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2017年06月 アーカイブ

2017年06月01日

五輪書/火の巻・風の巻・空の巻

「五輪書」の書名の由来は、
「地・水・火・風・空」の五つの兵法書から
名付けられた。


1504 【吉村外喜雄のなんだかんだ】
「五輪書/火の巻・風の巻・空の巻」

火の巻
ここでは、実戦における心構えを書いています。

”火”は大きくなったり、小さくなったり、激しく燃えたり、
変幻自在です・・その特徴は実戦そのものです。
どんな相手と戦うときも、基本は同じです・・

大胆に、それでいて細心の注意を払います。
実戦では、その場その場の瞬時の判断が、勝敗に影響
します・・日ごろから、本番を意識した稽古が大切に
なってきます。

風の巻
ここでは、他の流派とその弱点について書いています。
他の流派を知らずして、我が流派を知ることはできませ
ん。
道を極めるには、心が真っ直ぐでなければなりません。
小さな心のゆがみも、放置しておけば大きなゆがみに
なります。
また、何事もやり過ぎは、やり足らないのと同じです。

空の巻
兵法の本質としての「空」について書かれています。
禅で言う”空”を悟ることができるなら、奥義も基本も
意識しなくなります・・
道理を身につけながら、道理にとらわれないことです。

武道の心に身をゆだね、自由を得ると、不思議な力が
湧いてきます。
時々の流れに身をゆだね、無我の境地に至る・・
これが空の道です・・そのあり方を書いたのが「空の巻」
です。

                                           「宮本武蔵」ゆる~い現代語訳より

2017年06月04日

五輪書の記述と異なる巌流島の決闘

■武蔵が小次郎に勝つ秘策

”長い太刀”を強みにしている小次郎に対する
には、それより長い木刀を密かに用意して、
相手の長所を打ち消す戦法を考えた。

小次郎は、武蔵が自分より長い木刀を用意
していることに、全く気づかなかった。
武蔵は戦いが始まるや、木刀を上段に構え、
柄の底の部分を相手に向け、長い木刀を
短く見せるようにした。

刀は自分の方が長いと信じ込んでいる小次郎
は、自分の刀しか届かない間合いで、武蔵を
切り伏せようとした。

とっさに身をかわした武蔵は、その間合いの
まま、一撃を加えたのです。
まさか相手の刀が届くと思わなかった小次郎、
長い木刀の一撃をかわすことができなかった。



1505 【吉村外喜雄のなんだかんだ】
「五輪書の記述と異なる巌流島の決闘」

宮本武蔵の人生でハイライトとなるのが、佐々木小次郎
と戦った巌流島の決闘です。
ところが歴史家によれば、私たちがテレビや小説を通し
て知っている内容とは、大きく異なるのです。

武蔵の著書「五輪書」には、「六十余度の勝負全てに勝
った」と書かれているが、この巌流島の決闘についての
記述はない。
武蔵の死後約130年後の1776年、熊本藩細川家の
二天流兵法師範・豊田景英が創作した、宮本武蔵の伝記
「二天記」
この伝記に、決闘の様子がほぼ現代の私たちが知る
内容で書かれている。
江戸時代、その他にも伝記や記述書があるが、
それぞれ内容が異なり、何れも史実としての価値はない。

「二天記」によれば、佐々木小次郎は、今の福井県福井
市に生まれ、秘剣「燕返し」の拳法は、福井にある一乗
滝で身につけたとされている。

彼は、流派「岩流」を創始、小倉藩の剣術師範になって
いる。それ以外に確実な史料は現存しない。

後世の決闘では、小次郎を待たすこと3時間・・
ようやく小舟で現れた武蔵・・「遅いぞ!武蔵」
『小次郎!破れたり』・・そして戦い、武蔵が勝った。

「二天記」では、武蔵は遅刻していなかった。
この戦いで武蔵は、一撃で小次郎を殺したことになって
いる。ところが、小次郎はその後息を吹き返した・・

武蔵は小次郎との約束を破って、弟子を連れてきていた
・・武蔵の弟子たちが、蘇生した小次郎をなぶり殺しに
したという。
決闘から150年後、歌舞伎の題材になり、江戸庶民の
喝采を浴びる・・それを参考に小説にしたのが吉川英治
の「宮本武蔵」です。
この人気小説によって、私たちは史実とは異なる巌流島
の決闘を、あたかも史実のごとく植え付けられたのです。

