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残された人生をどう生きるか

■大村  智博士の名言
(ノーベル医学・生理学賞受賞)

「 人の役に立つことはないか、
それだけを考えてやった 」

「 人のまねをするとそこで終わる。
  失敗も多いが、人を超えるには
  まねをしたら越えられない      」 

「成功した人は失敗を言わないが、
人よりも3倍は失敗している。
失敗を繰り返しても、
やりたいことをやりなさい、と言いたい 」



1507 「吉村外喜雄のなんだかんだ」
幸せな人生 「残された人生をどう生きるか」

私は今年76歳になる。医療の進歩などにより、高齢に
なっても元気な人が増えていることから、「高齢者」の
定義を75歳以上にし、65~75歳までは「准高齢者
」と呼んではどか・・という提言が出されている。

以下、2017.5月号小野晋也「OAK・TREE
第379号」から・・

近頃、人生の残り時間が気になり始めている。
自分の生命の有限性を、自分自身のこととして考え始め
た・・ということです。
この残された人生の時間を、どう使っていくべきか・・
ということが、大きな関心事になりつつある。

人は、この世に生まれてくる時、今後の人生で為すべき
使命が書かれた1通の封書を持って生まれてくるという。
大多数の人は、その封書に書かれている、自分に与え
られた使命が何であるかに気づくことなく、人生を終え
ていくという。
人がこの世に生まれてくるには、いかなる人も必ずその
人生には意味があり、価値があり、生きるべき場所があ
るのです。
そしてそれは、残りの人生が短くなってくるにつれて
だんだんと明らかになっていくものだと思うのです。

孔子は「50にして天命を知る」と語り、誰しもこれ
くらいになれば、自分の人生が「何を為すために与え
られたものなのか」ということが分かってくるものだと
語られました。
平均寿命が大巾に伸びた今の時代ならば・・
「60にして天命を知る」ということになるのでしょう
か。

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