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母親にらい病を告げる息子(2)

■納骨堂

ハンセン病に対する差別や偏見がひどかった
大正・昭和の時代・・亡くなったあとの遺骨を
家族に引き取らせず、故郷に持ち帰ることも
許されなかった。
園内に残された遺骨を、無縁仏にしてはいけ
ないと、納骨堂が造られた。

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1644 【吉村外喜雄のなんだかんだ】
「母親にらい病を告げる息子(2)」

夜が明けて母は、ようやく諦めがついたのか、
『・・この病気は親族血縁の者に、一生精神的な不幸を
負わせてしまうものだ。

一族の中からこの病気にかかった者が出たとわかれば、
その一族は結婚も出来ず、家は破綻に追い込まれ、
どんなに理解しあった夫婦でも、生涯負い目を背負って
の生活を強いられる。

つまり、お前一人の苦しみで済むような、生半可な病気
ではない。
お前は家や家族のために犠牲となって、行方不明とい
うことにしておくれ。そして外の者には絶対口外しない
でくれ。
これは二人だけの秘密にしておくれ・・頼む、頼みます。
親族に迷惑をかけることはできない。それが人の道とい
うものだ。これは私一生のお願いだ。是非守っておくれ』
と、涙を流しながら訴えた。

切々と訴える母の言葉には、わが子と再び永遠に別れな
ければならない苦悩が滲み出ており、私も胸が詰まり、
ただ黙ってうなずくことしかできなかった。

『岡山へ行っても便りは一切しないでくれ。便りが無い
ことが元気でやっていると、思うようにする。
お前も辛いであろう。しかし病は気からとも言う・・
病気に負けるな、どんな病気でも治らぬものではない。

どんなことがあろうと、生きて生きて、生き抜いてくれ。
生き抜いてこそ、人としての価値がある。
そして、人間に生まれた以上、人様に迷惑をかけず、
社会に少しでも役に立つことをしなけけばいけない。

笑って会える日が必ず来ることを信じて、そのことを
楽しみに、お互いの心を通わせながら生きよう・・
頼む、生き抜いてくれ 』

これが母と子の、最後の別れの言葉になった。

                              文芸社/加賀田一「島が動いた」より抜粋

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