2017年06月07日

ジョンレノンの願い/イマジン

■ジョンレノンの名言

「人生は短い。だから友よ、
  空騒ぎしたり争ったりする暇なんてないんだ」

「愛とは、育てなくてはいけない花のようなもの」

「一人で見る夢はただの夢、
                      みんなで見る夢は現実になる」

「誰でも非凡な才能を持っているし、
                            すべての人が美しいんだ」

「自分が何者なのか、誰かに指摘してもらう
  必要のある人間なんて、一人もいない。
                あなたは、そのままであなたなのだ」

「みんな平和について語るけど、
       誰もそれを平和な方法でやってないんだ」



1506
【吉村外喜雄のなんだかんだ】
「ジョンレノンの願い/イマジン」

ジョンレノンの「イマジン」は30年も前の曲だが、
現在までに世界でどれだけの人がその曲を聞いたことだ
ろう。その回数は天文学的で、
今も色あせることはない。 
         

      jl200

先々週アフガニスタンで、今週初めイギリスで、全世界
で・・自爆
テロによる善良な住民の犠牲者は、絶えること
がない。
ジョンレノンは、人類の平和を願ってイマジンを作曲し
たが、未だレノンの夢は届かず、人類永遠の夢のまま・・

      ~ Imagin ~

♪想像してごらん  天国のない世界を
やってごらん  簡単なことさ
僕らのの足元に地獄はなく  上にあるのは青空だけ
想像してごらん
今日という日のために  生きているみんなを

想像してごらん
国境のない世界を  難しいことじゃないさ
殺すことも死ぬ理由もない  宗教も存在しない
想像してごらん   平和の中で生きているみんなを

君は言うかもしれない
僕を夢想家だと  でもそれは僕だけじゃない
いつか  君も仲間になってくれるといいな
そして世界は一つになって生きていくんだ

想像してごらん  欲望も飢えも必要なく
人はみんな兄弟なんだ
想像してごらん  世界を分かち合っているみんなを

君は言うかもしれない
僕を夢想家だと   でもそれは僕だけじゃない
いつか 君も仲間になってくれるといいな
そして世界は一つになって生きていくんだ

2017年06月11日

残された人生をどう生きるか

■大村  智博士の名言
(ノーベル医学・生理学賞受賞)

「 人の役に立つことはないか、
それだけを考えてやった 」

「 人のまねをするとそこで終わる。
  失敗も多いが、人を超えるには
  まねをしたら越えられない      」 

「成功した人は失敗を言わないが、
人よりも3倍は失敗している。
失敗を繰り返しても、
やりたいことをやりなさい、と言いたい 」



1507 「吉村外喜雄のなんだかんだ」
幸せな人生 「残された人生をどう生きるか」

私は今年76歳になる。医療の進歩などにより、高齢に
なっても元気な人が増えていることから、「高齢者」の
定義を75歳以上にし、65~75歳までは「准高齢者
」と呼んではどか・・という提言が出されている。

以下、2017.5月号小野晋也「OAK・TREE
第379号」から・・

近頃、人生の残り時間が気になり始めている。
自分の生命の有限性を、自分自身のこととして考え始め
た・・ということです。
この残された人生の時間を、どう使っていくべきか・・
ということが、大きな関心事になりつつある。

人は、この世に生まれてくる時、今後の人生で為すべき
使命が書かれた1通の封書を持って生まれてくるという。
大多数の人は、その封書に書かれている、自分に与え
られた使命が何であるかに気づくことなく、人生を終え
ていくという。
人がこの世に生まれてくるには、いかなる人も必ずその
人生には意味があり、価値があり、生きるべき場所があ
るのです。
そしてそれは、残りの人生が短くなってくるにつれて
だんだんと明らかになっていくものだと思うのです。

