韓国経済成長の立役者朴正煕(パク・
チョンヒ) は現朴槿恵(パク・クネ)
大統領の父親。
李承晩の後を受け継いだ第5~9代韓国
大統領です。軍部主導の権威体制を築き、
独裁政権を確立した。
1965年日本の佐藤栄作政府と
「日韓基本条約」を締結。
日本から、当時の韓国国家予算の2.3
倍といいう莫大な資金援助と技術供与を
取り付け、最貧国の韓国を高度経済成長
国へ導いた。
「血塗られた戦後の韓国/朴正煕(2)」
学校にも行けない貧しい農家の子朴正煕。
両親は、日本人から「義務教育を受けさせないなら罰す
ると」言われ、仕方なしに大事な労働力の息子を学校に
行かせた。
成績優秀で、日本人の先生が師範学校への進学を薦めた。
師範学校から軍官学校を経て、東京の陸軍士官学校に
進学、首席で卒業した・・卒業式で全校生を代表して
答辞を読んだ(民族差別がなかった)
朴正煕が自国の民族と歴史を語る・・
『我が民族を考察してみると、情けないという他ない。
我が国の歴史は退嬰と粗雑、沈滞の連鎖史であった。
韓国社会は、姑息・怠惰・安逸・日和見に示される、
小児病的な封建社会の一つの縮図に過ぎない』
『四色党争に明け暮れ、強いものに巻かれる事大主義、
李朝時代の”両班”の安易な事なかれ的生活態度によ
って、後世の子孫にまで悪影響を及ぼす民族的犯罪史
・・李朝時代から引きずってきた悪遺産が、今日の
韓国社会を辛く困難なものにしている』
『今の若い世代は、先祖が歩んできた過去の歴史を恨め
しく振り返り、軽蔑・憤怒の気持ちになって、過去の
歴史から目を背け、耳を塞ごうとする』
1974年8月15日、解放記念の祝賀行事に出席して
いた親日家の朴正煕・・在日韓国人/文世光の銃撃を
受け、夫人が頭部を撃たれ死亡・・朴正煕は無事だった。
5年後の1979年10月、馬山で起きた大規模な民主
化デモのさ中、側近のKCIA部長金載圭によって射殺
された・・享年61歳。国葬が執り行われ、国立墓地に
葬られる。
2005年、「日帝強占下反民族行為者名簿」第1回
リストに記載され、売国奴に分類されそうになったが、
大統領の功績を配慮して除外された。