1302 【吉村外喜雄のなんだかんだ】
韓国・全羅南道訪問(5)
「韓国孤児の母・木浦千鶴子」
日韓両国の不仲が問われる中、韓国孤児の救済に生涯を
捧げた日本人妻がいたことを、今回の韓国訪問で知った。
その人は”田内千鶴子”・・・高知市に生まれ、1938年
日本統治時代、全羅南道の小さな港町木浦(モッポ)で
牧師の尹致浩(ユン・チホ)と周囲の反対を押し切っての
結婚。
統治時代は、貧しい施設と資金難に苦しんだ。
終戦後排日感情が高まり、1946年千鶴子は老いた母
と2児を連 れて、高知に引き揚げた。
が、木浦に残してきた夫と孤児たちへの想いが募り、
翌年母の説得を振り切って、再び子どもと韓国へ密入国
した。 母と2つの国に分かれて生きていかなければ
ならない運命に、千鶴子は泣いた。
朝鮮戦争で荒廃する中、夫は孤児たちの食糧を求めて
さまよい、行方不明になった・・
その後も千鶴子は日本に戻らず、見捨てられた孤児を
育てることに、人生の全てを捧げた・・その数3000人。
1963年日本人初の”韓国文化勲章国民賞”を受賞。
1968年木浦市で、孤児たちに見守られ、56歳で死去。
死の直前、千鶴子は長男に「梅干しが食べたい」とつぶや
民族を超えた人間愛は「木浦の母、韓国孤児の母」と敬わ
れ、今も市民に慕われている。