、
上限を倍近く
設定できるのです。

5Gは4Gに比べて、大容量の通信が可能なため、高細密
な画像や動画の利用が可能になる。
遅延は10分の1以下に。同時に接続できる端末は10倍
になり、通信品質が飛躍的に向上する。

機器監視や、ロボットなどの遠隔操作、自動運転車などに
不可欠で、あらゆるものがネットにつながる「IOT」が実現し、
日常生活は大きく変化していく。

※I OT とは、まだ接続されていないデバイス(高速に対応
   した装置や設備)を接続することで、有益な情報を迅速
   に取得できるようになり、更に有益な情報が引き出され、
   新たな事業の開発につながっていく。

5Gの普及につれ、遠隔操作の無人建機で災害復旧が
可能 になるなど、新たな価値が創造され、社会課題の解決
に貢献するようになる。
更に企業の生産性向上、少子高齢化に伴う人材不足の
解消など、産業界の期待は大きい。

                                                                     日本経済新聞 他

2020年04月12日

5Gは、くらしとビジネスを変えるー2

1803 【吉村外喜雄のなんだかんだ】  
「5Gは、くらしとビジネスを変えるー2」

仮想現実VRや、超高速通信を可能にする次世代通信
5G。NTTコモは、先月3月25日から5Gプランのサービス
を開始した。
NTTドコモの5Gの料金プランは・・
▲上限100ギガの大容量プランは7.560円、
現行のプランでは+500円払えば利用できる。

ソフトバンクは、現行のプランに+1000円追加すること
で利用できる。なお、8月末までに加入すると、上乗せ分
は2年間無料になる。

5Gが使えるエリアは、3月末までに羽田空港とオリンピッ
ク会場周辺。6月の時点で、全国47都道府県の主要
都市。 2020年度中に、全国500都市をカバーする。

更に、NTTドコモは2023年度中に基盤展開率97%
を達成させ、日本全国をカバーする。
ドコモ、ソフトバンクに続き、KDDIも23日に開始時期
を発表した。
日本の5G競争はいよいよ本格化する。
5G時代の幕開け
です。5Gの特徴は、同時に大
勢の人をつなぐことが出来
ることです。
電波は場所によって届かなかったりするので、この夏の
オリンピック、パラリンピックが普及のチャンスになると期待
していた・・
ところが3月26日、オリンピック開催が1年先延ばしされ

ため、米アップル社は、新形5G対応
アイフォンの日本発売
を、当初予定していた秋から、数か月延期することを検討
中・・
2つのニュースが飛び込んできたのです。
日本で4割のシェアを握る同社の発売延期は、日本の
5Gの普及に水を差すことになる。

5Gの利用者が増えないと、コンテンツが充実しない。
逆に、受信エリアが拡大し、コンテンツが充実しないと、
利用者は増えないのです。

2020年04月15日

ウイルスの脅威に立ち向かう

1804 「吉村外喜雄のなんだかんだ」
食と健康「ウイルスの脅威に立ち向かう」

新型コロナウイルスは、通常のインフルエンザの
10倍以上
致死率があり、2002年から2003にかけて流行し、
恐れられたSAR(サーズ)
感染力10倍以上
なるという。

新型コロナウイルスは、飛沫感染接触感染によって広が
っていきます。患者が咳をすると、ウイルスを含んだ唾液と
ウィルスの粒子が、2~8㍍先まで飛び散ります。

飛散した後、今までのウイルスより4~5倍長く、3週間
近く生き続けるので・・厄介です。

[ 予防1  マスク ]
ウイルスの粒子はマスクを素通りしてしまうので、防護効果
は期待できません。
感染を予防するには、人と会わないことが一番なのです。

マスクは、周りの人にウイルスを飛散・感染させないため
に必要です。自分は健康と思っていても、咳が出る ときは、
唾液の飛散を防止するため、絶対マスクを付けなければ
なりません。
感染者が素手で口を覆った手に、ウイルスが付着して、
トイレのノブなどを通して、感染が広がっていき
ます。

[ 予防2  石鹸で手洗い ]
ウイルスを含んだ唾液はあちこち飛び散るので、手洗いは
大変重要です。石鹸で20秒以上、流水で洗い流すのに
20秒以上・・しっかり洗います。

