■韓国にも「前方後円墳」が・・
三日目の朝、光州広域市の”長鼓墳”を見学した。
朝鮮半島南部には、古代日本を象徴する前方
後円形の古墳が十数基分布している。
何れも、五世紀後半から六世紀前半にかけての
築造とされ、日本から朝鮮へ文化移入があった
ことを表すものとして注目されている。
埋葬物には、日本の古墳と同じ、埴輪や木製品
が出土しているが、当時の史料が乏しく不明まま
である。
1300 【吉村外喜雄のなんだかんだ】
韓国・全羅南道訪問(3)
「百済・王仁博士の渡来」
2日目、王仁(ワニ)博士遺跡地を訪れ、師の功績を学ん
だ。
百済の学者”王仁博士”は、日本の応神天皇に招かれ、
日本に渡来した。太子の師となり、政治顧問となって、
また漢字や儒教を伝えた人物として、日本文化の発展に
寄与し、飛鳥文化の基礎を築いた。
博士の子孫もまた、代々学問にかかわる役職に携わって
朝廷に仕え、日本文化の発展に大きく貢献した。
大阪・枚方市に王仁博士の墓があり、大阪府指定史跡に
なり、以下のように紹介している。
「古事記によると、王仁博士は古墳時代前期の四世紀末
に朝鮮半島の百済から渡来し、「論語」10巻、「千字文」
一巻をもたらし、学問の祖として崇敬されてきました」
「千字文」は、中国で古くから子どもが文字を学ぶときの
初歩の教科書として広く利用され、日本では習字の見本
として親しまれてきた。
ところで韓国の教科書には「百済の文化を日本に伝えて
あげた人物で、今も日本人は王仁を日本文化の先生とし
て崇めている」 と書かれている。
しかし、朝鮮の歴史を記録した古書には”王仁”なる
人物は存在せず、遺跡は日本の史料「日本書紀」などの
記述を基に、韓国政府肝いりで1970年以降に創作さ
れたものだという。
世界の多くの国の教科書は、「五世紀には大和政権が
朝鮮の南部地域を統治していた」と記述。
発掘調査などで明らかになっているが、韓国政府の抗議
で削除されつつある。
Wikipediaより