■禅の教え「円相」とは
私たちは人生を”直線的”に見ている。
その人生を”円相”、丸い円にする。
禅の教え”円相”は、 どの一点をおさえても、
終着点であると同時に、出発点になる。
始まりも終わりもなく、無始無終・・
この考えが、人生を意義のあるものに変えていく。
年の初めの元旦は、今までの人生を一端総括
し、新たな出発点と考えるには、一番良い日だ。
1456 「吉村外喜雄のなんだかんだ」
幸せな人生 「禅宗/円相の教え(2)」
禅の教え”円相”が語りかける、終着点の意味の
2つ目は・・
「いつ死んでもよいような、今日只今の生き方をする」
過去の総決算である”今”を、過去を引きずらず、
背負い込まず、まっさらな心で、今日只今を、
これからの人生の新たな出発点として立つ・・
それが「いつ死んでもよい」生き方になっていく。
「癌は 私の見直し人生の ヨ~イドンの癌でした。
私 今 出発します」
これは47歳で世を去らねばならなかった鈴木章子さん
の、最後の頃の詩です。
癌のお陰で、生命の尊さに気づかせてもらうことができ
た。
癌という厳しい贈り物のお陰で・・残り時間のない中
で・・人は初めて生命の尊さに気づき・・今日1日命を
頂いた喜びを・・朝を迎えることができた喜びを・・
心から味わえるのではなかろうか。
「精いっぱい生きる日が もう1日与えられているとは
なんと幸せなことであろう」
これはインドの神父、アントニー・デ・メロの詩です。
「1日だけ生命をさしあげます」と神様に言われたら、
私たちはどうするであろうか・・
この神父のように「なんと幸せなことであろう」などと
言えるはずもなく、ただうろたえるだけで、何も手に
つかないだろう。
病人であるとか、老人であるとかいうことには関係なく
人生常に死と背中あわせであることを忘れてはなら
ない。
「いつ死んでもよいような、今日只今の生き方をする」
これが円相の語りかける終着点の2つ目の意味である。
愛知専門尼僧堂堂長 青山俊董老師