[ 予防3  アルコール消毒 ]
人が多く出入りする銀行やスーパーの入口に、アルコール
消毒容器が置かれています。コロナウイルスの殻が
アルコールに弱いことから、私も使うようにしています。

ただ、ササっと2、3秒揉むだけでは、思ったほど効果が
ありません。びしょびしょになるほどたっぷり付けて、最低
15秒はしっかり揉み込むように・・医師からの助言です。

2020年04月19日

ウイルスの脅威に立ち向かう(2)

1805 「吉村外喜雄のなんだかんだ」
食と健康「ウイルスの脅威に立ち向かう(2)」

18年前の、2002年から2003年にかけて猛威を振
るったSARS(サーズ)は、中国の広州を中心に流行し
た肺炎で、史上初めての新しいウイルスが原因でした。

中国南方で食用として珍重される哺乳類のハクビシンから
人に感染したと伝えられている。

広州から香港、北京、そしてカナダやドイツなど、世界の
国々に飛び火し、約8.000人が感染し、800人亡く
なったが、閉じ込めることに成功して下火になり、流行は
終了した。
見た目、今回の新型コロナウイルスとサーズウイルスは
そっくりで、いくつかの特徴を受け継いでいますが・・
全く別物です。

サーズの多くの感染者は明確な症状が出て、重症になる
患者が多かったため、比較的早い時期に閉じ込めに成功
したのです。
今回の新型コロナウイルスは、症状が軽い人も、症状が出
ていない人からも感染するため、感染ルートの特定と封じ込
めが、困難をきたしている。

軽症者が多く、致死率が低いためか、若い人でも高齢者
でも、年齢に関係なく発症するので、油断がなりません。

石川県と金沢市の人口比発症率は、東京に次ぐ全国3位
と 由々しい状態に。そして、4月13日ついに非常事態宣言
が発せられた・・いつになったら鎮静化するのだろう。

 

2020年04月22日

「ウイルスの脅威に立ち向かう(3)」

日本でコレラが最初に流行したのは1822年
(文政5)。西日本で猛威を ふるった。

1858年(安政5)には日本全国で流行し、
江戸で10万人、延べ26万人が死亡した。
死亡率は58%、長崎と横浜は80%と、
「コロリ」のあだ名で恐れられた。



1806 「吉村外喜雄のなんだかんだ」
「ウイルスの脅威に立ち向かう(3)」

世界の各地に新型コロナウイルスの感染が広がる中、
日本がクルーズ船を洋上に留め置いたように、外国からの
侵入を水際で防ぐための「検疫」が大変重要になってくる。

日本で検疫が始まったのは、明治(1868~)になって
直ぐの1879年。過去に、日本にコレラが蔓延した苦い
経験から、明治政府は横須賀や長崎などに検疫所を設け
た。
欧州では14世紀、すでに検疫が行われていた。
鎖国が続いた日本は大きく出遅れたが、ほどなくして
世界から大きく注目を集めることになった。

日清戦争(1894~95)の帰還兵23万人の大規模検疫
を、わずか3カ月でやってのけたのです。
指揮したのは、当時内務省衛生局の官僚だった後藤新平。
後藤が断行した検疫は、壮大で周到だった。

日清戦争当時、中国でコレラが流行していた。
後藤は、兵士らの帰還が決まると、急いで大阪、広島、
山口の瀬戸内の島に、臨時の検疫所を作った。

船で次々帰ってくる兵士の健康状態をチェックした。
コレラ感染の疑いがなければ入浴させ、すべての持ち物を
薬品や蒸気で消毒したうえで上陸させた。

一方、感染の疑いのある兵士は病院に隔離し、近くにいた
兵士も隔離した。帰還兵は日清戦争に勝利した凱旋兵で
す。そんな兵隊たちを1か所に留めて消毒・隔離したことは、
反発が大きかっただろう。

後藤は感染拡大を防ぐため、検疫がいかに大切かを説く
文章を25万枚印刷し、一人ひとり理解を求めて歩いた。

この徹底した検疫作業により、わずか3カ月で687隻、
帰還兵23万人の検疫が実行された。
この間、疑いのある兵4万人を船と島に留め置き、
約700人の感染者を病院に隔離した。

