1687 【吉村外喜雄のなんだかんだ】
「本多通り・樹齢100年の大樹」
21世紀美術館から金沢歌劇場に向かう「本多通り」に
樹齢100年、高さ30メートルのモミの巨樹がある。
明治30年まで、JR金沢駅近く本町1丁目にあった
旧制金沢第一中学が、本多通りの加賀藩重臣・本多安房
守の中屋敷の跡地(現・21世紀美術館)に新築、移転
してきた。
当時、第一中学周辺は大木が多く茂り、一中の生徒は
「本多が森」と愛称していた。
このモミの大樹は一中の校門近く、教官室横の土塀際に
あったと伝えられる。
昭和12年金沢一中は、富樫町(現在の泉野出町)に
再度移転。戦後昭和24年に、金沢泉丘高等学校に校名
が変わった後も、その歴史と伝統は今日に引き継がれて
いる。
本多の森で40年間シンボルとなり、文武両道に励む
一中健児の姿を眺めてきたモミの樹。
生徒たちが去った後、本多道路が金沢再開発による
拡張の時にも伐採されず、一中のなごりを残すことに
なった。
樹齢100年を超す、高さ30メートルのこの大樹は、
本多通りの道幅を狭め、交通渋滞の原因になっている。
にもかかわらず生き残ったのは、歴史と伝統の金沢故の
計らいでしょう・・市民から伐採の声はなく、逆に保存
・保護の声が聞こえてくるのです。