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「百年の計は人を植うるにあり」

■中国の格言

  一年の計は 穀を植うるにあり
  十年の計は 木を植うるにあり
  百年の計は 人を植うるにあり

■武田信玄「甲陽軍艦・勝利の礎」

「人は城 人は石垣 人は堀
      情けは味方 仇は敵なり」



1445 「吉村外喜雄のなんだかんだ」
歴史から学ぶ 
「百年の計は人を植うるにあり」

小林寅三郎は、長岡藩の町奉行を務める小林家の三男
に生まれた。幼少の頃ホウソウを患い、左目はつぶれ、
あばたにめっかちの容貌だったという。

寅三郎は秀才で、17才の頃藩の助教になり、23歳の
とき殿様のお声がかりで江戸に遊学、佐久間象山の門下
生になる。
象山の門下生には、長州・萩出身の吉田寅次郎(松陰)が
いた。 象山は折に触れ、寅次郎の胆識、虎三郎の学識
を高く評価していた。
「天下に事を為すは寅次郎、教育をたのむは虎三郎」
と、2人は象山門下の”二虎”と呼ばれた。

その後長岡は戊辰の役で焦土と化し、長岡城落城後、
虎三郎は母を連れ、会津から仙台へ落ちのびている。

明治元年、長岡藩のおとりつぶしは免れたが、
石高は大幅に削られ、藩は窮乏の淵に立たされた。
そなん時、親戚の三根山藩より「米百俵」が届けられた。

藩は喜びに沸き立ったが、大参事・小林虎三郎は、
「百俵の米を皆に分ければ、1人四合か五合・・
1~2日で食いつぶしてしまう・・それよりも、
この百俵を元手に学舎を建て、人財を育成するのだ!

これが明日の長岡藩にとって最も確かな道だ!
明日の我が藩を考えた時、これ以外の道はない」
と主張した。

この発言に藩士の多くが反発し、批判したが・・
「皆、腹をすかせて大変であろう・・明日の長岡藩の為
に堪えて、わしに力を貸してくれ・・
今は百俵の米だが、いずれ千俵にも万俵にもなる」
と説得した。
虎三郎が撒いた種はその後開花・・山本五十六や小野塚
喜平次・東大総長などの人材を排出している。

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