日野原重明/恕す心
■ゆるす
”ゆるす”には「許す・赦す・恕す」の三種が
ある。
「許す」は、何かをすることを認める・許可する
「赦す」は、罪を赦す
「恕す」は、すべてを恕す
”恕”は・・人の言うことに柔和に従う意味の
”如”と”心”が一つになった漢字です。
「一切を許容して進歩向上せしめんとする心」
その言葉の意味の通り、恕は”仁”に近い。
孔子は「人生で一番大切なことは、恕」
”思いやりの心”だと言っている。
1521 「吉村外喜雄のなんだかんだ」
幸せな人生 「日野原重明/恕す心」
先月105歳で亡くなられた、聖路加国際病院の日野原
重明名誉院長は、牧師の家に生まれた基督教信者です。
以下は、先生が語る「恕すこころ」です。
♪新約聖書には、イエス・キリストが十字架にかけられ
たときの様子が述べられています。
磔(はりつけ)にされたイエスの両隣に、2人の罪人が
磔にされていました。
その一人がイエスに向かって、「あなたが救い主である
というのなら、十字架から降りて私を救ってみろ・・
他人は救えたのに、私は救えないのか」とイエスをのの
しり、侮辱した。
十字架にかけられたもう一人の罪人が、イエスに言った。
「私は自分のやったことの報いを受けているのだから、
死刑になるのは仕方がない。甘んじて刑を受けよう。
ところで、今私が過ちを後悔し、悔い改めめれば、
救われるでしょうか?」
イエスは答えた「あなたは明日私と一緒に楽園にいるで
しょう。罪を悔い改めれば、神は恕してくださいます」
と言われたのです。
私たちは、人を傷つけたことはすぐに忘れますが、
人から受けた傷はなかなか忘れられません・・
人を赦せないからです。人間の愚かさの表れです。
教会で信者は「主の祈り」を捧げます。そのお祈りの
最後には、「吾らに罪を犯すものを、吾らが許すごとく
吾らの罪をも許したまえ」という一節があります。
私たち人間は、愚かで過ちを犯します。自分がそうだか
ら、他人が犯した罪を責め立てる資格はないのです。
イエスは弟子たちに説いた・・
「もし人の過ちを赦すなら、神もあなたの過ちをお赦し
になる」
”ゆるす”という行為があって初めて、本当の平和が
実現するのです。