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ユダヤ人を救ったもう一人の日本人

■日本のオーケストラの先駆者
   近衛秀麿

終戦直後、戦犯の疑いをかけられ、米軍に
拘束された近衛秀麿。
その尋問調書が米国国立公文書館で発見
され、秀麿の戦中の活動の一端が明らかに
なった。
ドイツ占領各地を、生死をさ迷いつつ演奏に
打ち込む近衛秀麿の楽団員。
メンバーの多くはポーランド系ユダヤ人だっ
た。
廃墟になったワルシャワで、シューベルトの
「未完成」が演奏された。魂を揺さぶる演奏
に、聴衆のみならず楽団員も涙を流したと
いう。
映画「戦場のピアニスト」をほうふつさせる
逸話です。戦前のドイツに、凄い日本人
指揮者が活躍していたのです。



1510 【吉村外喜雄のなんだかんだ】
「ユダヤ人を救ったもう一人の日本人」

第二次大戦の、リトアニア日本領事館の杉原千畝が、
6000人のユダヤ人の命を、ナチスの迫害から救った
ことはよく知られています。

もう一人、数多くのユダヤ人の命を救った日本人音楽家
がドイツにいたことが、数年前明らかになった。

その人は近衛秀麿・・
侯爵家に生まれ、日本にまだオーケストラが無かった
時代に指揮者を志し、ドイツに単身留学。

        img_0

留学2年目にベルリン・フイル管弦楽団を指揮する快挙
を成し遂げる。帰国後、現在のNHK交響楽団を設立し
、日本のオーケストラの基礎を築いた。

再びドイツに渡り、ベルリン・フイルなど数多くの交響
楽団を指揮した。
ところが時代は、ヒトラー率いるナチス・ドイツによっ
て動乱へ・・表の顔は、大日本帝国の宰相近衛文麿の弟
として日独親善に務めた。

その裏で身の危険を顧みず、同盟国の宰相の弟という
立場を活かして、収容所送り寸前のユダヤ人音楽家の
国外脱出を密かに援助・・秀麿はユダヤ人とその家族の
希望の光になったのです。

第二次大戦勃発後もドイツに留まり、ナチス広報の要請で
党大会でオーケストラを指揮したり、戦乱で廃墟になっ
たワルシャワやドイツ占領各地で、慰問のタクトを振り
続けた。
秀麿は、被災した人たちを励ます希望の灯になったので
す。
その間も、窮地に陥ったユダヤ人の国外脱出の援助を続
け、ついにゲシュタポの知るところとなり、投獄される。
実兄が同盟国日本の宰相ということで、釈放された。

戦局が絶望的状況となるに及び、秀麿は兄文麿の密命を
受けて、対米交渉に臨もうとするが、失敗。
敗戦後、焼野原と化した東京に、失意のまま戻った。
A級戦犯になった兄文麿と再会するも、兄は直後に服毒
自殺。
本人も、救出された多くのユダヤ人も、戦後口を閉ざし
て語らず・・戦後70年を経てようやく浮かび上がった
真実なのです。
歴史の闇に葬られようとしていた近衛秀麿の逸話です。

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