1717 【吉村外喜雄のなんだかんだ】
幸せな人生
「生きることすべてが修行(2)」
以下、正眼寺住職・正眼僧堂師家・山川宗玄禅師
若き修行僧時代の体験講和・・前号の続きです
限界まで座禅や作務をして、意識不明になって倒れ
るのはどうか?
救急車で病院に運ばれ、入院することになるだろう。
そうすれば、医師の診断書で堂々と体を休めること
が出来る・・これが、考えた末の結論でした。
しかし、いくら頑張っても倒れない・・
3週間過ぎた日の夜坐、同僚が引き揚げ、一人取り
残された。その夜は満月、夜中の12時を過ぎ、
時計が2時を知らせた・・
今から寝て”も”1時間半。
そのとき「1時間半”しか”寝る時間がない」とは
思わなかった。「1時間半も」の言葉が出た。
何故”も”が口から出たのか? 今もってわからな
い。
自分の心が「1時間半も寝させていただく」に変化
していたのです。
その言葉が口から出た瞬間「もう倒れはしない、
大丈夫だ」と思った。
「修行しても倒れない」と思ったのです。
その後も修行に励み、腰痛も快方に向かった。
ふと気づいたら腰痛が消えていた。厳しい修行が
背骨の周りの筋肉を鍛え、完治したのです。
自分の心が「1時間半も休ませていただく」に変化
してから、今まで見えなかったものが見えるように
なった。どうして、そう思うようになったのか?
これが”悟り”なのか?修行を続けてきたからなの
か? 「授けられた」としか言いようがなかった。
次号に続く