■佐藤一斎「言志四録」より
『 一燈をささげて暗夜を行く
暗夜を憂うることなかれ 只一燈を頼め 』
『 怠惰の冬日はなんぞ その長きや
勉強の夏日はなんぞ その短きや
長短は我にありて 日にあらず 』
(一生が長いか短いかは、己の心がけ次第)
1683 「吉村外喜雄のなんだかんだ」
幸せな人生「儒学者・佐藤一斎」
佐藤一斎(1772~1859)は江戸末期、岐阜県
美濃国岩村の藩主・松平家の儒学者です。
江戸で大学頭の職にあった”林家”の私塾「昌平坂学問
所」を、佐藤一斎が任されることになった。
一斎はその学問所で、三千人もの多士済々の門弟を育て
た。
学問所からは、山田方谷や佐久間象山、渡辺崋山など、
江戸末期の日本に欠かせない人財を多数排出した。
一斎は、42歳から11年の歳月をかけ「言志録・
264条」を書き記した。次いで、57歳から10年の
歳月をかけて「言志後録・255条」を著した。
更に、67歳から78歳の11年間に「言志晩録・
292条」を、そして最晩年の80歳から2年の間に
「言志耋(てつ)録・340条」を書き上げている。
一斎の学問の修養・工夫からにじみ出た、4巻の随想録
「言志四録」・・人間としてどうあるべきか?
どう生きるべきかを指南した”人生の書”として、
時代を越えて多くの人に読み継がれてきた。
当時から見て、平均寿命が数倍伸びた今日でも、
60歳を過ぎれば第一線から退くのが一般的なのに、
88歳で没するまで、知力も気力も衰えることなく、
学問所を主宰した。
「西郷どん」の西郷隆盛は、一斎の「言志四録」を
座右の銘にしている。