今日の話「おかげさまで」は20年前、
日創研の研修で学びました。
戦い競い合って勝者になるか、
それとも敗者になるか・・
ではなく、譲り合いの精神で”共に勝つ”
ことも 大切な選択の一つです・・
1571 「吉村外喜雄のなんだかんだ」
幸せな人生 「おかげさまで(2)」
あるところに、仲の良い夫婦がいたわり合いながら、
幸せに暮らしていました。
ところがお嫁さんが病気になり、寝込んでしまいました。
ある日、お嫁さんが「ウナギが食べたい」と弱々しい
声で言いました。夫は「わかった!待ってろ」と言う
なり、川に向かいました。
そこに、顔見知りの兄弟がいました・・二人はウナギを
探しに川に入った。しかし、ウナギはスルスル逃げ回っ
たので、兄は大声で「お~い力を貸してくれ」と弟を
呼んだ。
日頃、兄弟の仲は悪かったが、弟は「力を貸してやる
から、半分わけろよ!」と言いながら、ウナギを探しに
川に入った。
やっとのことで大きなウナギを捕まえ、岸に引きあげた。
そこで弟は「助けてやったのだから半分よこせ」と言っ
た。すると兄は「見つけたのは俺だから、半分はやれな
い」と、互いに口ぎたなくののしり合った。
様子を見ていた夫に、兄弟は仲裁を頼んだ。
夫は兄弟に
「俺が見つけた、俺が助けたと言い合うのは止しなさい
・・分けまえが多いとか、少ないとか言い合っていては
事が納まらないではないか。
『俺が、おれが』を引っ込めて、兄の『おかげ』、弟の
『おかげ』というふうに考え方を変えて、譲り合って
みてはどうでしょう・・」
兄弟は争うのを止め、夫に半分、残る半分を仲よく分け
合うことにした・・そのお陰でお嫁さんは、日に日に
快方に向かい、元気になったそうな。
『俺が、おれが』という、己の心の醜さに気づいた時、
兄は弟の、弟は兄に感謝し、報いる心が起こったのです。
仏教で使われる「報恩」は、「為されたことを知る」の
意味になります。
真宗大谷派・東本願寺「真宗の生活」