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2018年11月 アーカイブ

2018年11月01日

幸せな人生 「才と徳」

1648 「吉村外喜雄のなんだかんだ」
幸せな人生 「才と徳」

人間形成の過程で大切なものに「才」と「徳」がありま
す。
才は、私たちが物事を進めていくうえで必要な能力
で、「知識」と「技術」の2つが中心をなします。
一方「徳」は、人間の値打ち・人格を決めるものです。

全国を統一した徳川家康は、各藩に学問を奨励し、
朱子学を中心とする儒学の普及に努めました。
その結果、武士の生き方に”徳”の学が入り、武士道が
確立されました。

今日の日本で、才に長けた政治家や経営者の名前は
数多く挙げられますが、徳をそなえた者は、直ぐには
思い浮びません。

今年のプロ野球を制するのは広島でしょうか?それとも、
ソフトバンクでしょうか?
子供の頃から才能を発揮し、後世に名を残す名選手が
監督になり、チームを率いたら、成功するかといえば
そうはならない。

組織の中の一員として自らの才を発揮し、才を磨いて
成果を出し、才を更に高めていくことが、組織のためで
あり、求められるのです。

しかし、コーチや監督として、組織を束ねる立場になれ
ば、才に長けているだけではチームはまとめられません。
組織をまとめ、チーム一丸と総合力を発揮させるには、
”徳”をそなえたリーダーが、必要になってくるのです。

                                          谷崎利男「日本人の誇り」より

2018年11月04日

幸せな人生 「才と徳(2)」

1649 「吉村外喜雄のなんだかんだ」
幸せな人生 「才と徳(2)」

タクシーに乗ると、運転手によって乗り心地が大いに
違うことがあります。挨拶の仕方、返事、顔つき、態度
などから発する雰囲気が、皆違うのです。

それは、運転手の”人柄”からにじみ出てくるものが
違うからです・・それが「徳」というものです。

才を磨いて二種免許を取り、タクシー運転手になり生活
の基盤を作り、収入を得て家族を養っていく。
生計を立てるには、世の中に役立つ「才」の能力が必要
になってくる。
その「才」を発揮し、お客様と長くお付き合いいただく
ためには、「徳」を身に着けることが必要になってくる。

「人は才がなければ生きられない。
  しかし、徳がなければ生きている価値がない」

人に使われ、部分的な仕事をしている平社員のときは、
才を磨いて成果を出すだけで良いのですが、管理職に
なり人の上に立つと、才のみでは勤まらない。

組織をまとめ、一丸となって総力を発揮するためには、
徳のリーダーが必要になってくる。部下の才は、徳の
ある上司のもとで初めて、能力を発揮するのです。

企業や組織は、才人が組織を支え、徳人がトップに立つ。
徳と才は陰と陽の関係にあり、徳人は才人を好み、
才人は徳人に引かれる。
両者が同じ目標に向かって進むとき、企業や組織は発展
する。
創業期・動乱期には、時代の変化に適応しながら改革
を進める”才人”が組織をけん引し、安定期には、組織
の安定拡大をもたらす”徳人”がリーダになって、組織
をまとめていく・・

動乱期の幕末に才人が活躍し、明治の新政府では徳人が
能力を発揮し、国を治めたように・・


                                           谷崎利男「日本人の誇り」より

2018年11月07日

幸せな人生 「才と徳(3)」

1650 「吉村外喜雄のなんだかんだ」
幸せな人生 「才と徳(3)」


「才」と「徳」を完全に備えていれば”聖人”になる。
徳が才より勝っていれば”君子”になる。
才のみが長けている者は、やり手だが”小人”であ
る。
才も徳もない、私のような人間は”凡人”です。

才能豊かでも徳のない者は、自分のことしか考えず、
他人のために尽くすことができない”小人物”になる。
自信過剰で、おごり、自惚れが強く、鼻持ちの ならな
い人間に多く見られます。

スポーツ界でも、名選手必ずしも名監督でないのは 、
いくら才に優れていても、徳がなければ、監督としては
成功しないからです。
一方、才能を他人のために尽くすことができる者は、
器が大きい。
才に秀でた者は、何かと人目に立ちたがるが、
徳のある者は、それを表に出さず、凡人のように振る舞
う。
他人が見ていようがいまいが、世のために陰ひなたなく
、一生懸命取り組む”隠徳”を備えた人が、徳のある人
になる。「能ある鷹は爪を隠す」です・・

