死はこわくない
1430 【心と体の健康】
「死はこわくない」
私が死を意識したのは20歳の頃・・
16歳の時に肺結核になり、通学しながら薬で治療して
いたが、四年後に再発・・隔離病棟に入れられ、
いつ癒えるとも知れぬ病床に伏せていた頃です。
面会は許されず、訪れる人もいない病棟に10室
20人の患者が収容されていた。
20代から60代の男女が・・5年、長い人は10年
いつ癒えるとも知れない無期懲役囚のような、社会から
隔離された病室で、我慢できないほど退屈で、希望のな
い日々を過ごしていた。
入院生活で唯一の楽しみは食事・・しかし、冷えて固ま
った麦飯に具のない味噌汁、ヒジキ、小さなカレイの
煮つけ・・暖房のない冷え切った病室での食事は不味く
、我慢の限界を超えていた。
ひたすら静かに寝ているだけ・・それ以外は何も許され
ない。 時間と暇は有り余るほどあった。
学問をするにはまたとない機会・・大学に行けなかった
私に、神様は勉強する機会を与えてくれたのだろう。
歴史書、哲学書、経営書などを読みあさり、スタインベ
ックの「怒りの蒲萄」「戦争と平和」「老人と海」など、
長・短編小説を読破していった。
心理学や手相にも興味を持ち、手品も暇にあかせ練習
した。
私と同室の老人は東大出のインテリで、囲碁を教えて
くれた。そうした病床での積み重ねが、その後の人生の
大きな支えになっていった。
入院中、何人も死を見送った。栄養をとらなけなければ
ならないのに、糖尿病を併発して死んでいく患者がいた。
真夜中に廊下をバタバタ行き交う音・・病室が騒がしい。
翌朝、亡くなった患者のベッドは、何事もなかったよう
に、真白のシーツが空しい・・
数日後、新しい患者が入室し、空きベッドの住人になる。
数日前まで挨拶を交わしてた人が・・もういない。
臨終に立ち会ったのは医師と看護師のみ・・
寂しい旅立ちだ・・自分はあと何年生きられるだろうか?
”死”とは何か? 何のために生まれ、何のために死ん
でいくのか? 自らの”生と死”に向き合っているうちに
「死生観」が芽生えた。
今を、、今日一日を精一杯生きよう・・
「一日一生」が座右の銘になった。
好きな言葉は・・「今いまと 今という間に 今ぞなく
今という間に 今ぞ過ぎゆく」
人生「四苦八苦」は付きもの・・その覚悟が出来ていれ
ば、その時が来ても慌てふためき、恐れ嘆くことはない。
くよくよ考えても仕方がない・・なる様にしかならない。
どんな不治の病でも、どんなに痛く苦しくても・・
「死ねば治るではないか」・・禅宗の教えです。
そんな境遇・環境を経験して、どん底を乗り越えてきた
人は、普通の人生を歩む人の何倍も生きるエネルギー
があり、はるかに人間として成長する・・
立花氏の言葉です。