孔子は「50にして天命を知る」と語り、誰しもこれ
くらいになれば、自分の人生が「何を為すために与え
られたものなのか」ということが分かってくるものだと
語られました。
平均寿命が大巾に伸びた今の時代ならば・・
「60にして天命を知る」ということになるのでしょう
か。

2017年06月15日

別子銅山跡を歩いて

■石見鉱山遺跡

一昨年、妻と出雲大社を訪れた時、
石見銀山を見学した。
江戸初期、日本が世界の銀産出量の3/1
を 占めたのは、石見銀山の存在があった。

同山では環境に配慮し、山を崩したり、煙害
でハゲ山にならないよう配慮し、自然と共生
して鉱山運営に努めたことが評価され、
2007年世界遺産に登録された。

 


1508 「吉村外喜雄のなんだかんだ」
「別子銅山跡を歩いて」

5月19日にトレッキングで登った、愛媛の住友別子銅山
は、栃木の三井足尾銅山、茨木の日立銅山と共に日本
3大銅山に数えられる。
1690年、元禄3年に採鉱が始まり、豊富な産銅量で
住友の発展と日本の近代化に貢献した。

銅の歴史は古く、弥生時代には「青銅器文明」が、
その後「和同開珎」が造られ、奈良・平安時代には銅の
精錬・鋳造加工技術が進歩して、東大寺大仏をはじめ、
仏像・武具・工芸品が盛んに造られるようになった。


          IMG_7519

明治21年、洋式精錬所の操業が始まると、亜硫酸ガス
が農作物を枯らす「煙害」が表面化。農民運動が相次い
だ。
別子の山は燃料用に森林が伐採され、煙害で山肌が
むき出しになった。

最盛期には、約1万人が標高千メートルの山の斜面に
石垣を積み、猫の額ほどの土地に住宅や作業小屋を建て
た。
小学校には300人の生徒、保育園、病院、二千人収容
の劇場などがあって「東洋のマチュピチュ」と呼ばれた。

           IMG_7521

昭和48年、海面下1000メートルまで掘り進んだ
ところで、地圧の増大と地熱の上昇で掘削が限界になり
280年の歴史を閉じた。

現在、当時の建物は取り壊され、石造りの貯蔵庫や
通洞跡、廃墟の石垣を残すのみとなっている。
鉱山跡の山道を歩いていると、滅びゆくものへの
ノスタルジア感じるのです。

住友グループの住友化学は、銅を製錬する過程で発生
する有毒・亜硫酸ガスを処理する、肥料製造所として
創業。
また、住友重機工業は、別子銅山の採鉱に必要な機械
設備の製造所として創業している。

明治27年、別子銅山の支配人になった”伊庭貞剛”は
煙害でハゲ山になった周辺の植林を、積極的に進めた。
現在銅山は豊かな緑に覆われている。
この植林事業が、現在の住友林業の礎になっている。

※伊庭貞剛(いばていごう)1847~1926
   近江に生まれた明治の実業家で、住友二代目総領事。
   「 別子銅山中興の祖」と言われ、煙害問題を解決し、
   植林による環境復元に心血を注いだ。

2017年06月17日

住友中興の祖・伊庭貞剛の名言

■イタイイタイ病

今から30年前、毎年冬には岐阜県新穂高
スキー場に出かけて滑っていた。
途中、ハゲ山になった三井金属・神岡鉱山横
を通った。
最盛期には東洋一の鉱山として栄え、日本の
経済発展をけん引してきたが、今は廃鉱・・
静まりかえっている。

富山県神通川上流、岐阜県・神岡鉱山から
流れ出たカドミウム。大正から昭和にかけて、
汚染された米を食べた人々が、原因不明の
公害病に苦しんだ・・後に、イタイイタイ病と
名付けられ、社会を揺るがす大事件になった。



1509  「吉村外喜雄のなんだかんだ」
「別子銅山中興の祖・伊庭貞剛の名言」 

伊庭貞剛(いばていごう)は、近江に生まれた明治の
実業家で、住友二代目総領事。
「別子銅山中興の祖」と言われ、煙害問題の解決に尽力
し、植林による環境復元に心血を注いだ。 