自らの才を磨くだけでなく、徳を修め、徳を磨いて初め
て”聖人”の域に達するのです。

2018年11月11日

ことば遊び 「落語の枕」

落語を演じるとき、
最初になくてはならない「まくら」・・

通常寄席で使われる”まくら”は
演目によって決まった内容で語られるが、
最近はオリジナルな要素を盛り込む
落語家が増えているようです。



1651 【吉村外喜雄のなんだかんだ】
ことば遊び 「落語の枕」

[ 春風亭小朝のまくら ]

■母子の会話
子「お母さん、アメリカって遠いの?」
母「黙って泳ぎなさい・・」

■右に寄せた
「うちの師匠が脳梗塞で倒れまして、命はとりとめたん
ですが、左半身がマヒしちゃうようなことになりまし

ね、看護師さんが師匠にそのことを言いましたら、
そっとおちんちんを右に寄せました・・ 」

[ 桂文珍のまくら ]
■落語「くしゃみ講釈」のまくら

「あいも変わらずばかばかしいところをお付き合い
  いただきたいと思いますが、落語に出てまいります
  人物というのは、普通の社会性のある人ではござい
  ません・・
  そういう人物でないと面白くないというところも
  ありますから・・よろしくお付き合いください 」

[  桂枝雀のまくら ]
■赤道がテーマのとき
「私が子供のころは、海外旅行なんてのは夢のまた
  夢でございましてね・・あこがれのハワイ航路なんて
  ことを申しましてね、飛行機に乗っておりますと、

  スチュワ-デスさんが、右手の方をご覧ください・・
  てなことをおっしゃられまして・・見ると海の上に
  赤い線がズ~ッと、向こうからこっちへズ~ッと 」

[ 立川談志のまくら ]
■”水連”の達人

A「水連の達人てのを見てね・・」
B「へ~どこで?」
A「大河原、、上手から下手へス~と頭も上げずに
   泳いでいった・・ありゃあ見事だったね」
B(しばらく間を置いて)「土左衛門じゃねえのか?」

枕には、師匠のセンスが如実に現れてきます。
ですから、枕が面白い噺家さんは本物ですね。

2018年11月15日

人生の成功は才能、それとも運?

■ノーベル化学賞を受賞した白川秀樹博士

博士の元で研究していた韓国人が実験に
失敗した。
粉末ができるはずが、ボロ雑巾のような膜
ができていたのです。
白川博士は瞬間的に「薄膜が作れたら・・」
とひらめいたといいます。

これが導電性プラスチックの発見・・
ノーベル賞受賞へとつながりました。
偶然の失敗が、幸運の扉を開いたのです。



1652 「吉村外喜雄のなんだかんだ」
幸せな人生
「人生の成功は才能、それとも運?」

今年、大リーグで大谷翔平選手が新人賞を取り、
将棋会では藤井聡太七段が大活躍した。
成功する人は、彼らのような優れた才能の持ち主だけ
なのでしょうか?

世の中は実力主義。成功するかどうかはその人の資質。
例えば知性や技能、努力、勤勉性などによると考えられ
がちです。しかし才能があれば成功するのでしょうか?

イタリアの大学での調査です。技術や知能、能力を問わ
ず、ランダムに選び出した人が、40年間の人生の中で
幸運な出来事と、不運な出来事に出逢った時、
その人たちの資産が、どのように増減したかを調査した。

結果は、上位20%の人が資産総額の80%を占めた。
その上位20%には、優れた才能のある人ばかりではな
く、遠く及ばない人も含まれていたのです。

”幸運”に多く恵まれた人が上位を占め、
”不運”な人の資産は少なかった。
結論は『最も裕福な人々とは、才能の有無にかかわらず
誰よりも幸運に恵まれた人たち』だったのです。

私たち人類が今繁栄しているのは、
「数多くの失敗と偶然の中から、運よく幸運に恵まれた」
ことによるのです。
「チャンスは一瞬、前髪でつかめ」と言いますが、
チャンスは、いつ誰の元に訪れるか予測できません。
成功を手にするには、一瞬のチャンスを逃さないことで
す。
強い”志”を持って努力している人にしか、前髪は掴め
ないのです。

2018年11月18日

幸せな人生 「才と徳/道の思想」

1653 「吉村外喜雄のなんだかんだ」
幸せな人生 「才と徳/道の思想」

横綱不在の大相撲九州場所も、今日は中日。
優勝争いで抜け出す力士は?・・面白くなってきた。

仕事や趣味を通して人格を磨くことを、日本では昔から
「道の思想」として、広い分野で取り入れられてきまし
た。
茶道、華道、柔道、相撲道など、それぞれの分野で
人格を鍛え、人格を磨き、”道”を極めていく。

