1578 「吉村外喜雄のなんだかんだ」
「懐かしの第四高等学校」
第四高等学校卒業生が八月、全国から現在のいしかわ
四高記念公園の、旧四高・赤レンガ校舎に参集した。
夜は、赤く天高く燃え上がるキャンプファイヤーを囲み
、炎に顔を染め、肩を組んで応援歌「南下軍の歌」や
寮歌「北の都に」を高らかに歌った。
その声が自宅まで聞こえてきて、見に行ったものです。
♪「北の都に秋たけて 我らはたちの夢かぞう
をとこをみなのすむ國に にはちにかへるすべも
なし・・」(私も歌えます)
夜9時頃、懐かしく青春を謳歌した初老の卒業生たち、
詰襟の学生服、釣鐘マントに朴歯の高下駄を履いて、
香林坊都大路を、校旗を先頭に掲げ、のぼり旗を振って
寮歌を歌い、太鼓を打ち鳴らして闊歩する。
国道に面した香林坊商店街に生まれた私は、戦後何度か
このような光景に出逢った。
戦後間もない、当時6~7歳だった私は、四高の運動場
や尾山神社の境内で、毎日暗くなるまで遊んだものです。
四高の運動場に沿って流れる、巾1間の7ケ用水を飛び
越え、石垣の上の垣根の隙間から、運動場忍び込んで
遊んだ。
運動場の一郭に、25メートルの屋外プールがあった。
3mと10mの「飛び板飛び込み台」があって、
10mの上から下を見下ろすと、立ちすくんだものです。
夏は、戦後の食糧不足を補おうと、運動場でイナゴを
捕まえてきて、佃煮にして食べた・・香ばしくておいし
かった。
校舎の脇には、銀杏の大木があった。秋には、下に落ち
た実を拾って実を腐らせ、焼いて食べたのが、子どもの
頃の懐かしい思い出です。