■東郷平八郎と癌の病
東郷平八郎が喉頭癌になり、食べるのも、
息をするのも、耐えがたい痛みに苦しんだ。
中村天風先生に相談すると・・
「その病は痛いのが特徴です。ですから痛い
と言っても言わなくても、生きている限りは
痛みます」
すると元師は破顔一笑されて・・
「痛むのがこの病の特長でごわすか」と言われ、
その後亡くなられるまで、一言も痛いと言わな
かった。
1482 「吉村外喜雄のなんだかんだ」
幸せな人生「山岡鉄舟・死への旅立ち」
鉄舟は、胃癌を患って亡くなった。
51歳・明治19年頃から胃の苦痛を訴えるようになり
、翌20年8月には右脇腹に大きなしこりが現れた。
食べ物も次第に咽を通らなくなり、明治21年2月には
流動食しか通さなくなった。
明治天皇は、何度も侍医や見舞いの品を遣わされた。
いつも温容で毎日写経を続け、見舞いの客が来れば
表座敷で会い、客を玄関まで見送った。
「先生!今日はいかがですか?お顔の色がさえませんが
」と見舞客に聞かれれば、「ハイそうです」 と答える。
「先生!今日は大変よろしいようで・・」と言われても、
「ハイそうです」 と答えて、病状のほどが分からなかっ
た。痛みを止める治療薬のなかった時代。
それでも先生は、いつもニコニコと笑顔でおられた。
医師「おかしいねえ、苦しいはずなのに先生はどうして
いつもニコニコしていられるのですか?」
鉄舟「胃癌、胃癌と言うけれど、これは胃癌ではなく
”ニコリ”じゃもの・・」 と、平然としておられた。
明治21年7月19日勝海舟が見舞いに訪れた。
玄関に出た息子に「親父はどうか?」と尋ねると、
「今死ぬると言うております」 と答えた。
座敷に入ると、大勢人が集まっていた。
その真ん中に鉄舟が例の座禅をなして、真っ白な着物に
袈裟をかけて、神色自若と座している。
海舟、座敷の入り口に立ち「先生はご臨終ですか?」
と問うや、鉄舟少し目を開いて、にこりとして・・
「さてさて、先生よくお出でくださった。ただ今あの世
に進むところでござる」 となんの苦もなく答えた。
海舟言葉を返して「よろしくご成仏あられよ」 と言って
その場を去った。海舟が別れを告げた後すぐ鉄舟は
亡くなった。
臨終には白扇を手にして、南無阿弥陀仏を唱えつつ、
妻子、親類、来客に笑顔を見せて、妙然と現世の最後を
遂げられた。
絶命してなお、正座をなし、びくとも動かなかったという。
悟りを得た鉄舟の死生観は・・
「人は何れ必ず死ぬ。その時が来たら、お世話になった
人たちに感謝を述べ、絵顔であの世に行こう」と・・
どんなに苦しい病でも「死ねば治る」のです。