相撲の世界で、破竹の勢いで勝ち上がって、大関になっ
ても、心技体、バランスが備った力士で
なければ、横綱
にはなれません。

商売を通して人格を磨くのが「商道」です。
江戸時代の大店の商人は”品格”を高めると共に、
何事にも動じない”人間性”の大きさや、深さを求めら
れた。
日本では、才覚よりも人格において秀でた者を尊敬する
気風がある。商才に長け財を成す者より、人間的成長に
努力する生き方が評価されるのです。

”人材”とは、能力の優れた人間を言い、”人物”とは
能力に加えて、
人間性に優れた人物のことを言います。

そして商道における”仕事”は、人に喜んでもらえる
うな仕事の仕方ができる、能力と人間性を持った人物に
鍛え上げていくのです。

「円熟ではなく、各熟をめざせ!
                    丸くはなるな、とんがって生きろ」


                                               芳村思風「感性論哲学」より

2018年11月21日

土佐藩家老・野中兼山の逸話

■徒然草にある「後悔」の定義 

今日やるべきことを明日に延ばし、明日やってもよい
ことを今日やって、心にあれこれと食い違いが生じる
こと・・それを”後悔”という。

 

1654 【吉村外喜雄のなんだかんだ】
「お役目を台無しにした、土佐藩士の逸話」

以下は”和”を重視し、部下の過失を許した土佐藩家老
野中兼山の 逸話です。

♪紀州はミカンの畠が多く、その花は蜜蜂を養って蜜を
採るのに適していて、養蜜が盛ん に行われた。
土佐藩の家老で学者の”野中兼山”は、養蜂を思い立ち
、家来を紀州にやって、種になる蜜蜂を求めさせた。

兼山の家来は一箱の蜜蜂を手に入れ、無事に土佐の港に 
帰ってきた。ところが、家来は蜜蜂の正体を知らず、
箱の中には甘い蜜が一杯入っているものと思い込んでい
た。
無事にお役目を果たしたことでもあり、少しご馳走になろ
うと箱のふたを開けたとたん、数千匹の蜜蜂が一斉に
大空に飛び出してしまった。

さあ、大変なことをしてしまった・・
家来はすごすご兼山の邸に行き、過失を詫びた。
せっかくのお役目を”台無し”にしてしまった家来は、
どんなおとがめを受けるかと、ビクビクして待ち受けて
いると・・
兼山、怒ると思いきや、カラカラと大声で笑った。
『 これは驚きいった。蜜をなめるのはよいが、
   舌を刺されたらどうするのじゃ・・ 
   蜂はどうせ、ご領内のどこかに逃げたのだから、
   持ち帰ったも同然じゃ・・ご苦労ご苦労 』
と却って家来を慰めた。

本人はもとより、どうなることかと心配していた他の
家来たちも、ほっと一息つき、兼山と一緒にみんなで
笑い過ごしたという。

2018年11月26日

台無しになる

1655 「吉村外喜雄のなんだかんだ」
「台無しになる」

数年前のこと・・講演会の会場に到着して、講演に使う
資料が入ったパソコンを忘れてきたことに気づいた。

その日のために、時間をかけて下準備したパソコン。
これがないと講演が持たない・・ 講演会が”台無し”に
なってしまう・・「どうしよう」と途方に暮れた。

急きょ自宅に電話して、忘れてきたパソコンを持ってき
てもらうよう頼んだが、講演開始に間に合いそうもない。

講演を”台無し”にするわけにはいかないので、
パソコンが届くまで約30分間、別の題材でつなぎ、
何とか切り抜けることができた。

この1件で、私にとって何が”台無し”になるのかを
考えさせられた。
そもそも台無しの”台”は、仏像を安置する台座の
ことで、座がなければその上の仏像は形をなさず、
仏像の威厳もなくなってしまう。

日頃、しっかり勉強しておけば、資料が無くても講演
できるはず・・資料が無くてうろたえるのは、私に中身
が無い証拠・・台を頼りに講演に臨もうとしている、
薄っぺらな自分がいるのです。

大切なのは、人前で満足に話すことのできない、
上げ底の自分ではなく、血となり肉となって身についた
、在りのままの自分に向き合うようで
なければならない
のです。

2018年11月29日

釈迦の寓話/人間の実相

■釈迦の寓話/解説

・果てしない広野 = 家族、友人がいても人生は孤独
・白骨 = 他人の死
・虎 = 人にはみな虎がいる。いつ死ぬかわからない
              何れ必ず死なねばならない。
・一本の木 = 健康、家族、金、財、地位、宗教
・藤ツル = 寿命
                            IMG_2834

