1981年8月5日本田宗一郎は、
幾つもの逸話を残して亡くなった。
亡くなる数日前・・
「自動車を造っている者が大げさな葬式を
出して、交通渋滞を興すような愚は
避けたい。
もうすぐお迎えが来る・・何もするな 」
奥様には「満足だった」との言葉を残して
亡くなった。
1485 「吉村外喜雄のなんだかんだ」
幸せな人生 「人生最後の卒業式」
命あるものは必ず死ぬ・・人間も必ず死ぬ。
三月は学校の卒業式・・深い感銘を受け、目頭が涙で
うるみます。
葬式もまた人生の卒業式であり、送別会なのです。
故人の人となり、生きてきた人生の足跡が評価される
場でもあります。
自分の葬式に参列する人々の顔ぶれを想像して下さい。
みんなが、「惜しい人を亡くした」と心から悲しみ・・
配偶者からは、「素晴らしい連れ合いだった。あの世で
また夫婦になりたい」と言われ・・
子どもたちからは「尊敬する父(母)だった」と言われ
る。
このように惜しまれて死ねる人間になれたらと、その後
の人生を歩むなら、きっと満足のいく良い人生になる
ことでしょう。
故に「人生、どんな生き方をするか?」 が問われる
のです。
安らかな死を望むなら「良い生き方、良い人生」でなけ
ればなりません。良い生き方をすれば、良い死に方が
出来るのです。
悪い生き方、例えば裏社会に生きる人は、抗争のあげく
拳銃で撃たれて死ぬかもしれません。
傲慢で身勝手な生き方をする人は、誰の助けも得られず
たった一人、孤独と不安の中で死を迎えることになるで
しょう・・
死を迎えるとき、また葬式で、家族や大勢の友人・知人
に見守られ、惜しまれて、人生最後の卒業式は有意義な
ものになるでしょう。