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日中韓は一つになれない(2)

■根本から考え方が違う日本人

韓国や中国では、「間違いをした相手は
絶対正さなければならない。相手が間違
いを認めないなら、認めるまで許しては
ならない」と考える。

日本人は、「いつまでも過去に囚われて
いては問題は解決しない。過去のことは
忘れて、今後どうすればよい人間関係が
築けるか、考えようではないか」と・・



1420 「吉村外喜雄のなんだかんだ」
歴史から学ぶ 
「日中韓は一つになれない(2)」

以下は、小倉紀蔵著「日中韓はひとつになれない」
前号の続きです。
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日本と韓国や中国が、互いに理解し合えない理由に、
理解しようと努める取り組みに不真面目なことがある。

互いに理解できない、もう一つの大きな理由に、
”性善説”に対する解釈に違いがあることです。

東アジアの地域は、儒教の教えが浸透した地域でもある。
「人間の本性を善と見るか、悪と見るか」という儒教的な
世界観が支配している。

東アジアの中国や韓国は、性善説が強く支配している。
ところが日本では、この性善説が極めて弱いのです。

問題なのは、この性善説という爆発的パワーを持つ思想
が、下手をすれば日韓、日中関係を破壊してしまうかも
しれないということです。

性善説は、その解釈を間違えれば、極めて危険な結果を
もたらす思想である。
「人間は本来善である」と考える性善説は、その本質が
”厳格主義的”な姿においては、他者に対しての寛容を
一切許さない思想である。

中国宋の時代の思想家”朱子”は「人間は全て善である」
「善でも悪でもない」という考えとは異なり、性善説は
徹底的に他者に干渉し、父親のごとく他者を善に導こう
とする。
他人には余計なお世話だが、向き合う相手は”善”とい
う信念の権化になつているので、聞く耳を一切持たない
のです。
かくして性善説が支配する地域では、自己が善であり
他者が不善であると決めつけ、しかも目の前の不善を
ほうっておけず、善なる方向に戻そうと干渉するのです。

ここに劇しい”道徳的”奪取闘争が、国境を越えて展開
されるようになり、”善”をめぐる闘争は熾烈をきわめ、
相いれることなく、決裂に至るかもしれないのです。

これが、性善説が三国の関係を破壊する最悪のシナリオ
になるのです。
 
              OAK・TREEフォレスト羅針盤 8・9月号

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