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ポーランドの悲劇

国 境


ポーランドの国境は・・北はバルト海、南は

タトラ山脈の自然の障害に守られている。

しかし、東西の国境は平野で何もない・・


その東西を、侵略大国であるドイツとロシア

に接していたことが、不幸な歴史を生むこと
になった。

日本は四方海に囲まれた島国・・
陸続に国境を接する国がなく、西欧列強
からは遠い極東にあって、他国に侵略され、

民族滅亡の危機に陥ったことのない、
世界では数少ない民族なのです。


外国からの脅威を意識することなく、
国家と、日本人であることを忘れて いても、
平和に暮らして来られたのです。



1315 【吉村外喜雄のなんだかんだ】
歴史から学ぶ 「ポーランドの悲劇」

ドイツやチェコ、ロシアと国境を接する平原の国ポーラ

ンド・・面積は日本の4/5ほど・・首都はワルシャワ。

その歴史は悲惨・・領土や国境はたえずブレていた。


建国されたのは10世紀。14~16世紀の王朝時代

欧州の大国として栄えた。
モンゴルがヨーロッパに攻め込んだ時、徹底抗戦を表明

したポーランド軍は全滅・・王も戦死したが、モンゴルの
西進を食い止めることに成功した。

オスマントルコにも何度か攻め入られたが・・撃退。


その後国力は低下・・18世紀後半には、ロシア、
プロ
シア、オーストリアの三国に分割され、1795年
は消滅した。

第一次大戦後の1918年に復活・独立するが、第二次
戦でドイツに国土を蹂躙され、約600万人が犠牲に
った。

終戦後ソビエトの衛星国に組み込まれ、社会主義国に・・

元来反ロシア感情の強い国民・・その後30年、
国内
改革と民主化を求めて、暴動が繰り返された。


1980年共産主義国では初めて、全国規模の労働組合

「連帯」が結成されて、活動が活発化する・・

恐れたポーランド政府は「連帯」を非合法化した。


翌1981年、ソビエト軍が戦車を連ねて侵入・・

政治に介入し、戒厳令が敷かれ、首都ワルシャワは破壊
され
てしまう。

「連帯」は地下に潜伏・・その後しばらく厳しい締め付けに
合うが、活動は続けられ、国内改革と民主化を要求して
政権を揺るがし続けた。


民主化の流れは止められず、1989年念願の共産主義
圏で初めて、民主政権が誕生。
その2年後の1991年12月、ゴバルチョフ大統領が

辞任し、ソビエト連邦は崩壊した。


有事の時、スイスには軍隊があり、国民皆兵制を基本に
据えて「一国平和主義」を守り通してきた


国民皆兵制のない日本は、有事に対応するのは自衛隊

み。韓国同様、米軍の軍事力に頼らざるを得ず、

集団的自衛権の法整備が急がれたのです。

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