樹立間もない明治政府・・国家財政に余裕はない。
そんな中、23万人の帰還兵の検疫に用した国費は、
莫大な金額だっただろう。

国内の反発を押し切って...、短期間に膨大な人数の検疫を
やり遂げた後藤の手腕は、先進国の欧州にも伝わり、
ドイツ皇帝も感服したという。

2020年04月25日

ことば遊び 「言葉の語原/屁の河童」

1807 【吉村外喜雄のなんだかんだ】
ことば遊び 「言葉の語原/屁の河童」

言葉の語原の意味を知るのは楽しいものです。
まずは「くだらない」の語原・・


江戸時代、お酒といえば灘・・上方がお酒の本場とされて
いた。江戸へは、東海道を下って運ばれてくる。

そこで、上方・関西の酒を「下り酒」と呼んだ。

対する関東の酒は米、水質共に悪いせいか、
上方に下ることはなかった・・
そこから「くだらない」の言葉が生まれ、「価値がない」
「つまらない」の意味の言葉を「くだらない」と言うように
なった。
次に、「ごまかす」の語原・・
この語原は諸説あるようですが、「胡麻菓子」説が面白い。

見かけは胡麻が付いて、いかにも美味しそうだが、
実は焼いてふくらませただけの不味い菓子のことを、
「胡麻菓子」と言ったことから・・
人を”だます”ことを「ごまかす」と言うようになった。

次に「たやすい」ことを「へのかっぱ」と言う・・
何とも可笑しな言葉です。
語原をたどっていくと「木っ端の火」
になる。

七輪で火をおこすとき、火種に木屑を入れ、燃え上った
ところへ炭を入れる。
この木っ端、パッと燃え上がるが、直ぐ燃え尽きてしまう
ので、手早くしなければ間に合わない。
そこで江戸の庶民は、はかないものを「木っ端の火」と
言った。
このままでは面白くないので、江戸っ子特有の洒落で、
河童の屁」と言うようになった。

いつの頃からか、それがひっくり返って「屁の河童」にな
り、言葉の意味もひっくり返って、「たやすく出来る」
の意味
に 使われるようになった・・これこそ「へぇ~」
ですね。

2020年04月29日

懐かしの金沢の市電

1808 【吉村外喜雄のなんだかんだ】
「懐かしの金沢の市電」


金沢の中心商店街・香林坊(石浦町)に生れ育った私。
当時、自宅前の国道に路面電車が走っていた。

朝5時過ぎ、1番電車がキーキーゴトンと車輪をきしませ
通り過ぎる音で一度目が覚め、またトロトロ眠り、7時に
起床する毎日でした。
                            miyasan320 (2)

当時、香林坊交差点の真ん中に、丸いトーチカのような
進路切り替え所が設けられ、その中に人が入って、広阪
から兼六園下方面に向かう電車のポイントの切り替えを
行っていた。
              20debesso

夏、トーチカの中は、アスファルトの照り返しで蒸しかえ
った。クーラーのなかった時代です・・氷柱と扇風機で
暑さを凌いでいた。
交差点の信号が停電や故障の時は、おまわりさんが
トーチカの上に立ち、手信号で笛吹いて交通整理をして
いたのを記憶している。

私が高校に通っている頃、最新モデルの電車が市内を走っ
た。これまでの電車とは違い、揺れも少なくキーキーゴト
ンの走行音も静かだった。

昭和40年代に入ると、円光寺、粟ヶ崎などに郊外型住宅
団地が出来始めた。それと共に自家用車の普及が進み、
市内は交通渋滞に悩まされるようになり、狭い道路を占領
する市電は、度重なる雪害もあって、邪魔者扱いされるよ
うになった。
             C2102m (3)

長年金沢市民の足として利用されてきたが、
昭和40年6月、兼六園下から小立野台への通称尻垂坂
で、 電車が暴走脱線するという、前代未聞の事故が発生
した。
この事故が、廃線決定の引き金になったと言われている。

そして昭和42年、市電は粟ヶ崎方面の浅野川線と、鶴来
方面の石川総線を残して、金石線を含め全線廃線になり、
歴史を閉じた。(写真は廃線をなごんで市内を走った花電車)
                    IMG_1604            
現在、富山市の路面電車ライトレールが、市内観光の目玉
として脚光を浴びている。金沢にも、市電復活を望む声が
聞こえてくる。

                DSC01415-1024x683

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