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釈迦、出家の動機

■お釈迦様の誕生日

四月八日はお釈迦様の誕生日。
様々な草花で飾った花御堂を作って、
誕生仏の像をその中央に安置し、
柄杓で像に甘茶をかけて祝う。

ところで、失敗して物をダメにする
ことを「おしゃかになる」というが、
その由来は?
江戸時代の鍛冶屋で・・金物を
あぶり過ぎて、鈍(なま)って駄目に
してしまったことを、江戸っ子訛りで

「しがつよかった(火が強かった)」→
「四月八日だ」→「釈迦の誕生日」→
「おしゃかになる」になった。
江戸庶民の、洒落っ気に富んだ言葉です。


1488 【吉村外喜雄のなんだかんだ】
「釈迦、出家の動機」

何不自由なく暮らしていた釈迦族の王子が、妻子、両親
地位、財産、何もかも捨てて出家したのは何故なのか?
説話「四門出遊」に釈尊が出家する動機が記されている。

♪釈迦族の王子に生まれた釈迦は、生後直ぐ母親を
亡くし、物に感じやすい、考え込みがちな少年だった。

ある年、年中行事「働き入れ」の式が行われた。
大子は、父王に連れ添って、その行事を見ていると・・
鋤で掘り起こされた地表に出た虫を、小鳥が舞い降りて
きて食べている。

次々食べられる虫。釈迦はいたたまれなくなって思った。
「一方が生きるために、一方が犠牲になって殺される。
何とむごたらしいことか。生きるということは苦だ」と。

物思いに耽っている大子を案じた父王は、気晴らしに
なるならと、郊外へ連れ出した。
お城の東門を出たとき、見るに耐えないヨボヨボの老人
に出会った。

「あれは何者か?」と、お供の者に尋ねた。
『年寄りでございます。人はすべて生身・・
老いの苦しみを免れることはできません』
太子は考え込み、遊びに行く気力が失せて、城へ引き
返した。

それからしばらくしてまた出かけることになり、今度は
南門から外出した。すると、道端に倒れている病人に
出会った。

「あれは何者か?」と、お供の者に尋ねた。
『病人でございます・・この世に生を受けた以上、
病の苦しみを免れることはできません』
太子は考え込み、遊びに行く気力が失せて、
城へ引き返した。

それからしばらくして、また出かけることになり、3度目
は西門から外出した。すると、遺体を囲んだお葬式の列
に出会った。

「あれは何者か?」と、お供の者に尋ねられた。
『死人でございます・・人はすべて生身・・死の苦しみ
を免れることはできません』
太子は考え込み、遊びに行く気力が失せて、
城へ引き返した。

生きていれば「老・病・死」の三苦は避けられないのに
・・誰もそのことを自覚することなく、無為に日々を
過ごしているではないか。

四度目は北門から外出した、すると修業僧に出合った
・・落ち着いた穏やかな足取りで歩く姿に打たれた太子
、修業僧に尋ねた。
「あなたはどうしてこんなに優雅で、尊いのか?」

『沙門でございます。私は修業中の身です。
私もその昔あなたさま同様、老・病・死の人生の苦しみ
に悩まされました。そこから逃れるには、苦行を重ねる
以外に方法はありません』と自らの体験を語った。

出産したばかりの妃と、孫を得て喜ぶ父王、そして
いずれは王になる跡継ぎの座などすべてを放棄して、
出家することを決意したのです。

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