■松陰塾の床柱に書かれた言葉
「自非讀 萬巻書 安得為 千秋人」
一万冊ほど多くの本を読んで勉強しなければ、
千年の歴史に名を残すような人物になることが
できようか
「自非輇 一己勞 安得致 兆民安」
自身の労を惜しまず、積極的に働く人間でなければ、
どうして天下の人々を安らかにすることができようか
1608 「吉村外喜雄のなんだかんだ」
歴史から学ぶ
「松下村塾/何のために学ぶのか?」
松下村塾は、吉田松陰の叔父・玉木文之進が1842年
に、萩城下に設立した私塾です。松陰がこれを引き継い
だのは、1856年安政3年の終わり頃と推定される。
当時松陰は、来航した黒船に密航しようとして罪に問わ
れ、生家に蟄居させられていた。
松下村塾は、入塾時の身分の規定はなく、志さえあれば
武士に限らず、町人や僧侶も入門でき、明倫館では学べ
ない足軽や中間の子弟が多かった。
松陰は、教えを乞いに来た者に必ず
『何のために学問をするのか?』と訊ねたという。
『字句の解釈の末節にばかりにこだわる、頭でっかちの
学者になってはいけない』と言い、
『まず実行することだ! 実務に専念するうちに、
書物に書かれていることの解釈なんて、自然とわかっ
てくるものだ。今何が必用とされ、自分に何ができる
かを、正しく知るために学ぶのだよ』
松下村塾に学ぶ幕末の志士たちは、外国の圧力にどう
対処するか、外国の侵略をいかに排除するかという、
共通の課題を持った攘夷論者が多く、弱体で何も出来な
い幕府よりも、高い権威を持った朝廷を中心に改革しよ
うと考えた。
松陰塾のこの考えが、国を憂う多くの藩士たちに
「自ら成すべきことを行う」という思想をもとに、
第二次幕長戦争における長州藩の、官民一体・挙国体制
の姿になって表れてくるのです。