38豪雪の年・・私は
1470 【吉村外喜雄のなんだかんだ】
「38豪雪の年・・私は」
1963年、38年1月22日大寒波の中、石川県知事
選挙が告示され、新人で46歳の中西陽一氏が立候補。
降りしきる雪の中、選挙運動は県内くまなく歩いて回る
体力勝負の戦いになった。翌2月10日みごと当選。
選挙事務所は、竣工したばかりの香林坊再開発ビル1階
空き事務所(私の父所有のビルの一郭)
私は隣の選挙事務所へ、物珍しさもあって、毎夜覗きに
行っ た。
開票当日、柳田村、白峰村と、小さな選挙区から開票
結果が読み上げられた。張り出された予想得票を上回る
たびに、事務所内は歓声と拍手に沸き返った。
そして当確「ばん ざ~い」・・私は興奮の渦の中にい
た。
1961年43歳でアメリカ合衆国大統領になった
ジョン・F・ケネディと中西氏は、同じ1917年の
誕生。イメージが重なったことが勝因の一つになった。
この年の秋、ケネディはダラスで暗殺された。
さて”38豪雪”で私は、連日の雪かきと屋根の雪下ろ
しで、真っ黒に日焼けしていた。
2月雪が解け、国鉄の開通を待って、東京へ入社試験を
受けに行った。(当時は蒸気機関車だった)
3月合格通知が届き、今勤めている会社は退職した。
明日はいよいよ東京に発つという3月30日、出発の準
備を終え、念のため病院へ健康診断を受けに行った・・
4年前に患った病気が、気になったのです。
11時過ぎ、医師から結果が告げられた。
「再発です。午後洗面具を持って、改めて入院手続き
をしてください」
その日から、別棟の隔離病棟に入院・・辛くて長い闘病
生活が始まった。もし、検診を受けずに上京していたら
、20代半ばで人生を終えていただろう。
この病気を治すために、4年前大学進学を諦めた。
大学に入って一級建築士になる夢を捨て、学歴に左右
されない商人の道を志す、人生の舵を切ったばかり・・
東京で始まる新しい人生が、またも潰えてしまった。
夢は潰えたが、嘆いたり、落ち込んだりはしなかった。
「助かった!神様ありがとう」
紙一重の”幸運”を喜ぶことの方が、勝っていたのです。
昭和38年は、生涯忘れることのない人生節目の年にな
った。