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一隅を照らす

前号の思いやりの言葉「忖度」に
続いて・・
自分のためだけでなく、人の幸せ、
周りやみんなの幸せを願う言葉に
「一隅を照らす」 があります。


1487 「吉村外喜雄のなんだかんだ」
故事から学ぶ「一隅を照らす」

「一隅を照らす」は、天台宗・比叡山を開いた最澄
(さいちょう)が、御仏の教えを実行する人材を養成
するために出典した「山家(さんげ)学生式」の中に
著されています。

「一隅」とは、今、自分がいる場所のことです。
教えは・・今いる場所で、精一杯努力し、明るく光輝く
人間になることです。それが、何物にも変え難い国の
宝になる。お金や財宝だけが国の宝ではないのです。

1人ひとりが、それぞれ全力を尽くして輝く人間になる。
自分のためだけでなく、人の幸せ、周りみんなの幸せを
願うなら・・世の中は明るく照らされていくだろう。

「人の心の痛みの分かる人」
「人の喜びを、素直に自分の喜びに出来る人」
「誰に対しても優しく思いやれる心豊かな人」
こんな人が国の宝になるのです。

「一隅を照らす」は、中国の「史記」戦国時代の故事に
その言葉がある。
斉の威王が狩りに出て、魏の恵王とすれ違った。

恵王「貴国は大国であるから、立派な宝物が沢山ある
で しょうが、小国ながら私の国には直径1寸の珠が
10個あり、戦車12乗の前後を照らすことができます
」と誇らしげに語った。

威王「私の国にはそのような貴重な宝物はございません
が、国の範となる4人の家臣が、12乗のみならず、
自分の職分を十分果たして一隅を照らし、更に国内すべ
て、千里の先をも照らさんとする者たちです・・私の国
ではこれが宝でございます 」

魏の恵王、これを聞いて大いに恥じ入ったという。

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