■「吉村外喜雄のなんだかんだ」
今日のメルマガ、2017年の最終号です。
中小企業家同友会、日創研の研修などで
長年学び、書棚に仕舞い込まれたテキスト
に、カセットテープが約1000巻。
振り返ることをしなければ、生かされること
もなく、いずれは処分されることに・・
もったいない!
こうした学びの数々を再度手に取り、ブログ
に整理して残しておこうと、2002年に始めて
15年になります・・来年も続けていきます。
1563 【吉村外喜雄のなんだかんだ」
「国の重要文化財になった母校」
今朝の北国新聞に、私の母校紫錦台中学校が先月末
「旧第二中学校本館」として、「国重要文化財」の指定
を受けたと、写真入りで大きく掲載された。
校舎は明治32年、兼六園の奥石引三丁目に、石川県
第二中学校(第一中学は現・泉が丘高校)として建てら
れ、当時の建屋がそのまま現存する、全国でも珍しい
校舎です。
校舎前には、兼六園に導かれる辰巳用水が流れ、
校庭の松・梅・桜の大木が、歴史を感じさせてくれる。
本館は明治の面影を残す洋風2階建。正面玄関両サイド
屋根上の三角形の”尖塔”が特長で、2中時代から
「三尖塔校舎」の愛称で親しまれてきた。
昭和23年、戦後の学制改革で旧制中学校は全て廃校に
なり、錦町に新しく錦丘高校が創立され、引き継がれた。
旧2中校舎は、新制紫錦台中学の校舎になり、私は昭和
32年第9期卒業生です。
その頃はまだ本館の後ろに講堂、本館を”コの字”に
挟んで、歴史の香りが残る、2階建てのしょうしゃな
教室が並び、階段教室もあった。
戦後のベビーブームの少し前の卒業ですが、それでも
卒業生は593名11クラスもあって、誰が同期だった
か今も分かりません。
その後の生徒の増加が急で、教室不足に陥り、歴史ある
校舎も惜しげなく取り壊され、味気ない鉄筋校舎に建て
替えられていった。