1656 「吉村外喜雄のなんだかんだ」
幸せな人生 「釈迦の寓話/人間の実相」

ある日、釈迦の法話会に勝光王が参詣した。
釈迦は王様に「人間とはどんなものか」を寓話をもって
説いた。

♪王よ、それは今から幾年という昔の話である。
秋の夕暮れ果てしない広野を、木枯らしが吹く中、
一人の旅人が歩いていた。

旅人は薄暗くなった野道に、点々と散らばる白い物に
気づいて、立ち止まった。何だろうと、拾い上げて驚い
た。それは、人間の白骨ではないか・・

どうしてこんな所に白骨が沢山散らばっているのだろう
・・怖くなって先を急いだ。
しばらくして前方の闇の中から、異様なうなり声と足音
が聞こえてきた。

闇を透かしてみると、彼方から飢えに狂った、見るから
に獰猛な大虎が、こちら目がけてまっしぐらに突進して
くるではないか。

旅人は、白骨が散らばっている分けを知った。
この野道を通った旅人が虎に食われたに違いない。
自分も食われてしまう・・!
恐怖に引きつった旅人は、迫りくる虎から逃げなければ
と、無我夢中で走った。

恐ろしい虎の鼻息を間近に感じ、もう駄目と前方を見る
と、その先は断崖絶壁の行き止まり。
絶望の中、幸い断崖に生える1本の木の根本から、
藤ヅルが垂れ下がっているのを見つけた。

その藤ヅルを握りしめ、必死に崖を伝い下りて、
虎の追撃から逃れた。

                                                                 次号に続く

2018年11月30日

釈迦の寓話/人間の実相(2)

■釈迦の寓話/解説

・三匹の竜 = 三毒の煩悩
  青い竜 = 貧欲
  赤い竜 = 噴患
  黒い竜 = 愚痴

・白と黒の鼠 = 白は昼、黒は夜
  昼に死ぬか、夜死ぬか、どちらかの鼠に
  藤ヅルを噛み切られて死んでいく

・蜂蜜 = 五欲
  食欲、財欲、色欲、名誉欲、睡眠欲

                       IMG_2834


1657 「吉村外喜雄のなんだかんだ」
幸せな人生
「釈迦の寓話/人間の実相(2)」

釈迦は王様に「人間とは、人生とはどんなものか」を
寓話をもって説いた。

『人食い虎に追われ、断崖絶壁に追い込まれた旅人・・
木の根元の藤ズルを伝い下りて難を逃れ、ホットとして
九死に一生の旅人。
せっかくの獲物をとり逃した猛虎・・
断崖に立ち、無念そうに吠え続けている。

「やれやれ、この藤ヅルのお蔭で助かったわ・・
まずは一安心」と、旅人が下を見て、思わず「アッ」と
叫んだ。
絶壁の下は、怒涛が絶え間なく岸壁を洗っているでは
ないか・・それだけではなかった。
波間から、青と赤と黒の3匹の大きな竜が、真っ赤な口
を開け、自分が落ちてくるのを、今か今かと待ち受けて
いるではないか。

旅人はあまりの恐ろしさに、藤ヅルを握り締めて身震い
した。再度上を見上げると、虎は執念深く吠え続けて
いる。
その時である・・旅人は、今起きていること以上に、
恐ろしい光景が目に入った!

藤ヅルの根元で、白と黒の鼠が藤ヅルを交互に、
カリカリかじっているではないか。
やがては白か黒、何れかの鼠に噛み切られるであろう
ことは必至である。

そこで、藤ヅルを揺さぶって、鼠を追っ払おうとした。
ところが、ツルの横に大きな蜂の巣があり、その巣に
ツルが触れて、蜂がワンワン旅人の頭に舞い下りてくる
ではないか。

絶体絶命の旅人、顔は青ざめ、ガタガタと震えが
止まらない。
そこに、蜂の巣から甘い蜜が落ちてきた。
旅人は、甘い蜜に心を奪われ、現実の恐怖を忘れ、
夢中になってなめた ・・』

話を終えた釈迦
「王よ、この旅人とは・・そなたのことなのだ」
王様「え! どうして、この旅人私なのですか?」
釈迦「いや、そなた一人のことではない。
        この世のすべての人間が、この旅人なのだよ」

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