作務・勤行、一つになる(2)
1740「吉村外喜雄のなんだかんだ」
「作務・勤行、一つになる(2)」
作務を懸命にやったからと、何があるわけではない
。褒められたり、ご褒美に夕食が一品増えるわけで
もない。作務を通して修行の喜びを見出していく。
「毎日やっていることは何なのか」しだいに見えて
く る、分かってくる。毎日同じ所を、同じように
繰り返し、工夫もなく掃除をしていたのでは修行に
ならない。
竹ぼうきを作る時も、掃く人の側に立った使いよい
工夫ができるようになる。
自分が使う箒は、誰よりも重い竹箒を作る・・
すると自然と筋力が付き、丈夫な身体になっていく
。
箒で掃いている時、小さな雑草を一緒に抜いてい
く。根が大きく張ってから抜き取るのでは大変だ!
花が咲き、種が飛び散った後に抜くのは更に大変!
翌年、しんどい作務が待ちかまえている。
修行を積んだ僧は、作務の時、無意識に目的以外の
ことに手や足が動く。また日々工夫するうちに、
今までの半分の時間で済ませるようになる。
作務によって体幹が鍛えられ、無駄な贅肉が消えて
いく。
更に、体力を使う作務によって、呼吸も滑らかにな
り、無駄のない自然のあるがままの生き方が出来る
ようになる。
これを禅宗では「自(おの)ずから然り」という。
そして、より良い座禅が組めるようになる。
正眼寺住職・山川宗玄禅師