■山岡鉄舟
幕末の幕臣・剣客で、江戸城無血開城
で重要な役割を果たす。9歳で新陰流、
16歳で北辰一刀流を学び、山岡家の
養子に入る。
同時期に槍術も学び、当時を代表する
使い手に・・21歳の時幕府の訓練所
「講武所」の教官を勤める。
維新後は、伊万里県知事、明治天皇
の侍従などを歴任。
明治21年55歳で病没。
1481 「吉村外喜雄のなんだかんだ」
幸せな人生「山岡鉄舟・悟りを開くとは・・」
以下は、神渡良平先生の講演からの抜粋です。
♪山岡鉄舟は晩年に入る頃、座禅を通して「悟り」を
開きます。
悟りを開いた鉄舟は、人の話に耳を傾け「なるほど、
そうだったのか」と心底共鳴するようになります。
話しを聞いて、共感してくれるものですから、鉄舟の
ところに人がどんどん訪ねくるようになります。
相手のことが自分のことのように思えてくる・・
すると相手も、誰にも話したことのない、心の奥に仕舞
い込まれた悩みなどを打ち明けて、胸につかえた思いを
取り去ろうとします・・
「悟り」を得るとは、座禅を続けていて、ある日突然
悟りに目覚めるようなものではありません。
修行を続けていくうちに、いつしか人の話を心から共感
して聞けるようになり、自分と相手の垣根がなくなって
いく・・それが「悟り」になるのです。
街道一の大親分と言われた清水次郎長も、鉄舟に知己を
得て、わざわざ清水から四谷まで、魚を下げて何度も
訪ねている。
義侠心に厚い次郎長です。鉄舟との付き合いが深まるに
つれ、斬った張ったのやくざ稼業がうとましくなり、
清水の町の振興に尽力したり、富士の裾野の開墾に汗を
流したりするようになります。
鉄舟と出会って、次郎長のしこっていた心が解けていっ
たのしょう。また、落語家の三遊亭円朝師匠が大成した
のも、鉄舟のお陰です。
このように、鉄舟の周囲に集まってくる人たちが、
どんどん変わっていくのです。