■伊庭貞剛の名言

「 命がけで押す判は、生涯3度・・
判を押してはならぬ書類なら、初めから作らせては
ならぬ。そんなものしか作れん者なら、初めから採用
するな!
重役が命がけで判を押さねばならぬのは、在職中、
2度か3度ぐらいだ。5度もあれば多すぎる。
後はめくら判でさしつかえない 」

伊庭は、部下が持ってくる書類に全て判を押した。
その後の責任は、上司である伊庭が取ると公言した。
為に部下は、絶対不備・落ち度のないよう、書類の作成
に注意するようになった。

「 言葉は八分で止めて、後の二分は相手に考えさせる
  がよい。わかる者には言わずともわかるが、わからぬ者
  には  いくら言ってもわからぬ 」

「 事業の進歩発展に最も害するものは、
  若者の過失ではなく、年配者の”のさばり”である 」

「 友とは、憎しみ合ったときのことを考えて付き合え。
   敵とは、愛しあったときのことを考えて付き合え」

「 人は、才能を信頼してやれば、その信頼に応えよう
   と、全知全能を発揮するものである」

「 経営者の仕事で一番大切なことは、後継者を育てる
   こと。そして、引継ぎの時期を間違えないことだ 」

伊庭は57歳の若さで、住友2代目総領事を引退し、
石山に隠居した。

2017年06月20日

ユダヤ人を救ったもう一人の日本人

■日本のオーケストラの先駆者
   近衛秀麿

終戦直後、戦犯の疑いをかけられ、米軍に
拘束された近衛秀麿。
その尋問調書が米国国立公文書館で発見
され、秀麿の戦中の活動の一端が明らかに
なった。
ドイツ占領各地を、生死をさ迷いつつ演奏に
打ち込む近衛秀麿の楽団員。
メンバーの多くはポーランド系ユダヤ人だっ
た。
廃墟になったワルシャワで、シューベルトの
「未完成」が演奏された。魂を揺さぶる演奏
に、聴衆のみならず楽団員も涙を流したと
いう。
映画「戦場のピアニスト」をほうふつさせる
逸話です。戦前のドイツに、凄い日本人
指揮者が活躍していたのです。



1510 【吉村外喜雄のなんだかんだ】
「ユダヤ人を救ったもう一人の日本人」

第二次大戦の、リトアニア日本領事館の杉原千畝が、
6000人のユダヤ人の命を、ナチスの迫害から救った
ことはよく知られています。

もう一人、数多くのユダヤ人の命を救った日本人音楽家
がドイツにいたことが、数年前明らかになった。

その人は近衛秀麿・・
侯爵家に生まれ、日本にまだオーケストラが無かった
時代に指揮者を志し、ドイツに単身留学。

        img_0

留学2年目にベルリン・フイル管弦楽団を指揮する快挙
を成し遂げる。帰国後、現在のNHK交響楽団を設立し
、日本のオーケストラの基礎を築いた。

再びドイツに渡り、ベルリン・フイルなど数多くの交響
楽団を指揮した。
ところが時代は、ヒトラー率いるナチス・ドイツによっ
て動乱へ・・表の顔は、大日本帝国の宰相近衛文麿の弟
として日独親善に務めた。

その裏で身の危険を顧みず、同盟国の宰相の弟という
立場を活かして、収容所送り寸前のユダヤ人音楽家の
国外脱出を密かに援助・・秀麿はユダヤ人とその家族の
希望の光になったのです。

第二次大戦勃発後もドイツに留まり、ナチス広報の要請で
党大会でオーケストラを指揮したり、戦乱で廃墟になっ
たワルシャワやドイツ占領各地で、慰問のタクトを振り
続けた。
秀麿は、被災した人たちを励ます希望の灯になったので
す。
その間も、窮地に陥ったユダヤ人の国外脱出の援助を続
け、ついにゲシュタポの知るところとなり、投獄される。
実兄が同盟国日本の宰相ということで、釈放された。

