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未だ木鶏たりえず 余談

■「罪を憎んで、人を憎まず」

中国・孔子/孔義子の刑論
「古之聴訟者、悪其意、不悪其人」

( 裁判所では、訴訟を取り裁くとき、
  罪人の心情は憎んだが、人そのもの
  は憎まなかった )

キリスト教「ヨハネ福音書8章」にも
この言葉があり、日本では聖書の
一節の方がよく知られている。



1561 【吉村外喜雄のなんだかんだ】
「未だ木鶏たりえず 余談」

少し古い話題になるが、2015年2月25日、衆議院
予算委員会で民主党議員が、西川農水相の政治献金問題
を追究し、委員会は紛糾していた。

安倍首相は答弁に立ち、『”未だ木鶏たりえず”という
気持ちだ・・国政の舵取りを誤らないよう、しっかり
国政に当たりたい』と述べた。

安倍首相の「木鶏」発言は、1939年横綱・双葉山が
70連勝がかかった一番に敗れた時、安岡正篤氏に
打った電報「イマダモッケイタリエズ」の引用です。

「木鶏」の原典は中国の「荘子」・・中國メディアは、
首相が中国の古典を引用したことに敏感に反応したが、
おおむね好意的だったという。

また少し前の2005年、当時の首相小泉純一郎氏が、

靖国神社を参拝したことに関連して・・
孔子の「孔義子の刑論」の「罪を憎んで、人を憎まず」
の1節を小泉首相が引用したことに、人民日報は・・

「軽い罪を犯した人間なら生かそう。それが出来ないな
  ら”刑”に処す」と同文の後に続く文章があることを
指して・・小泉首相はもっと勉強すべきだと皮肉った。

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