戦局が絶望的状況となるに及び、秀麿は兄文麿の密命を
受けて、対米交渉に臨もうとするが、失敗。
敗戦後、焼野原と化した東京に、失意のまま戻った。
A級戦犯になった兄文麿と再会するも、兄は直後に服毒
自殺。
本人も、救出された多くのユダヤ人も、戦後口を閉ざし
て語らず・・戦後70年を経てようやく浮かび上がった
真実なのです。
歴史の闇に葬られようとしていた近衛秀麿の逸話です。

2017年06月23日

ことば遊び 「落語・釜泥」

■江戸小噺「身投げ」

髪振り乱し、橋のたもとまで走ってきた
女が、一文投げて橋の上を通り過ぎようと
するので、橋番があわてて・・
「おいおい、お女中・・
                橋の渡り賃は二文だよ」
と声をかけると、女、うしろ振り向いて・・
『あたしゃ・・
     橋の真ん中までしか行かないのさ」



1511 【吉村外喜雄のなんだかんだ】
ことば遊び 「落語・釜泥」

油断して失敗するという意味の「月夜に釜を抜かれる」
ということわざがあります。
大もとは落語の「釜泥」から生まれたと言われている。

♪大泥棒石川五右衛門の手下で、二人組の泥棒・・
親分が釜茹でになったというので、放っておけば今に
捕まって、こちとらも天ぷらにされてしまうと心配に
なった。
そこで、親分の追善と将来の安全を兼ね、世の中にある
釜という釜を全部盗み出し、片っ端からぶち壊しちまお
うと、妙な計画を立てた。
さしあたり、大釜を使っているのは豆腐屋だから、
そこから取りかかろうと相談がまとまった。

それから間もなく、豆腐屋ばかりに押し入り、金も取ら
ずに大釜だけを盗んでいく盗賊が、世間の評判になる。
何しろ新しい釜を仕入れても、そのそばからかっさらわ
れるのだから、業界は大騒ぎ。

ある小さな豆腐屋・・爺さんと婆さんの二人きりで、
ごく慎ましく商売をしているが、この店でも、
のべつ釜を盗まれるので、爺さんは頭を悩ませる。

何か盗難防止のよい工夫はないかと相談した結果、
爺さんが釜の中に入り、酒を飲みながら寝ずの番を
することになった。
ところが、いい心持ちになり過ぎて、直ぐに釜の中で
高いびき。婆さんもとっくに船をこいでいる。

と、そこに現れたのが例の二人組。
この家では先だっても仕事をしたが、またいい釜が入っ
たというので、喜んでたちまち戸をひっはずし、釜を縄
で縛って、棒を通してエッサコラサ・・

「ばかに重いな」
『きっと豆がいっぺえへえっているんだ』
せっせと担ぎ出すと、釜の中の爺さんが目を覚まして、
「婆さん寝ちゃあいけないよ」

泥棒二人が変に思っていると、また釜の中から・・
「ほい、泥棒、入っちゃいけねえ」
さすがに気味悪くなって、早く帰ろうと急ぎ足になる。
釜が大揺れになって、爺さんはびっくりし
「婆さん、地震か」

その声に二人は我慢しきれず、そっと下して蓋を開ける
と、人がヌウ~と顔を出したから、たまらない・・
「ウワ~」と叫ぶと、泥棒は何もかもおっぽり出して、
一目散・・
一方爺さん、まだ目が覚めず、相変わらず
「婆さん、オイ、地震だ」
すると釜の中に冷たい風が・・ス~ッ

やっと目が覚め上を向くと、空は満天の星。
「ほい、しまった・・今夜は家を盗まれた」

2017年06月25日

最後だとわかっていたなら

■ノーマ・コネット・マレック

アメリカの詩人。
1989年に10歳で亡くなった息子サムエル
に捧げた詩「最後だとわかっていたなら」を
発表。
9.11同時テロの後に、彼女の詩が全米
に広がり、広く知られるようになった。
2004年64歳のとき、末期がんにより永眠。



1512 「吉村外喜雄のなんだかんだ」
幸せな人生 「最後だとわかっていたなら」

乳がんを患っていたフリーアナウンサーで市川海老蔵の
妻小林麻央さんが22日亡くなった。彼女が息を引き取
る間際に、夫に残した最後の言葉は「愛してる・・」
24朝の読売朝刊の社会面は、このニュースで埋め尽く
されていた。
 
            ~ 最後だとわかっていたなら ~

あなたが眠りにつくのを見るのが
最後だとわかっていたら
私は  もっとちゃんとカバーをかけて
神様にその魂を守ってくださるように祈っただろう

あなたがドアを出ていくのを見るのが
最後だとわかっていたら
私は あなたを抱きしめて キスをして 
そしてまたもう一度呼び寄せて 抱きしめただろう

あなたが喜びに満ちた声をあげるのを聞くのが
最後だとわかっていたら
私は その一部始終をビデオに撮って
毎日繰り返し見ただろう

あなたが言わなくても
わかつてくれていたかもしれないけれど
最後だとわかっていたら
一言だけでもいい・・・「あなたを愛している」と
私は 伝えただろう

たしかに いつも明日はやってくる
でももしそれが私の勘違いで
今日で全てが終わるのだとしたら
私は今日 どんなにあなたを愛しているか伝えたい
そして私たちは 忘れないようにしたい

若い人にも 年老いた人にも
明日は誰にも約束されていないのだということを
愛する人を抱きしめられるのは
今日が最後になるかもしれないことを

明日が来るのを待っているなら 今日でもいいはず
もし明日が来ないとしたら
あなたは 今日を後悔するだろうから

微笑みや 抱擁や キスをするための
ほんのちょっとの時間を どうして惜しんだのかと
忙しさを理由に
その人の最後の願いとなってしまったことを
どうして してあげられなかったのかと

だから今日
あなたの大切な人を しっかりと抱きしめよう
そして その人を愛していることを
いつでも いつまでも大切な存在だということを
そっと伝えよう

「ごめんね」や「許してね」や「ありがとう」や
「気にしないでね」を伝える時を持とう
そうすれば もし明日が来ないとしても
あなたは 今日を後悔しないだろう

2017年06月29日

福祉制度が充実すると

私の身内に、美大彫刻科を卒業後、
芸術家気取りが抜けず、売れない
作品を造り続けるやっかい者がいる。

妻にも愛想をつかされ離婚。今は
独り暮らしで、生活保護を受けている。
寄る歳には勝てず、病気になり数か月
入院した。その治療費は国が負担し
ている。
税金を収めるのは国民の義務です。
まともに働こうともせず、生活保護を
受けながら、好きなことをしている彼
を見ていると、何かしっくりしない。



1513 「吉村外喜雄のなんだかんだ」
幸せな人生 「福祉制度が充実すると」

私たちは、子どもが産まれると、通院・出産にかかる
費用はもちろん、その後も養育費や教育費で、家計
のやりくりが大変です。

ところで、生活保護所帯で子供が生まれると、所帯人
数が増えるので、生活扶助、教育扶助、生業扶助などの
支給額も当然増額します。

更に妊婦加算、産婦加算、母子加算、児童養育加算など
が支給される。
子どもを1人生むと、支給額が約6万円増える。
2人生むと12万円、3人生むと18万円支給されます。
子どもが多いほど支給額が増える。

生活保護家庭は、医療費も出産費用も全額国の負担。
故に生活保護所帯は、子どもが増えると、一般の家庭
より良い暮らしができようになる?

こうした家庭の子供が大人になって、「生活保護から
脱出したい」と思うはずがなく、逆に「こんな簡単に
お金が貰えるのに、何でみんなそうしないの?」と
いった発想になる。

何もしなくても食べていけるのに、「働け」と言われて
も無理。働く意欲のない者を就労させるのは難しい・・
では、どうするか?

働けるのに働こうとしない人に対する生活保護を厳しく
制限するよう、法律を改正するしかない。
福祉や保護も度が過ぎると、社会性の欠如した無力な
人間を生み出してしまうのです。


           負の連鎖について「生活保護を考えよう」より

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